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第百五十五話『醜い心』

多くの視線がわたしとライの間を行ったり来たりしている。

 

「……その仮面の方がフレデリカ様の騎士なのですか?」


 しばらくして、一人の令嬢が口を開いた。サーシャだ。

 オリエンテーションの時に厳しく指導した事に対する反発故か、わたしに対する遠慮が無くなっている。

 ありがたい。疑念を解消する為には、疑問を真っ向からぶつけてもらい、答える事が確実だ。

 性格に難はあれど、わたしにとっては得難い存在になってくれた。


「ずいぶんとその……、個性的と言いますか……」


 慎重に言葉を選んでいるのが分かる。けれど、適切な言葉が出てこないようだ。

 無理もない。ライには申し訳ないのだけど、事情を知らない者から見れば、公の場で顔を隠している男など不審者以外の何者でもない。


「彼は類まれな剣の使い手なのです。その腕を見込まれ、わたくしの騎士に充てがわられました。ですが、騎士としてはまだ経験が浅く、基礎を学んでいる最中なのです」

「……フレデリカ様! 剣の腕が確かだとしても、そのような素性も分からぬ者を傍に置くなど!」


 素性は確かだ。けれど、それを明かす事は出来ない。

 陛下が直々に任命した騎士であると明かすのも少し考えものだ。それは陛下の威光を笠に着るという事だ。

 

「わたくしは彼の素性を知っています。そして、わたくし自身が彼を騎士とする事を認めました。それでは不足かしら? サーシャ」

「……い、いえ」


 彼の身分を保証する為にわたしが唯一差し出せるチップはわたし自身がここまでに培う事が出来た信頼だけだ。

 だけど、まだ入学してから一か月も経過していない。次期王妃である事や公爵令嬢である事が虚構の信頼を上乗せしてくれているけれど、それだけでは仮面の騎士に対する不信感を払拭する事は出来ない。

 

「フレデリカ様がそう仰るなら……」


 サーシャは渋々と認めてくれて、他の子達もライに向けている視線を和らげた。

 それなりの信頼を勝ち取れていたようだ。


「なるほど、騎士のふるまいか……と、それでは身体測定を始め……ます」


 ライはライで思うところがあったようだ。みんなが傾聴しようとしている事に気が付くと、ぎこちなく敬語を使った。

 勇者に敬語を使わせたと知ったら、みんな卒倒してしまうだろう。

 だけど、ようやく授業を進められそうだ。


「まずはみんな……様に走っても……いただきます」


 何人かの表情がまた険しくなり、何人かの表情が微笑まし気に緩んだ。かく言うわたしの頬も緩んだ。

 たどたどしいけれど頑張っている事が伝わってきて、応援したい気持ちに駆られた。


「すべての測定を終えた後、能力の総合値と適正からクラスを分けられ……ます」


 ライから戦闘実習の説明を受けていると、ザイリンが戻って来た。


「どうだった?」


 結局、彼とアリーシャの会話を盗み聞きする事は出来なかった。だけど、彼の表情は明るくもないけれど、暗くもなっていなかった。


「……あとにしよう。ただ、オレ達を疎んで離れたわけではなかったようだ」

「そっか……」


 ホッとして、腰が抜けそうになった。気付かない所で彼女を傷つけてしまったのではないかと不安だったからだ。

 だけど、わたし達に原因が無いのであれば、彼女がわたし達から離れた理由がますます分からなくなった。


「説明は以上……です。名前を呼ばれたら競争路(トラック)へ移動し……てください」


 最後までたどたどしかった。


 ―――― 今度、作法について教えてあげるね。

 ―――― 頼む。


 彼の為に一肌脱げる。それは彼に救われた者として、とても喜ばしい事だ。


 ◆


 走力測定は寮毎に割り当てられたトラックで十人ずつ行われる。テンポ良く進めていかないと夕飯に間に合わない為だ。

 わたしはいの一番に名前を呼ばれた。みんなの注目を集めながらトラックへ向かうと、ライが念話で話しかけて来た。

 

 ―――― ネルギウスとアルトギアからの伝言がある。

 ―――― 陛下と猊下から?

 ―――― そうだ。『権能を用いて、ライのクラスに入れ』との事だ。


 ライのクラス。つまり、学校の教師では手に余る生徒達を教えるクラスという事だ。

 恐らく、キャロラインを筆頭とした英雄クラスの生徒達がそこに入る。その担当者がライでなければ、教師を支える役割としての意味なのだろうと受け取る事が出来た。

 だけど、ライならばわたしが居なくても彼女達を御する事が出来る筈だ。なにしろ、彼は最強無敵の勇者様だ。キャロラインも彼の実力を知れば大人しくなると思う。

 つまり、わたしをライのクラスに入れる理由は他にある。それは恐らく、彼だけがわたしに教えられる事を教えてもらうためだ。


 ―――― ガイス・レヴァリオンを教えてもらうため?

 ―――― そうだ。


 ガイス・レヴァリオン。それは二代目勇者レオ・イルティネスが編み出した奥義(ラスト・スキル)だ。

 次元を斬り裂く対界の剣技。

 七英雄の一人であるアギト・ミリガンはこの技で次元の狭間を泳ぐ時喰みの獣を呼び出し、二代目魔王ロズガルドの時を喰らわせる事で渚を元に戻した。

 いざという時、わたしはその時を再現しなければならない。それが渚を救う事を諦めるという事だとしても。

 彼女を救えなかった時、次善の策すら用意していなければ、そこには二代目魔王の復活という悪夢の再来が待ち受けている。

 ロズガルドが巻き起こした災厄に纏わる記録はその大半が抹消されているが、それでも大陸の一部を消滅させ、いくつもの国家を滅ぼし、夥しい量の血を大地に染み込ませた事は知られている。その惨劇を繰り返させるわけには行かない。


 ―――― 分かった。


 そう返せてしまう自分が恐ろしくなる。生まれ変わる前のわたしなら、きっと拒絶していた。だけど、今のわたしはその選択肢を受け入れている。

 彼女は友達で、生まれ変わる前の世界との唯一のつながりで、とても大切な人なのに。

 王国の未来を考えると、それが仕方のない事なのだと納得出来てしまった。

 きっと、わたしはもう羽川祐希では無いのだろう。

 アルに恋をした時から、彼の子供を産みたいと望んだ時から、この世界で生きて死ぬと決めた時から、『オレ』をやめて『わたし』になった時から、わたしはフレデリカになっていたのだろう。

 だから、天秤に乗せる事が出来てしまった。


「……ああ、そうか」


 わたしは彼女が大切だ。彼女を大切な友達として愛している。だけど、それ以上にアルヴィレオを愛している。

 

 ―――― 愛を疑わないで!


 それは彼女がアルに向けた言葉だった。だけど、それはわたしにも突き刺さる言葉だった。

 

 ―――― だけど、君は魅力的だ。


 それは彼の言葉だったけれど、わたしの言葉でもあった。

 頭でっかちで、うっかり者で、失敗も多い上に、元々は男だったわたしなどよりも、彼女の方が女性として魅力的だ。

 彼の事も彼女の事も信じたい。だけど、彼女に彼を奪われる事が怖くて仕方ない。

 わたしの心はいつの間にかドロドロに濁っていた。他の何を失っても構わないけれど、アルだけは譲れない。

 王国の未来の為じゃない。彼女が魔王になった時、わたしと彼の世界を壊されたくないのだ。その世界を守る為なら、わたしは彼女を殺す事が出来てしまう。

 それがわたしなのだと分かった。あまりにも醜くて、吐き気がする。


「だ、大丈夫ですか?」


 トラックのレーンに並ぶと、隣の子が心配そうに声を掛けてきた。


「ええ、大丈夫です。ありがとう」


 目を背けるな。逃げるなと自分自身に言い聞かせる。

 認めなければ、自分を変える事など出来ない。今のわたしはアルに相応しくない。だけど、アルを失いたくない。

 アルに相応しい人間にならなければいけない。アルと共に生きて死ぬ為に。

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