第二十三話『エルフラン・ウィオルネ』
目が覚めた後、アイリーンと兄貴に『魔王再演』のスキルが暴走した事を伝えた。
二人はパニックを起こしかけたけれど、『勇者の御守り』が守ってくれたと言うと落ち着いた。
それだけ勇者とは絶対的な存在なのだ。
「……カッコよかったもんなぁ」
勇者の勇姿を思い出す。
オレを守ってくれた。あの時向けられた優しい眼差しを思い出すと胸が熱くなる。
生まれ変わる前、オレはアイドルやスポーツ選手に熱狂する人々の気持ちがよく分からなかった。だけど、今なら分かる。
オレはすっかり勇者のファンになってしまった。
「勇者ゼノン」
ゲームには登場しなかった。『ザラクの冒険』のシナリオの序盤で剣聖マリア・ミリガンと激闘を繰り広げるのは新米勇者のアルフォンスだ。
「ゼノンはどうなったんだろう……?」
実を言うとザラクのシナリオはエルフランのシナリオと時系列がズレている。
だから、直ぐに勇者がゼノンからアルフォンスに変わるわけではない。
「ゼノンの次の勇者がアルフォンスって事だよな。エルフランのシナリオに勇者は出て来ない筈だけど……」
あれだけ隔絶した力を持つ人が死ぬとも思えない。
だけど、ザラクのシナリオにゼノンの名前は一切登場しない。
「引退したのかな?」
それなら安心出来る。
勇者は常に人類存続の為に戦い続けているから、余生はゆっくり休むべきだと思う。
もしも許されるのなら、あの時の御礼がしたい。オレに出来る事なんて大した事は無いと思うけど、あの勇者の笑顔をもう一度見てみたい。
「……それはそれとして」
オレは右手を見た。
「なんで、魔王再演が暴走したのか考えないと……」
切っ掛けがあった筈だ。
「オレのストレス? いや、それならアルに手紙を書いている最中に始まった説明がつかない」
アルとの文通はオレにとって日々の癒やしだ。それ以外の時間ならばともかく、返事を書いている時にストレスが最高潮になる事はあり得ないと思う。
あの時の精神状態は悪くなかった筈だ。健康にも問題が無かった。
つまり、オレ以外に起因して暴走が始まったと考えるべきだろう。
「4月1日。『エルフランの軌跡』のシナリオがスタートする日……」
正式な年号は分からない。ただ、4月1日にエルフランは迷いの森に現れる。
彼女は気を失った状態で獣王ヴァイクによって森の魔女アンゼロッテの下に届けられる。
「……エルフランが現れたのか? それが暴走の切っ掛け?」
エルフランは主人公だ。そして、フレデリカ・ヴァレンタインは悪役令嬢だ。
二人はライバル関係にあり、学園編では何度も衝突する運命にある。
衝突する原因は単純明快だ。アルがエルフランと懇意にしている姿を見たフレデリカが嫉妬に駆られるのだ。
そして、エルフランは乙女ゲーの主人公にしては苛烈な性格をしている為に反抗する。
「二人が衝突するのは性格的な相性と同じ相手に好意を持ってしまった事による軋轢が原因の筈だけど……」
魔王再演が暴走した理由にはならない。何故なら、オレにはエルフランと敵対する理由がない。
彼女がアルを寝取ってくれないとオレは男と結婚する事になる。そして、アナスタシアに鍛え上げられた技術を披露する羽目になる。
それは困る。元男として、それは避けたい事だ。
エルフランが悪女だったり、国を傾かせる程の無能なら思う所もあったかもしれないけれど、彼女は主人公だ。
悪女や無能が主人公を張れるわけがない。善人で有能だから主人公なのだ。
「……『英雄再演』か?」
エルフランはオレの魔王再演と正反対のスキルを持っている。
魔王を打倒した七英雄の力を使うスキルだ。しかも、七英雄が打倒した相手は七大魔王が信奉していた二代目魔王のロズガルド。
七大魔王が七英雄に対して敵意を抱いていてもおかしくはない。
「それなら筋が通るか……」
窓辺に歩み寄る。丁度、窓は迷いの森の方角を向いている。
もちろん、見える筈がない。それでも、彼方に彼女が存在している。
「エルフラン・ウィオルネ」
ゲームの主人公。エルフランの名は彼女を保護したアンゼロッテが付けたものだ。
ちなみにプレイヤーが決める事も出来る。エルフランはあくまでもデフォルトネームなのだ。だから、そのシーンで選択肢が現れ、エルフラン以外の名前を入力するとタイトルも変わる。
凪咲は自分の名前を付けていた。だから、タイトル画面も『エターナル・アヴァロン ~ ナギサの軌跡 / ザラクの冒険 ~』になっていた。
ウィオルネという姓はアンゼロッテのものだ。
「序盤が面白いんだよなぁ」
シナリオのメインは学園編だけど、その前の迷いの森編が個人的にはかなり気に入っていた。
アンゼロッテの指導の下で自分の生活基盤を整えていく。
上手く行かなくてもアンゼロッテがカバーしてくれるけど、頑張れば自分用の家を立てる事も出来る。
アンゼロッテよりも優雅な暮らしを手に入れてから彼女に話しかけると『ドヤ顔をかます』という選択肢が出る。
脳天にチョップを喰らって悶絶するだけのシーンだけど、そのやり取りが面白くて好きだった。
「今頃、何してるのかなー」
■
「見て見て! キノコ!」
「食ったら死ぬぞ……」
「毒キノコ!?」
エルは好奇心旺盛な子だ。常に見張っておかないと何をしでかすか分からない。
「ねえ、何を取りに行くの? 果物が生えてたりするの?」
「ん? 果物は少し遠いから昼に取りに行くぞ」
「じゃあ、野菜?」
「野菜は家庭菜園で作ってる」
「……じゃあ、お肉?」
「正解だ!」
この森は大きく分けて二つの区画に分かれている。
一つは獣王ヴァイクの支配領域。そして、もう一つは獣王の存在を利用している狡猾な魔獣達の領域だ。
人間が迷いの森に踏み込まない理由の大半はヴァイクの存在だが、それ以外の魔獣共も油断ならないものばかり。
とても危険な場所だ。だからこそ、一度見せておいた方がいい。好奇心で勝手に踏み込まれたら助け出す前に殺されるかも知れない。
そんな事になったら私がヴァイクに殺される。
「エル。あんまり離れるなよ」
「え? う、うん」
眼球に魔力を集中させる。『魔眼』というスキルだ。薄闇に包まれた森が真昼の平原のように見渡せるようになった。
都合がいい。少し先にウルヴェルガという魔物がいた。巨大な二足歩行の牛のような姿をしている。
見た目のインパクトは森の魔獣達の中でも指折りだ。十分にエルを怖がらせてくれる筈だ。
「行くぞ」
「は、はーい!」
領域の境界は目に見えない。けれど、感じる事が出来る。
ヴァイクの意識の内と外だ。
「……アンゼロッテ。なんか、ここ……」
エルが怖がり始めた。無意識にヴァイクの庇護を感じていたのだろう。
それが失われた事で恐怖心が呼び覚まされたようだ。
「大丈夫だ。私から離れるなよ」
「……帰らないの?」
「ああ、肉を調達しないといけないからな」
不安そうなエルの顔に罪悪感を覚える。
だけど、これでウルヴェルガを見せれば勝手に境界を出る事も無いだろう。
ここは心を鬼にしなければいけない。エルに気付かれないようにウルヴェルガと私達を結界で包み込む。
ヴァイクの匂いにウルヴェルガが怯えて逃げてしまわないように。
「見えて来たぞ。朝ごはんだ」
エルはカチカチと歯を鳴らしている。
魔眼のスキルを解除すると、暗闇の中で巨大な異形が鼻息を荒くしている。
「あ、あれが……?」
「ああ、あれが肉だ」
仕上げだ。ウルヴェルガに背後から迫るヴァイクの幻影を見せる。
すると、ウルヴェルガは狂ったような悲鳴を上げながら私達に向かって来た。
エルには襲い掛かって来たように見えている筈だ。
木々を薙ぎ倒しながら迫って来る。ギリギリまで待とう。しっかり、森の恐怖を理解させなければいけない。
「あっ……、ぁぁ」
エルは体を震わせながらたじろいだ。
そろそろ十分だろう。私は迎撃用の魔法を――――、
「ぁぁぁぁあああああああああああ!!!!」
「は?」
いきなりエルフランの体を緑の光が包み込んだ。そして、彼女の手に光の弓が出現した。
「エ、エル?」
「あああああああああああああああ!!!!」
聞こえていないようだ。弓の弦を引き絞り、放った。
矢を番えていなかった筈なのに矢が飛んでいく。空間そのものを抉るような恐ろしい威力の一撃がウルヴェルガを消し飛ばし、森の木々を貫いていく。
「ッチ」
このままでは森を抜けてしまう。その先にはエリンという街がある。
「『魔王の権能』」
スキルを使い、矢の前にゲートを開く。そして、出口を頭上に開いた。矢が空へ飛んでいく。雲を貫き、どこまでも高く飛んでいく。
「……おいおい、エリンどころじゃないぞ」
止めなければどこまで飛んでいったか分からない。
改めてエルを見た。光は消え失せている。
「今の……、なに?」
そう言って、気を失った。
「……私が知りたいんだがなぁ」
頭を掻きながらエルを抱き上げて家に転移した。
「さっきのアレは……」
一度だけ似たような光景を見た事があった。
私が七大魔王と呼ばれるよりも遥か昔、イルイヤ大陸の神護の森という場所からやって来た女が使った奥義だ。
「七英雄の一人。名前はたしか……、ジュリアだったか」
エルの寝顔を見る。ジュリアとは似ても似つかない。
「なんで、お前が……」
わけの分からない娘が更に分からなくなった。
「……ったく、朝飯でも作るか」




