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第百六十六話『決めていた事』

 フリッカの話を聞いている内に外が暗くなって来た。そろそろ、夕飯の時間だろう。

 わたしはフリッカを見た。彼女は深刻そうな面持ちでボンズの頬をムニムニしている。


「……フリッカ。そろそろ夕飯の時間だけどよ」

「え? あっ! そ、そろそろ戻らなきゃ!!」


 予想通りの反応だ。以前、彼女と喧嘩した時の事を思い出す。いつの間にか昼食の時間が過ぎていて、ランチを食べ損ねた事を知った彼女は泣きそうな顔になっていた。

 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。そんな麗しの次期王妃様の正体が腹ペコキャラである事実を明るみに晒すわけにはいかない。今以上の愛されキャラになる可能性も大いにあるけれど、つまらない文句を言って来るバカも必ず出てくる。そんなバカの為にイヤな思いなどさせたくない。

 それは分かっている。けれど、彼女の悩む顔を見ているのはわたしの精神衛生的に良くない。だから、折衷案を考えた。


「その前に悩みを晴らしておこう。その方が、飯が美味い」

「……え?」

「エレイン。君には何か考えがあるのかい?」

「考えがあるわけじゃないけど、一歩目はそこにいるだろ」


 わたしは頬をムニムニされているポッチャリに問いかけた。


「お前、エルフランを救う方法を知ってるんじゃないのか?」

「……へ?」

「エ、エレイン!?」


 フリッカは病み上がりだし、王子は思春期のせいで頭の回転が鈍っているようだ。

 

「だって、こいつが焦ってないじゃん」

「……あっ」

「そういう事か!」


 未来の王様とお后様は揃って目を見開いた。似た物同士、相性抜群で何よりだ。


「お前らって、優しいよな。聞いてんぜ? わたし達の為にわざわざ夜中は光ってるんだろ? イオーンの奴はわたしの為に毎日専用の献立を考えてくれてるし、お前はフリッカの為に持ち場を離れてモフらせてやりに来てる。そんな優しいお前らがエルフランの事情を知ってて、焦った様子を欠片も見せないってのはどういう事だ? 助ける方法を知ってて、問題ないと思ってるからじゃねーのか?」


 寮姉のティナからも精霊達の優しさエピソードはこれでもかと聞いているし、前に世話になった冒険者のパーティからもいくつか話を聞いている。

 そう見えているだけとか、偽善だとかじゃない。精霊は本当に優しい存在なのだ。だから、わたしはボンズに問いかけた。


「知ってるなら教えてやってくれよ。フリッカがまた知恵熱を出したらイヤだろ」

『せやな』


 ボンズは小さく息を吐いて見せた。


『ただなぁ……』

「どうした?」

『具体的な方法を知っとるのは(かしら)だけなんや』

「バイフーとか言ってたな。そいつか?」

『せやせや。そもそも、絵を描いたんは頭や。実行したんはエルトリアの嬢ちゃん達やけどな。ワテが分かんのは、あの娘っ子を助ける方法があるっちゅー事だけなんや。せやから、期待には応えられん』

「だったら、その頭に会わせろよ。どこに居んだ?」

『頭は門の……』

「門?」

『今は風の谷っちゅー名前で呼ばれとる場所やな。この世で一番ごっつい場所や。せやから、会いに行きたい言うても、そう簡単にはいかんのや』

「……ヤベェ所って事か?」

『四大魔境は知っとるか?』

「知らねぇ」

「それって、霊王の支配領域である死霊楽園(バスティロ)と竜王の支配領域である竜王山脈(メルカト)とフィオレの大迷宮(パレス)氷神の山(ジュラ)の事?」

『ちょっとちゃうな』

「え?」


 フリッカは目を丸くした。そして、見る見る赤くなっていく。知ったかぶりをしてしまったと思っているようだ。頭を撫でておいてやろう。


『バスティロは元々は亡霊の港っちゅー、単なる危険地帯やった。それを禁足地にしたんはレムハザードや。メルカトも似たり寄ったりやな。メルカトナザレのとっつぁんを恐れた人間がそこに並べたんや。パレスとジュラ。それと、はじまりの街(アガレス)と風の谷。それが本来の四大魔境や』

「よく分かんねぇけど、ヤベェ場所ってのは伝わって来るな」

「……えっと、ボンズ。アガレスって?」


 フリッカも初耳らしい。


『初代魔王が現れた場所や』

「は?」

「は!?」

「なっ!?」


 わたしも耳を疑ったが、横の二人はそれこそ飛び上がりそうになっている。


「ど、どういう事ですか!? 初代魔王は極地から現れた筈では!?」

『せやで』

「せやでって……、え!?」

「落ち着け、フリッカ。要するに、アガレスが極地にあるって事だろ」

『せやで』

「ほれ」


 フリッカは口をパクパクさせている。口の中に指を突っ込んだら面白い反応が見れそうだ。ただ、隣の王子がキレそうだから今はやめておこう。話がここでストップしてしまう。


『まあ、そんな場所と同じくらい危ない場所っちゅーこっちゃな』

「で? どうやったら、そこに行けるんだ?」

『……今は言えん』

「なんでだ?」

『言ったら、行こうとするやろ?』

「もちろんだぜ」

『せやろなー。そんで、死んでまう』

「……こっちには魔王様がついてるんだぜ?」


 わたしが指差すと、フリッカは吹き出した。あわあわしている。一々、リアクションが可愛い奴だ。


『使いこなせるようになれば話は別なんやがな』

「使いこなせてないのか?」


 話の矛先を向けると、フリッカは飛び上がった。


「え? えっと……、そこそこは使えるようになってると思うんだけど……」


 しどろもどろだ。なるほど、使いこなせていないらしい。


「あっ、でも! アルは猊下に連れて行ってもらった事があるんだよね!? バイフーの所に!」

「うん。でも、協力はしてくれないと思う」

「なんで!?」


 ガーンとショックを受けるフリッカに王子は言った。


「だって、叔父上はいつでもバイフーと会えるんだ。きっと、必要な情報はすでに貰っているんだよ。だけど、君に何も伝えていない。恐らくは父上の判断なのだろうね。情報を制限する事で、君に何らかの行動を期待しているんだと思う。ボクやエレインに協力を求めた事が父上の想定の内かは分からないけれど、これからも叔父上が君に何も伝えないのなら、それによって積み重なっていく何かがエルフランを救うカギになるんだと思う」

「な、なるほど……」


 納得しかけているフリッカにわたしは開いた口が塞がらない。


「おい、王子。なんだ、それ? 情報を絞られて、掌で踊らされろってのか?」

「……それが解決の糸口になるんだ」


 わたしはゲンナリした。

 時折、この国の人間達の国王に対する信仰心の厚さに気味の悪さを感じる事がある。

 人を掌の上で踊らせて目的を遂げようとする奴なんざ、普通は信用出来ない。そういう奴は物語だと、大体が悪の親玉だ。

 

「……なんで、そこまで王様を信じられるんだ?」

「優しい人だと知っているからです」


 フリッカは即答した。


「エレイン。陛下はすごく優しい御方なの。何度も話して、何度も接して、その度に感じるの。ああ、なんて優しい人なんだろうって」


 身内を褒められる事が照れくさいのか、王子は頬をポリポリ搔いている。


「陛下は人類最高の頭脳を持っている御方。その頭脳を深い慈悲の心で用いられる御方。だからこそ、あの御方には全幅の信頼を寄せる事が出来るのです。何を隠されても、欺かれたとしても、それはすべて最良の結果へ至る為の道筋なのだと確信が出来るのです」

「……わたしも、実際会えば分かるのかねぇ」


 どうしても、フリッカの言葉が狂信者の戯言に聞こえてしまう。そして、そんな信仰心を向けられて、その期待に応え続けなければいけない王様に少し同情してしまう。

 

「会ってみるかい?」

「え?」

「今すぐというわけにはいかないけれど、いずれは君を父上に紹介するつもりだったんだ。だから、君が望むなら段取りを早めてもいいよ。もっとも、その為には覚悟が必要になるけれど」

「覚悟?」

「ああ、覚悟だよ。国王の前で紹介を受けるという事は、君の立場が(おおやけ)のものとなるという事だ。次期王妃フレデリカ・ヴァレンタインの側近として、人生が決定される。その覚悟が必要だ」

「ああ、それなら問題ないぜ」

「え?」


 フリッカが目を大きく見開いた。その反応に驚いた。


「エレイン。意味が分かっているの!?」

「お前さ、わたしをバカだと思ってるのか?」


 意味なら当然分かっている。その上で言っている。


「わたしの人生、お前にやるよ。そういう事だろ? 王子」

「……試した部分があったんだ。君、本気かい? まだ、フリッカと出会ってから一か月も経っていない筈だろう?」

「それがどうした? フリッカはもう人生が決められてるんだろ? その人生を歩く覚悟をこいつは決めさせてもらえたのか?」


 王子は顔を強張らせた。あのミリアルとかいうバカ女の騒ぎを見て、それなりに王侯貴族ってものの立場が少し分かった。

 本来、貴族に人生を選ぶ自由なんて無いのだろう。あのバカ女には選ぶ余地が実はあったようだが、それは稀な事だ。だからこその醜態だったのだろう。

 そして、それが正解なのだと王子の反応で分かった。


「わたしはフリッカが好きなんだよ。不幸にしたくない。幸せにしてやりたい。その為に障害が滅茶苦茶多い事がたった一か月そこらで分かっちまうくらい、こいつは障害だらけだ。だから、守ってやると決めた」


 わたしはフリッカの肩を抱いた。嬉しさと戸惑いと申し訳なさが入り混じった複雑な顔をしている彼女は、けれど、わたしにダメだと言わない。

 彼女がわたしを求めている事も知っていた。手放したくないと思っている。

 嬉しいじゃないかと笑ってしまう。わたしが彼女を気に入っているように、彼女もわたしを気に入っている。つまりは相思相愛という事だ。


「あの花壇の前で言った事、覚えてるか? フリッカ」

「……うん」

「な、なんの事だい……?」


 王子は焦り始めた。そういう意味では無いのだが、反応が面白いから放っておく。


「『わたしには王国の為に生きるってのは無理だ。顔も知らない奴の為には頑張れねぇ』」


 あの時と同じ言葉を口にする。


「『けど、お前の為なら生きられる』」


 あの時点でわたしは決めていた。この『アガリア王国の為に生きるものを養成する場所』に留まり続ける事を。

 

「わたしはとっくに決めていた。それだけの話だぜ、王子」

「……分かった。これから長い付き合いになるね。よろしく頼むよ、エレイン」


 王子が握手を求めて来た。嫉妬しているだろうに、更なる友好を深めようというわけだ。わたしはその手を取った。


「けど、ボクのお嫁さんだからな!!!!」


 王子はうっすら涙を浮かべながら叫んだ。

 わたしはあまりの大声に意識が飛びそうになった。


「いいかい!? そこだけはしっかり分かっておいてくれ!! フリッカは!! ボクの!! お嫁さんだからな!!!」


 わたしはこの王子がフリッカのお婿さんになるのがちょっとイヤだなと思った。

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