第百六十三話『フレデリカの猟犬』
「ねぇ、アンタ」
フリッカを医務室に運び込むと、シャシャが声を掛けて来た。
「なんだ?」
「わたし達の話を視てたのよね?」
「まあな」
声は聞こえなかった。内緒話の為に防音の結界を張っていたようだ。だけど、見えていた。
口元が見えていれば、わたしの眼は音で聞くのと変わらない精度で会話内容を知る事が出来る。
「……知ってた話だったの?」
「初耳ばっかりだな」
「その割には反応が薄いじゃん」
「大袈裟に驚くほどの話でも無かったしな」
話の半分も理解出来なかっただけとも言う。
「ふーん、大物なんだね。なら、わたしは戻るね。わたしのせいでギクシャクされてもアレかと思ったけど、大丈夫そうだし」
「おう、問題ねーよ。けど、次にうちのお姫様を虐めようとしたら許さねぇからな」
「虐めって……。まあ、そう見えるか……」
シャシャは溜息を零した。
「ねえ、アンタ。名前は?」
「エレインだ。シャシャ、お前の名前は?」
「……わたしの名前、言ってんじゃん。シャシャだよ」
肩を竦めると、彼女は医務室を出て行った。
すると、入れ替わるように医者が入って来た。スキンヘッドの頭がまぶしい男だ。その逞しい腕で水差しと薬を乗せた盆を運んで来た。
「なんだ、まだ残っていたのか? 治療は俺に任せて、お前さんは授業に戻っていいぞ」
「生憎、うちのお姫様をおっさんと二人っきりにしたら王子様がぶち切れちまうんでな」
「なるほど、ごもっともだ。王子殿下の次期王妃殿下に対する溺愛振りは有名だからな」
ユーモアを理解出来る点は好印象だけど、どうにも見た目が肉食系過ぎる。
眠っていて無防備なフリッカを置いてはいけない。
「まあ、全部の測定が終わってるなら問題ないだろ。それにしても、知恵熱とはな。心労が重なっていたんだろう。友達なら、よく見といてやりな」
「おう」
心労と言われると、思いつく点がいくつもある。今朝も新しい悩みを抱えちまった様子を見せていたし、アリーシャの事も気になっていたのだろう。
「……お前は頑張ってるのになぁ」
ベッドの横に置いてある椅子に腰かけて、フリッカの寝顔を見ていると悲しくなってきた。
「なあ、先生。特効薬を呼んできてくれねぇか?」
「特効薬? 薬なら持って来たぞ」
「心労なら、それよりもっとずっと効果がある奴がいるんだよ」
「おいおい、アルヴィレオ皇太子殿下をここに呼びつけろってのか?」
「それよりもっと効果がある奴だ」
「……おいおい、ヤバい案件じゃねぇだろうな。次期王妃の不倫話になんか首を突っ込むのはごめんだぜ!?」
「んなわけねーだろ!! 精霊のボンズだ。フリッカはアイツにメロメロなんだよ。連れてくりゃ、心労なんて吹っ飛ぶさ」
「なんだ、精霊かよ。ボンズってぇと、どいつだ? めちゃくちゃいっぱいいるからなぁ……」
「ヘミルトン寮の食堂にいると思うぜ?」
「そこまで行けってか……」
「次期王妃殿下の為だ。行ってこい!」
「……ったく、大人をパシらせるなんてとんでもねぇおガキ様だぜ」
文句を言いながらも先生はボンズを呼びに走り去っていく。
ますます気に入った。ボンズが来たら、後は任せても良さそうだ。
◆
しばらくフリッカの寝顔を見ながらボーっとしていると医務室の扉が開いた。
先生がボンズを連れて来たのかと思ったけれど、入って来たのは同い年の少年だった。
「誰だ?」
フリッカは次期王妃だ。だから、先生と許可を受けた者以外の立ち入りは許されない特別室を割り当てられている。
婚約者の王子ならば先生が予め許可を出していても不思議ではない。けれど、彼は王子ではなかった。
わたしは炯眼を発動して、相手を睨みつけた。
「わたしはジョーカー。アルヴィレオ殿下の配下ですよ、エレイン・ロット」
「……王子の配下が王子の婚約者が寝ている所に来るなんざ、どういう了見だ?」
嘘はついていない。けれど、王子を差し置いてこの男がここに来る理由が分からない。
眠っているフリッカに他の男が近づくなど、あの王子は絶対に許さない筈だ。
「警戒していますね。もちろん、貴女や先生が居なければ入らずに戻るつもりでした。様子を見に来ただけなのですよ。殿下の測定はまだ残っているものでしてね。終わってから御説明する為に」
「フリッカは知恵熱を出しただけだ。悩ませる奴が多くてな」
「……そうですか、知恵熱を」
「悩みの種の一つになりたくなかったら、とっとと王子の所に戻りな」
「かしこまりました。どうやら、フレデリカ様もよい猟犬を手に入れられたらしい」
「おうともよ。それ以上、一歩でも近づいたら嚙み殺すぜ」
「脅しではなく、本気で言っていますね」
「本気だからな」
「……では、殿下を呼びに行ってきます。それまで、フレデリカ様をお願い致します」
「言われるまでもねぇよ」
「そうですね」
ジョーカーはそう言い残すと去って行った。
結局、どうやって入って来たのかを問いただす事が出来なかった。
嘘は言っていない。けれど、どうにも得体が知れない。王子の配下と聞いても、気を抜く事が出来なかった。
「……先生が帰って来ても、戻れそうにねぇな」




