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第百十三話『アラン・スペンサー』

 ヴィヴィアンは彼女が抱えている問題を鮮やかに解決してみせた。その有り様を見て、フレデリカは自分の行いを振り返り、顔から火が出そうになっていた。あまりにも恥ずかしく、穴があったら入りたい気分だ。


「お、おい、大丈夫か?」

「……だいじょばない」


 ヴィヴィアンにさっさと夕飯を食べて来なさいと言われ、先に食べていてと言ったのに見守ってくれていたエレインと一緒にローゼリンデ達が待っているテーブルに向かう道すがら、フレデリカは顔を両手で覆いながら叫び出したくなるのを必死に堪えた。

 ゲームの知識を当てにしてはいけないと分かっていた筈なのに、ミリアルに対してはゲームを前提に考えてしまっていた。彼女が事件を引き起こす切っ掛けとなるケイネス・ボードウィン辺境伯についても脂ギッシュなロリコン親父と決めつけて、彼の事を知ろうともしていなかった。

 ゲームでは結果的にミリアルが幸せを掴んでいたから、彼女が罪を犯して投獄される事を善しと考えてしまっていた。それが最善であるわけが無いだろうと今更になって気付かされた。

 あまりにも浅はかだった。彼女の境遇や未来の行動を知っていた以上、ヴィヴィアンと同じように解決する事も十分に可能だった筈だ。にも関わらず、彼女にとっての最善を考えようともせず、最善に近づける為の努力も怠っていた。次期王妃として、あまりにも不甲斐ない。


「ほ、ほら、食えよ! 美味そうだぞ!」

「そうだよ! このムニエル最高だよ!」


 エレインとアリーシャが妖精達がせっせと運んで来るフレデリカの好物をどんどん彼女の前に並べていく。その食欲を唆る素晴らしい香りにフレデリカのお腹は鳴いた。

 エレインとアリーシャは吹き出した。フレデリカはさっきまでとは違う意味で恥ずかしくなった。真っ赤になって俯くと誰かがムニエルをナイフで食べやすくカットして、フォークでフレデリカの口元に運んで来た。


「フ、フリッカちゃん! あ、あーん!」

「あ、あーん」


 運ばれて来たムニエルを食べると頬が落っこちそうになった。


「美味しい!」


 フレデリカがパッと表情を輝かせるとローゼリンデは泣きそうな表情で微笑んだ。


「フリッカちゃん、元気出してね」

「ロゼ……、うん」


 彼女の思い遣りの心にフレデリカは泣きそうになった。


「こ、こっちも食べて!」

「うん!」


 フレデリカに料理を食べるよう勧めるローゼリンデを見て、ザイリンは入学式の時と立場が逆転している事に苦笑した。そして、コソコソと食堂から出て行くミリアルを不愉快そうに睨みつけた。


「……顔、怖いよ?」


 そんなザイリンにレネは恐る恐る声を掛けた。


「すまない。だが、あまりにも不愉快でね」


 フレデリカに聞こえないように声を低くしながらも、そこには不快感と苛立ちが篭っていた。他人に迷惑を掛けておきながら、まんまと本懐を遂げる事に成功したミリアルにザイリンは納得がいかなかった。

 

「……王女殿下を批判する気はないが、罰は与えるべきだった。間違った手段で成功体験を得た者は必ず何かやらかすぞ」

「……それはまあ、確かに」


 演劇や書物などの物語をこよなく愛するレネはザイリンの言葉に対して同感だと思った。

 間違った手段による成功体験は人を歪ませる。創作の中に登場する敵役(かたきやく)の中にはそうした過去を持つ者がそれなりにいる。彼女の脳裏にはとある小説の一節が浮かんでいた。


 ―――― だって、あの時はみんな許してくれたじゃない!


 その小説の敵役は一度目の罪を償う事なく許されてしまった。その経験が彼女を歪ませた。

 あくまでも小説の中の話だけど、それは紛れもなく人間という生物の(さが)を表現していた。

 

「『罪を裁かずに許す事は慈悲ではない。それは人を畜生に堕とす最も残酷な行為だ』」

「レ、レネ!?」


 あまりにも物騒な事を口にするレネにザイリンは目を白黒させた。


「小説の主人公のセリフだよ。同情したくなるような過去を持つ敵役にヒロインが情けを掛けようとした時の」

「ず、随分と過激というか、容赦のない主人公だな!?」

「ううん。すごく優しい主人公なんだよ」


 レネは離れた所で食事を取っているヴィヴィアンを見つめた。

 彼女はフレデリカが怒っていると言っていた。けれど、本当に怒っていたのは彼女の方に見えた。


「……きっと、ザイリンの言う通りだと思う。ミリアルはちゃんと罰を与えてもらうべきだったんだ」


 ミリアルと対面していた時、フレデリカは一瞬だけすごく怖い雰囲気になった。おそらく、ヴィヴィアンはその雰囲気に対して、フレデリカが怒っていると感じたのだろう。けれど、それは彼女の後ろに立っていて、表情を見る事が出来なかったからだ。レネが座っていた席からはフレデリカの表情がよく見えた。彼女は決して怒ってなどいなかった。ただ、色々な事を考えながら話しているように感じられた。そのせいで声に感情が宿らず、妙な威圧感が出てしまったのだと思う。だから余計にヴィヴィアンは勘違いをしてしまったのだろう。そして、だからこそ彼女はミリアルに罰を与えなかったように見えた。


「きっと、ヴィヴィアン王女殿下はフレデリカ様の事が大好きなんだろうね」

「そ、それは望ましい事だが……、どうした急に!?」

「……ザイリンも物語を読んだ方が良いと思うなぁ」

「は?」

 

 ポカンとした表情を浮かべるザイリンにレネはやれやれと肩を竦めた。

 

「物語には行間というものがあってぇ」

「……レネ。お前、ザイリンとめちゃくちゃ仲良くなってんのな」

「ほえ!?」


 レネとザイリンはフレデリカに聞こえないように小声で囁き合っていた。その様は年頃の少女達にロマンスを感じさせる雰囲気を作り出していた。


「も、もしかして、お前らってそういう関係……?」

「は?」

「え?」


 困惑する二人をフレデリカ達はドキドキした様子で見つめていた。

 その様子とエレインの言葉から自分達に向けられている視線の意図に気が付いたザイリンは慌てた。


「違う! 違う! 違う! そういう関係ではない!」

「いやだって、お前らフリッカの事ほったらかしてこそこそ囁き合って……、なぁ?」

「いやはや、実に親密な御様子! たった一日で随分な進展じゃないの、このこのぉ! 詳しく聴かせてもらうよぉ!」

「思えばザイリンはサリヴァン家の者。そして、レネはスカイ・サリヴァンの大ファン! なるほどなるほど」

「レ、レネちゃん……、すごい」

「ま、待て! だから、違うと言っているだろう! た、たしかに姫様に真っ先にお声を掛けるべきだったとは思うが……っていうか、なるほどって、何を納得したんだ姫様!?」

「わぁ、ザイリン汗びっしょり」


 ザイリン共々誤解を受けている身であるにも関わらず呑気な事を言うレネに「お前も何か言え!」とザイリンは声を張り上げた。すると、そんな彼の下へゆらりと長身の少年がやって来た。


「ねぇ」

「なんだ!?」


 ザイリンが振り返ると、少年はザイリンの顎に手を当てて持ち上げた。


「おあ!?」

「ふーん」


 少年は舐め回すようにザイリンの顔を見つめた。

 

「え? なになに? もしかして、BL展開!?」


 アリーシャは「キャー」と嬉しそうな悲鳴を上げた。


「え、そうなのですか!?」

「な、なんだよ、ビーエルテンカイって!?」

「そりゃもう、男の子と男の子が禁断の愛を育むボーイズ同士のラブの事だよ!」

「え? そうなのか!?」

「違ぁぁぁぁぁう!! さっきからお前達は何を言ってるんだ!? というか、貴様も離せぇ!」


 ザイリンは少年を押し飛ばそうとした。けれど、少年の体はビクともしなかった。


「落ち着きなよ。それよりさ、君は……」

「ア、アラン!」


 突然、レネが血相を変えながら少年の腕にしがみついた。


「レネ?」

「だ、ダメ!」


 何がダメなのか、レネと少年以外には誰にも分からなかった。けれど、二人の間では通じたようで、アランと呼ばれた少年は深く息を吐きながら「分かったよ」と答えた。

 

「すまなかったね」


 そう囁くと、アランはザイリンから手を離して背中を向けた。

 

「お、おい!」


 彼の不可解な行動に振り回されたザイリンは咄嗟に呼び止めようとしたけれど、アランはそのまま去って行ってしまった。

 

「……な、なんだったんだ?」

「レネ。アイツ、お前の知り合いか?」


 エレインが問い掛けるとレネは小さく頷きながら彼の背中を見つめていた。

 その姿を横目で見つめながら、フレデリカは大きな驚きに包まれていた。

 アランという名前を聞いた時、彼女は咄嗟に視線を彼の髪へと走らせた。彼の髪色は黒だった。それも『カラスの濡れた羽のような』と評されるに相応しい美しさを秘めた黒髪だ。

 おそらく、彼の名前はアラン・スペンサー。ミリアルのように年毎の事件(メインクエスト)に関わる人物ではなく、ザイリンの生家であるサリヴァン家と同様に『エルフランの軌跡』のメインストーリーに深く関わっていく人物だ。

 彼は今後、大きな事件を引き起こす。そして、その事件では一人の少女が鍵を握る事になっている。レナータという名前で、『オブリビテーク図書館の天使』という章タイトルにもなった愛らしい少女だ。

 レネはレナータの短縮形だ。そして、彼女は演劇や書物をこよなく愛している。

 ザイリンに続き、意図せずシナリオ上の重要人物と接触を果たしていた事実にフレデリカは隣で「わーお」と呟いたアリーシャの声が自分の声だったのではないかと錯覚する程度にはわーおと思った。

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