第百二十話『嫉妬』
中央塔を出て、煙が上がっている方向に向かって行くと既に多くの生徒達が集まって来ていた。彼らは警備の騎士達に足止めされているようだ。
「何が起きてるのかな?」
「分からない。ただ、かなり大きな爆発だったからね。それが魔法によるものにしろ、爆発物によるものにしろ、原因は掴んでおきたいね」
「だよなぁ」
集まって来ている生徒達の多くは上級生だった。彼らも困惑している。つまり、この事態は日常的なものではないという事だ。警備の向こうには教職員の姿もあるけれど、何故か一定のラインで踏み留まっている。
わたしは魔王再演で視力を強化した。魔王の眼力は千里の距離も1とする事が出来る。そして、見た。
「あっ……」
そこには一匹の獣がいた。
「じゅ、獣王ヴァイク!?」
「え?」
まさに爆心地と呼ぶほかないクレーターの中心に獣王がいた。以前に見た時よりも小さいけれど、あの姿形に見間違いはない。
あの爆音は魔法や爆薬によるものではなく、獣王が襲来した事を告げる音だったらしい。
「……ごめん、アル。昨日の今日でアレだけど、アレに対処出来るのはわたしだけだ」
戦闘になるとは限らない。けれど、戦闘になる場合はわたしが出張るしかない。
「ダメだ」
「でも、アル!」
王に挑む事が許される存在は勇者をおいて他にいない。けれど、その勇者が不在の今、対抗する力を持っているのは魔王の力を有しているわたしだけだ。勝てないまでも、みんなが逃げる時間を稼ぐ事は出来ると思う。
「ダメだと言ったぞ。ボク達がここに来るまで、獣王は動いていない。おそらく、待っているんだ」
「待っている……?」
その答えはすぐ後に現れた。
「ヴァイク!」
リード寮の方角から走ってくるエルフランの姿があった。
「あっ、そっか……」
どうやら、わたしは寝惚けていたようだ。獣王が動く理由など、彼女以外にあり得ない。
彼女が駆け寄っていくと騎士達が止めようと動いた。
「ウキーッ!」
その様子を見て、ヴァイクが動いた。
まずいと思った。例え、その気が無かったとしても獣王の一挙手一投足は生命を脅かす破壊の力だ。
このままでは騎士達が殺されてしまう。
魔王再演では獣王を止められない。だけど、魔王再臨は間に合わない。
「大丈夫だよ」
「え?」
焼け石に水でもヴァイクを魔王再演で使える結界に包もうとした瞬間、アルの言葉で手が止まってしまった。
致命的なミスを犯した。慌てて意識をヴァイクに戻す。すると、騎士達は殺されていなかった。
「あ、あれ……?」
「獣王は賢く、そして、優しい王だ。自分の行動によって、幾度もエルフランの心をかき乱してしまった事を悔いている。同じ過ちを何度も繰り返したりはしないさ」
「……詳しいんだね」
なんだか、モヤッとした。
「フリッカ?」
「なに?」
つい口調が固くなってしまった。良くない態度だと分かっているのに抑える事が出来ない。
相手はアルなのに、好きな人なのに、どうしてかムカムカしてしまう。
自分で自分が分からない。あまりにも不可解だ。
「……もしかして、嫉妬したのかい?」
目を見開きながら問い掛けられて、わたしは言葉を詰まらせた。
嫉妬。その言葉の意味は知っている。アニメやドラマで嫉妬に駆られる主人公やヒロイン達の姿を幾度も見た事があったし、凪咲や龍平に注がれるモテナイ男女の僻みの眼差しを傍で見た事も一度や二度じゃない。
けれど、わたし自身が誰かに嫉妬した事など一度足りとも無かったと思う。
一番好きな勉強は学年どころか全国模試でもトップを取れていたし、苦手な運動はもうそういうものとしてキッパリと諦めていた。色恋にも疎くて、凪咲が龍平に告白した時はちょっと不安になったけれど杞憂に終わった。友達もいっぱい居て、家族仲も極めて良好。要するに、前世のわたしは人生に満足していたわけだ。
今世においても嫉妬とは無縁だった。そもそも、人と出会う機会が無かった。普段接する人はみんな前世のわたしよりも年上の大人ばかりで、初めて出会った同世代の人間はアルだった。
ウルトラスーパーハイスペックダーリンである所のアルに対しても嫉妬した事などこれまで一度としてなかった。ただ、彼が凄い一面を見せてくれる度に嬉しくなるばかりだった。
そのわたしが嫉妬?
「いやいや、嫉妬なんてそんな事あるわけ……」
「ボクが彼女に纏わる事を詳しく知っているものだから、嫉妬したんだろう?」
否定しようとしたわたしの耳元で彼は囁くように言った。
意地悪な言い方なのに、嫌な気分が一切湧いて来ない。ただ、少しだけゾクゾクした。
前々から思っていた事だけど、アルにはサディストな一面がある。そして、わたしはそんな一面にも魅力を感じてしまう。
不思議だ。以前までは痛い事が苦手だった。意地悪される事も嫌だった。それなのにアルが相手となるとむしろ痛くして欲しくなる。意地悪されても嬉しくなってしまう。
「……うん。嫉妬した」
「心外だな。ボクが目移りする男だと思っているのかい?」
責めるような口調にドキドキしてしまう。
「……殿下、お楽しみの所を恐縮なのですが」
いきなり背後から声を掛けられて飛び上がりそうになった。
振り返るとジョーカーがいた。
彼は七英雄であるレッドフィールドの末裔であり、アルの側近でもある。
「獣王への対応について、騎士達が指示を求めています」
「ボクに?」
「学園長からの指示です。獣王に対しては殿下の方が的確に判断を下せるだろうと」
「……なるほど」
アルは表情を引き締めた。
さっきまでのサディスティックな表情も悪くなかったけれど、こういうキリッとした表情も実に良い。
「ついて来てくれ、フリッカ」
「お供致します、殿下」
ここからは公務の時間だ。わたしも切り替えなければいけない。
それなのに、アルは仏頂面になってしまった。
「公私は分けなければいけませんよ、殿下」
「……ああ」
こういう部分はいつまで経っても変わらない。わたしがよそよそしい態度を取る事が我慢出来ないというわけだ。それがまたグッと来る。
皇太子として、そして未来の王としては直していくべき点なのだけど、もう少しの間だけはこの子供っぽい部分は矯正しないでいて欲しい。それは紛れもなくわたしが恋した彼の大切な一面なのだから。
「急ぎましょう。エルフランも困っています」
現在、エルフランと騎士達は睨み合うような状態になってしまっている。
どちらも対応を決めかねているようだ。
「すまない、通してくれ」
アルの一言で人垣が割れた。視線が一斉に集まってくる。その中を彼は涼しげな表情で進んでいく。
後に続きながら、その凛々しい有様に思わず見惚れていると彼の背中が止まった。
「ア、アルヴィレオ? それに、フリッカ……」
「彼女達の事はわたしが預かる。君達は生徒達への対応を頼む」
「かしこまりました、殿下」
騎士達の中で最も位の高そうな騎士が代表として返答すると、彼らはすぐにアルの指示通りに生徒達への対応を開始した。
驚くべき点はやり取りの短さだろう。事情などの説明もなく、アルは簡潔な指示だけを出して、騎士達は疑問を呈する事なく速やかに実行に移した。そこには確かな信頼関係が見て取れた。
騎士達がアルの判断こそ最善であると信じているだけではなく、アルもそれだけの指示で騎士達が動いてくれると信じていたからこそだ。
「エルフラン・ウィオルネ。ついて来てくれ」
「え、えっと……」
だけど、残念ながらアルとエルの間に騎士達程の信頼関係は築けていなかったようだ。
その事にホッとしてしまう。
エルは凪咲だ。わたしにとって、大切な友達であり、たった一つの前世の繋がりだ。
だけど、もしも彼女にアルを取られたら、わたしは冷静ではいられなくなるだろう。
あり得ないとは言い切れない。ゲームでは、エルフランがフレデリカからアルヴィレオを奪い取ってしまう。その未来に至る可能性は今でもゼロじゃない。
わたしはさっき、嫉妬という感情を知った。自覚するまで、わたしは自分を抑える事が出来ていなかった。そして、自覚した今、わたしはずっと気になっていた事に対する解答を得た。
エルに対して、わたしは距離を詰める事が出来ずにいる。もう二度と会えないと思っていた親友との再会なのだから、普通はもっと積極的に関わろうとする筈だ。彼女の為に出来る事を考えて、最大の努力を払うべきだろう。それなのに、結局夜会の日以来、ほとんど彼女と関わって来なかった。
出来なかったわけではない。わたしがその気になれば、いくらでも機会を設ける事が出来た筈だ。
わたし自身の事なのに、あまりにも不可解だった。その答えが今なら分かる。
要するにわたしはエルがアルを奪っていくのではないかと恐れているのだ。
「フリッカ、大丈夫?」
「え? え、ええ、問題ありませんよ」
自己嫌悪に苛まされているわたしにエルが心配そうな表情で声を掛けてくれた。
その優しさに対してさえもモヤモヤしてしまう。このままではダメだ。
「……エル。ちょっと、獣王の事とは別に話がしたいんだけど、いい?」
「え? う、うん。もちろん!」
「ありがとう」
呆れられるかもしれない。怒られるかもしれない。引かれるかもしれない。
だけど、わたしの中に生まれた嫉妬心はわたしの意思だけでどうにか出来るものではない気がした。
彼女を知っている。それだけで我を忘れかけるほど、わたしは嫉妬深いようだから、その嫉妬の炎を彼女に向けてしまう前に話がしたい。
別にアルを取らないで欲しいとか言う気はない。ただ、わたしの心を知っておいて欲しい。
そうしなければ、きっと、わたしはいつまで経ってもエルと昔のような関係に戻れない気がするから。




