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第百四十四話『勇気』

 ヴァイクをエルフランに預けた後、わたしはヘミルトン寮のエリアに戻ってきた。

 折角だからゾディアやブライスに乗せてもらおうかとも思ったのだけど、乗馬の経験がないから()めておいた。

 

「バルルルルル」

「ブルルルルル」


 二頭はわたしの足に歩調を合わせてくれている。とても賢くて、とても優しい子達だ。

 首を撫でてみると、とても温かい。体温があるという事は筋肉の収縮が行われているという事であり、新陳代謝が行われているという事でもある。

 死霊である筈だけど、使い魔として受肉した今は生者と何も変わらない。彼らは今、生きている。その事がすごく嬉しい。


「……人参とか食べるのかな?」

「バオン!」

「ブルル!」


 食べるみたいだ。

 言葉としてではなく、彼らの気持ちが伝わってくる。彼らは人参が大好きらしい。

 これが主人と使い魔の繋がりなのだろう。アイリーン達との繋がりとはまた少し違うように感じる。


「ゾディアとブライスはヴァイクの事が好き?」

「バオオオ!」

「ブルルル!」


 大好きみたいだ。再会出来た事が嬉しくて堪らないみたい。

 頻繁に会わせてあげたい。

 

「おっ、帰ってきたな!」


 エレインが駆け寄って来た。彼女の使い魔も一緒だ。エメラルドグリーンの翼を持つ鳥。彼女はその使い魔にエドワードという名前を付けた。

 元々は幼馴染の名前らしい。異性の幼馴染の名前をペットにつけるなんて、ちょっと背徳的ではないかと感じる。

 彼女は弟みたいなもんだととぼけた事を言っていたけれど、わたしとアリーシャは間違いなくラブだと睨んでいる。

 今度、お茶会を開く予定だから、その時に詳しく聞いてみるつもりだ。


「ただいま」


 ロゼ達も駆け寄って来てくれた。ロゼの頭にはドラドラと名付けられた子竜がいる。

 彼女が「おかえりなさい」と言うと、ドラドラも「ギャオギャオ」と鳴いた。ロゼの真似をしているみたいだ。

 とても可愛い。そして、とても哀しい。使い魔として召喚されたという事は、この子は若い美空で死んでいるという事だ。


「にしても、あの猿って、本当に獣王なのか? なんか、周りの連中が物騒な事囁き合ってたけどよ」


 ドラドラの事を考えてアンニョイ気分に陥っているとエレインが問い掛けて来た。


「本当だよ。ただ、そんなに怖い子じゃないんだ。すごく頭が良くて、すごく優しくて、なによりも主人であるエルを愛している。だから、基本的にはモフモフのかわいいお猿さんだよ」

「……基本的にはか」


 残念だけど、絶対に安全だとは言い切れない。

 恐らく、エルが傷つけられたり、悲しませられたりしたら、ヴァイクは怒るだろう。

 感情のままに暴れまわる事は無いと思うけれど、ただの怒気が草木を枯らし、か弱い生き物の命を奪い去る。

 だからこそ、これだけは言っておかなければいけない。わたしは背筋を伸ばした。

 

「彼が偉大なる獣王である事を忘れなければ、彼はわたし達の良い隣人となります。人同士と同じです。相手に敬意を持って接するのです」

「敬意……?」


 エレインにはあまりピンときていないようだ。


「礼節を重んじるのです。相手を尊重し、失礼のない態度を取る。もっと分かりやすく言えば、相手が不快にならない態度を取る事ですね。自分がされて嫌な事を相手にしない事を心掛けるだけで十分ですよ」

「な、なるほどな……」

「少し耳が痛いな。さすがは姫様だ」

「え?」


 ザイリンが妙な反応をしている。


「……当たり前の事を言っているだけという感じだな。オレはあまり実践出来ていない」


 ザイリンだけではなく、辺りを見渡すと露骨に視線を逸らそうとする者が多かった。

 それだけ、真剣にわたしの言葉を受け止めてくれているという事だろう。


「当たり前ではありませんよ」

「え?」

「偉そうに言ったものの、かく言うわたくしも完璧に実践出来ているとは言い切れません。だからこそ、心掛ける事が大切だと思うのです」


 完璧に実践出来れば、それに越した事はない。だけど、それはあくまでも理想だ。

 人には感情(こころ)がある。感情を完全に御する事なんて、誰にも出来ない。

 わたしだって、アルの事になると感情が暴走してしまう事が多々ある。いけない事だと分かっているのに、暗い感情を抱いてしまう事もある。

 だからこそ、意識する事が大事なのだと思う。

 

「……そうだな。何事も努力を怠るべきではない。獣王が相手であろうとな」

「って言うか、どうして獣王が召喚されたんだろう?」


 アリーシャは怪訝そうに言った。


「使い魔召喚の儀式って、死者に肉体を与えるものでしょ? 獣王は現役バリバリの生者の筈じゃない。なんか、おかしいなぁ……」


 彼女の疑問は出て然るべきものだった。

 使い魔召喚の儀式は霊王レムハザードが考案した死者に仮初の肉体を与える魔法だと、儀式の直前にアルが説明している。その説明をキチンと聞いていて、状況を分析する冷静さがあれば、誰もが思い至るものだ。

 だからこそ、解答は予め準備されている。


「獣王だからですよ、アリーシャ」

「え?」

「獣王ヴァイクが望んだ事はすべて実現します。彼に不可能はありません。彼がエルフラン・ウィオルネという少女の傍にいたいと願った時、世界がそうなるように動いたまでの事ですよ」

「え……、はぁ?」


 不可解だという表情を浮かべたのは彼女だけではなかった。

 むしろ、今の説明で納得出来た者など一人もいない。それでも、これが答えなのだ。


「獣王ヴァイクは最強の魔獣。そういう認知を受けています。その信仰によって生み出された権能は『あまねく魔獣の力を最大化したもの』です。七王の中でも、最も謎多き存在だったからこそ、獣王の権能は万能化しています。彼の在り方などが人々の間に知られていけば、やがては万能の力を失っていく事でしょうけど、今の彼に不可能はないのです」


 嘘ではない。オズワルド猊下の調べによれば、獣王の権能はそういうものだった。

 加えて、わたしにはゲームの時の獣王ヴァイクのステータスという知識がある。そこにはゲーム中に登場する魔獣のスキルに『極』という表記が追加されたものがずらりと並んでいた。

 人と大差ない体格にも関わらず、彼が拳を震えば天が裂け、地が割れる理由もそこにある。魔獣達の中には拳打系のスキルを持つものが数多く存在し、獣王の拳には彼らの極まった状態のスキルが乗るのだ。


「そ、そんなの……、もう神じゃん……」


 アリーシャは呆然とした様子で呟いた。


「……姫様。あなたはその事を知りながら、獣王を恐ろしく思わないのですか?」


 ザイリンが青褪めながら問い掛けて来た。


「もちろんです。何故なら、獣王はその気になれば世界を滅ぼす事が出来る力の持ち主だからです」

「は、はぁ!?」


 心底不可解だという反応が返って来た。


「フリッカ……。それを聞いて怖くなくなる奴なんて居ないと思うぞ?」

「昨日今日にでも力を得たばかりの存在に対してならばそうでしょうね」


 エレインの言葉にわたしはそう答えた。


「ですが、獣王ヴァイクが力を得たのはもう随分と昔の話です。にも関わらず、世界は今日(こんにち)も続いている。それこそが彼の在り方を物語っています」


 確かに、彼は恐ろしい力を持っている。だからこそ、わたしも誤解してしまっていた。


「獣王は謎多き存在。それはつまり、獣王が表立って動いた事が一度も無い事を意味しているのです。誰かに止められたからではなく、彼は世界を滅ぼしたくなどないのです。意図して人類を害したいとも思っていないのですよ」


 そうした意思があったのなら、疾うの昔に世界は終わっている。


「で、でも、世界を滅ぼせるのでしょう?」


 近くにいたアミリアという生徒の言葉にわたしは頷いた。


「それだけの力を持っている事は事実です」

「だ、だったら……」

「ですが、力を持つ事を恐れる必要はないのですよ。例えるなら、包丁と一緒です。料理の為の道具でありながら、悪意を持って振るえば人を傷つける凶器になる。だからと言って、包丁を恐ろしいと感じる人は稀かと思います。それは何故なのか?」


 アミリアは反発する事なく、わたしの言葉に耳を傾けてくれている。

 だから、わたしは自信を持って言い切った。


「力自体が恐ろしいのではないのです。力を悪意の下に振るう者こそが恐ろしいのです。そして、彼は悪意の下に力を振るわない。故にこそ、恐れる必要はないという事です」


 わたしの言葉に納得してくれた人は少なかった。けれど、みんなの顔を見れば、必死に納得しようとしてくれている事が分かる。

 

「……わたしには難しいです」


 不甲斐ないとばかりに表情を歪めるアミリアにわたしは微笑みかけた。


「それは彼をまだ知らないからですよ、アミリア。悪意の下に力を振るわない。そう信頼出来るほど、彼を知る事が出来た時、あなたも彼を恐れなくなるでしょう」

「フレデリカ様は信頼しているのですか?」

「ええ、信頼しております」


 人は未知を恐れる。それは決して悪い事ではない。未知を恐れなければ、人という種はとうの昔に滅びていた事だろう。

 大切な事は恐怖を忘れる事ではなく、恐怖に挑む事だ。それを人は勇気と呼び、『勇気ある者』をこそ、世界最高の人物の称号とした。

 勇気を持って、みんなにもヴァイクに歩み寄って欲しい。その一助となれる事を願って、わたしは胸を張った。


「彼の在り方を知れば、きっとみんなも彼の事が好きになると思います。だって、あんなにも純粋で、あんなにも深い愛情を持つ、あんなにも可愛らしい子なのですから」


 わたしの言葉にどれほどの力があるかは分からない。だから、嘘偽りのない本音を口にした。

 

「……フレデリカ様がそう仰られるなら」


 アミリアは拳を固く握りながら言った。


「信じてみます」

「ありがとう、アミリア」


 彼女の勇気に対して、わたしはお礼を言った。彼女の言葉を皮切りに、みんなも心を決めてくれた。

 誰の表情にも不安の色が残っている。それでも、信じようとしてくれている。

 

「……ありがとう」


 わたしはもう一度、みんなにお礼を言った。

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