第二十五話『堕ちた竜の姫』
開いた本には挿絵が描かれていた。竜の翼と竜の腕、それは間違いなくシャロンだった。
七大魔王と呼ばれた魔人達が生きていた時代は今から三百年程昔の事だ。それから多くの歴史家達が彼らの真実に至ろうと調査を進めて来た。
けれど、今以て全容は明らかになっていない。
「……『シャロンは竜王メルカトナザレの娘として生を受けた』」
その一文を読んで、オレは複雑な感情を抱いた。
飛竜船に襲い掛かって来たメルカトナザレはシャロンを排除する為に現れた。
人の価値観を竜に当て嵌めても仕方がない。それでも娘を滅ぼす為に牙を剥いた父親に対して、オレは悲しくなった。
―――― 分かっている筈だぞ!! どちらに正義があるか、貴様も!!
勇者に対してメルカトナザレが吠えた言葉だ。
なにしろ、シャロンは魔王と呼ばれた存在だ。それを滅ぼす事は正義であり、護る事は悪となる。
「……でも」
オレは少し期待している。
メルカトナザレはオレを護る勇者に対して言った。
―――― お前達は優し過ぎる。
あの言葉は魔王の力を宿してしまったオレを護る事に対してのものだと思っていた。
だけど、シャロンがメルカトナザレの娘だと分かった今、別の意味に聞こえて来る。
勇者はメルカトナザレに娘を殺させなかった。それに対して、優しいと評したのかも知れない。
本当はメルカトナザレも娘を殺したくなど無かったのかもしれない。そうであって欲しい。
「『エルダー・ヴァンパイアは竜の変異種であり、卵を産み落とす事で眷属であるヴァンパイアを増やす事が出来る』。卵生だったのか……」
本の始まりはシャロンの生態について記されていた。
人の形をしていても人ではない。この本の筆者はシャロンを魔獣の一種として捉えていたようだ。
だけど、『シャロンは多産な種であり、多くの卵を産み落としてヴァンパイアの兵団を作り出した』と記すのは如何なものか。
ちょっと赤裸々に書き過ぎだろ。自分の事では無いのに恥ずかしくなってくる。
「……あれ? シャロンの力を宿してるオレって……」
自分が赤ん坊を産んだ時、どっちで出てくるのか想像してしまった。
「いやいやいやいや、産まねぇから!」
アルに婚約破棄されればオレは生涯独身を貫く事が出来る。
なにしろ、王族からの婚約破棄だ。その意味は貴族社会において相当に重たい。
オレを娶りたいと思う男など現れない筈だ。
「……まあ、変な好色家に狙われる可能性はあるけど」
その時は魔王再演でも何でも使って逃げるとしよう。
「とりあえず先を読もう」
シャロンが魔王と名乗ったタイミングは他の七大魔王よりも早かったようだ。
というか、彼女が魔王を名乗った事で世界各国の力ある魔人達が魔王を自称し始めたらしい。
恐らくは七大魔王ではなく、三代目魔王として君臨したかったのだろう。
けれど、シャロンには初代や二代目のような絶対的な力は無かった。だから、他の魔人達もこぞって魔王を名乗り始めた。
なんとも締まらない話だ。
「なんか、抜けてるなぁ……」
そもそも、七大魔王は初代や二代目と違って自称らしい。
自称魔王と言うと、すごく間抜けな響きに聞こえる。
ページを捲っていくと、ようやくシャロンの足跡が記されていた。
「『エルダー・ヴァンパイアとして生まれたシャロンを竜王は我が子と認めなかった。卵から生まれたばかりの彼女を山頂から海へ投げ捨てたようだ』」
冒頭を読んだ瞬間、キレそうになった。
「オレの期待を裏切りやがって、あのトカゲ野郎……」
やはり、人の価値観など竜には当て嵌まらないようだ。生まれたばかりの赤ん坊を山から海へ落とす。オレには全く理解出来ない行動だ。
シャロンは生き残ったようだけど、それは奇跡だ。メルカトナザレは娘を殺そうとしたのだ。
「お、お嬢様? 大丈夫ですか?」
アイリーンが声を掛けてきた。オレの勉強を邪魔しない為に沈黙していたけれど、オレが怒りの形相を浮かべた為に無視出来なくなったのだろう。
「……大丈夫。メルカトナザレがクソ野郎だって分かっただけだよ」
「な、なるほど……」
読めば読むほど読みたくなくなっていく本だ。
げんなりしながら読み進める。
「『シャロンという名は海を旅していた後の七英雄の一人である冒険家のウェスカー・ヘミルトンによって名付けられた。彼は海を漂流していたシャロンを発見し、彼女を育てた』……。ん? 七英雄がシャロンを?」
七英雄はシャロンが信奉していた二代目魔王のロズガルドを討伐した英雄達だ。
その英雄がシャロンの育ての親だった。なんだか数奇な運命を予感させる。
「『シャロンはウェスカーと共に旅をして、その果てにラグランジア王国を訪れた。そこで一人の少女と出会う。名前は如何なる歴史書にも記されていない。ただ、彼女こそが後の二代目魔王ロズガルドである事は確かなようだ』……。ロズガルドは女だったのか」
オレは先が気になった。
「『当時のラグランジアには魔人の姿が当たり前のように見られた事が数多の資料によって断定されている。だからこそ、ウェスカーはシャロンをラグランジアに連れて来たようだ。彼の日誌には《シャロンが初めての友達と楽しそうに笑い合う姿を見れて嬉しかった》とある。そして、それから少なくとも五年の歳月をウェスカーとシャロンはラグランジアで過ごしたようだ。ウェスカーは―― 後に後悔の言葉を日誌へ綴っているが ――シャロンが十分に成長した事を見届け、再び冒険の旅に出掛けた。その数年後、ラグランジアに二代目魔王ロズガルドが君臨する事となる』……」
なんだか、凄く悲しい気分になって来た。
これ以上は読みたくない。だけど、読まなければシャロンを理解出来ない。
オレは震える手でページを捲った。
「『そこから先は空白の百年と呼ばれている。判明している事実は三つ。一つは多くの人が死んだ事、一つは七英雄によってロズガルドが討伐された事、一つはシャロンがロズガルドの配下としてウェスカーと戦った事だ。どちらもロズガルド討伐後に生存が確認されているが、ウェスカーの日誌にシャロンの事を記述される事は二度と無かった』」
ウェスカーの日誌は彼の故郷であるパシュフル大陸のイグノス武国で厳重に保管されているようだ。
読んでみたいと思ったけれど、閲覧には厳しい制限が設けられているようだ。
ロズガルド討伐後の日誌にシャロンの事を書いていない点が気になる、
「……嫌いになったのかな?」
だとしたら、それは凄く悲しい事だ。
シャロンが友達と笑い合う光景を嬉しいと言った彼の心がどう変化していったのか知る術はもはや存在しない。
なにしろ、彼は三百年以上も昔の人物だからだ。
「……『ロズガルドが討伐された後、シャロンの足跡は途絶えていた。しかし百年後、彼女はラグランジア王国へ再び姿を現した。当時のラグランジア王国は嘗てのように魔族を受け入れる事を善しとはしなかった。当然だろう。魔王ロズガルドによって最も大きな被害を齎された国は他でもないラグランジア王国なのだから。そして、そのラグランジア王国を再び魔王が蹂躙する事となる』」
ラグランジア王国と言えば、『ザラクの冒険』のシナリオのスタート地点だ。
ザラクは王国に封じられていたシャロンの力を持つ籠手を装備してしまった事で国から追われる事となる。
ゲームをプレイしていた時は厳しい対応だと思ったものだけど、その理由が分かった気がする。二度に渡る魔王の蹂躙を受けた国だったのだ。魔王の力を宿す事はまさに大罪であり、王子であっても許されない事だったのだろう。
「『竜姫シャロンが魔王を名乗ると、世界中で名のある魔族が魔王を自称し始めた。屍叉ジュド、雷帝ザイン、炎凰アシュリー、狂王ヴァルサーレ、朱天ネルゼルファー。そして、破壊神アンゼロッテ。彼らは七大魔王と呼ばれ、世界を七つの領地に分けた』……、あれ?」
オレは破壊神アンゼロッテの文字に目を丸くした。
ゲームの主要人物の中にアンゼロッテという名前のキャラクターがいた。『エルフランの奇跡』のシナリオのメインキャラクターの一人だ。
アンゼロッテ・ウィオルネ。エルフランを保護して、彼女にエルフランの名前を与えた森の魔女だ。
だけど、彼女の正体は謎に包まれていた。なにしろ、ゲーム中では森に住んでいる変わり者としか描写が無かった為だ。
ネットでは続編の為に正体を隠したのだろうと言われていた。実際に続編が出たのかは分からない。その前にオレは人生を終えてしまったらしい。死んだ時の事はまったく覚えていないのだけど……。
ともあれ、彼女が七大魔王の一画である破壊神なら筋は通る。魔王クラスならば獣王の支配領域でも生きていけるのだろう。
「『シャロンは大量の卵を産み、無数のヴァンパイアによる軍勢を組織した。不死であり、母たる存在に絶対の忠誠を誓うヴァンパイアの軍団は驚異的な存在であり、勇者メナスにシャロンが討伐されるまでに多くの国が地図から名を消したと言われている。現在、バルサーラ大陸にはアガリア王国、クラバト―ル連合国、レストイルカ公国、マグノリア共和国、ラグランジア王国の五国のみが名を残しているが、シャロンの暴虐が無ければ少なくとも十二の国が地図を更に細かく色分けしていた事だろう』」
引き算すると、シャロンは七つの国を滅ぼしたようだ。
「どうして、シャロンは……」
ページをいくら捲っても理由は記されていない。筆者は『不明』の二文字を書いて済ませてしまっている。
結局、シャロンの事は分かったような分からなかったような微妙な感じだ。
「……ただ、能力は分かった」
シャロンは空を自在に舞い、その爪は鋼を紙の如く引き裂き、その息吹は大地を焦土に変えたという。
まさにドラゴンだ。
他にも強大な魔力を自在に使えたとも書かれている。
メルカトナザレ襲撃時にオレが使った赤い光はシャロンの魔力そのものだったようだ。
彼女の魔力は真紅の輝きを発していたという記述がある。
「とりあえず、少しずつ実践してみるか」
オズワルドにも言われた。
―――― 魔王の力を飼いならしなさい。その為に助言を与えましょう。魔王再演を使いなさい。恐れてはいけません。覚悟を持って、勇気を示すのです。
とにかく使わない事には始まらない。
けれど、屋敷内で使ったら何が起こるか分からない。
「よし! 兄貴に相談しよう! 行くぞ、アイリーン!」
「は、はい!」
正直、シャロンの事は理解し切れていない。
だけど、シャロンはオレの思いに応えてアイリーンやバレットを護る力を貸してくれた。
恐ろしい事をしたけれど、本に書いてある事が全てでは無いだろう。
「……いつか理解したいな」




