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第百六十八話『最後の秘密』

 早朝、フレデリカはユラの庭園へ向かった。季節の花々が咲き誇り、甘い香りを漂わせている中で思い人を待つ。

 いつもならば甘い一時を期待して空想に耽るフレデリカだったが、事の重大さ故に張り詰めた表情を浮かべている。

 魔王ファルム・アズールが既にラグランジア王国に出現しているとすれば、アラン・スペンサーやグレゴリー・アカイラムが既に接触を果たしてしまっている可能性も高い。

 ゲームでのイベント発生までは猶予があるなどと考えていては不味い。すぐに動き出さなければ、ゲーム同様に排除という形での対処しか出来なくなる。

 あくまでも敵対存在でしかなかったゲームとは違い、彼らはアガリア王国の民だ。


「フリッカ!」


 黄色のカレンデュラを眺めているとアルヴィレオがやって来た。


「おはよう、アル」

「おはよう。それで、何かあったのかい!?」


 普段であれば甘い言葉を一つか二つ投げかけてから本題に入るアルヴィレオだったけれど、フレデリカの思いつめた表情を見て、すぐに意識を切り替えた。


「うん。アルに打ち明けないといけない事があるの」


 フレデリカは不安と恐れを(ない)()ぜにしたような表情を浮かべ、視線を落とした。

 アルヴィレオはこれまで、彼女から多くの秘密を受け取って来た。大きな秘密を一つ受け取る度に彼女との距離が縮まっていく。それを嬉しく思いつつも、まだすべてを打ち明けてもらえないのかとやきもきしていた。

 恐らく、これが最後の秘密なのだろう。根拠はなく、けれどもアルヴィレオは確信した。

 思いつめる彼女の手を握り、彼は囁いた。


「教えてくれるかい?」

「……うん」


 こうして手を握ると、彼女の瞳から不安と恐れが薄れていく。それは彼女が自分の事を信頼してくれて、安心してくれているからだとアルヴィレオは嬉しくなった。

 近くのベンチに誘い、手を握ったまま、肩も抱き寄せる。すると、彼女はウットリした表情を浮かべて身を任せてくれる。このまま口付けを交わしたい所だけれど、それは話が終わってからにしよう。


「アル。わたしの前世の話になるんだけど……」

「君がハネカワユウキという少年だった時の話だね?」

「うん。あの頃、わたしは『エターナル・アヴァロン ~ エルフランの軌跡 / ザラクの冒険 ~』というゲームをプレイしていたの」


 ゲームと言われて、アルヴィレオの脳裏に浮かんだのはチェスの駒やカードだった。けれど、そういう単純なテーブルゲームの話とは思えない。


「すごく単純に言っちゃうと、人形劇みたいなものなの。主人公以外の人形や物は自動的に動いて、その都度、背景や音楽も変わるの。そして、主人公の人形を自分で動かしながらストーリーに追っていくの。時には人と話をして、選択肢を選んで、戦ったりもする。そういうゲームなの」

「カルバドル帝国発祥のテーブルトーク・ロールプレイング・ゲームに近いものかな? ゲームマスターの下でプレイヤーが自分の分身と共に物語を進めていくという物だけど、近いものを感じるね」

「う、うん! そんな感じ!」


 ハロルドはTRPGまで持ち込んでいたらしい。フレデリカはここまで来ると、テレビも普及させておいて欲しかったと思った。それならテレビゲームの説明ももっと楽だった。

 ただ、作ろうとした形跡はある。彼の公開されている範囲の自伝の中でブラウン管テレビらしき装置の開発を試みていた時期があった。

 出来なかった理由は電波だ。

 テレビの他にも、この世界には電話や無線機が存在していない。付け加えるなら、電子レンジもない。

 電波を利用する機械がこの世界ではまともに動かないのだ。そこから魔力を利用したり、他の方法を考えたりはしなかったらしい。

 自伝の中で彼はこう呟いている。


 ―――― 『あるいは、この世界はソレの誕生を拒んでいるのかもしれない』


 ソレが何を示しているのか、自伝の中では明確に語られていない。

 けれど、ソレとは電波技術の発展の事ではないかとフレデリカは推察した。

 無制限な遠距離通信は世界を一気に狭くする。そこには良い面と悪い面があり、ハロルドは悪い面と世界の意思を結びつけたのだろうと。


「そのゲームが君の秘密と深く関係しているわけだね。エルフランの名前。それに、ザラクか……」

「え? アル、ザラクの名前に心当たりがあるの!?」


 ザラクはまだ生まれてすらいない少年の名前だ。その名前にアルヴィレオが引っ掛かりを覚えた事にフレデリカは目を丸くした。


「あ、ああ。まさか、君も知っていたとは驚いたけどね」

「ど、どういう意味?」

「ザラクは初代魔王の名前だ。ボクは叔父上から聞いたんだけど……」

「……え?」


 フレデリカはポカンとした表情を浮かべて凍り付いた。

 予想だにしない事実に思考がショートしてしまっている。

 彼女にとって、ザラクはゲームの主人公の一人であり、恐らくはフレデリカ・ヴァレンタインとゼノン・ディラの間に生まれてくる筈の子供だ。

 その名前が初代魔王と一致するなど、偶然とは思えない。

 

「そ、その名前って……、ザラクの名前って、他に何か由来はないの!?」

「ザラクの名前の由来かい? いや……、分からないな。古代の言語にもザラクという単語はないしね」


 ならば、ザラクの名前はどこから来たのか?

 フレデリカは知る由もなく、ゼノンが名付ける理由もない。だけど、絶対にザラクがそう名付けられた事には理由がある。

 一番可能性として高いのはオズワルドだ。彼が名付け親になり、嘗ての友の名を付けたと考えれば一番筋が通る。

 ただ、アルヴィレオと結婚したのならばともかく、彼と破局した後のフレデリカがアガリア王家の人間に名付け親を頼むのは違和感がある。

 思わぬ所で大きな謎が一つ増えてしまった。


「……うーん。とりあえず、わたしの知っているザラクと初代魔王の関係については分からないから、話を進めちゃうね」

「ああ、余計な事を言ってごめん」

「ううん。もしかしたら、重要なキーになるかもしれないし」


 フレデリカは深く息を吸い込んだ。

 アルヴィレオは男であった事でさえも受け入れてくれた。この最後の秘密も彼なら受け止めてくれる。そう信じていても、今までは話す事が出来なかった。

 ゲームでは、彼とエルフランが結ばれていた。その事を話す事が凄く嫌だったからだ。

 けれど、悠長な事を言っている場合ではなくなった。


「そのゲームでは、エルフランが主人公なの。彼女が迷いの森で目を覚ました所からスタートして……」

「エリンでボクと出会うんだね」

「う、うん」

「なるほどね。だからあの時、君はエリンに来たのか」


 アルヴィレオはエリンで起きたスタンピードを思い出した。あの時、フレデリカはスタンピードが最前線と衝突する寸前に結界を張り、死傷者が出るのを防いで見せた。

 その見計らったかのようなタイミングに、彼は違和感を覚えていた。

 あの事件はエルフランの遠出による物寂しさから獣王が癇癪を起した事に起因している。それを予測する事など、賢王であっても不可能だ。

 国家間緊急通信用魔法具による通信も、あの時点では行われていなかった。

 ならば、どうして彼女は事態を察して動けたのか? その答えは彼女の権能にあると推察していた。彼女が有する複数の究極権能アルティメット・スキルの中にはそういうものがあっても不思議では無かったからだ。けれど、実際には別の解答があったという事だ。


「そのゲームにはシナリオがあり、そのシナリオはこの世界の過去現在未来を描いたもの。けれど、いくつかの差異がある。そうだろう? その最たるものとして、恐らくはボクと君の関係性。いや、君がアガリア王国の利益よりも秘密にする事を優先した理由を考えると、ボクとエルフランの関係性と言った方がいいのかな?」

「あっ……、その……、うん」


 ほとんど、何も言っていない。それなのに、核心をつかれた。フレデリカはアルヴィレオの明晰過ぎる頭脳に舌を巻きつつ、罪悪感に苛まされた。

 彼の言う通り、アガリア王国の利益を考えるのならば秘密にするべきではなかった。もっと早くに明かすべきだった。


「……そのゲームでは、ボクと君が結ばれなかったんだね?」

「うん……」


 アルヴィレオと結ばれない。それは今のフレデリカにとって、最も恐ろしい未来予想だった。

 それが本来の運命だと知れば、アルヴィレオの心が動いてしまうのではないかと不安に駆られた。

 (アルヴィレオ)の事も、彼女(エルフラン)の事も信じている。それでも、運命という目に見えない大きな力の存在を疑ってしまう。

 その苦悩の深さを感じ取り、アルヴィレオの唇の端が吊り上がった。


「君は本当に愛らしいな」


 そのいじらしいまでの己に対する彼女の執着心が嬉しくて堪らなかった。

 抑え込まねばならないと分かっていても、己の中の邪悪とも言える感情が溢れてしまいそうになる。

 彼女が己を欲するように、己も彼女を欲している。その身も心も既に己の手の中にあると言うのに、まだ足りないと感じてしまう。

 その自由の一切を奪い去り、己だけを見て、己だけを感じて欲しい。他の友や家族など捨てさせてしまいたくなる。その手も足も切り落としてしまいたくなる。鎖で繋ぎ、死の時まで二人だけの世界で溶け合いたい。

 そうしたとしても、彼女は己を愛するだろうと確信がある。


「大丈夫だよ、フリッカ。ボクは君を愛している。何を聞いても、絶対に!」


 だからこそ、己を律する事が出来る。彼女の深過ぎる愛情を知っているからこそ、耐えられる。

 エルフランやエレインの存在も許す事が出来る。我が物顔で彼女の傍に侍るサリヴァン家の男も見張るに留められる。


「そのゲームと同じ未来にはならない。だから、すべてを教えてくれ」


 舌で転がしたくなるほどに美しい瞳をまっ直ぐに見つめながら、彼は彼女に言った。


「……うん。話すよ。すべてを……」


 ボンズに頼んで準備してもらったサンドウィッチも持って来ている。

 授業まではたっぷりと時間がある。

 フレデリカはエターナル・アヴァロンというゲームのシナリオを彼に語り聞かせた。

 迷いの森のシーンから始まり、エルフランがエリンでアルヴィレオと出会うシーンやアザレア学園でのあらましを語り、終盤であるファルム・アズールとの決戦へ至る。

 細部に関する記憶は薄れ、かなり搔い摘んだ内容だったけれど、アルヴィレオは話を聞く中で彼女が語りたがらなかった理由をもう一つ見つけてしまった。

 恐らく、ゲームのフレデリカはライと結ばれている。その事に少しだけ吐き気を感じた。

 あくまでも、ゲームのフレデリカの話だ。今の彼女とは中身も異なる。それでも、割り切れない思いが残留した。


「君はライをどう思っている? ボクと比べて……」


 だから、話を聞き終わった直後にそんな馬鹿な事を聞いてしまった。


「……へ?」


 ポカンとした表情を浮かべる彼女に「いや、その……」とアルヴィレオはしどろもどろになった。

 聞くべき事は他にもたくさんある。だけど、何よりもまず気になってしまったのだ。

 そんな彼に彼女は吹き出した。そして、彼に対する愛情が更に大きく膨れ上がった。


「かっこいいし、頼りになるし、幸せになって欲しいと思ってるよ」


 その言葉に酸っぱい物を食べたかのような顔をする彼の事が彼女は愛おしくて仕方なかった。

 

「だけど、愛しているのはアルだけだよ。例え、世界の為だとしても、わたしは君と結ばれたい」


 それ以上は語れなかった。彼が彼女の唇を奪ったからだ。

 男の子として生まれ、生きた記憶を持ちながら、これほどまでに深く愛してくれた。

 その嬉しさを伝えたくて、彼は情熱的なキスをした。

 そろそろ教室に向かわないとまずいで、ボンズが呆れかえった表情で言いに来るまで。

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