第百五十一話『恋の話』
魔法理論学の教室の間取りは歴史学の教室とほぼ同じだった。ただ、歴史学の教室には無かった教材が教室のアチラコチラに置かれている。
「あれはなんだ?」
「天宮図ですね。言ってみれば星の地図です」
「ふーん? なら、あっちは?」
「魔力測定装置ですね。魔力に反応して光る性質を持つ魔石が内蔵されていて、その光を照度計で測定し、数値化するというものです」
「照度計?」
「そのままの意味ですよ。光の強さを測定する機械です」
「……フリッカ。お前、なんでも知ってるな」
「勉強しましたからね」
わたしがそう言うと、エレインは大きな溜息を零した。
「追いつける気がしないぜ……」
「手前味噌ではありますが、わたくしは特別なのです」
「お?」
「次期王妃として、英才教育を受けていますからね。自習もしっかりと行っていたので、知識量に関しては誰にも負けませんよ」
「お、おお、そうか! すごいな!」
「ふふん!」
勉強に関しては誰にも負けない。転生前は全国統一模試で一位を取った天才なのだ。
自信満々にドヤ顔を決めてみせると、エレインが頭を撫でながら褒めてくれた。
「……フリッカちゃんはすごいね」
気を良くしていると、ロゼも褒めてくれた。だけど、彼女の表情は少し暗くなっていた。
「ロゼ?」
「わたしは全然勉強してなかった……」
モーリス先生が脅すものだから、不安になってしまったのかもしれない。
「大丈夫ですよ、ロゼ! もしも、勉強で躓いたなら、わたくしがしっかり教えてあげます! これでも、学校の先生になりたいと思っていた時期があったので、人に教えるのもそこそこ上手なんですよ!」
「そうなのか!?」
「そうなのです!」
思い出すのはドルオタの播磨の顔だった。彼は推しのアイドルに命を賭け過ぎていて、勉強がおざなりになりがちだった。だから、中間テストや期末テストの時はよく泣きつかれたものだ。
彼はその度に『すまなぇ!』と謝って来たけれど、わたしにとっては楽しい時間だった。
分からなかった事が分かるようになったら、誰だって嬉しくなる。その嬉しそうな笑顔を見ると、わたしも嬉しくなった。
それと、小学校の時の担任の先生に憧れていたというのもある。
―――― 人生とは出会いと別れの繰り返しだ。別れを惜しめるという事は、その出会いが素晴らしいものだった証なんだ。だから、悲しむばかりではなく、喜びなさい。
その言葉をくれた萩原茂先生はどんなに忙しい時でもわたしが知りたい事を教えてくれた。彼のおかげで、元々好きだった勉強がますます大好きになった。
だから、漠然と学校の先生になってみたいと思っていた。
「生徒に親身になって教えてあげて、時々名言を送れるような先生になりたいなーって、ずっと思ってました」
「……ふーん。名言っていうと、例えば?」
「『人生とは出会いと別れの繰り返しだ。別れを惜しめるという事は、その出会いが素晴らしいものだった証なんだ。だから、悲しむばかりではなく、喜びなさい』とか!」
萩原先生の優しくも厳格な雰囲気を再現しようと意識しながら言ってみると、エレインが目を丸くした。
「……へ、変だった?」
「いや、マジで名言とか考えてたんだなって……」
「あっ、いや、その……、ちょっとだよ? ちょっとだけ……」
指摘されてみると、名言を考えていると言うのはちょっとイタかったかもしれない。
わたしは恥ずかしくなって俯いた。
「……フリッカ」
レネが少し声を震わせながら声を掛けてきた。
笑いを堪えているようだ。彼女に顔を向けられない。本気で恥ずかしくなってきた。
「な、なんです……?」
「今も先生になりたいの?」
「それは……」
学校での進路調査ではいつも教師を選んでいた。幼い頃からの夢をそうそう簡単に捨てられるものではない。
「……いいえ」
だけど、わたしが歩むべき未来はすでに決まっている。
その未来に不満などない。だって、その夢を抱いていたのは過去のわたしだ。今のわたしには過去の夢よりも大切なものがある。
「小さい頃の夢ですよ。ただのね」
それは紛れもない本心なのだけど、みんなの表情は暗い。どうやら、わたしが意にそぐわない人生を歩んでいるのではないかと誤解させてしまったようだ。
「本心ですよ。アルの伴侶となり、次期王妃となる未来をわたくし自身も望んでいます」
「でもよ……、先生になりたかったんだろ?」
「それ以上にアルの伴侶になりたいのです。そう思えるくらい、彼はわたくしを思い遣り、愛してくれているのです。彼を支え、王国の礎となる事はわたくしにとって、この上ない幸福なのです。初めはたしかに親が定めた道でしたが、その道を歩み切りたいと望み、歩み始めたのは紛れもなくわたくしです。ですから、次期王妃となる事に対して、わたくしに二心はありません」
アルに対する思いは転生前の世界に対する未練よりも大きい。例え、元の世界に戻れる機会を得られたとしても、わたしは彼と共に歩む事を選ぶ。
淑女としての教育を受けながらも、固辞し続けていた『オレ』という言葉を『わたし』に改めたのはそういう事だ。
わたしは羽川祐希だった。だけど、今はフレデリカ・ヴァレンタイン。過去はもう、思い出に変わっている。
「旦那の方も相当だけど、お前もゾッコンなんだな」
呆れたようにエレインが言った。
「ゾッコンですよ。アルはわたくしにとって、最愛で最高の旦那様ですから」
「わ、わー」
「す、すごい……」
レネとロゼは真っ赤になった。
「……ところで、エレイン達はどうなのですか?」
「どうって?」
「コイバナですよ、コイバナ。わたくしばかりに語らせるのはフェアではないでしょう。エレインもエドワードくんの事を話してください」
「は、はぁ!? な、なな、なんでエド!?」
「なんでって……」
わたしはレネ達と顔を見合わせた。
幼馴染の名前をペットに付けて、愛玩している姿を晒しておきながら、あまりにも今更な反応だ。
「エドくんって、どんな子なの?」
「かっこいい感じ? かわいい感じ?」
「な、馴れ初めとかは……?」
「う、うるせぇ! 黙れ! 授業が始まるぞ、準備しろ!!」
真っ赤になって誤魔化した。実に分かりやすい反応である。ゆっくりと彼女のラブロマンスを暴いていくとしよう。
生前は他人の色恋になんて一欠片の興味も湧かなかったけれど、それはわたしが恋を知らなかったからだ。
アルとの関係が深まり始めた頃から、恋愛小説を読むようになった。自分の心と重ねてみたり、比べてみたり、それが凄く楽しかった。
恋はすごく楽しいものだ。




