第三十六話『運命』
アルヴィレオ殿下と初めて会ったのは五歳の時だ。まだ、騎士や王という言葉の意味を知らなかった頃の事。
あの頃の殿下は全く笑わなかった。いつも遠くを見つめていて、一緒に居ると不安になる事が多かった。
「……殿下、大丈夫?」
「ああ……。問題ないよ、バレット」
その殿下が今は鼻を啜っている。
王宮を離れる事になり、愛する婚約者と会えなくなる事が寂しいようだ。
やれやれと思いながらも幼馴染の心の変化を嬉しく思う。
「元気出せって! これは殿下の王としての初仕事なんだから」
「……ああ、そうだな」
目の色が変わった。
―――― アルはもう王様なんだね。
あの時の二人の会話をオレは聞いていた。
二人には調練に参加すると言って離れたけれど、それは二人の時間を作らせてあげる為の方便だ。
―――― 王様だから、今の自分に危機感を抱いているんでしょ?
―――― 君は王として民を知りたいと思っている。アルは民を思う王なんだね。
オレは殿下の浮世離れした雰囲気や思考の本質に気付かなかった。オレだけではない。他の誰も気付いていなかった。オレが殿下と引き合わせられたのも殿下の情緒の希薄さを心配した陛下や王妃様の判断故だ。殿下自身でさえ、自分の在り方の真実を識らなかった。だって、まだ十一歳だ。あの時は十歳だった。
表情が変わらないのは自己を完璧に律していたからであり、遠くを見つめるのは国の行く末を考えていたから。
そんな事、分かるわけがない。まさか、既に王として完成していたなんて想像出来るわけがない。
―――― オレ、アルが王様で良かったよ。
その言葉を聞いた時の殿下の表情を今でも鮮明に覚えている。
生まれてはじめて、人が恋に落ちる瞬間を目撃した。誰も気付いてあげられなかった彼の本質に気づき、その在り方を肯定する言葉。あれはまさしく殺し文句だった。
それからの殿下はフレデリカ様の事になると平静を保てなくなった。
「確り責務を果たして、嫁さんに褒めてもらいなよ!」
「ああ、褒めてもらう」
吹き出さなかったオレを誰か褒めて欲しい。
殿下は素直だ。普通なら恥ずかしがる事でも平然と口にしてしまえる。
だけど、相手がフレデリカ様ならそれでいいのだろう。彼女なら殿下の照れ隠しも簡単に見抜いてしまいそうだ。
「……フリッカは元気にしているだろうか」
「まだ……、別れて一時間しか経ってないよ?」
まるで何ヶ月も離れ離れになった相手を想うかのような殿下の発言にオレは苦笑した。
♦
アルがバレットや騎士達と共に獣王が現れたアザレア南部の街を目指す間、わたしは叔父様と共に魔法で北部の街へ移動していた。
「着きましたよ、ヴィヴィアン」
「はい、叔父様」
アル達は馬車で移動しているというのに、わたしは叔父様の魔法でズルをしている。
転移の魔法による長距離移動だ。これが出来る魔法使いは少ない。
移動だけなら強大な魔力と知識があれば使えるけれど、その場合は大きなリスクを背負う事になる。
なにしろ、転移は高速移動ではない。現在の地点から指定した座標に転送する魔法だ。
そこに一匹の小さな蟲が紛れ込んでいただけで大惨事になる。運が良ければ助かるけれど、人体の主要な器官に蟲が入り込んでしまう可能性もある。
だから、転移する場合は転移先に塵一つ無い事を確認しなければいけないのだけど、そもそも塵一つ無い空間を転移先に用意出来る人間が殆どいない。
王弟と王宮専属魔法使いの肩書故に叔父様は各地に拠点を設ける事が許されている。そして、その拠点には多くの魔法が施されていて常に清潔に保たれている。それでも万が一があるけれど、それを叔父様は『千里眼』で確認出来る。
この千里眼は叔父様が生まれた時から持っていたスキルらしい。つまり、魂に刻まれたもの。
「では、わたくしは結界を確認して参ります」
「お願い致します」
街に着くと叔父様は結界を見に行った。国中に張り巡らされた結界はすべて叔父様が敷設したものだ。
この結界のおかげでアガリアは他国に比べて魔獣による被害が少ない。
今回はそのメンテナンスという名目でわたしと同行している。だけど、それは建前だ。
実際の所、叔父様は王宮で座したままでも各地の結界を千里眼で確認出来る。
「叔父様ったら……」
叔父様はわたしの名付け親だ。独身である彼にとって、わたしは唯一無二の娘という事だ。
だからか、いつも気にかけてくれる。今回の事もわたしの体力を気遣っての事だろう。
「……ふふ」
誰もが叔父様を変わり者と言う。だけど、わたしにとっては誰よりも優しい人だ。
「さて、わたしも頑張らなきゃ」
わたしの婚約者もアルの護衛として頑張っている。
年上として、王女として、彼に負けないようにしないといけない。
「……でも、まさかバレットと婚約する事になるとは思わなかったわ」
いつから決まっていたのか分からないけれど、王宮を発つ前に告げられた。
どうやら、バレットをアルとフレデリカの守護騎士に据える為らしい。
守護騎士というのは王と王妃を守る専属の騎士だ。バレットは二人と同い年で仲もいい。人格面、能力共に問題なく、後は必要な地位を与えれば完璧というわけだ。
弟のように思っていた子の妻となるのは思いの外ドキドキした。正直、悪くない。わたしは年上よりも年下派なのだ。
「お嬢様……」
エシャロットが羨ましそうにわたしを見ている。彼女も年下派なのだ。
わたしは勝利のVサインを送った。
「……わたしもレオ様と」
「弟を狙うの止めてくれない?」
第二王子のレオンハルトはまだ六歳だ。姉として、可愛い盛りの弟を肉食獣から守らなければいけない。
「じゃあ、わたくしにも良縁をお願いしますよ? 出来れば、十歳くらい年下がいいです」
「四歳児!?」
「冗談です」
わたしは疑いの目を向けた。
「でも、正直言うと安心しました」
「安心って?」
「バレットくんはいい子ですからねー。しかも、お嬢様の好みにドストライク! わたし、ヴィヴィちゃんには幸せになって欲しいもの」
「……ありがとう。貴女の縁談相手、なるべく良い相手を見つけてみるわ」
「ふふっ、期待してます!」
わたしだって、大切な幼馴染には幸せになってもらいたい。
折角の機会だからエシャロットの婚約者も探してみよう。
「あっ! ちなみにちょっと生意気な感じの子がいいです!」
「わ、わかったわ……」
◆
ヴィヴィアンと別れた後、オズワルドはマグノリア共和国南部の海岸線に転移した。
海を隔てた先には迷いの森が広がっている。
その森は彼の千里眼をもってしても見通す事が出来ない魔境だ。
「……およそ一年前、勇者がこの場所に現れた。そして、獣王と勇者が睨み合い、この海域の生態系に変化が起きた」
この海域で漁猟を行う漁師達と海賊から集めた情報だ。
獣王の支配領域に好んで近づく人間はいない。好奇心で近づこうとする者も一定のラインを踏み越える事はない。
それ故に海賊の隠れ蓑となってしまっているのだ。
もっとも、今回の一件で彼らは掃討された。彼らが持つ値千金の情報の為に大陸中の国々が合同で海賊達を捕縛したのだ。
そして、一人の海賊が森の上空に亀裂を見たと言った。その情報を齎した海賊はオズワルドが直々に処分した。そして、その情報を聞いた者達から記憶を取り除いた。
「クカカカカカカカカカッ!!」
オズワルドは嗤う。そして、森へ向かって飛んだ。
その瞬間、全身に鳥肌が立った。獣王ヴァイクがオズワルドに視線を向けたのだ。
「ヴァイクよ!!」
オズワルドは両手を広げ、恍惚の笑みを浮かべながら獣王の支配領域へ突入した。
轟音と共にオズワルドの脚が大地に触れる。
「……ウキ?」
ヴァイクは目の前に降り立ったオズワルドを不思議そうに見つめている。
「何今の音!?」
すると、そこに一人の少女が駆け寄ってきた。
「ヴァイク、大丈夫!?」
「ウキ? ウッキー!」
その少女は珍しい髪色をしていた。
普通、人の髪はメラニン色素という物質の含有量によって色分けされている。
しかし、強力な魔力を持つ者の髪色はメラニン色素に寄らぬ色を持つ。
彼女の髪色は桜の如き色合いだった。
「……あなた、だれ?」
その少女をオズワルドはジッと見つめていた。
そして、微笑んだ。
「わたくしの名はオズワルド。ただの魔法使いですよ」




