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第三十七話『魔王』

 ヴァイクに廃墟へ案内されてから一週間、わたしはひたすら資材を集めていた。その甲斐あって、ようやく一部屋分の資材が貯まった。

 はやくヴァイクを喜ばせてあげたい。そう思って修繕に取り掛かろうとした時だった。

 いきなり爆音が鳴り響いた


「何今の音!?」


 振り返ると巨大な壁が出来上がっていた。


「……ヴァイク?」


 その壁の前にヴァイクがいる。よく見ると、壁は流動していた。

 

「ヴァイク、大丈夫!?」

「ウキ? ウッキー!」

 

 駆け寄るとヴァイクは嬉しそうに笑った。怪我はないようだ。

 ホッとしていると壁が崩れていく。激しい音が鳴り響き、開けた視界の先はなぎ倒された木々と降り積った土砂によって酷い有様になっていた。

 そして、ヴァイクの真正面には一人の男がいた。まるで御伽噺に出て来る魔法使いみたいなローブを身に纏っている。


「……あなた、だれ?」


 この森でアンゼロッテ以外の人と会うのは初めてだ。

 本当なら喜ぶべき事なのだろうけど、目の前の男はあまりにも得体が知れない。

 

「わたくしの名はオズワルド。ただの魔法使いですよ」


 彼が名乗った瞬間、目の前に見慣れた背中が現れた。


「ア、アンゼロッテ?」

「退がって……いや、ヴァイクの傍にいろ」

「う、うん」


 わたしはヴァイクの傍に歩み寄った。


「ウキー!」


 うれしそうだ。かわいい。


「……お前、アルトギアか?」


 警戒した様子でアンゼロッテが問いかける。

 だけど、意味が分からない。アルトギアって、何だろう?


「違いますよ、アンゼロッテ。わたくしはオズワルド。アガリア王国の王宮専属魔法使いです」

「アガリアの……?」


 アガリア王国は分かる。この森のずっと北の方にある国だ。一度、ヴァイクがバナナを取りに行った国でもある。

 

「もしかして、ヴァイクがバナナを取りに行ったから?」

「ええ、その通りです! 偉大なる獣王殿の一挙一動に世界は注目しております!」

「……この猿」


 アンゼロッテはヴァイクを睨んだ。


「ウキ?」


 はい、かわいい。


「……理由は分かった。ヴァイクの調査が目的なら、バナナを取りに行った。それ以上の理由はないぞ」

「何故?」

 

 オズワルドが問いかける。


「は?」

「何故、ヴァイクはバナナを取りに行ったのですか? 五百年も墓守を続けていたのに!」

「墓守……?」


 わたしは首を傾げた。


「お前、やっぱり……」


 アンゼロッテはわたしを背中で隠すように移動した。


「気になりますねぇ! 非常に気になります!! あの獣王ヴァイクが己の使命を放棄してまでバナナを取りに行った!! 大好物だから? だから、ヴァイクは愛しき御方の墓を留守にした? 五百年も守ってきた墓を!?」

「……黙れ、アルトギア」

「言った筈ですよ? わたくしはオズワルド。アルトギアではありません」

「どっちでもいい」


 アンゼロッテの体に紫電が迸る。その顔には怒りが滲んでいる。


「自分から消えるか、私に消されるか、好きな方を選ばせてやる」

「……では、消えましょう」


 オズワルドは言った。


「どうやら、わたくしの希望はまだ潰えていなかったようだ」


 そう言うと、彼はアンゼロッテの背後に回り込んだ。つまりはわたしの目の前に移動したわけだ。


「これを貴女に」

「え?」


 オズワルドは一通の手紙をわたしに押し付けた。そして、そんな彼にアンゼロッテの拳が振るわれた。

 だけど、拳が触れる前に彼の姿は忽然と消えてしまった。


「――――ッチ、アルトギアめ」

「アンゼロッテ! あの人はなんだったの!? オズワルドって言ってたけど、どうしてアルトギアって呼ぶの!?」


 わたしには分からない事ばっかりだ。


「……アイツには関わるな。ろくでなしだ」

「それじゃあ分からないよ!! ねえ、墓って何!? この廃墟の事? ヴァイクはずっとお墓を守っていたの!? それ、わたしが触れて良かったものなの!?」


 五百年とか、ヴァイクの使命とか、何も分からない。

 大好きなのに、わたしはヴァイクの事を何も知らない。


「お・ち・つ・け!」

「うきゃっ」


 アンゼロッテはわたしの鼻先を人差し指で突いた。


「ここは五百年前にヴァイクが主人と暮らしていた家だ。獣王と呼ばれる前に」

「獣王と呼ばれる前……」

「ヴァイクという名は当時の主人が付けたものだ。その主人が死んでから、ヴァイクはずっとここにいる」

「五百年も……?」

「ああ、五百年も」


 なんだか、凄く哀しくなった。


「……ヴァイク」

「ウキィ?」


 ヴァイクは心配そうにわたしを見つめている。


「ごめんね、ヴァイク……。ごめんね」


 涙が溢れてくる。

 何を謝っているのかも分からない。だけど、この子にとても酷い事をしてしまった気がした。

 

「ウキィ……」

「そこまでにしておいてやれ」


 アンゼロッテがわたしの頭を撫でた。


「アンゼロッテ……?」

「お前に泣かれるの、多分だけど、一番嫌なことだぞ」

「ウキィ……」


 その言葉通り、ヴァイクはとても哀しそうだ。

 目元には涙が浮かんでいる。


「笑ってやれ」


 アンゼロッテは言った。


「それが一番うれしい事だ」

「……うん」


 両手の人差し指で無理矢理唇の端を持ち上げた。


「……ヴァイク!」

「ウッキィ!」


 本当だ。わたしが笑うとヴァイクも笑ってくれた。

 わたしもヴァイクが泣くのは嫌だ。笑ってくれると凄く嬉しい。


「えへへー、ヴァイク!」

「ウッキィ!」


 ◆


 じゃれ合っているエルとヴァイクを尻目に私は廃墟を見た。

 嘗て、『迷いの森』と呼ばれているこの森はラグランジア王国の一部だった。

 二代目魔王ロズガルドと七英雄による戦闘が大陸の一部を消し飛ばしてしまった為に迷いの森とラグランジアは海を隔てた位置関係になってしまっているが、その海は元々陸地だったのだ。

 そして、木々が栄える前、この地はガルドという街だった。ロズは古代語で『失われた』という意味だ。即ち、ロズガルドとは『失われた(ガルド)』を意味している。

 その本当の名前は誰も知らない。知っていた人々の多くは死に絶え、そして、知っていた者達は誰もが口を噤んだ。

 きっと、その名を忌み名としない為に……。


「……ああ、彼らの気持ちがよく分かった」


 時空の亀裂から現れた少女。

 その少女は七英雄の一人、ジュリアの力を宿していた。

 その少女は獣王ヴァイクに懐かれた。

 

「確証はないが……」


 時空の亀裂の研究は全く進んでいない。なにしろ、時空を斬る事など普通は出来ない為だ。

 ただ、世界の外側には未知の空間が広がっている事だけが分かっている。

 その空間はまさしく人智を超越している。

 もしかしたら、その世界と此方の世界は時の流れが違っているのかもしれない。

 あるいは……、


「おいおい……」


 エルに聞こえない場所まで歩く。


「……こんなの私には荷が重いぞ」


 二代目魔王ロズガルド。それがエルフランの正体だ。

 今は記憶喪失の状態だが、記憶が戻ったら再び魔王としての本性を現すかもしれない。

 恐らく、今ならば対処出来る。私ならば魔王として覚醒する前に首を斬り落とし、再生出来ないように粉砕出来る。

 ヴァイクとも戦う事になるが、ロズガルドと比べれば勝算がある。勇者の到着まで待てばいい。それまでなら抑えられる。

 怒り狂う獣王は人類にとっての脅威となり、勇者の討伐対象となる。

 

「はぁ……、はぁ……、はぁ……」


 もしも、ロズガルドが覚醒すれば私には抑えられない。

 勇者が到着するまでに数多くの人が死ぬ事になる。

 だから、最善は……、最善なのは……、


「……でき、ない」


 被害を出さない方法がある。その方法を取れる力がある。そうしなければ地獄が蘇る。

 燃え盛る大地を見た。死にゆく人々を見た。自分に縋り付いてくる人々を守る為に他の魔王に挑んだ事もあった。

 そして、破壊神と呼ばれ、人の世から排斥された。


「そう、だ。守る必要があるか……? そもそも、私は……」

 

 力ある者の責任から逃げたからこそ、文明に背を向けてこの森にいる。

 人が死のうと、世界が壊れようと、私が今の幸福を自ら壊さなければいけない理由になどならない。

 

「そうだ……、私は悪くない。そもそも、魔王だぞ。魔王が魔王を匿って何が悪い?」


 私を破壊神だとか、七大魔王だとか呼んだのは人間達だ。

 そんな輩を守ってやる必要など無い。勇者だろうと、なんだろうと、エルフランを害する者は私が破壊する。

 その為ならば封じていた力もすべて解き放とう。

 ヴァイクも味方する筈だ。獣王と破壊神、そして、覚醒した二代目魔王が揃えば勇者だろうと敵ではなくなる。


「ハッ……、ハッハッハッハッハッハッハ!!!」


 喜べ、人間共。お前達がそうあれと望んだ通り、ようやく私は正真正銘の魔王になったぞ。

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