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第百二十一話『真実はいつもそばに』

 変な夢から覚めた途端、部屋全体が揺れてベッドから転げ落ちた。


「な、なになに!?」

「どうしたの!?」

「何事だ!?」

「……むにゃ?」


 ルームメイト達も起きたようだ。真っ先にベッドから飛び出したイザベルは外の様子を確認する為に窓へ向かった。そして、目を見開きながら何かを呟いた。

 その声はとても小さかった。誰かに聞かせる為ではなく、無意識に漏れ出たものらしい。

 未だに夢と現実の狭間で右往左往している他のルームメイト達の耳には届いていない。けれど、わたしの耳にはしっかりと聞こえていた。


 ――― 『なっ……、獣王だと!?』


 獣王が何を示す言葉なのか、わたしはよく知っている。

 ヴァイクが来た。その事を理解した瞬間、わたしは居ても立っても居られなくなって、部屋を飛び出した。頭の中は真っ白で、とにかく急がなきゃと思った。

 リード寮の塔を出て、人が集まり始めている所に向かっていくと、そこには既に物々しい雰囲気が漂っていた。

 脳裏にエリンの光景が浮かんでくる。


「ヴァイク!」

「ウキーッ!」


 わたしはヴァイクを呼んだ。一刻も早く、ここからヴァイクを遠ざけるべきだと思ったからだ。だけど、飛んで来るヴァイクとわたしの間に騎士の人達が割り込んで来た。


「あっ……」


 その行動に対して、わたしは疑問を抱かなかった。無知だった頃のわたしには分からなかったと思う。だけど、今は騎士が如何なる存在なのかを知っている。彼らは脅威(ヴァイク)から生徒(わたし)を守る為に命を捨てる覚悟で飛び込んで来たのだ。

 そういう人達なのだ。自分以外の誰かの未来を守る為に自分を犠牲に出来てしまう。それが騎士なのだと、彼らの在り方を散々見せられて来た。

 

「……大丈夫だよ」


 とても気高くて、とても優しい人達。だからこそ、知って欲しいと願ってしまう。

 ヴァイクは騎士達の頭上を飛び越えた。騎士の一人が剣を振り上げても、その剣を優しく逸して騎士を傷つけなかった。


「……そうか、君は」


 ヴァイクがわたしの腕の中にすっぽりと収まると、騎士の一人がわたしを見て呟いた。


「大丈夫です」


 わたしはヴァイクを抱きしめながら言った。


「ヴァイクは優しいんです」


 ヴァイクは獣王。だけど、とても優しい子。その事を彼らに知って欲しい。

 災厄を振り撒く悪魔としてではなく、ありのままのヴァイクを見て欲しい。

 我ながら、我儘にも程があると思う。それでも、そう願ってしまう。


「……そう、ですね」


 ヴァイクに剣を振り上げた騎士が呟いた。その言葉には罪の意識が滲んでいた。殺意のないものに殺意を向けてしまった事を悔いている。その清廉さを理解出来ないものとして怖れた事がある。今も我欲ばかりのわたしには眩し過ぎると、目を逸らしそうになる。

 

「ヴァイクがみんなを驚かして……、ごめんなさい」

「ウキィ……」


 わたしが頭を下げると、ヴァイクもちょこんと頭を下げた。

 その姿を見た騎士達は言葉を失ったかのように動かなくなってしまった。


「すまない、通してくれ」

「ア、アルヴィレオ? それに、フリッカ……」


 心配になって声を掛けようとしたら、アルヴィレオとフレデリカが近付いて来た。

 

「彼女達の事はわたしが預かる。君達は生徒達への対応を頼む」

「かしこまりました、殿下」


 アルヴィレオが声を掛けると、騎士の一人が動揺した素振りを全く見せずに返答した。そして、わたしを一瞥すると小さく頷いてから周囲の生徒達への対応を始めた。

 その頷きの意味をわたしは考えた。騎士達はみんな仮面を身に着けている。だから、表情から判断する事は出来ない。ただの会釈だったのかもしれない。だけど、もしかしたら分かってくれたという意味の頷きだったのかもしれない。彼らの背中を見つめながら、わたしはそうであって欲しいと思った。

 

「エルフラン・ウィオルネ。ついて来てくれ」

「え、えっと……」


 意識を騎士達に向けていたから、急に話し掛けられて飛び上がりそうになった。


「獣王の処遇について話がしたいんだ。ただ、ここでは話し難いのでね」

「う、うん」


 アルヴィレオが歩き出した。ついて行こうとして、フレデリカが立ち止まったままである事に気が付いた。物憂げな表情を浮かべていて、なんだか心配だ。


「フリッカ、大丈夫?」

「え? え、ええ、問題ありませんよ」


 問題が無いようには見えない。

 わたしを見つめる彼女の瞳には複雑な感情が渦巻いているように見えた。 


「……エル。ちょっと、獣王の事とは別に話がしたいんだけど、いい?」

「え? う、うん。もちろん!」

「ありがとう」


 何故だろう? 決意を固めたような彼女の表情を見て、奇妙な焦燥感に襲われた。まるで、背後から恐ろしいものに迫られているかのようだ。

 

「行こう」

「……うん」


 彼女と手を繋ぐと、なんだか懐かしい気分になった。

 わたしは覚えていないけれど、きっと同じように手を繋いで歩いた事があるのだろう。

 だけど、少しだけ違和感がある。


「行こう」


 わたしは彼女を追い越した。なんとなくだけど、それが自然な気がしたからだ。


「あっ……」


 すれ違いざまに彼女の瞳が揺れた気がする。

 彼女の手を引いて、わたし達よりも少し背の高い男の子の後を追い掛ける。

 だって、彼はいつも勝手気ままで、この子は目を離すと好奇心のままに突っ走ってしまう。

 わたしがシッカリしていないといけないのだ。

 だから、バシッと言ってやらないと!


「はやいよ、龍平! 祐希の歩幅を考えて!」

「……え?」

「ん?」

「あれ?」


 自然と飛び出して来た言葉に目を見開いた。

 アルヴィレオとフレデリカもポカンとした表情を浮かべている。

 

「凪咲……?」


 フレデリカが戸惑うように呟いた。

 たしか、それが記憶を失う前のわたしの名前だとフレデリカは言っていた。


「……祐希というのは、フリッカの事かい?」

「え?」


 そうだ。祐希はフレデリカだ。彼女自身がそう言っていた。

 

「……あれ?」


 わたしは今になって、その事実に疑問を抱いた。

 

「それって、どういう事……?」


 今まで、どうして気にならなかったのか分からない。

 

「ねえ、フリッカ……。祐希って、なに?」


 ニックネームとは思えない。

 そもそも、その名前にしても、わたしのものらしい凪咲という名前にしても、なんだか、この世界に合っていない気がする。


「フリッカ……」


 考えれば考える程、わけが分からなくなってくる。


「……わたし達って、どこにいたの?」

「話すよ」


 彼女は言った。


「君が知りたいなら、すべてを」

「……わたしは」

「ただ、一つだけ言っておくよ」


 彼女はとても哀しそう表情を浮かべた。

 

「君は後悔する。必ずね」

「……必ず?」

「うん。わたしは何度も思ったよ。覚えていなければ良かったのにって……」

「フリッカ……?」


 彼女は辛そうに言った。


「……ただのフレデリカとして生まれたかった」


 そう言って、涙を零した。


「フリッカ!」


 気付いた時には彼女を抱き締めていた。

 名前の違和感なんてどうでも良くなった。彼女が泣いている。だから、慰めてあげないといけない。その事で頭がいっぱいになった。


「……大丈夫だよ、エル」


 彼女はわたしをそっと抱き締めると、そう言った。


「辛かったけど、わたしには兄貴とアイリーンがいた。それに……」


 彼女の瞳は苦痛に耐えているような表情で両手を固く握り締めているアルヴィレオの姿があった。


「アルと出会えた」


 その言葉に胸がズキンと痛んだ。


「わたしはこの世界に居場所を持てた。そして、エル。君にも居場所があるだろ?」


 その言葉と共に浮かんで来たのはアンゼロッテとヴァイクの姿だった。

 わたしが頷くと、彼女は微笑んだ。


「わたしはフレデリカ。君はエルフラン。だから、どうしても知りたければ教えてあげるよ。必ず後悔するし、すごく悲しむと思うけど、乗り越えられると思うから」

「……居場所があるから?」

「うん」


 わたしは迷った。以前にも真実を教えてもらえる機会があった。夜会の日にジョーカーとカザリから教えてもらう事も出来た。けれど、その時は真実を知る事に対する恐れが勝った。

 今も恐れている。居場所があるから乗り越えられると言ってもらえたけれど、それは居場所がなければ乗り越えられないような事という事だ。

 

「今すぐに決めなくてもいいと思う」


 その言葉を発したのはアルヴィレオだった。


「君にとっての居場所はアンゼロッテやヴァイクなのだろう。だけど、ボクやフリッカも君の居場所になれると思う。他にも、この学園で過ごす中で君の居場所になってくれる人と出会える筈だよ。君が迷いの森の中だけではなく、この世界で生きていたいと心から思える日がきっと来る。真実を知るのはその時になってからでも遅くはない筈だ」


 その言葉にフレデリカも頷いた。


「今でもいいし、明日でもいい。来年でも、そのずっと先でも、君が聞きたい時に聞けばいい」


 彼女はわたしの手を取った。


「ずっとそばにいるから」

「……うん」

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