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第百五十話『歴史の嘘』

「なんか、思想強めだったね」


 授業が終わると共にレネが愚痴を零した。


「だな。なんか、ラグランジアに個人的な恨みでもあったのかな?」

「少々、感情的な方だったのは確かだな」


 エレインとザイリンもモーリス先生の授業に不満を抱いているようだ。

 正直に言えば、わたしも同感だった。歴史学は特にフラットな視点が必要になる分野だ。それなのに、彼女の視点には偏りを感じてしまう。

 旧ラグランジア王国と今のラグランジア王国が同一の国家であるか否かには確かに諸説ある。けれど、あくまでも諸説だ。完全に否定されているわけではない。だから、『疑わしい』などという言葉を使うべきではなかった。

 初めての授業だからワクワクしていたのに、そこが少しガッカリだ。


「……まあ、しかしだ。歴史に対して懐疑的になる気持ちは多少理解出来る」

「どういう意味?」

「そもそも、教科書にはラグランジア王国と表記されているが、これは誤りだ。なにしろ、この時代にはまだ国という概念が生まれていなかったからな」


 わたしは少し悩んだ。それは国家機密に抵触しかねない話だからだ。ただ、ザイリンも自覚しているのか、周囲に防音の魔法を発動していた。

 このメンバーにならば話しても構わないだろうとの判断なのだろう。彼はチラリとわたしを見た。

 わたしは肩を竦めてみせた。国家機密と言っても、このままアザレア学園の生徒として進学していけばいずれは知る事になる。そして、ここに居るメンバーならばきっとその時もわたしの傍に居てくれる筈だ。


「国の概念がなかったって、どういう事だ?」

「そのままの意味です。アガリア王国という名も建国当時はただのアガリアでした。国という概念や王国という言葉を世に広めたのはカルバドル帝国の始皇帝なのです。ただ、言葉はなくともアガリア王国の在り方は当時から『国』でした」

「……よく分かんねーけど、だったらラグランジアは何なんだよ? アガリア王国が生まれるよりも前からあったんだろ?」

「ラグランジアとは、本来は妖王ルミナスに代々仕えし祭司の家名だ。実質、その時代のバルサーラ大陸で生きていた人々の頂点に立っていた。故に、王国という言葉が生まれた後、歴史書はその時代の妖王ルミナスの支配領域をラグランジア王国と表記するようになった。建国当時のアガリアをアガリア王国と表記するようになったようにな」

「んん? なんか、ややこしいな」

「ああ、ややこしい。だが、人類が七王という超越者の庇護下にあった事実を隠す為にはその方が都合が良かったのだろう」

「ザイリン。それは少々飛躍していますよ」


 憶測を口にしかけたザイリンを窘めておく。


「歴史書が妖王の支配領域をラグランジア王国と表記するようになったのは分かり易さを重視した為です。エレインが言ったように、そのままではとてもややこしいもので」

「……だが、姫様。その為に正確さを欠いてしまっているじゃないか」


 彼は不満そうだ。


「ザイリン。わたくし達が今学んでいる事は歴史学の基礎なのです。まずは大まかな歴史の流れを知り、それから時代毎の細やかな出来事を学んでいく。妖王の支配領域であった時代の事もいずれは授業で習う事になります。物事にも順序というものがある。ただ、それだけなのです」

「平民は基礎すら学べぬ者達がほとんどだぞ。そこに嘘を混ぜるというのは不誠実なのではないか?」


 不満どころではない。彼は明確に怒っているようだ。


「おい、ザイリン。別にフリッカが歴史の教科書を書いたり選んだりしたわけじゃないだろ」

「……分かっているさ。ただ、姫様が少々盲目的になっているのではないかと心配したまでだ」


 その皮肉交じりの言葉を受けて、わたしは少し驚いた。

 どうやら、彼にとっては相当に我慢ならない事らしい。


「フリッカに当たんなって言ってんのが分からねぇのか?」


 そして、エレインの我慢も限界に達しようとしていた。

 青筋を立てながら、彼女は彼を睨みつけている。


「ザイリン。あなたが疑念を抱く気持ちも分かります。ですが、この国の王陛下は民を慈しむ方です。民を蔑ろにする意図など無い事はあなたも分かっているのでしょう?」

「ああ、分かっているさ。蔑ろにしているつもりなど無いのだろうな。それが民にとっての幸福に繋がると分かっているからこその判断なのだろうさ」


 理解を示していながら、その口調や声色には嫌悪感が滲んでいた。


「ザイリン……?」

「だが、馬鹿にしている」


 吐き捨てるように彼は言った。


「幸福に生きさせてやるから、お前達は無知であれ。そう言っているようなものだぞ、これは……」

「……ザイリン」


 彼の怒りの源が分からない。

 人には知るべき事と知るべきではない事がある。貴族として生まれた者ならば分かる筈だ。

 例えるならば、大人が幼い子供から刃物を遠ざけるようなものだ。それは決して意地悪などではない。子供に怪我を負わせたくないという愛情だ。

 

「お前、マジで変だぞ。ちょっと、落ち着けよ」


 エレインが諭すように言っても、彼の怒りは一向に収まらない。


「ザイリン。本音を隠されたら、わたし達には何も分からないよ」


 唐突にレネが口を挟んで来た。


「本音だと?」

「うん。『幸福に生きさせてやるから、お前達は無知であれ』だなんて、曲解にも程があるもの。本当は別の事で怒ってるんでしょ?」

「違う。俺は……」


 彼女の言葉はまさしく天啓だった。わたしの中で情報と情報が噛み合い、彼の怒りの本質を顕にした。


「レディオ・サリヴァンの事?」


 その名を口にした途端、ザイリンは目を見開いた。

 どうやら、図星らしい。


「レディオ? なんだそれ?」

「オルネウス陛下に聖剣の在処を示し、王になる事を望んだ人です。まさしく、彼は建国の立役者。ですが、その活躍を語られる事は殆どありません」

「殆どではない! 皆無だ!」


 やはり、彼の怒りの源はここにあったようだ。

 

「どのような歴史書にも、我が先祖の偉業は記されていない! レディオ・サリヴァンなくして、アガリア王国は無かったと言うのにだ!」


 あまりの剣幕にエレインもたじろいでいる。それほどまでに溜め込んでいたのだろう。


「挙げ句! サリヴァン家は国家の中枢から遠ざけられ、辺境に追いやられた!」


 それはレディオが自ら望んだ事だけれど、その事を指摘しても今は火に油を注ぐようなものだろう。


「王家は! 確かに偉大かもしれないが、しかし!」

「ザイリン!」


 乾いた音が響き渡った。わたしはあまりの事に凍りついた。エレインやロゼもだ。

 

「……なっ」


 レネがザイリンの頬を叩いたのだ。


「落ち着いて、ザイリン! 今、何を言おうとしたのか分かっているの!?」

「お、俺は……」


 そうだ。レネではなく、わたしが止めなければいけなかった。あと少しで、彼は取り返しのつかない事をする所だった。

 王家への批判。それは彼の学園生活どころか、人生を閉ざしかねない行いだ。

 防音魔法も完璧ではないし、精霊達の耳もある。


「それに、相手を見て! あなたの怒りを向けるべき相手なの!?」

「いや、それは……、その……」


 レネの全身から発せられるオーラに()されて、ザイリンはしどろもどろになっている。

 初対面の時は誰よりも大人しかった気がするのだけど、気のせいだったようだ。


「……すまなかった、姫様。いや……、申し訳ございません。フレデリカ様」

「いいのです。誰しも、愚痴を零したくなる事はありますからね」


 レネが止めてくれて、本当に良かった。

 

「とりあえず、次の教室に急ごうぜ。そろそろ時間がやべぇ」

「え?」

「わわっ、ほんとだ!」

「あ、あと五分しかないよ!?」


 幸い、次の『魔法理論学』の教室もアガリア塔の中にある。

 わたし達は急いで教室へ向かった。

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