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第百六十話『アリーシャ・ヴィンセント』

 ―――― それは遠い昔の話。


 満天の星空を眺めていると、鮮やかな赤い光が見えた。妖しく輝くその星にわたしはすっかり魅せられた。

 隣でウトウトし始めていた弟の肩を揺り動かすと、彼は不満そうに唸った。それでもわたしは彼の肩を揺すり続けた。

 あの美しい光景を見逃したら一生後悔する。だから、わたしは何度も揺すった。揺すって、揺すって、いつまで経っても顔を上げてくれない弟に頬を膨らませた。

 お姉ちゃんはカンカンだぞとアピールする為に頬をムニムニしようとした。すると、そこには骨があった。


『……なんで』


 深い哀しみがわたしを覚醒に導いた。瞼を開いて涙を拭うと、そこには星空など無かった。

 これといった特徴のないパターンの刺繍が施されたベッドの天蓋を見つめながら、わたしは唇を尖らせた。


「夢でくらい……、いいじゃん」


 それは遠い昔の記憶だった。ずっとずっと昔の事だった。

 妖しく輝く星が徐々に光を増していき、やがて地上に落ちてすべてを焼き尽くした。

 王の加護を与えられていたわたしは生き残り、王の加護を与えられていなかった弟は殺された。肉片どころか、骨すらも残してもらえなかった。


 人はそれを『(あめ)の火』と呼称した。


 わたしにとって、弟は宝物だった。彼を失った時、わたしは理性を失った怪物になった。

 その悪夢は自然現象の類などではなかった。

 元凶がいた。それは一人の夢想家だった。『偉大なる王』という聖女の夢に憑りつかれ、数え切れない悲劇と惨劇を生み出した男。

 わたしは彼を殺したかった。それが不可能である事も理解していたけれど、それでも殺したかった。

 他の事なんて考えられなかったし、考えたくなかった。

 

 ―――― キュイ……。


 王は嘆きの声をあげた。

 とても愛らしく、とても偉大なる、慈悲深き炎の王。世界と生命を守る為に己を犠牲にし続ける尊き御方の悲しみは怒りに狂ったわたしの心さえも揺さぶるものだった。

 それでも止まれなかった。


 ―――― キュイキュイ! キュイ……。


 待って欲しいと請われた。止まって欲しいと願われた。

 無欲なる王の無垢なる願いを叶えない事は罪だ。

 命を大事にして欲しい。幸せになって欲しい。心を安らかに生きて欲しい。

 それだけを人々に求める王の声から耳を塞ぐなど許される事ではない。


 だから、わたしは魔王になったのだろう。


 彼を殺しに行くとき、王はわたしに力を与えてくれた。

 本当はただ、死地に赴くわたしを守る為に与えてくれた力。それをわたしは殺す為の武器にした。真っ赤な血の涙を流して、獣のように吠えながら暴れ回った。

 いつしか、わたしは狂王(・・)と恐れられる様になり、魔王の権能に目覚めた。

 強大な力を手に入れて、わたしは狂喜した。これで彼を殺せると思った。だけど、適わなかった。

 倒れ伏して、それでも地面を這いずって殺しに行こうとした。けれど、彼はわたしに背を向けた。

 彼にとって、わたしは路端の石に過ぎなかった。躓きかけて鬱陶しくなり、軽く蹴っ飛ばした。アイツにとってはそれだけの事だったらしい。

 悔しかった。恨めしかった。悲しかった。


「……あの時とは違う」


 とっくの昔に彼も滅びている筈だと思っていた。あの時代の脅威は勇者がすべて取り除いたと聞いていたからだ。

 だから、忘れるつもりだった。魔王の権能と融合した炎の王の力を今度こそ王の望んだ通りの力に変えた。

 すべてを守り、すべてを救う。その為に振るうべきだった力。その通りに振るう為に生まれ変わらせた。

 だけど、その力はまだ安定化していない。この世界にはまだ浸透していない概念だからだ。その気になれば、いつでも元に戻す事が出来る。

 

「必ず殺す。アルトギア……」


 ◆

 

 以前から薄々感じてはいた。わたしが食堂で思わず『ファンタスティック!』と歓声をあげると、エレインは小首を傾げたけれど、彼女は気にした素振りを見せなかった。その時は聞こえていなかっただけだと思った。

 決定的だったのは『BL展開!?』と叫んだ時だ。彼女はこう返した。


 ―――― 『え、そうなのですか!?』


 その反応は言葉の意味を知っていなければ出来ないものだ。

 だけど、ファンタスティックやBL展開というワードはこの世界に存在していない言葉と概念だった。

 そのワードはわたしが生まれ変わる前の世界で知ったものだった。


「……それにしても、びっくり」


 あの時代、同じ境遇の者が六人いた。だから、想定し得る事態ではあった。

 死後、わたしは地球という世界に転生した。そこで第二の生を受け、そして、二度目の死を迎えた。すると、三度目の生をこの世界で得た。

 ファンタスティックやBL展開は地球で得た知識だ。きっと、彼女もそこにいた。


「アンゼロッテは迷いの森で今も生きているみたいだし、たぶん、ネルゼルファーなんだよね……?」


 あんなに良い子がジュドやザイン、シャロンだったとは思えない。アルトギアは論外。

 直接会った事はないけれど、彼女がザインから人々を守る為に奮戦していると聞いた事があった。

 だから、きっと彼女だ。多分そうだ。間違いない気がする。


「まあ、それはどうでもいいんだけど……」


 前世がどうであれ、彼女が友達である事に変わりはない。

 問題は彼女とアルトギアの関係性だ。


「アルトギア。まさか、この国の王室に潜り込んでいたなんてね」


 アガリア王国の国王は賢王と聞いていたのだけど、あの男を懐に入れてしまうなんて、やはり噂はアテにならないようだ。

 わたしはこの国が好きだ。子供が何の不安も抱かずに外を歩いて、当たり前のように家へ帰れる。それがこの世界では途方もない幸福であり、この国はその幸福を民に与えている。

 少なくとも、この国の王様はとても優しい人だ。優しい人が治める優しい国だ。だから、わたしはこの国を壊されたくない。

 恨みと使命感がわたしの背中を押す。

 この国の王弟を害するなど、一族郎党根絶やしにされても仕方のない行為だ。わたしはそれをしようとしている。今生の両親や使用人達を巻き込む事になる。何の罪も犯していない人々を死なせる事になる。

 それでも、アルトギアを野放しには出来ない。


「今度こそ殺してやる。二度と転生なんてさせない。お前のすべてを滅ぼしてやる」

「ダメですよ」


 咄嗟に後退った。スーパーアイドルの権能による感知に引っ掛からなかった。

 いつの間にか、金と朱が入り混じった髪色の少女がいた。


「……その権能は心の機微を読み取るものですね。それでは心に揺らぎを持たぬ者は感知出来ませんよ」

「君は誰?」

「分かりませんか?」


 質問に質問で返すなと言いたい所だけど、実は分かっている。

 髪色は魔力の色。そして、魔力の色は単色である筈だ。それなのに、彼女の髪には二色の色が混じり合っている。

 それは彼女自身の魔力の他に、別の魔力が備わっている事を意味する。

 あの鮮やかな朱色は間違いない。偉大なるも優しき王、レリュシオンの魔力だ。


「今代の巫女だね」

「その通りです、先代様」

「やめてよ、そんな呼び方」


 偉大なる王の慈悲を仇で返し、その名に泥を塗った愚か者。それがわたしだ。

 

「では、アシュリー様とお呼びしましょうか? それとも、今の名前でお呼びしましょうか?」

「今のでいいよ。それで、君の名前は?」

「……失礼致しました。わたくしはルミリア・レントケリオンと申します。アリーシャ・ヴィンセント様」

「様もいらないよ、ルミリア」

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