第百二十八話『寮妹のお仕事①』
オリエンテーションの日々が続いていく。
一年生達の部屋からは日が昇る前にけたたましい目覚まし時計の音が鳴り響き、ドタバタと慌ただしい足音が学園中を駆け巡る。軽めの朝食を食べた後、彼らが真っ先に目指す先はアザレア学園の外壁に沿って存在する七つの鳥小屋だった。目的は寮兄や寮姉の下へ飛んでくる手紙を受け取る為だ。
鳥小屋の内部には無数の鳥獣達が羽を休めていて、そのすべてが魔獣だった。
獅子の如き鬣を持つもの、銀の鱗に覆われているもの、虹色の美しい尾羽根を持つもの、幽霊のように輪郭が虚ろなもの、闇よりも黒いもの。彼らは皆、使い魔だ。
この世界の空は人間のものではない。
無論、空を自在に飛び回る事が出来る人間もいる。飛行装置を開発した人間もいる。
ザラクの冒険のシナリオで登場するイグノス武国の『メタルディザイア』も、本来は前人未到の制空権獲得を目指して開発が開始されたものだと語られるシーンがあった。それでも、人は空を手に入れる事が出来ずにいる。
理由は単純明快だ。空を飛べるものとは、それだけで脅威となるからだ。
歴史上、人類は三度空に挑んでいる。そして、三度敗れている。
一度目は空を自在に翔け回る事が出来るほどの超越者が三千人もいた。初代魔王を打ち倒す為の策として、制空権を得ようとしたのだ。そして、彼等は初代魔王に挑む事すら出来ずに全滅した。『雷雲に潜むもの』と呼ばれる存在に襲われたのだ。ゲームでは『イソラ・ゼラス』という名でザラクが終盤に挑む難敵だ。
二度目は帝国が開発した一万を超える戦闘機による、領空を飛び交う魔獣の掃討作戦だ。その戦闘機は大きな戦果を齎した。けれど、一定の高度を超えた時、空に極光が降り注いだ。戦闘機はすべて消滅して、地上も焦土と化した。予め、皇帝が国民を地下シェルターに避難させていなければ、その時点で帝国は滅亡していた程の大惨事だ。その極光を放った存在は『成層圏を泳ぐもの』と呼ばれている。ゲームではシナリオクリア後にブリュートナギレスの山頂を訪れると戦う事が出来る相手だ。その名は『アルヴァトロス』。己の領域を侵すものを決して許さぬ天空の覇者だ。
三度目は最も悲惨な事件として語られている。二代目魔王の出現により、ラグランジア王国の人々は国外への避難を余儀なくされた。しかし、避難民の数が多過ぎた。地上を馬車で移動させていたのでは埒が明かず、飛竜船を使用する事になった。当時、世界各国の軍隊がラグランジアの人々を救う為に動き、空の避難経路を確保する為に尽力した。そして、彼等を空の魔獣達が襲いかかった。イソラ・ゼラスやアルヴァトロスのような規格外の魔獣ではなく、この鳥小屋の中にも居るような普通の鳥獣系魔獣が選りすぐりの精鋭達を翻弄し、飛竜達を撹乱し、その肉を啄んだ。パニックを起こして飛竜船から飛び降りた者も地上へ辿り着く前に肉を食い尽くされた。
三度に渡る惨劇によって、人類は空へ挑む事を半ば諦めている。
もっとも、完全に空を飛ぶ事が禁忌となっているわけではない。
王国の騎士達は飛竜に乗って空を飛んでいるし、飛竜船を使う貴族もいる。
イソラ・ゼラスやアルヴァトロスの領域を避け、魔獣の群れに近づかないように動ける機動力と避けきれなかった少数の魔獣を退けられる戦力を確保出来ていれば空を移動する事が出来るし、従属させた魔獣に頼めば手紙や物資を運んでもらう事も出来る。
とは言え、王国騎士団を配達員として使うわけにはいかないし、飛竜船には王国騎士団クラスの精鋭が最低でも十人以上必要となる。それ故に、手紙や物資の配達は鳥獣系の従魔に頼っているのが現状というわけだ。
「お疲れ様です」
フレデリカは遥々手紙を届けに来た八つの目を持つ巨大な蛾を労った。
ヴァラブランカという名の魔獣だ。
成人した人間と同程度のサイズで、目や手足は獣のような形をしている。
丸腰の人間ならば簡単に捕食出来る程度の力を持っているけれど、その能力は隠密に特化している。
今はこうして認識出来ているけれど、飛んでいるヴァラブランカは一切認識が出来なくなる。目で見えず、耳で聞こえず、肌で触れられず、魔力で探知する事も出来ない。
見た目で忌避する人も多いけれど、配達を任せる上ではこの上なく頼もしい魔獣というわけだ。
ヴァラブランカは器用に前足で手紙を渡してくれた。受け取ると王国騎士団流の敬礼のポーズを取り、去っていく。彼の主人は王国騎士団の一人で、その真似をしているらしい。
「お、おちゅかれさまです」
隣でローゼリンデも真紅の鳥から手紙を受け取っている。危害を加えられる事は無いと分かっている筈だけど、彼女は怯えてきっていた。けれど、それも無理のない事だ。ダリマルスフェルという名のその鳥は殺人鳥とも呼ばれるほど、多くの人間を殺して来た危険な魔獣だ。
人間を食べる魔獣は数あれど、人間を好物とする魔獣はそう多くない。ダリマルスフェルはその数少ない人間を好物とする魔獣の一種なのだ。
この魔獣の主人は冒険者らしい。ローゼリンデの寮姉は冒険者と繋がりを持っているらしく、他の生徒の下へ飛んでくる魔獣達と比べると奇怪であったり、禍々しくあったりする事が多かった。
「冒険者の従魔って、独特だよね……」
レネもあまりダリマルスフェルの事が好きではないようだ。
「冒険者は冒険先で従魔と契約を交わす事が多いんだ」
ザイリンが言った。
「彼等は人類の生存圏の外側で活動する者達だ。結界もなく、生息している魔獣の強さの上限も分からず、環境も一定ではない。そのような場所を探索する上で、その地の魔獣の力を借りる事は非常に有益だからな」
「従魔契約って、そんなにポンポン出来るものなの?」
アリーシャが首を傾げた。
「安全性を度外視すればな」
「どういう意味?」
「そのままの意味だ。従魔契約にはいくつかの方法がある。その中でも最も簡単かつ効率的な方法は戦闘で勝利する事だ」
魔獣には知性がある。そして、同時に強くなる事を求めている。
人間に隷属した魔獣は野生で生きる同族よりも遥かに大きな力を得る。それは人が魔獣を成長させる術を知っているからだ。そして、その事を魔獣達も知っている。
だからと言って、魔獣達が進んで人間に隷属する事はない。力で屈服させる事でようやく主従関係を結ぶ事に納得させる事が出来るわけだ。
「魔獣に力量を認められれば、従魔契約の魔法によってラインを繋ぐ事が出来る。もっとも、それだけで魔獣が言う事を聞いてくれるわけではないけどな」
「そうなの?」
「当然だ。魔獣にも意思がある。力量は認めていても、指示に従うかどうかは信頼関係によるものだと聞く」
その言葉を聞きながら、フレデリカは改めてローゼリンデを品定めするかのように見つめているダリマルスフェルを見た。
人間を好物として捕食する生き物と手紙の配達を任せられる程の信頼関係を得た人間がいるわけだ。考えてみると、これは一種の偉業だと思う。
「冒険者って、凄いんですね」
「ああ、凄い!」
ザイリンは瞳を輝かせた。
「彼等は勇敢だ。そして、自由だ。きっと、彼等が見ている世界と我々が見ている世界は違うのだろうな……」
どうやら、彼は冒険者に憧れているようだ。フレデリカは今度彼をクラブ棟にある『冒険者の食卓』へ案内してあげようと心に決めた。時々、冒険者を招いて話を聞いているとの事だから、きっと喜ぶだろう。
手紙を受け取った後は食事の手配だ。フレデリカは基本的に自分で調理を行っている。エシャロットが気に入ってくれている事に加えて、調理自体が楽しかったからだ。
転生前の祐希はお菓子作りが趣味だった。
幼い頃に見たアニメで主人公が大好物のスイートポテトをこれでもかというくらい美味しそうに食べているシーンを見て、自分も食べてみたいと思った。けれど、近所のケーキ屋さんやお菓子屋さんはスイートポテトを作っていなかった。何処にもないなら自分で作るしかないと考えた祐希は偶然近くを通りかかった焼き芋屋から焼き芋を買い、直感の赴くままに調理を行った。皮を剥ぎ取り、両手で力の限り握り潰した。今思うと豪快にも程があるけれど、それが人生で最初のお菓子作りだった。当然、味は純度100%の焼き芋だったけれど、とても美味しく感じた事を薄っすらと覚えている。
それからは事ある毎にお菓子を作った。最初はそれはもう酷い出来栄えだったけれど、当時の祐希は全く気が付かず、幼馴染の龍平を呼びつけては試食させていた。彼が家に来る度に覚悟を決めた顔つきをしていた理由を知ったのは随分と後の事だった。
龍平が砂糖と塩を間違えていても、粉がダマになって残っていても笑顔で完食してくれていたおかげで、祐希はお菓子作りを上達するまで楽しみながら続ける事が出来た。今思えば味見をしろと当時の自分に言い聞かせたくなるけれど、後の祭りだ。
ちなみに、一回目の失敗作は必ず龍平が完食していた。そして、自分の分まで食べた事に腹を立てて文句を言う理不尽極まりない当時の祐希に龍平は平謝りしながら必死になってアドバイスを送り、祐希が食べる時はそれなりの味に仕上がっているように頑張ってくれていた事も勘違いに拍車を掛けていた。
「……甘いなぁ」
「砂糖入れ過ぎたの?」
「ちょっとだけ……」
冴島龍平は文武両道な上に人格者。幼い頃から何でも出来る神童だった。唯一の欠点が優し過ぎる所という完璧超人。そんな彼だから、凪咲が恋をしたのも当然だと思ったし、二人が結ばれて幸せになる事は自然の摂理だと思っていた。
エルフランが凪咲だと判明した時、同時に思った事がある。もしかしたら、龍平も何処かに居るのかもしれないと。
会えるものなら会いたい。この世界には危険も多いから、目の届く場所に居て欲しい。
前は守ってもらうばかりだった。だけど、今なら守ってあげられる。
「……っと、完成」
そんな事を考えている内に料理が完成した。
今日の朝食のメニューはリベーラというウサギに似た姿をした獣の肉と七種類の野菜を卵で閉じたものだ。スインチリを混ぜ込んだ甘辛ソースをかけて完成。エシャロットは辛いものが苦手だから、混ぜたと言ってもほんのちょっぴりだ。
ほろ苦いラムールの葉を添えて、皿に埃が被らないよう銀の蓋を被せ、精霊に託す。最初は自分で運んでいたけれど、どうしても料理の形が崩れてしまうから彼等を頼る事にした。フレデリカの料理を運んでくれるのはいつも『トトス』という極彩色の羽をいくつも持つヘビだった。トトスは魔法で料理を完璧に保護しながらエシャロットの下へ運んでくれる。
「お願いしますね」
「ピギャ」
トトスは了解だとばかりに鳴いた。




