第百二十二話『エルフランの決意』
アルはわたしとエルを中央塔の傍にある建物の応接室に招き入れた。
どこか見覚えがある気がする。キョロキョロと部屋を眺めていると、ここが夜会の日にシヴァやルミリアと引き合わせられた部屋である事に気が付いた。そう言えば、今朝は慌てて部屋を飛び出して来たからシヴァに貰った剣に変わる腕輪を置いて来てしまった。アルに見られないようにこっそりとキャビネットに仕舞い込んでいた。なんとなく、他の男から貰ったアクセサリーを身に着けている所を彼に見られたくなかったからだ。正直、あまり身に着けていたいものではないけれど、放ったらかしておく訳にもいかない。後で取りに行って来よう。
「二人共、そこに座ってくれ」
「うん」
「はい」
中央に並んでいるふかふかなソファーにエルと一緒に座ると、対面にあるソファーにアルも腰を降ろした。
横目でチラリと見ると、エルはとても不安そうな表情を浮かべていた。視線を下ろすと手が震えている事にも気が付いて、そっとその手を掴む事にした。
「大丈夫だよ、エル」
「……うん」
冷たく強張っていた手がじんわりと温かくなっていく。緊張を解す事が出来たみたいだ。
ホッとしていると視線を感じた。
「ウキィ」
ずっとエルに抱き抱えられたままの獣王ヴァイクがわたしを見ていた。
エルに馴れ馴れしい態度を取った事に怒っているのかと思ったけれど、そういう雰囲気でもない。
ただ、ジーッとわたしに視線を投げかけている。
「どうしたの?」
エルもヴァイクの視線の向きに気が付いたようだ。彼女が頭を撫でながら問い掛けると、ヴァイクは彼女の胸に顔を埋めた。
こう見ると、恐ろしい筈の獣王が愛らしい赤ん坊のように見えてくる。
「……撫でてもいい?」
「ヴァイクを? うん!」
エルにお礼を言いながらヴァイクの背中を撫でみるとむず痒そうに体をよじった。ちょっと強めに撫でてみると「ウキィ……」と気持ち良さそうに鳴いた。
「可愛いね」
「うん!」
ヴァイクはとても可愛かった。
「……どうしたの?」
エルに問い掛けられてもすぐに答えられなかった。
喉が詰まって、上手く声が出せなかったからだ。
「ごめんね」
わたしは何度もヴァイクに敵意を向けて来た。その事がとても罪深い事だったのだと、撫でている内に気が付いた。この仔に邪気など一欠片もない。
「ごめんね……」
アルは気付いていた。だから、魔王再臨を使おうとしたわたしを止めた。
この仔を傷つける事は赤ん坊を傷つけるようなもの。あまりにも悍ましい悪魔の所業だ。
「ウキィ」
ヴァイクの長い尻尾がわたしの顔を叩いた。痛みはない。とても優しく、目元をポンポンと叩かれた。
涙を拭ってくれた事に気が付いて、また涙が溢れ出した。
―――― 『獣王は賢く、そして、優しい王だ』
アルが言っていた通りだ。
「よしよし」
「……エル?」
頭を優しく撫でられた。子供扱いするなと何度も言っているのに……。
「エルフラン」
しばらく撫でられているとアルがエルの名前を呼んだ。彼女と一緒に彼を見ると、凄い顔をしていた。まるで甘柿と間違えてウッカリと渋柿を食べてしまったかのようだ。
「ア、アル……?」
「ど、どうしたの……?」
アルは深く息を吐いた。すると、徐々に表情が元に戻っていく。
「エルフラン。一応言っておく。フリッカはボクのお嫁さんだ」
「……知ってるけど?」
エルが目を細めながら言うと、アルの目も据わり始めた。
「理解しているのならばそれで良い。友達として、存分にフリッカと友情を温めてくれ」
「……言われなくてもそうするよ」
二人の間に火花が散っている。
エルにアルはわたしの婚約者だから好きにならないで欲しいと頼もうと思っていたのに、なんだか妙な事になってしまった。
「ねえ、どうして?」
イライラした様子でエルは問い掛けた。
「どうして、そんなに余裕がないの?」
「……どういう意味かな?」
アルも苛立っている。それが凄く嫌だ。胸が苦しくなってくる。
二人に争って欲しくない。
「ふ、二人共、落ち着いてよ!」
わたしの言葉に二人は開きかけていた口を噤んだ。だけど、それだけだ。
お互いの視線はぶつかりあったまま。言葉無き静かな闘争が続いている。
「ねえ、フリッカ」
「な、なに?」
沈黙を破ったのはエルだった。
「アルの事が好きなんだよね……」
「……うん。愛してる」
わたしの言葉にアルは赤くなった。そして、エルは下唇を噛み締めた。
「そう、だよね……。うん。見てたら分かる。分かるよ……」
「エル……?」
「見てるだけで分かる事が、いつか賢王になる君に分からない筈がないよね?」
エルの言葉にアルは小さく「ああ……」と答えた。
「分かっているよ。フリッカはボクを愛してくれている」
「だったら、疑わないでよ」
エルは鋭い口調で言った。
「フリッカの愛を疑わないで!」
その言葉はわたしにも突き刺さった。
「……疑っているわけじゃない」
そうだ。疑っているわけじゃない。アルはわたしを愛してくれている。今も、これからも。
だけど……、
「だけど、不安になってしまうんだ」
愛してくれる彼は、わたし以外からも愛される人だから。
「ボクよりもフリッカの隣に立つべき者が他にいるんじゃないかって……」
わたしは彼に相応しくなく、彼から愛されてはいけないのではないかと不安になってしまう。
「すごくみっともない事を言ってるよ?」
「……分かってるよ」
分かっている。とてもみっともない。
「ボクは彼女に相応しい人間で在り続ける。他の誰にも負けない。彼女が愛するべき者はボクだけだと誰も彼もに認めさせる。そう出来ないなら、やはりボクは彼女に相応しくないという事だ」
頭では分かっているんだ。
「だけど……、だけど、君は魅力的だ」
アルの言葉にエルは目を丸くした。わたしも目を丸くした。
「君はフリッカにボクが知らない表情をさせる。君を愛する事が、フリッカにとって一番の幸福なんじゃないかって、不安になってしまうんだ! 情けない事を言っている自覚はあるさ。だけど……」
アルは悔しそうに呟いた。
「君はフリッカがわたしを愛したら身を引く気なの?」
「……フリッカの幸福がすべてだよ」
「だったら、幸せにしてあげてよ」
エルは言った。
「……アル。そこまで言うなら、フリッカを幸せにしてあげて」
その言葉にアルは大きく目を見開いた。
わたしには分からない。だけど、二人の間で何かが通じ合ったように見える。
「ああ、必ずね」
そう言うと、アルは深く息を吐いた。
「そろそろ朝食の時間だ、本題に入ろう。入学時に渡されたカリキュラムに目は通しているね? オリエンテーションが終わった後、使い魔召喚の儀式が行われる。そこで、君には獣王を召喚してもらい、使い魔にしてもらう」
「ヴァイクを使い魔に……?」
エルは目を丸くした。わたしにとっても寝耳に水だった。
使い魔召喚の儀式はオリエンテーション終了後に行われる一大イベントだ。新入生は寮兄や寮姉に見守られながら使い魔を召喚する事になる。既に使い魔を使役している場合は免除されるけれど、基本的には強制参加だ。
使い魔の種類は多種多様で、動物や魔獣の他にも魔族や人が召喚される事もある。ただし、彼らには共通している点が一つある。
「それって、可能なの?」
わたしの疑問をエルが口にした。
使い魔召喚の儀式は霊王レムハザードが構築した死霊系の儀式魔法であり、使い魔の共通点とは死霊である事なのだ。
この事はゲームでは語られていなかった。だけど、カリキュラムにはしっかりと記載されていた。
「可能だよ」
アルは断言した。
「使い魔召喚の儀式には複数の術式が組み込まれている。その中で契約の術式だけを取り出した魔法陣を叔父上が準備して下さっているんだ」
「叔父上って……」
「オズワルド・アガリア猊下の事だよ」
「オズワルドって、あの人が!?」
エルがギョッとしている。気持ちは分からないでもない。実は転生者だったり、実は元初代魔王の片腕だったり、歴代勇者と交戦していたり、経歴だけを聞いていると信用する事が難しい人だ。
けれど、あの方は生まれた事を罪とする事を許さぬ人だ。
―――― 覚えておきなさい、レディ・フレデリカ。罪とは行動によってのみ生まれるものなのです。あなたが魔王の力を裁かれる時が来たのなら、それはあなたが自らの意思で魔王の力を悪用した時です。
あの言葉を聞いて、わたしはオズワルド猊下を信頼に値する人物だと強く確信する事が出来た。
「使い魔として使役されている存在だと認知されれば、ある程度は学園の者達の警戒心を下げる事が出来る。その後は君次第だ」
「わたし次第……?」
「君がヴァイクを脅威ではなく、愛すべき存在であると皆に知らしめるんだ」
「みんなにわたしが……」
エルはヴァイクを見つめた。ヴァイクもエルを見つめ返している。
「この学園に集う生徒達の多くはアガリア王国の未来を担っていく者達だ。彼らの認知を変える事は獣王と君が共に生きていく上で大きな一歩となる。楽な道では無いけれど、ヴァイクとの未来を得る為には必要な事だ。やれるね?」
「……やれる」
エルの答えにアルは微笑んだ。
「ヴァイクと一緒にいる為なら、何でも出来る!」
「その言葉を聞いたのはボクだ。アガリア王国の皇太子に対して宣言したからには、何がなんでもやり遂げろ。その為の協力は惜しまない」
アルの言葉にエルは大きく頷いた。
そして、ヴァイクを持ち上げた。目線を合わせて、彼女は獣王ヴァイクに宣言した。
「わたしはやり遂げる! ヴァイクと一緒に生きていく為に!」
「ウッキィー!」
ヴァイクは嬉しそうに鳴いた。




