第二十七話『恐怖』
キース・リガルドは公爵家直轄の騎士団を率いる騎士団長である。
幼少の頃はベルブリック伯爵領で鍛え上げられ、青年の頃に騎士団へ入団した。弛まぬ努力によって培われた肉体は王国騎士団の精鋭にも引けを取らない。
彼は公爵領を王国一安全な土地とする為に全身全霊を掛けて来た。それ故にヴァレンタイン公爵やロベルト領主代行にも覚えがめでたい。
この度、彼はロベルトから特別な任務を受けた。彼の妹であり、次期王妃となるフレデリカ・ヴァレンタイン公爵令嬢が特殊なスキルを取得したと言う。
そのスキルはとても強力なものであると考えられる為、騎士団の中でも精鋭を集め万が一の事態に備えるよう命じられた。
キースはその命令を受けた時、心の中で苦笑した。
ロベルトの妹に対する溺愛振りは公爵邸を訪れた事がある者ならば誰もが知っている。
冷血、あるいは無欠と言われる程に隙の無い男の唯一の欠点だ。妹の事となるとしばしば暴走してしまう。
今回もその一環だろうと高を括っていた。貶めるわけではないが、フレデリカはまだ十歳の少女だ。
如何に天賦の才能を持つ者だとしても、十歳のスキルに騎士団の精鋭が必要となる事などあり得ない。
スキルとは武術の型のようなものなのだ。とりわけ強力な一撃を放つ為の技を人はスキルと呼んでいる。
剣を振り下ろす。ただそれだけの行動を何千、何万と繰り返す事で必殺の奥義に昇華させる事が出来た時、それは技となり、魂に刻み込まれる。
新たなスキルを手に入れる為には文字通り血の滲むような努力が必要なのだ。
今回のフレデリカのように幼くして唐突にスキルが芽生える場合もある。それは魂に刻まれていたものだ。
勇者を選定するバルサーラ教会の教義によれば、魂は輪廻を巡るという。生まれ、死に、また生まれ、人はスキルを磨いていく。
彼女は前世で何らかのスキルを取得していたのだろう。しかし、前世のスキルは肉体が使用可能な強度を得る事で復元される。十歳の少女の肉体で使用可能となるスキルならば高が知れている。
しかしながら、子供の肉体で前世のスキルが復元される例は非常に稀だ。騎士団の若きホープであるリゼット・マルセルの『虎乱蹴』以外には初めて見る。
虎乱蹴は倒れ込むように伏した状態で相手の懐へ飛び込み、手を軸に死角から蹴撃を放つスキルだ。奇襲に使う分には実用性もあり優秀な技だが、子供が覚えられる程度のスキルらしく、そこまでの威力はない。
「……団長。お嬢様はどのようなスキルを得たのでしょうか?」
訓練に使っている草原地帯を目指す道中、フレデリカやロベルトが乗る馬車を先導する形で馬を走らせていたキースの下にリゼットが近づいて来た。
任務の最中に私語は慎むべきだが、他の団員達も気にしている様子だ。恐らくは代表として聞きに来たのだろう。
「言っただろう。私も聞かされていないのだ。ロベルト様はとても強力なスキルの筈だと仰られていた」
「……な、なるほど」
リゼットは微妙な表情を浮かべた。彼もロベルトの唯一の欠点を耳にした事があるのだろう。
「さあ、持ち場に戻れ! 今は任務中だ!」
「……了解です」
少々大袈裟とも思える行軍なれど、普段は公爵邸に引き篭もられているお嬢様に騎士団の勇姿を御見せする良い機会でもある。
無様な醜態を晒し、彼女に期待外れと思われる事は避けたい。
キースは気を引き締めるように団員達へ伝えた。
そして、草原地帯へ辿り着いた。
◆
ロベルトの指示の下、騎士団はフレデリカから少し離れた場所で万が一の事態に備える事となった。
騎士達は馬車から降りて来た令嬢の姿に見惚れている。
丁寧に編まれた銀色の髪。海を思わせる青い瞳。白いドレスに身を包んだ彼女の姿は雪の妖精を思わせる。
ロベルトが溺愛するのも当然だと誰もが思った。それほどまでに可憐で愛らしい少女だ。
「今日はよろしくお願い致します」
フレデリカは丁寧に頭を下げた。鈴を転がすような声という表現の意味をリゼットは初めて理解したと感じた。
騎士達は万が一にもフレデリカが怪我などしないように自然と気を引き締めた。
そして、スキルの試用が始まる。
「『魔王再演』」
その言葉と共にキースは空気の変化を感じ取った。鳥肌が立ち、呼吸の仕方を忘れる程の恐怖を味わった。
まるで、いきなり巨大な魔獣の足元に置き去りにされたような錯覚を覚えた。
「……ふぅ」
息を吐く声で遠のきかけた意識が戻る。けれど、戻らなければ良かったと後悔した。
フレデリカの体を赤雷が迸る。そして、彼女は赤雷を掌に集めると様々な武器に変えて試し始めた。
「……なんだ、あれは」
一瞬、キースは自分の心の声かと思った。それほど、リゼットの言葉は彼の内心を表していた。
フレデリカは槍に変えた魔力を投擲した。その威力はキースの奥義の威力を遥かに上回っていた。
それからも大斧で地面に底が見えない程の大きな亀裂を作り出し、呪文も唱えずに結界を張り、目で追えない程の速度で彼方へ駆けて行った。
ロベルトが慌てたように「追いかけるぞ!!」と叫びながら馬に跨ったが、キース達は直ぐに動けなかった。
「なんだ、あれは……」
それはキース自身の言葉だった。あんなスキルは見た事も聞いた事もない。
年齢や性別以前に人間としての臨界を超えてしまっている。
「……それは、まるで」
キースの脳裏に幼き頃の記憶が蘇る。それはベルブリック家の遠征部隊に雑用係として同行した時のものだ。
遠征の理由であったイプシロンという超巨大な魔獣と勇者が戦っていた。
理由は分からない。だが、そんな事はどうでも良かった。
今の王国騎士団団長であるヴォルスや彼の娘であるアイリーンもその勇姿に見惚れていた。
死を覚悟して挑む筈だった魔獣を一人の人間が無傷で打倒したのだ。嫉妬など抱ける筈もなく、憧れを抱く事すら烏滸がましいと思わされた。
「だ、団長……」
リゼットが恐怖の表情を浮かべながらキースの服の袖を引っ張った。
「わ、我々はどうしたら……」
その言葉でようやく彼方へ走っていくロベルトの姿に気がついた。
「……我々も行くぞ!」
失態だ。
護衛対象に恐怖して茫然自失となり任務を放棄しかけた。
キースは慌てて騎士達を鼓舞しながら馬に跨る。ロベルトも鍛錬を積んでいるが、それでもキース達は彼の馬に追いつく事が出来た。
そして、その間にもフレデリカには追いつかなかった。
「…………あ」
死んだと思った。巨大な竜に頭から丸呑みにされた気がした。
気づけば馬が立ち止まっている。恐怖のあまり痙攣を起こしている。
キースは必死に心を落ち着かせた。湧き上がる恐怖を意思の力でねじ伏せ、愛馬に声を掛けた。
「落ち着くのだ、ブルファイロン。落ち着くのだ」
少しして、彼方から襲い掛かって来る重圧が途切れた。しかし、進む事を躊躇う。
その先が死地であると分かっていても、騎士は時に自らの意思で飛び込まねばならない。だと言うのに足が竦む。
「フリッカァァァァ!!」
しかし、ロベルトは迷う事なく馬の尻を叩いた。
騎士として、主人を先に行かせるわけにはいかない。分かっているのに体が凍りついて動かない。
「お嬢様!!」
その間にメイドが飛び出して行った。メイドに先を越された事でようやくキースは恐怖という戒めの鎖を引き千切る事に成功した。
「お前達! 行くぞ!」
キースの号令によって他の騎士達も動き始めた。
そして、辿り着いた先では白のドレスを真紅に染め替えた化け物の姿があった。
「……ぁぁ」
何十年も弛まぬ努力を重ねて来た。肉体と精神を鍛え抜いて来た。
そんな自分の努力をあざ笑うように目の前の少女は強大な力を身に着けた。
その在り方は酷く歪だと思った。
―――― 気持ちが悪い。
理解を超えた存在に対して、キースは顔を顰めた。
勇者に匹敵する力だが、勇者とは根本的に違う。
―――― ああ、そうだ。本人が言っていたではないか……。
魔王再演という言葉。
魔王。
それは勇者の対となる存在。人類に対する敵対者。
そんなスキルを持つ者が我が国の王妃となる。
「……キース団長」
いつの間にかフレデリカの姿が消えていた。アイリーンの姿もない。
「ロ、ロベルト様。お嬢様は一体……」
「残念だ、キース。お前の事は買っていたのだがな」
「……わ、私は」
キースは蛇に睨まれた蛙のように縮こまった。
あまりにも冷たい眼差しだ。
鮮血のヴァレンタインの息子、ロベルト・ヴァレンタインは『冷血のヴァレンタイン』と呼ばれている。
妹に対しては決して向ける事のない残忍で冷酷な表情が浮かんでいる。
そして、キースと騎士達の意識はそこで途絶えた。
翌日の朝、目を覚ました彼は部下から昨日の任務について聞かれたが、彼にはさっぱり意味がわからなかった。
「任務? 何の事だ?」
首を捻りながら、キースは今日も職務に励むのだった。
◇
それはゲームのフレデリカ・ヴァレンタインも経験した事だった。
ただ、その頃のロベルトは父親の教育によってフレデリカと距離を取るようになっていた。
兄に不信を抱き始めていた彼女は騎士達の事を彼に任せきりにする事が出来なかった。
その行動は初めこそ騎士達に好感を抱かせた。草原に向かう道すがら、一歩踏み込んだ関係を築くに至った。
しかし、『魔王再演』を見せた後の騎士達の表情はやはり恐怖と嫌悪に満ちたものだった。騎士達の記憶はロベルトによって消去されたが、彼女の記憶からは消される事なく残り続けた。
それも彼女の心を歪ませる原因の一端となるのだった。




