第百五十三話『聴覚暴走』
食堂でお昼ごはんを食べた後、わたし達はリード寮の西側にある広場へ向かった。
歴史学と魔法理論学で頭を使った後は体を使う戦闘実習だ。
広場には既に大勢の生徒達が集まっていた。ヘミルトン寮だけではなく、すべての寮の生徒達が一堂に会している。
「戦闘実習って、どんな事をやるのかな?」
レネはカリキュラムに目を通しながら首を捻っている。
そこには『自己や他者の生存率を高める為の戦闘訓練、並びに実習を行う』としか書かれていない。
「クラス毎にやる事は変わるみたいですよ」
「クラス毎? 寮毎って意味?」
「いいえ、違います。最初の授業で個々の現時点での戦闘力を測り、その高さに応じたクラス分けが行われるのです。戦闘スタイルについても考慮されますが」
ちなみに、ゲームだとフレデリカは常にエルフランと同じクラスにいた。そして、事ある毎に戦っていた。恐らくはフレデリカが合わせたのだろう。
「なんか、面白そうだな!」
エレインは瞳を爛々と輝かせた。血気盛んな彼女らしい。
「遊びではないぞ。戦闘実習は己や守るべき者の生存率を高める為の極めて重要な授業だ」
ザイリンが呆れたように言った。
「へいへい」
聞き流そうとするエレインにザイリンは青筋を立てた。
彼は最近、少し怒りっぽい。原因は歴史学の授業だ。彼にとって、サリヴァン家の功績が埋もれてしまっている現状が我慢ならないのだろう。
出会った時から片鱗を垣間見せていたけれど、かなり根深い問題のようだ。今度、アルに相談してみよう。
「この授業を受ける為だけにアザレア学園の門戸を叩いた者もいるのだぞ! 真剣にやれ!」
「そんな奴いるかぁ?」
「居ますよ、もちろん」
このままだと本当に喧嘩へ発展してしまいそうだから口を挟んでおく。
「この世界には魔獣が蔓延っていますからね。空にも、海にも、大地にも、時空の狭間にさえも。アガリア王国にはオズワルド猊下の結界が張り巡らされていますから、他国と比べて魔獣の出現率が極めて低い。ですが、国を一歩出れば、そこはまさしく魔獣の領域。食物連鎖の頂点が人間ではない弱肉強食世界。その世界で生き延びる術を得る方法として、アザレア学園に入学する生徒は一定数います。ここは世界でも指折りの教育機関。ここで真摯に学ぶ事が出来れば、独学よりも遥かに高度な戦闘技術を手に入れる事が出来ますからね」
「……それって、ありなのか?」
大っぴらにありだとは言い難い。けれど、学園側は黙認している。
この学園には平民も入学する事が出来るけれど、誰でも入れるわけではない。アザレア学園が認めた組織や人物による紹介状が必要となる。
紹介状は欲するだけで与えられるものではないし、偽造なども出来ない仕組みになっている。
伝を持たない者が紹介状を手に入れる為には血の滲むような努力が必要であり、それほどまでにアザレア学園の教育を求めている者には相応の事情がある。
故郷の村の存続であったり、失ったものを取り返すためであったり、大きな野望があったりと、そうした事情を学園側はあらかた把握している。その上で入学の許可を与えているのだ。
「学園の理念には反するがな。というか、君もそれが目的だったのではないのか? 元々は国に属する気など無かったのだろう?」
「わたしか? わたしはルーラーに言われるまま来ただけだからなぁ」
「ルーラー?」
「カサンドラ・ルーラー。わたしの恩人だ」
「カサンドラ・ルーラーだと!?」
ザイリンが素っ頓狂な声をあげた。
「なんだぁ!?」
「どうしたの!?」
「ザイリン……?」
「君はあのカサンドラ・ルーラーと知り合いだったのか!?」
「お、おう」
ザイリンは震えだした。彼の突然の奇行にわたし達は呆気に取られた。
「えっと……、有名な人なの?」
「有名な人なの? だと!?」
「ひょわっ!?」
問い掛けたロゼの両肩をザイリンが掴んだ。
「あのカサンドラ・ルーラーだぞ!? 『星光の旅団』のリーダーだ!」
「せ、星光の旅団……?」
「それも知らないのか!? 伝説的な冒険者パーティだぞ! アルメリア・ギャリオン大渓谷での戦いくらいは聞いた事があるだろう!? フィオレの大迷宮に挑んだ話は舞台化もされている! 結晶の館が実在した事を証明したのも彼らだ!」
すごい熱量だ。アイドルの結崎蘭子の事を語る時の播磨周平を思い出す。きっと、カサンドラ・ルーラーは彼にとってのアイドルなのだろう。
ロゼはすっかり涙目になってしまい、わたしに助けを求める視線を向けている。
「ザイリン。とりあえず、ロゼを離してください」
彼から無理やりロゼを奪い取り、抱き締める。可哀想に、彼女は震えている。
「す、すまない……」
ロゼを怯えさせてしまった事に気がついたようで、彼は申し訳無さそうに頭を下げた。
「……有名ってのは聞いてたけど、お貴族様のザイリンがここまで興奮する程とはな」
エレインは呆気に取られているけれど、彼は以前にも冒険者の事で熱弁を振るっていた。
強い憧れがあるのだろう。それは彼の歴史に対する負の感情を吹き飛ばしてしまう程らしい。
さっきまでは淀んでいた瞳が今は輝いている。
「そうだ! ザイリン」
「な、なんですか?」
「オリエンテーションが終わったら案内しようと思っていた所があるの。週末、予定を空けておいてもらえる?」
「構いませんが……、一体?」
もったいぶって、サプライズにしようかとも考えた。だけど、それだと誤解を生みそうだ。
「『冒険者の食卓』というクラブが冒険者に講演会を依頼しているの。週末に丁度開催が予定されているそうだから、参加してみない? 本物の冒険者に会えますよ」
その提案は効果覿面だった。彼は瞳をこれでもかと輝かせ、鼻息を荒くした。
「本物の冒険者に!? ぜ、是非!」
彼は本当に冒険者が好きらしい。普段は大人びているけれど、こうして見てみると年相応の子供みたいだ。
「おいおい、わたしも連れてけよ? また、アレクサンドラの料理が食べたいぜ!」
「え? エレインも行った事ある場所なの?」
「おうよ。オリエンテーションの時にティナやエシャロットに連れてってもらったんだ」
「『冒険者の食卓』は冒険者から聞いた話を元にした秘境の料理の研究をしているの。どれも絶品でしたよ。ロゼとレネも予定は空いてる?」
「空いてるよ!」
「あ、空いてます!」
「よーし、あとはアリーシャだな」
エレインは辺りを見渡した。彼女の瞳が薄っすらと輝いている。どうやら、スキル『炯眼』を発動しているようだ。
「おっ、いたいた!」
さすがは鷹の目だ。あっという間に見つけ出した。その視線を追いかけてみると、そこに見慣れた赤い髪が見えた。
「……なんだ、アイツ」
「どうしたの?」
「こっちを見てた癖に、わたしが見つけた途端に背中向けやがった」
彼女がわたし達を見ていた。それなのに、今は後ろ髪しか見えない。
避けられている。そうかもしれないとは思っていたけれど、そんな事はないと信じたかった。だけど、もう疑いようがない。
胸の奥で何かが酷く軋んだ。
「アリーシャ、どうしちゃったのかな……」
「わたし達の事、嫌いになっちゃったのかな……」
レネとロゼの瞳が揺れるのを見て、わたしの視界もぼやけて来た。
「そ、そうと決まったわけではないだろ。何か、事情があるのかもしれないじゃないか」
「事情って?」
「それは分からない。だが、確かめる事は出来る。本人に聞けばいいんだ。後で、オレが聞いてくる」
「ザイリン……」
「大丈夫だ。短い付き合いとはいえど、彼女の性格は分かっているだろう? オレに任せておけ」
頼もしい事を言ってくれる。
冒険者の話は彼をいつもの彼に戻してくれた。
「お願い、ザイリン」
「ああ」
ザイリンは力強く頷くと、アリーシャの下へ走っていった。遠目に彼女が逃げようとしているのが見えたけれど、丁度先生がやって来た。
「さあ、戦闘実習を始めます。夕飯を食べたければキビキビ動きなさい!」
かなり厳しそうな先生だ。彼女に睨まれる事を恐れたのか、アリーシャは渋々逃げる事を諦めた様子だ。
ザイリンが彼女に話しかけた。魔王再演で聴力を強化して、会話の内容を聞けないか試してみよう。視力を強化出来たのだから、きっと出来るはずだ。
『なんか、怖そうな先生だね』『あはは、エミリーってば、なにしてんのー?』『オレがナンバーワンになるんだ。見てろよ、ゴスペル!』『そこっ! 授業は始まっているぞ。無駄口を叩くな!』『戦闘実習って、何をするのかなぁ?』『また、無理をしないといいけど……』『やっぱり、あの子なのかな……?』『ぼく、ちゃんと出来るかなぁ?』『ふぉっふぉっふぉ、わしの必殺スキルをとくとご覧あれ!』『ねむぃ……』『最初は身体測定だっけ』『メアは平気?』『エルはヴァイクに暴れてもらえば最強じゃない?』『ふっふっふ、ここからわたしの伝説は始まるのです!』『もう、真面目にやらなきゃダメだよ?』『……ちゃんと出来るかな?』『やっぱり、あの子なんじゃないかなぁ』『強くならなきゃ』『アイツ、恥かかせやがって』『武器の使用はありなのかな?』『また、無理をしなければいいんだけど……』『ほう、面白い』『わたくし、怖いですわ……』『ギッタギタにしてやるぜ!』『貴族の坊っちゃん嬢ちゃんの割に血の気の多いやつが結構いんな』『フランはどこにいったのかな?』『課題はやった?』『レッドフィールド寮の点検はどうなってる?』『困ったな……』『バレてないバレてない』『ああ、順調だよ』
堪らず、耳を塞いだ。
「お、おい、どうした!?」
まだ聞こえている。声だけではない。風の音や水のせせらぎ、服が擦れる音、誰かの足跡まで、ありとあらゆる音がわたしを押し潰そうと襲いかかって来る。
頭が痛い。魔王再演を解除すればいいだけなのに、意識が定まらないせいで解除も出来ない。
―――― 落ち着け、フレデリカ。大丈夫だ。
「落ち着け、フレデリカ。大丈夫だ」
その声は耳と心に同時に響いた。




