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第百四十二話『王妃の権能』

 エルフランが召喚陣を出ると、いきなりアマンダに抱き着かれた。


「ア、アマンダ!?」

「エル、大丈夫だった!? 召喚陣がいきなり赤くなって、中の様子が全然見えなかったの!」


 シャーリーも青褪めた表情を浮かべていた。目元には涙が滲んでいる。

 心配してくれたのだと分かり、エルフランは胸が熱くなった。


「う、うん! 大丈夫だよ! わたし、大丈夫!」

「……良かった」


 アマンダは更に強く彼女を抱き締めた。少し痛い。だけど、それがすごく嬉しい。


「ウキィ……」


 隣でヴァイクが迷っている。最愛の主が痛みを感じているからだ。けれど、彼女が喜んでいる事も分かっている。

 安心させようと思い、エルフランは微笑んだ。


「大丈夫だよ、ヴァイク」

「ウキィ」

「それが獣王か……」


 イザベルの言葉に辺りが騒然となった。


「じゅ、獣王……?」


 シャーリーは今になって、ヴァイクの存在に気が付いたようだ。


「獣王?」


 アマンダもエルフランから離れて、ヴァイクを見つめた。

 少し残念に思いながら、エルフランは頷いてみせた。


「うん。わたしの使い魔なの」

「ウキィ」


 ヴァイクは笑顔を浮かべた。すると、一人の生徒が悲鳴を上げた。

 その悲鳴を皮切りに、生徒達はパニックを起こし始めた。


「獣王だって!?」

「まさか、あり得ない!」

「いや、この魔力……、冗談じゃないぞ!!」

「あの姿、本に描いてあった!」

「ヴァイクだ……、獣王だ!」

「みんな、逃げろ!!」

「た、助けて……」

「なんで、獣王が……」


 パニックを起こした生徒の多くは貴族の子だった。彼らは家庭教師から七王の事を教えられている。

 三大禁忌の一つであり、人類の総力を持ってしても打ち破る事が叶わぬもの。

 その中でも、最も謎に包まれた存在。炎王や妖王のような代弁者が存在せず、風王や竜王、霊王、宝王のように人類と直接意思疎通を交わす事もない。ただ、最強の魔獣である事だけが知られているもの。

 それが彼らの知る獣王ヴァイクだ。


「鎮まれ!!!!」


 死の恐怖によって完全に正気を失っている者すら現れる中で、その声は明瞭に響き渡った。

 アガリア王国の皇太子の轟くような声に生徒達は思考を止めた。

 本来ならばあり得ない事だ。如何に皇太子の言葉だろうと、獣王という脅威の前では無意味に等しい。逃げなければ死ぬのだから、立ち止まって静聴している余裕などない。

 それでも生徒達は足を止めた。耳を傾けた。それはアルヴィレオに宿り始めた賢王の権能の片鱗だった。

 彼を将来の王と認める者にとって、その言葉は王の言葉そのものであり、その言葉を無視する事は獣王の前で立ち止まる事以上に耐え難いものだった。

 アルヴィレオの声は広場だけではなく、アザレア学園全体に響き渡っていた。広場が見える窓辺に生徒達が集まり、その声に耳を傾けている。


「獣王ヴァイクはエルフラン・ウィオルネの使い魔となった! 見るがいい、獣王の穏やかな表情を! 偉大なる王は彼女を主と認め、寄り添う事を決めたのだ!」


 その声には力が宿っていた。聞くものを雛鳥の如く素直にさせる力が。

 これが権能の力なのだと畏敬の念を抱いた者は、彼のように権能を持つものだけだった。

 

今日(こんにち)に至るまで、謎に包まれていた獣王の真価を見定める時が来た。偉大なる獣の王が人という種にとっての脅威となる存在なのか? あるいは親愛なる友となり得るのか!」


 朗々と紡がれる言葉に誰もが聞き惚れている。彼の言葉が何よりも正しい事なのだと信じている。


「この世界で共に生きる以上、避けては通れない道。来たるべき時が思いも寄らぬ程に穏やかにやって来た。この機会を逃すべきではない」


 アルヴィレオは生徒達を見た。生徒達が広場を覗き見ている窓を見た。そして、エルフランとヴァイクを見た。


「勇敢になろう!」


 そう言うと、彼はヴァイクの下へ歩いていく。それはまさしく勇気ある行いだった。

 なにしろ、彼は今のように穏やかではなく、本気の殺意を抱いた獣王に睨まれた事がある。その時の恐怖は彼の心に小さくない傷跡を残した。

 それでも彼は歩みを止めない。彼は信じているからだ。獣王ヴァイクのエルフラン・ウィオルネに対する深い愛情を。


「獣王ヴァイク」

「ウキィ」


 獣王は人の言葉を理解している。だからこそ、アルヴィレオは人に語りかけるように言った。


「歓迎するよ。ようこそ、アガリア王国へ。そして、アザレア学園へ」


 彼が手を差し出すと、ヴァイクは「ウキィ」と鳴きながら、その手を取った。

 握手の意味を知っているからだ。そして、彼はアルヴィレオが自分とエルフランの為にこうしているのだと理解しているからだ。

 その事を知らずとも、その光景の意味は誰もが理解出来た。

 獣王ヴァイクはアルヴィレオに友好の意を示した。それは世界的脅威の一つとの共存の可能性を示すと共に、アルヴィレオ・アガリアの王としての資質をこれ以上なく知らしめるものとなった。

 

 ◆


 獣王召喚の衝撃が冷めやらぬ中、召喚した使い魔との触れ合いの時間が始まった。

 御多分に漏れず、フレデリカもエルフランや獣王の事が気にかかったけれど、そんな彼女の気を引こうとして、ゾディアとブライスが頬を押し付けて来た。

 

「ブルルルルル」

「バォォォォォ」


 二頭の馬は尻尾をこれでもかと振っている。


「わわっ、ごめんごめん!」


 今は彼らとの触れ合いの時間だ。

 パニックはアルヴィレオが鎮めたし、ヴァイクもエルフランの為に大人しくしている筈だ。

 キャロラインがヴァイクに襲いかからないか心配していたけれど、その様子もない。

 フレデリカは安心してゾディアとブライスを撫でた。

 その瞬間だった。


「ウキ」

「え?」


 いきなり、ヴァイクが現れた。


「どうしたの?」

「ウキィ」


 ヴァイクはゾディアとブライスを見ている。

 ゾディアとブライスもヴァイクを見ている。


「ブルル!」

「ヒヒーン!」

「ウキィ!」


 二頭と一匹は尻尾を振っている。


「ブルルルルル!」

「バオォォォォ!」

「ウキィィィィ!」


 二頭と一匹は涙を流している。

 フレデリカにはヴァイクの声や思考は読み取れないけれど、使い魔であるゾディアとブライスの思いは伝わってきた。

 二頭はとても喜んでいる。ずっと会いたかった存在に会えたと心を震わせている。


「知り合いだったの?」

「ブフ!」

「バオ!」

「ウキ!」


 驚いた事に、二頭と一匹は知り合いだった。

 ヴァイクはゾディアの背中に乗り、ブライスの背中に乗り、二頭の周りをグルグル回った後、何かに気付いたようにフレデリカの前で戻って来た。


「ヴァ、ヴァイク?」

「……ウキィ」


 急に落ち込んでしまった。


「大丈夫?」

「ウキィ……」


 だいじょばないようだ。


「とりあえず、エルの所に戻ろうよ」

「ウキ……」


 フレデリカはヴァイクを抱き上げようとした。

 何度も繰り返して来た事のように自然とそうしてしまった。当然ながら、持ち上がらない。


「……あれ?」


 持ち上がらない事を不思議に思い、すぐに持ち上げようとした自分の行動に疑問を抱いた。

 だけど、持ち上げようとして持ち上がらなくて諦めるのはなんだか面白くないと思った。

 こっそり魔王再演を使い、フレデリカは今度こそヴァイクを持ち上げた。


「ウキィ! ウキャキャ!」

「こらこら、暴れないの!」


 何だか、妙な感覚だった。猿を抱っこした経験なんて、生まれ変わる前の世界でも無かった。だけど、どうにも懐かしく感じてしまう。

 この感覚はゾディアとブライスに感じたものと似ている。


「お、おい、フリッカ……? 大丈夫なのか?」

「え? うん。魔力で強化してるからね」

「な、なるほど……。いや、そうじゃなくて……、なんか、周りの奴が獣王とか、危険とか言ってるんだが……」

「大丈夫だよ、エレイン」


 フレデリカはヴァイクを抱き締めながら言った。

 一度は殺意を向けてしまった。危険な存在として警戒してしまった。それは大きな過ちだった。

 

「この子は大丈夫。とても優しくて、とても頭がいい子なんだよ。わたしの使い魔と友達だったみたい。ちょっと、御主人様の所に連れて行ってくるね」

「お、おう……」


 その光景は多くの者の度肝を抜くものだった。

 獣王ヴァイクが抱っこされている。まるで、赤ん坊のようにはしゃいでいる。


「ヴァイク。エルを頼むな」

「ウキ!」


 任せろと言っている気がする。実に頼もしい。この世で上から数えた方が早いくらい強い、最強のボディーガードだ。

 

「ありがとう。エルの使い魔になってくれて」


 しばらくヴァイクを抱えたまま歩いていると、アルヴィレオとエルフランが駆け寄って来た。

 どうやら、ヴァイクは勝手にフレデリカの下へ飛んできてしまったようだ。折角のアルヴィレオの演説の効果が薄れてしまい、周囲の生徒達は少し不安そうにヴァイクを見ている。


「フ、フレデリカ様、お離れください!」

「フレデリカ様……」

「お、お助けせねば……」


 このままだと不味いと考え、フレデリカはヴァイクを下ろした。


「落ち着いてください、みなさん」


 フレデリカは魔王の権能の一つである魔王覇気を少し纏いながら口を開いた。

 

「ヴァイクはわたくしの使い魔であるゾディアとブライスとは旧知の仲だったようなのです。ヴァイクは生者ですが、ゾディアとブライスは……」


 死者と続けようとして、フレデリカは少し躊躇った。それを口にする事がとても悲しく感じたからだ。


「……死者です。死という離別からの再会にヴァイクは歓喜したのです。だから、わたくしの下へ跳んできてしまった。それだけなのです。この子は友を思い、主を思う優しい子。ここまで連れて来る中でも、わたくしの腕の中で大人しくしてくれていました。その力の片鱗でさえ、この子の力ならば簡単に肉塊へ変える事が出来てしまう。それでもわたくしには傷一つありません。それこそが証明となります。この子がわたくしを傷つけまいとしてくれたのです」


 フレデリカが魔王覇気を解いても、生徒達は彼女の言葉に耳を澄ませた。


「少しばかり、この子がヤンチャである事は確かです。以前もバナナを盗み出した前科もありますからね」


 そう言って、彼女はクスクスと笑った。

 アガリア王国のみならず、バルサーラ大陸全土を騒然とさせたヴァイクの行動に対して、彼女は微笑ましげな表情だ。

 

「すぐに受け入れる事は難しいと思います。ですが、わたくしが保証します。この子はわたくし達の良き友となれる事を」


 獣王を抱っこしながら連れて来た彼女の言葉には説得力があった。

 彼女の言葉は真実なのだ。獣王が僅かにでも力の制御を怠れば、彼女はここに辿り着く前に死んでいた。その恐ろしい事実に気が付いた者は青褪めた。

 そして、その行動は紛れもなく、先程のアルヴィレオの演説にあった『勇敢になろう』を体現していた。

 

「……フレデリカ様」


 オリエンテーションが終わりを迎え、フレデリカは多くの生徒達と接して来た。けれど、すべての生徒と関われたわけではなかった。 

 それでも、関わる事のなかった生徒達にも彼女は確信を抱かせた。


 ―――― フレデリカ・ヴァレンタインこそがアガリア王国の次期王妃である。


 アルヴィレオの伴侶としての意味ではなく、アガリアの王妃として、アガリアの未来を背負うアザレア学園の生徒達は彼女を強く認めた。

 それは彼女の新たなる権能の目覚めを意味していた。

 ネルギウス王からアルヴィレオに継承されつつある賢王の権能と同じく、カトレア王妃からフレデリカにアガリア王妃の権能の継承が始まろうとしていた。

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