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第百三十二話『推し』

 白百合の間に招かれる事は貴族の子女にとって、一つの憧れである。

 なにしろ、そこに足を踏み入れる事が出来るのは選ばれし者だけだからだ。

 初代アガリア王妃クローディア・アガリアが溺愛していた義娘であり、二代目王妃リーリエ・アガリアが学園で友人と憩いの時間を過ごす為に用意した歴史ある茶会室。壁に描かれた凹凸の壁画は彼女が描いたものとされている。

 イザベルはアリーシャにエスコートされながら、傍らを歩くルームメイトのエルフランに白百合の間に招かれる意味を口酸っぱく説明した。

 彼女の事情は聞き及んでいる。

 迷いの森から来た少女。獣王ヴァイクの寵愛を受ける者。強大な力を宿し、エリンで起きた魔獣のスタンピードを止めた救国の英雄。しかして、その身の上からは想像もつかない程に普通の感性を持った心優しい女の子。

 彼女は貴族社会の事を何も知らない。一般的な平民ですらも知っている事さえも。

 イザベルは彼女の力になりたいと思った。なんとなく、彼女が迷い子のように見えたからだ。今にも泣き出しそうだと感じたから、彼女は手を差し伸べた。泣いている子は慰めるべきであり、迷い子は手を引いてあげるべきだから。


「いいか? 下手に物に触るな。細かな作法までは問われぬ筈だが、調度品を傷つけでもしたら一生かけても返しきれない借金を背負う事になるぞ」

「……き、肝に銘じます」


 お茶会にも作法がある。けれど、それは一朝一夕で身に付くものではない。

 イザベルとて、見聞きしただけで完璧な作法を披露する事など出来ない。何度も何度も経験する中で覚えていった。

 正式な貴族のお茶会に参加する機会のない平民にそうした作法を要求する事はむしろ、貴族としての不見識を顕にする行為だ。

 意図して、作法の分からない者をお茶会に招き、嘲笑う者もいる。けれど、此度のお茶会のホストはフレデリカ・ヴァレンタインだ。そのような下らない遊びに興じるような者が次期王妃になど選ばれる筈がない。

 だから、気をつけるべき点は物を傷つけないだとか、空回りしないだとか、そうした当たり前の事だけだ。けれど、慣れない状況では、そうした当たり前を守る事が難しい場合もある。その為の指摘だ。


「イザベルってば、やっさしー! ルチアーノ侯爵家のお茶会の時はマリーを泣かせてたのに」

「泣かせたかったわけではない。出来る事をやらないのを叱責しただけだ」


 出来ない事は仕方がない。学ぶ機会の有無は本人の意思だけではどうにもならない場合が多々ある為だ。けれど、出来る事をやらないのは単なる怠惰だ。


「怠惰は許さん。別に常日頃から完璧を求めたりはしないが、やるべき時にやるべき事をやらない人間など信用に値しない。そんな者が国を支える貴族の一員などとは認められん」


 それはイザベルが常日頃から口にしている信条だ。

 アイニーレイン家はアガリア王国の懐刀。男児であろうと、女児であろうと、その家名を背負う者には国の為に命を捨てる覚悟を迫られる。

 

 ――――『王国の為に生きよ。その為に鍛えよ。その為に卓越せよ』

 

 それがアイニーレイン家の家訓である。

 国の為に生き、国の為に死ぬ。その事を彼女は心から望み、他者にもそうあるよう望んでいる。それこそが、彼女が苛烈と称される所以(ゆえん)だ。


 ◆


「おっきいねぇ!」


 エルフランは聳え立つ中央塔を眺めながら呟いた。他寮の塔も相当に大きいけれど、中央塔は群を抜いている。

 彼女はそこが夜会の後、フレデリカを救う為に登った塔である事に気が付いた。


「アザレア学園の中央塔は世界で最も高い建物の一つだ」

「すごーい!」


 感心するエルフランに、イザベルはそうだろうそうだろうと得意げに頷いた。


「それだけではないぞ。アザレア学園の歴史は古く、その建築には多くの失われた技術(ロストテクノロジー)が使われていると言う。実にロマン溢れる話だろう! それらを解明し、蘇らせる研究を行っているクラブもあると言う。わたしはそこに入るつもりだ。優れたロストテクノロジーを再現出来れば、必ずや王国のお役に立てる筈だからな!」

「そ、そうなんだ」


 熱弁を振るうイザベルにエルフランは目をパチクリさせた。

 一見すると堅物のように見えるけれど、彼女は意外と愉快な性格をしている。

 なんとなく、彼女とフレデリカは相性が良さそうだと感じた。一度意気投合したら、瞬く間に親友同士になっていそうだ。


「中央塔にはアガリア寮があるんだよね? やっぱり、特別な寮なんだね」

「当然だ。アガリア寮はアガリア王国の皇太子が配寮される寮だからな」


 イザベルは言った。 


「建物の大きさだけではない。なにより、皇太子と同じ寮というだけで入寮する価値は格段に跳ね上がる。なにしろ、顔を覚えて頂けるだけで有象無象の中から抜け出す事が出来るわけだからな。加えて、王室用のフロアには当然ながら王室の方々がいらっしゃる。タイミング次第では、王室の方々からの頼まれ事を頂戴する栄誉を授かる事も出来る。アザレア学園に入学を望む者が誰しも欲しているチャンスをより多く得られる寮と考えれば、やはり、入寮する価値が一番大きいのはアガリア寮という事になる。もっとも、今年は次期王妃であらせられるフレデリカ様が()られるからな。ヘミルトン寮の価値も跳ね上がっている」

「王室との繋がりって、そんなに大事なの?」

「……まあ、外国の者には実感し辛いかもしれんな。アガリア王国に生まれ、アザレア学園に入学する事を望む者は総じて国家の中枢で働く事を望んでいる。そして、国家の中枢とはすなわち、王室と深く関わる仕事に携わるという事だ。当然、王室との距離が近い程、重要な仕事を賜る事が出来るわけだ」

「なんだか凄いね」

「凄い?」

「だって、みんな、将来の事をしっかり見据えているもん。わたしは働く事自体にあんまり実感が湧いてないよ……」


 エルフランの言葉にイザベルは苦笑した。


「まあ、みんながみんなというわけでもない。伯爵家以上の家系となると、もはや人生は生まれた時に既に決められているようなものなのだ。物心付いた時から教育を受け続けていると、その通りに生きる事が当たり前になる。将来を見据えているというよりも、その将来に辿り着く為に生きているわけだ」

「……それって、辛くないの?」

「辛いと嘆く者もいる。逃げ出そうとする者もいる。つい先日、へミルトン寮でやらかした者が居たそうだ。そういう輩を弾く事もアザレア学園の重要な役割だ」

「イザベルは辛くないの?」

「わたしは幸いな事に辛いと感じた事がない。為すべき役割を持つ事は幸福だと捉えているからな。必要とされない者の嘆きを見ている事も理由ではあるが……」

「必要とされない者の嘆き?」

「あまり公言する事ではない。ただ、あれは哀れだと思ったものだ……」


 イザベルの言葉の意味をエルフランは上手く呑み込む事が出来なかった。

 役割を与えられる人生と与えられない人生。

 イザベルは与えられている人生こそが幸福であり、与えられない人生は哀れむべきものと語ったけれど、生まれた時から未来を決められている人生なんて、窮屈で息苦しそうだと感じた。


「人によると思うよ」


 前を行くアリーシャが言った。


「人生の目的を他者から与えられるか、自分で探し求めるかって事だし」


 彼女は振り向いた。


「君はエルフラン。星を探すものなんでしょ? それでいいと思うよ」

「嘆くばかりで蹲る者に未来はないが、探し求める者には未来がある。アリーシャの言う通り、まさしく人によるな」

「なるほど」


 つまりは自分次第という事なのだろう。

 役割を与えられている中で幸福に生きるか、役割を見つけて幸福に生きるかだ。

 納得すると共に、エルフランはイザベルが怠け者に厳しく当たるのは彼女の優しさが故だという事に気が付いた。怠惰な者に幸福は訪れないのだから。


「……うん。わたし、勤勉に生きるよ!」

 

 わたしは決意を固めて拳を天に振り上げた。

 イザベルに失望されない生き方をする。それがきっと、わたしにとっての幸福に繋がっていく気がした。


「それが一番だ。何事にも近道などない。地道に一歩ずつ進んでいく。その道程は、きっと未来のお前を助ける筈だからな」

「真面目過ぎるのも困りものだけどねぇ。せめて、フリッカを愛称で呼べるくらいの軽さは必要だと思うなー」

「……ぜ、善処する!」


 そのやり取りに思わず吹き出してしまった。

 

「さ、さあ、行くぞ!」

「うん!」

「はーい!」


 三人は仲良く中央塔に入って行った。


 ◆


 中央塔の入り口はいくつもある。アリーシャは二人をリード寮から最も近い入り口に案内した。そこから中へ進んでいくと大きなホールに突き当たる。そこは寮の選定が行われた大広間だった。どうやら、あの後にリード寮へ向かう為に通った道を歩いていたようだとエルフランは今更になって気が付いた。

 

「こっちだよ」


 アリーシャの先導で大広間にいくつかある階段の内の一つを登り、そこから更に塔の外周へ向かう廊下を歩いた。そこから何度も何度も階段を登る羽目になり、エルフランは白百合の間に辿り着く頃にはすっかり疲労困憊状態になっていた。


「き、キツ過ぎない……?」

「今だけだ。魔法やスキルを身に着けていけば移動も楽になっていく」

「うぅ……、アンゼにもっと移動系の魔法を教えてもらえば良かった……」


 息切れを起こしているエルフランを休ませていると、他の招待客もチラホラと顔を見せ始めた。どうやら、運動不足(・・・・)はエルフラン一人だけのようだった。

 

「……あれは」


 招待客の中にベッタリと血の匂いが染み付いている女がいた。

 キャロライン・スティルマグナスだ。カルバドル帝国からの留学生であり、偉大なる剣聖マリア・ミリガンの弟子。

 彼女がこの茶会に招待されている事にイザベルは驚きを隠せなかった。


「アリーシャ。エルフラン。あの女には近づくな」


 あれは危険だ。人間社会に存在してはならない類の怪物だと、彼女は本能的に感じ取り、愛すべき友人二人を彼女から遠ざけようとした。すると、エルフランは呟いた。


「……あの子、夜会の日にフリッカを襲っていた子だ」

「は?」

「へ?」


 エルフランの言葉にイザベルとアリーシャはギョッとした。

 それはあり得ない事だからだ。次期王妃を襲うなど、極刑でも生ぬるい重罪だ。そんな者が強制送還すらされず、あまつさえ学園に残っている事など道理に合わない。

 けれど、二人はエルフランが他者を貶める冗句(じょうく)を口にする少女とは考えていなかった。それに加えて、彼女の表情には鬼気迫るものがあった。純然たる怒りの感情が(あらわ)となっている。だからこそ、二人は困惑している。


「ずいぶんと熱い視線を向けてくれるね」


 エルフランの視線に気が付いたキャロラインが歩み寄って来る。


「ストップだ」


 そんな彼女の前に躍り出たのは橙色(だいだいいろ)の髪の少女だった。

 

「何よ、エレイン。そっちの子が先に睨んできたのよ?」

「うるせぇ、だまれ。茶会の前に揉め事を起こすな」

「……えぇ、理不尽」

「フリッカの茶会に参加したくないと?」

「そ、そうは言ってないでしょ! はいはい! わたしは清淡虚無(せいたんきょむ)!」


 彼女はアッサリとキャロラインは丸め込んでしまった。そして、その視線をエルフランに向けた。


「おい、お前」


 驚くほどぶっきらぼうな口調で声を掛けられ、エルフランは戸惑った。


「大体想像はつくけどよ。フリッカの茶会を台無しにしたいってんじゃなきゃ、ここで喧嘩を売るんじゃねぇよ」

「……ご、ごめんなさい」

「おう」


 言うべき事だけを言い切ると、彼女はキャロラインを連れて離れて行った。


「……あれがエレイン・ロットか」


 その背中を睨むように見つめながら、イザベルが呟いた。


「有名な人?」

「有名になった女だな。ヴィヴィアン王女殿下やアルヴィレオ皇太子殿下から直々にフレデリカ様の事を任された将来のフレデリカ様の側近候補だ」

「へぇ……、エレインって、そんな事になってたんだ」


 イザベルの鋭い目つきの中に嫉妬と羨望が宿っている事に気付きながら、アリーシャはイザベルの視線を追うようにエレインの背中を見つめた。

 たしかに、彼女と接する時のフレデリカは普段よりも楽しげだと感じる事が時折あった。


「側近かぁ……」


 アリーシャは将来の事をあまり真剣に考えた事がなかった。

 やりたい事がないわけではない。ただ、それは将来の夢というよりも生き方を形作るものだ。どのような道を選ぶにしろ、そこだけはブレない芯としているもの。

 大事なものではあるけれど、未来を照らすものではなかった。


「フリッカの側近……」


 それは悪くない未来な気がする。彼女はとても真面目で、とても優しくて、とても可愛らしくて、とても繊細で、助けてあげたくなる子だ。

 支えてあげたいと思う子の為に生きる。その生き方は一つの幸せだと彼女は知っていた。遠い遠い昔、彼女は支えてもらう立場にあり、支えてくれる人がいた。


「フリッカはわたしの推しだしね。推し活、いっちょ頑張ろう!」

「おしかつ……? なんだそれは?」

「なんか、ちょっと懐かしい響き……」


 そうこう話していると白百合の間の扉が開いた。

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