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第百二十五話『食料庫』

 フレデリカが目指した先は食堂だった。寮兄や寮姉に昼食を用意するという題目である以上、ここに来る以外の選択肢などそもそも無かった事にレネを始め、多くの生徒が気が付いて頭を抱えた。


「あっ、でもここには使用人がいないぞ」


 誰かが言った。


「そう言えば! 使用人がいないと料理を手配出来ないわ」

「フレデリカ様、どうするのかしら」


 人数が多く、誰が言ったか分からない状況だからか、フレデリカが間違えたのではないかという意見が聞こえてきた。その事に苛ついたエレインが睨みを利かせる前にアリーシャがフレデリカの下へ駆け寄った。


「フリッカ! ここには使用人がいないけど、どうする気なの?」

「作るのです。今の時間、使用人は洗濯場で職務中ですからね。邪魔はしたくありませんから」

「作るんだ! え、作れるの!?」


 驚いたのはアリーシャばかりではなかった。平民出の生徒の幾人かはなるほどと納得した様子を見せたけれど、大半の生徒は作るという発想が無かった様子だ。特に貴族の生徒は包丁を握った事もなく、料理とは命じて作らせるものという認識だった。


「それほど達者なわけではありませんが、わたくしはエシャロットに手料理を食べてもらいたいと思っています。ただ、料理の経験がない方は食堂のスタッフや精霊に頼む手もありますよ」


 フレデリカの言葉に安堵する者は少なかった。それよりも彼女の料理に興味が集まっていた。


「ち、ちなみに何を作るの?」

「それは使わせてもらえる食材次第ですね。とりあえず、厨房を借りに行きます」


 そう言うと、フレデリカは厨房に向かって歩きだした。

 その後ろ姿に、残された生徒達は顔を見合わせあった。


「ど、どうする?」


 ザイリンは困っていた。フレデリカに合わせようにも彼は料理を作った事がないからだ。


「フリッカが言ってたろ。作れない奴は作れる奴に頼めばいいってよ。わたしは作るけどな」

「わたしもつくるー!」

「が、がんばってみる」

「え?」


 なんと、エレインとアリーシャ、レネの三人はフレデリカと共に料理を作る気らしい。

 その事に一番衝撃を受けたのはザイリンではなく、ローゼリンデだった。彼女も料理を作った事がなかったからだ。けれど、自分だけ誰かを頼るというのはあまりにも情けない話だと思った。


「……作れもしないのに無理に作ろうとして、失敗作を寮兄に振る舞うわけにはいかないだろう」


 自分に言い聞かせるようにザイリンは言った。


「我々は素直に精霊を頼ろう」

「……で、でも」


 泣きそうになっているローゼリンデにザイリンは困った。

 自分達だけが困る分には問題ないが、下手な物を作れば、困るのは寮兄達だからだ。


「とにかく、我々の分はスタッフに依頼しよう。それから、姫様達の料理を横で見せてもらおうじゃないか。それで、自分でも出来そうだと思えたのなら学んでいこう」

「……うん」


 そのやり取りを見ていた他の料理が出来ない生徒達も頷きあった。

 その光景を横目に見て、ザイリンはやれやれと肩を竦めた。

 自分で考えて行動する。オリエンテーションの最終目標に全員が辿り着くのは難しそうだと思った。


「ロゼとザイリンも方針を決められたみたいだね」

「けど、ザイリンが答えを言っちまったからなぁ……」


 ロゼが困っている事には全員が気が付いていた。だからこそ、自分で決めてもらう必要があった。

 オリエンテーションをもっとも必要としているのは彼女だからだ。


「……とりあえず、食材を見繕いましょう」

「うん」

「おう」

「はい」


 フレデリカ達が厨房に入ると、そこには精霊のボンズが待ち構えていた。


「ボンズ!」


 フレデリカは愛しのボンズに瞳を輝かせた。


「フリッカ、ほんとにボンズ大好きだね……」

「まあ、面白い奴ではあるしなぁ」


 ふてぶてしい表情を浮かべるボンズにメロメロ状態のフレデリカをエレイン達は呆れたように見つめている。


『料理するんやろ? こっちにあるで』

「はい! ボンズ、良かったら味見をお願い出来ますか?」

『ええで』

「ふふふ、腕が鳴ります」


 ボンズはモフモフの大きな尻尾をフリフリと動かしてフレデリカを更に魅了しながら食材の保管庫へ案内した。保管庫には冷蔵庫や冷凍庫も並んでいた。


「なんだこれ? 金庫か?」


 エレインは冷蔵庫を見た事が無かったようだ。金属製の巨大な箱を見て、彼女は村長の家にある金庫を思い出していた。


「これは冷蔵庫ですよ、エレイン。カルバドル帝国で開発された機械です」


 カルバドル帝国はこの世界で初めて雷の力を利用する技術を確立した国だ。

 冷蔵庫以外にも、帝国が生み出した機械の数々はアガリア王国にも様々な恩恵を齎している。

 

「便利ではあるんだけどねぇ……」


 アリーシャは冷蔵庫を見て、眉を八の字にした。


「どうしたの?」


 レネに問い掛けられるとアリーシャは肩を竦めた。


「なんでもなーい」


 なんでもなくなさそうな態度だったけれど、レネはあまり追求するべきではない気がした。


『中の物を冷やせるんや』

「冷やす?」


 ボンズが冷蔵庫を開くと、中からヒンヤリとした空気が溢れ出して来た。


「うおっ!?」


 エレインは飛び退いた。


「あ? え? あっ! なるほど、そういう事か!」


 襲い掛かって来た冷気と冷蔵庫というネーミングを結びつけるまでにエレインは一拍を要した。

 けれど、その一拍で彼女は冷蔵庫という物を理解する事が出来た。


「……これ、魔法使ってねーの?」

『せやで』

「魔法で再現する事も出来なくはないがな」


 突然、食料庫に一人の男性が入って来た。


「だが、コストが段違いだ。冷蔵庫を含めて、帝国が生み出した機械は電力をエネルギー源としているわけだが、これは自然の力を利用する事でほぼ無限に補充する事が出来る。原理は公開されているが、実に奇妙奇天烈摩訶不思議だ。だが、帝国の科学技術を学んでいくと、今度は魔法の存在に疑念が生じる。だが、どちらにも再現性があり、魔法も科学の一分野に過ぎないのではないかというのが通説になって来ている。しかし、魔法は概念的であり、精神的であり、物理が主体たる科学とは相反するものとも思える。科学とは何か、魔法とは何か、電力とは何か、魔力とは何か、これを知る為に生涯を捧げた研究者は幾人もいる。しかし、解明には至っていない。だが、切り口が無い事もないのだ。何故なら、魔法で電力を生み出す事が可能だからだ。実際に魔法で生み出した電力を用いて機械を動かす実験は成功している。ならば、電力から魔力を生み出す事も可能なのではないか? 実際、風の力から生み出した電気で風を生み出す事は可能であるし、熱の力から生み出した電力で熱を生み出す事も可能だ。現状、電力から魔力を生み出す為のアプローチは確立されていないが、確立出来た暁には電力と魔力の真相に迫れる筈だとわたしは考えている」


 いきなり現れて、いきなり長々と喋り始めた男にエレインはそっと距離を取った。


「冷蔵庫を魔法で再現する為には魔力の結晶が必要となる。魔力には生命体由来の物と無機物由来の物があり、電力との比較ならば無機物由来の魔力を用いるべきだろう。一定の温度になるよう、常時温度を調整しながら冷気を放ち続けるよう術式を組む事も可能であり、これは冷蔵庫に用いられている配線などの機構と変わらず、むしろ資材を必要としない分だけ優れているとさえ言える。だが、問題は持続時間だ。ほぼ無限である電力と比べ、無機物に宿る魔力には限りがある。種類にもよるが、魔鉱石の中でも魔力含有率の高いオルメニウムでさえ、冷蔵庫を稼働させ続ける事は一ヶ月程度が限界だろう。魔力を維持する能力を失うわけではないから補充する事は可能だが、それでは無限の電力には到底及ばない。今後、魔力を無限に生み出す方法が生まれるかもしれないが、現状では冷蔵庫のように半永久的に動き続ける機械は電力を頼みとするほかないわけだ」


 そこまでを一気に語り切った男はフレデリカの前で跪いた。


「お初にお目に掛かります、レディ・フレデリカ。恐れ多くも、貴女に魔法科学を教える栄誉を頂きました、ロペス・アリグーリで御座います。どうぞ、お見知りおきを」

「御丁寧にありがとうございます。アリグーリ先生の授業を楽しみにしています」


 それは本心だった。

 オブリビテーク図書館での経験から、魔法は科学を超越していると感じているけれど、それはフレデリカが転生前の世界で学んだ範囲での話だ。科学とは、そもそも未知を既知に変える為の探求を意味する言葉であり、魔法を科学する事を否定する気など毛頭無い。むしろ、とても興味のある学問だった。


「ありがたき幸せに御座います。さて、ここに来たという事は料理を作るおつもりですかな?」

「ええ、その通りです」

「であれば、使いたい食材をお聞かせ願いたい。好き放題に持って行かれては困りますのでね」


 ついさっき跪いたばかりの相手に対して、少々棘のある言い方だった。けれど、最もな言葉だとフレデリカは感じた。ここに保管されているのは、本来は食堂で出される料理の為のものだ。オリエンテーションの為と言えど、在庫には限りがある。


「では、カノスかハレなどはありますか? あと、添え物としてアリファの葉とハズミの根、スインチリもあったら欲しいのですが」

「……ええ、全て御座います。しかし、昼食には少々過激な組み合わせですな」

「それは味付けによりますよ」


 フレデリカはそれから更にいくつかの材料といくつかの調味料をアリグーリに注文した。

 その内容にアリグーリはフレデリカがきちんと料理の知識を持っている事に気付き、表情を和らげた。

 その様子を見て、恐らくは以前に食材を無駄にされた過去があるのだろうとフレデリカは推測した。


「わたくしは以上です」

「じゃあ、次はわたしの番だ! グリーフとボレフ、あと芋だな。それからトマトも欲しい。調味料は塩とカリスの粉あるか? ギュースもあるといいんだけど」

「全て十分な在庫がある。持って行くといい。だが、時間は大丈夫かね?」

「そこは裏技があるんだ。問題ない」

「ほほう」


 エレインがアリグーリから頂戴した食材を見て、フレデリカはいくつかの料理を想像した。どれもアリグーリが心配した通り、少々調理に時間が掛かるものばかりだった。けれど、その難点を解決する秘策が彼女にはあるらしい。


「次わたし! 卵とトマトと鶏肉と米と玉ねぎとパセリと塩胡椒とバター!」

「オムライスですか」

「オムライスかよ」

「オムライスだな」


 アリーシャが選んだのはみんな大好きオムライスだった。


「美味しいからね! っていうか、二人は気合入れ過ぎじゃない?」

「……いや、まあ」

「一発目だしな……」


 アリーシャもフレデリカとエレインが作ろうとしている料理に見当がついていた。

 

「昼食は時間が迫ってるし、夕食から気合を入れる方がいいと思うよ?」

「……それはそうなのですが」

「ただなぁ……」


 フレデリカとエレインは顔を見合わせた。


「昨日の事があるから、(ねぎら)いたいと言うか……」

「大変だったもんなぁ……」


 はてなマークを浮かべているアリーシャを尻目に、昨日は大忙しだった自分達の寮姉を思い浮かべる二人。やはり、少しでも気合の入った料理で元気を出してもらいたいと思うのだった。

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