第百四十話『霊王レムハザード』
地獄が広がっていた。
紅蓮の業火が家々を焼き、逃げ遅れた人々が黒焦げになりながらのたうち回っている。
助けを求める声が聞こえると、わたしはその声の下へ向かった。
そこには幼い兄妹がいた。兄は必死に妹を守ろうとしている。わたしはその首を刎ねた。
―――― どうして?
その次は妹の首を刎ねた。
別の声が聞こえると、その声の下へ向かい、また殺した。
すべての命が絶えるまで、延々と繰り返した。
―――― どうして?
一つの土地を殺し尽くしたら、わたしは次の土地へ向かった。
殺した数が千を超えても止まらない。
時折、わたしを止める為に立ち向かってくる人達が現れた。だけど、止まらない。
わたしはわたしが分からなかった。
『もう、やめてくれ!』
『止まりなさい!』
『何故、そうなってしまったんだ!?』
『俺様の世界を好き勝手する事は許さんぞ』
『化け物め』
『哀れな……』
『貴様に我が国を滅ぼさせはしない!』
わたしに挑んでくる人は、その多くが死んだ。けれど、何度も何度も向かってくる人達がいた。その人達の中心には、いつも泣いている女性がいた。
知っている気がした。わたしはその人の事が大好きだった気がする。だけど、わたしは彼女の事も殺そうとした。
―――― どうして?
殺した数が万を超えた時、わたしは立ち止まった。そこには一軒家があった。
その家には小さい獣がいた。その獣はあどけない顔でわたしを見ていた。
壊そうとするわたしがいた。壊したくないわたしがいた。
その家の近くには二頭の馬の死体があった。
その二頭を殺したのはわたしではなかった。殺せる筈がなかった。
青毛の馬はゾディア。白毛の馬はブライス。
わたしは大好きな友達と一緒に、二頭の世話を焼いていた。そして、奪われた。
『……殺して』
そこはわたしが住んでいた家なのだと思い出した。
『お願い……、殺して……』
その時、わたしはわたしを取り戻す事が出来た。
そして、わたしは目を覚ました。
◆
ベッドから跳ね起きて、わたしは急いでトイレに向かった。
胃の中が空になっても吐き気が収まらなくて、呻いているとルームメイトのアマンダが水を持って来てくれた。
「大丈夫!?」
シャーリーが背中を必死に擦ってくれている。
ありがとうと伝えたいのに、その余裕がない。
「エルフラン・ウィオルネ!!」
いきなり、イザベルが大きな声でわたしの名前を叫んだ。
びっくりして、わたしとアマンダは飛び上がった。
「落ち着いたか?」
「……へ? あっ」
落ち着いた。吐き気も収まっている。
「悪夢を見ていたようだからな。精神的なものは驚かせるのが一番の薬になる」
「な、なるほど」
「さ、さすがイザベル」
悪夢と言われて、深く息を吐いた。
あれはまさしく悪夢だった。だけど、あんな事はある筈がない。
あの夢のわたしはまさしく怪物だ。存在してはいけない存在だった。
「……あ、ありがとう、みんな」
「構わん。それより、茶を淹れよう」
「わたし、お菓子持ってるよ!」
「わたしもー!」
わたしもアンゼロッテに買ってもらったとっておきのお菓子を出して、ちょっとしたお茶会をした。
アマンダは平民で、実家は農家を営んでいるみたい。自家製のヨーグルトを使った特製クッキーは絶品だった。
シャーリーは伯爵家の令嬢で、明るくて優しい子。彼女はかなり高価なお菓子を出してくれた。
二人が出してくれたものと比べると、わたしが取り出したお菓子はかなり見劣りしてしまうけれど、アンゼロッテが『友達と食べろ』と言って、奮発してくれたお菓子なので、大皿に一緒に盛り付けた。
「待たせたな」
イザベルはかなり凝るタイプのようで、彼女が入れてくれた紅茶はまさしく絶品だった。
お菓子と紅茶を嗜みながら、ルームメイト達と話していると、悪夢の事は綺麗サッパリ忘れてしまった。
◆
お茶会に夢中になり過ぎて、使い魔召喚の儀式の場所に到着したのは開始時刻ギリギリだった。
「セ、セーフ!」
「わ、わたしとした事が……」
「あぶなかったぁぁぁ」
「ギリギリだったね!」
こそこそと他の寮生達の所に混ざりに行くと、そこには見覚えのある怪しい男が立っていた。
「おお、レディ・エルフラン。お久しぶりですねぇ」
「あ、あなたは!」
「オズワルド猊下!?」
イザベルとシャーリーが咄嗟に敬礼の姿勢を取った。
わたしとアマンダも慌てて彼女達の真似をすると、オズワルド猊下は微笑んだ。
「頭を上げなさい。わたくしは使い魔召喚の儀式の様子を見に来たまでの事。ただまあ……、頑張ってくださいね」
「は、はい!」
「はっ!」
「ありがとうございます!」
「一生懸命やります!」
オズワルド猊下が去ると、イザベルがわたしに耳打ちをした。
「……言い忘れていた。わたしもお前の事情は知っている。サポートするから、頑張るのだぞ」
「イザベル……、うん!」
ちょっと驚いたけれど、それ以上に嬉しかった。
わたしはこの使い魔召喚の儀式でヴァイクを召喚する。きっと、大騒ぎになる筈だ。
アルヴィレオやオズワルド猊下が鎮めてくれる事になっているけれど、わたしだって、何もしなくていいわけじゃない。だけど、とても不安だった。
これはヴァイクとわたしが一緒に生きる為の第一歩だ。だからこそ、失敗出来ない。
彼女がサポートしてくれるのなら、これ以上なく頼もしい。
「ありがとう」
「しっかりな」
◆
「エルフラン・ウィオルネ!」
とうとうわたしの番が回って来た。
「大丈夫だ」
イザベルが背中を叩いた。
「落ち着いてやれば大丈夫よ」
「ファイト!」
事情を知らないアマンダとシャーリーは、きっとわたしが緊張しているのだろうと考えているのだろう。いつもの陽気な笑顔で励ましてくれた。
わたしは素晴らしいルームメイトに恵まれた。わたしも彼女達にとって、素晴らしいルームメイトでありたいと思う。だから、必死に胸を張る。
「行ってくるね!」
「ああ」
「がんばっ!」
「いってらっしゃい!」
黄金に輝く召喚陣に足を踏み入れた。
そして、世界が赤く染まった。
◆
アガリア王国があるバルサーラ大陸の北西に広がる世界最大の大陸、パシュフル大陸。
その最北に位置する場所には死霊楽園と呼ばれる国がある。
あまねく死者が最期の刻に訪れるとされる場所。その北端にある港は亡霊の港と呼ばれ、そこから死者は輪廻へ旅立つとされている。
その国の王は小柄な少女だった。
霊王レムハザードの前には黄金の火が輝いていた。その火が赤く染まると、小さく溜息を零した。
「アルトギア。相変わらず、愚かね」
死霊楽園全体がざわめき始めている。
こうなる事を彼は予想出来た筈だと、レムハザードは肩を竦めた。
「名を隠され、時を巻き戻されようとも、その魂は変わらない。救われる事を望む者と同じくらい、裁かれる事を望む者がいる。理不尽な死を与えられた者の怨念と憎悪は事情があろうと消える事はない」
使い魔召喚の儀式は死霊の無念を慰める為のもの。
復讐を望む者の無念は復讐でしか晴らせない。けれど、子供に他者を害する類の無念を晴らす手伝いなどさせられるわけがなく、レムハザードは怨霊を弾くように術式を組み上げていた。
ところが、生者である獣王を召喚させる為に術式を弄られてしまった。術式を弄る事自体は構わない。時代と共に変化が必要な時も来るだろうと考えていた。その為の知識も与えていた。けれど、彼女の召喚に対しては弄るべきではなかった。
「……他の子供達に罪はない。だから、他の子供達は守ってあげるわ」
レムハザードは火に向けて手を伸ばした。
霊王の権能は千里を超えた先に偉大なる力を届かせる。
「ナギサ。『厄災の化身』、『世界の敵』、『冥王』と呼ばれた貴女」
二代目魔王ロズガルド。その再来に怨霊達は沸き立っている。
「救われたければ、貴女自身で救われなさい」




