第百十四話『怒りのアルヴィレオ』
ミリアルの一件で反省したばかりだと言うのに、頭の中はゲームのシナリオの事でいっぱいだ。
なにしろ、アラン・スペンサーとオブリビテーク図書館の天使は『エルフランの軌跡』のメインストーリーに深く関わる重要人物達であり、ミリアルと違ってゲームでは破滅の道を辿ってしまった二人だからだ。
アランはラスボスであるファルム・アズールと繋がっている。彼はアズールが組織している宗教組織『アルゴニアセクト』をアザレア学園内に広め、密かにアズールの信奉者を増やしていた。その手口が実に巧妙で、アルヴィレオでさえも全貌を掴む事が中々出来ずにいた。
彼のやり口はこうだ。最初、端正な顔立ちと持ち前の色気によって多くの少女を虜にしていた彼は組織の紋章をあしらったアクセサリーを手当たり次第にバラ撒いた。不特定多数の人間を纏め上げる上で同じ記号を身に着ける事は非常に有効な手段であり、彼がいよいよアルゴニアセクトの勧誘を開始した時にも大いに役立つ事になった。
―――― 御覧よ。ほら、彼女の鞄にもあるだろう。そこの彼のベルトにも、彼女の髪飾りにも。アレが僕達の紋章さ。
その言葉は孤独を感じている者に程、よく突き刺さった。
アザレア学園は王国の中枢を担う人材を育成する為の学校であり、入学した生徒全員が何事もなく無事に卒業出来る程甘くはない。あらゆる方面に置いて一流を名乗れるだけの能力を求められ、そのプレッシャーから余裕を失ってしまう者も出て来る。周りがすべて競争相手に見えてしまい、友達や恋人とも上手くいかなくなってしまう生徒が毎年それなりにいるらしい。
人の輪から外れてしまった者は人の輪に戻りたがるものだ。
そうした生徒の心の隙に漬け込む事で『一部で流行しているデザイン』を徐々に『アルゴニアセクトの象徴』に切り替えていった。彼らの中で実際にアルゴニアセクトの教義に惹かれて入信した者など一割にも満たなかった事だろう。それでも同じ紋章を持つ者達の共同体に仲間入りしたくて紋章を受け取ってしまった。
アランの巧妙な点は最初に派手な事を好む性格の少女達を中心に紋章をバラ撒いていた事だ。信奉者として紋章を手にした生徒には内気な者が多く、いくら紋章によって仲間意識が芽生えても軽々に彼女達と接触して紋章が持つ本来の意味の摺合せを行う事が出来る者はいなかった。無論、いつかは紋章の意味を知らない少女達にも真実を知らされる日が来るだろう。だからこそ、アランの行動は迅速だった。
その時までに彼は信奉者となり得る生徒をリストアップしていた。そして、巧みな話術によって信奉者の数を爆発的に増やしていった。紋章の真実を知らなかった少女達が真実に気が付いた時、既にアルゴニアセクトは一大勢力になっていて、同調圧力が紋章を捨てる事を許さなかった。
数は力だ。信奉者の数がアルゴニアセクトの存在に説得力を持たせた。最初は仲間を手に入れる為だけに入信した生徒達の心に自分達が少数派から多数派になりつつある事に対する優越感が積み重なっていき、やがては古参の信奉者としての新参の信奉者に対する優越感を抱くに至る。その優越感は組織に対する歪んだ愛着を生み、組織が特別である事を求めるようになる。
その段階に至った事でアランはそっとアルゴニアセクトから手を引いた。もはや、アルゴニアセクトは彼の手を離れても勝手に自治を行い、信奉者を増やして巨大化していくようになっていた。
転生前の世界でも宗教は大きな力を持っていた。けれど、この世界ではより大きな意味を持っている。
権能は人々の認知と信仰によって生み出されるものだ。より多くの人々から存在を認知され、信仰を捧げられれば対象となった存在には権能が付与される。そして、生み出された権能は生み出した信奉者達に対して、より大きな影響力を持つように形作られる。
アルゴニアセクトはアズールに権能を与え、アザレア学園の生徒達に影響力を持たせる為に組織されたというわけだ。
ゲームでは主人公やアルヴィレオがアルゴニアセクトの調査を通じてアズールの存在に辿り着く重要イベントになっている。知らぬ間に王国内に根を張り巡らせていたアズールの手腕にアルヴィレオは戦慄して王宮に向かい、そこでネルギウス王から三代目魔王の存在を聞かされる事になるわけだ。
「も・し・か・し・て! 彼がレネの本命だったり~?」
「はえ!?」
「おっ、そうだったのか? おいおい、ザイリン振られちまったなぁ!」
「ザ、ザイリンくん、元気出してね……?」
「やかましい!」
アルゴニアセクトに対しては静観する気など無い。ゲームにおいても主人公達がアズールの存在に気付く切っ掛けとなる事以外に利が一切無かった。アルゴニアセクトの調査を行っていた主人公達は信奉者達に睨まれて行動を制限されるようになり、生徒の一部に蹴撃を受ける場面まであった。恐ろしいのはアルヴィレオと行動を共にしていた場面でも蹴撃が行われた事だ。王国の礎となる人材を育てる為に思想教育も行われていた筈なのに、彼らは王国の皇太子に対しても躊躇う事なく殺意を向けた。その他にもアルゴニアセクトが存在する事に対するデメリットは枚挙に暇がない。
唯一の利に関しても、そもそもネルギウス王はアズールの事を知っていた。アルゴニアセクトが存在しなくても、いずれはアズールの情報を教えてもらえた筈だ。つまり、アルゴニアセクトは百害あって一利なし。
「なんか考え込んでるみたいだな」
「フリッカ、大丈夫?」
「あれ? 今入って来た人って!」
アルゴニアセクトの蔓延は何としても阻止しなければいけない。
鍵はオブリビテーク図書館の天使が握っている。
レネ・ジョーンズ。正式な名前はおそらくレナータ。彼女が抱えている問題を解決する事が出来れば、アランが魔王の手を取る事も無くなる筈だ。
そうと決まれば……、
「フリッカ!」
「わひゃ!?」
レネに話しかけようとしたら、急に後ろから抱き締められた。
「お、おい! いきなりフリッカに何してんだ!?」
「ま、待て待て! 相手を見ろ!」
不意打ちにびっくりしているとエレインが声を荒らげた。そんな彼女をザイリンが慌てて羽交い締めにしている。
「だ、大丈夫! エレイン、大丈夫!」
とりあえず、エレインに大丈夫である事をアピールしておく。
「す、すまない……」
耳元で囁かれた謝罪の言葉に頬が綻んだ。離れかけた腕に触れながら振り向くと気まずそうな表情のアルがいた。どうやら、驚かせようとしたわけではなく、思わず抱き締めてしまったようだ。
「もしかして、寂しくなった?」
だとしたら嬉しい。
「……それもある」
一瞬喜びかけて、すぐに彼の瞳の奥に宿る感情に気が付いて凍りついた。
それは氷のように冷たい憎悪だった。
それはマグマのように煮え滾る怒りだった。
「ア、アル……?」
血の気が引いた。だって、アルが怒っている。原因はなんだろう? 謝るにしても原因を掴む必要がある。何が悪いのかも分かっていないのに謝ったら余計に怒られてしまうかもしれない。
ミリアルの件かもしれない。次期王妃として、あまりにも不甲斐ない姿を晒してしまったから呆れられてしまったのかもしれない。それとも、昼間のキャロラインとのイザコザの件だろうか? 剣を振り回して暴れ回るなんて、よくよく考えるとはしたないにも程がある。
思い当たる点が多過ぎて泣きそうになった。
「おーい、殿下。黙ってると嫁さんが不安がっちゃうぞー」
一緒に来ていたらしいバレットの言葉にアルはハッとした表情を浮かべた。
「アル……、怒ってる?」
「怒ってない!」
慌てたようにアルは言った。
「あっ、いや……、君には怒ってないんだ。ただ、その……、昼間の運動場の事を聞いてね……」
どうやら、キャロラインとの一件が原因だったようだ。
アルは深々と息を吐くとオレを見た。
「……いや、訂正するよ。怒っている」
「え?」
彼は辛そうに表情を歪めながら問い掛けて来た。
「どうして、ライに任せなかったんだ?」
「ラ、ライに……?」
「そうだ。君の行動は勇敢だし、結果的には上手くいった。だが、他に選択肢が無かったわけではないよね? ライを召喚して、彼に任せる事が最善だった筈だ」
「そ、それはその……、学生同士のイザコザに大人を巻き込むのもあれかなって……」
「フリッカ」
オレの言葉は火に油を注いでしまったらしい。彼は眉間に皺を寄せ、深く息を吐いた。
必死に自制を働かせようとしているようだ。そうしなければならない程、彼は怒っている。
「……君は分かってくれていると思っていた」
悲しそうに彼は呟いた。
「アル……?」
「僕は君が大切なんだよ」
「わ、分かってるよ。アルが大切に思ってくれている事はちゃんと!」
「分かっているならやめろ!」
あまりの事に口をポカンと開けたまま固まってしまった。
アルに怒鳴られた。その衝撃に意識を失いかけた。
「ちょちょ、殿下!?」
バレットが慌てて宥めようとしてくれたけれど、アルの怒りは収まる気配を見せない。
「お、おい! お前、フリッカを怖がらせてんじゃね―ぞ!」
そこにエレインが飛び込んで来た。ホッとしてしまったけど、今はまずい。
「エ、エレイン、大丈夫! 大丈夫だから!」
「大丈夫じゃないだろ! 相手が王子だろうが関係ねぇ! フリッカは今、メンタルやられてんだぞ! 虐めんじゃねぇ!」
「メンタルを……? ど、どういう事だい!?」
アルはエレインに詰め寄った。止めようとしていたザイリンとアリーシャとロゼはどうしようと顔を見合わせている。
「いきなり変なのに絡まれて落ち込んでたんだ! 旦那なら慰めてやれよ!」
「絡まれた!? 誰だ!? 僕のフリッカを苦しめたのは!」
「落ち着きなさい!」
いきなりヴィヴィアンがアルの頭を叩いた。
「まったく、アンタはフリッカの事になると……」
「姉上!?」
「もう、仕方ないから王室用の部屋を使っていいわよ。二人でしっかり話してきなさい!」
「お、おい、二人っきりにして大丈夫なのか!?」
エレインが慌てたように口を挟んだ。そんな彼女にヴィヴィアンは肩を竦めた。
「大丈夫よ。それより、貴女の名前を聞かせてもらえる?」
「ほ、本当かよ……。えっと、エレイン・ロットだ」
「エレインね。エレイン・ロット」
ヴィヴィアンは彼女の名前をしっかり脳裏に刻み込むよう何度も名前を口にした。
そして、怪訝な表情を浮かべるエレインに微笑みかけた。
「貴女、凄く良いわね。気に入ったわ。これからもフリッカと仲良くしてあげてちょうだいね」
「お、おう……」
エレインは戸惑っている。王家の人間に無礼を働いた自覚があるのだろう。その様子を見て、アルは深々と息を吐いた。
「エレイン・ロット。詰め寄って、すまなかったね。そして、ありがとう」
「いや、別に……」
「君のような人がフリッカの傍に居てくれて、本当に嬉しいよ。ただ、今宵だけはフリッカを僕に貸して欲しい。君をこれ以上失望させない事を誓うから、どうか……」
「……お、おい、フリッカ。一応聞くけど、お前は大丈夫なのか? 二人っきりになって」
「う、うん。アルはただ……、わたくしを心配してくれているだけだから」
怒鳴られたショックはエレインのおかげで霧散していた。だから、冷静にアルの感情を受け止める事が出来た。彼はただ心配してくれているだけだ。それが分かると、心がとても暖かくなった。
「……そっか。悪いな。余計な口を挟んじまった」
「ううん。エレイン、ありがとう」
エレインは肩を竦めた。彼女は本当に勇ましい。そして、とても優しい。
「仕方ねぇから貸してやるよ」
「ああ、ありがとう」
アルが嬉しそうにお礼を言うとエレインは吹き出した。
「フリッカ」
アルが手を伸ばしてくる。
「怒鳴ってしまってすまない」
「ううん。心配してくれて、ありがとう」
オレは彼の手を取った。




