第百十一話『ミリアル・レーゼルフォン』
アリサに弟子入りしたキャロラインと別れた後、そのままオリエンテーションの一日目はお開きとなった。フレデリカとエレインを食堂まで送った後、エシャロットとクリスティナは事態に収拾をつける為に慌ただしく駆け出して行き、残された二人は顔を見合わせた。
「疲れたな……」
「うん……」
二人は大きく息を吐きながら朝食を共にしたメンバーの姿を探した。
「あっ、ロゼ!」
フレデリカはモジモジしながらテーブルの間をウロウロしているローゼリンデの姿を見つけた。
「あっ、フ、フ、フリ、フレデリカちゃま!」
「ちゃま?」
「斬新な呼び方だな」
「あ、あれ?」
ローゼリンデはエレインの存在に気が付くと目を丸くした。今朝喧嘩をしていた二人が仲良く一緒にいる事に驚いているのだろうと推察したフレデリカとエレインは視線を交わし合いながら微笑んだ。
「仲直りしました」
「朝は空気を悪くして悪かったな」
二人の言葉にローゼリンデは目をパチクリさせていると、丁度食堂に入って来たアリーシャとレネが駆け寄って来た。
「おー、ちゃんと仲直りしたみたいだね! 偉い偉い!」
「おまっ、やめろ!」
アリーシャは悲鳴をあげるエレインの頭をぐしゃぐしゃとお構いなしに撫で回した。
「良かった……」
レネはホッとした様子でその様子を見つめている。
「はいはい。あまり騒いでは迷惑になってしまいます。何処かに座りましょう。えっと、ザイリンは何処でしょうか……」
「フレデリカ様!」
「はえ?」
突然、見知らぬ上級生に声を掛けられた。
「ちょ、ちょっと、ミリアル!?」
近くに座っていた別の上級生が彼女の名前を呼んだ。
ミリアルという名を聞いて、フレデリカは咄嗟に彼女の髪へ視線を走らせた。彼女の髪は緑色だった。
通常、人の髪はメラノサイトという細胞が生成している黒色系と黄赤色系の二種類のメラニンによって染められている。その関係上、髪の色が青や緑になる事は本来あり得ない。にも関わらず、ルーテシア家の人々の髪が青かったり、目の前の彼女の髪が緑である事には魔力が関係している。
魔力には色があり、その色は遺伝によって受け継がれていく。そして、身体の中でも髪を含めた体毛には特に魔力が溜まりやすく、一定以上の魔力を保有している人間の体毛はそれぞれの魔力の色に染め上げられる。
つまり、彼女は緑の魔力を持つ家系の令嬢である事が分かる。
ミリアルという名前と緑の魔力。その二つの要素が合わさる存在をフレデリカは知っていた。
「……ミリアル・レーゼルフォン?」
フレデリカが家名を言い当てると、ミリアルは目を大きく見開いた。
「わ、わたくしの事をご存知だったのですか!?」
「ええ、存じております」
驚いているミリアルに対して、表面上は平静を装いながらもフレデリカは心中で彼女以上に驚いていた。ミリアル・レーゼルフォンと言えば、一年目で発生する事件の首謀者だからだ。
彼女が企てる事件のあらましをゲームのフレデリカは予め掴んでいた節があり、事件発生前にいずれは接点を持つ事になると踏んではいたが予想以上に早かった。
「わたくしに御用が?」
フレデリカが問い掛けるとミリアルは「あの、その……」としどろもどろになった。
家名を言い当てた事で威圧感を与えてしまったのかもしれない。萎縮させる事は本意ではなかった為、フレデリカは彼女を安心させる為に微笑んだ。王宮に来る前に家庭教師のシェリーやアナスタシアに仕込まれた作り笑顔だ。
作り笑顔と侮るなかれ、これは彼女達がフレデリカに与えた人心掌握術という名の武器なのだ。目の細め方から口角の上げ方に到るまで、フレデリカの顔で相手に意図した感情を抱かせる為に最も効果的な表情を徹底的に仕込まれた。
「落ち着いてください、ミリアル。ゆっくりで構いません」
ミリアルの返答を待ちながら、フレデリカはこっそりと魔王再演を発動させた。
彼女の事はゲームである程度知っているけれど、それはあくまでもゲームの知識でしかない。ゲームではこういうキャラクターだったからという前提で話を進めると思わぬ落とし穴に落ちてしまう可能性がある。だから、ズルいとは思いながらもフレデリカは魔王の力によって強化された聴力で彼女の事や彼女が話そうとしている事の内容を周囲の生徒達の言葉の中から拾い集めていった。
―――― ミリアルったら、急にどうしたのかしら?
―――― フレデリカ様、ミリアルの事をご存知だったのね。もしかして、わたくしの事も……。
―――― なんか、変な雰囲気だな。
―――― フレデリカ様、なんで平民とか伯爵家の人間とばっかり……。
―――― 何か考えがあるんでしょ。
―――― あの人、社交界にも全然顔を出さないからよく分からないのよね。
―――― 出遅れたわ……。
―――― 身のこなしが見事だな。
―――― みんな、ごはん冷めちゃうよー。
―――― あの子って、もしかして……。
―――― レネ。さっき、笑ってたな……。
―――― 根暗のミリアルがまた発作でも起こしたの?
―――― 発作って?
―――― あの子、前のルチアーノ侯爵家の夜会でもいきなりレノア様に突っかかってたのよ。
―――― レーゼルフォン家って、子爵家だろ? 正気かよ……。
―――― レノア様は優しいからお咎めなしにしてたけど、それで味をしめたんじゃない?
―――― 悪名でも名前を覚えられれば上等って事? うわぁ……。
拾い集められたのはそこまでだった。ミリアルの呼吸が整い、彼女の口が動き出した。
「フ、フレデリカ様は王妃となられる尊き御方です!」
「……ありがとうございます」
なんとなく、次の言葉を予想する事が出来た。誰もが知っているフレデリカの立場を改めて口にした理由はおそらくミリアルが声を掛けてきた直前のフレデリカの行動にある。いずれ、誰かに言われるだろうとは思っていた。
「ですから、フレデリカ様の御側付きにはもっと相応しい者を選ぶべきかと!」
「……ミリアル」
フレデリカは極僅かに魔王覇気を使用した。ミリアルだけではなく、誰にも口を挟ませない為だ。
「貴女はわたくしに友人を選べと言うのですか?」
「ひぅ……」
魔王覇気は魔物すら恐怖させる魔王のスキルだ。出力を絞れば、相応の威圧感を演出する事が出来る。
「貴女にとって、友人とは選ぶものなのですか?」
「ぁ……、ぅぅ……」
魔王覇気を解除して、彼女をジッと見つめる。
威圧した理由は彼女の本心を引き出す為だ。ここで誤魔化したり、会話を打ち切ろうとするのならば周囲の反応通りの人物であり、行動という事になる。
「……そ、そうです!」
けれど、彼女は誤魔化したりせず、会話を打ち切ろうともしなかった。
「き、貴族には相応の品格が求められます! 公爵家の御令嬢が平民や家格の低い家柄の者とばかり懇意にするなどあり得ません! 階級制度の瓦解に繋がりかねず、引いては王国の地盤を揺るがす切っ掛けにもなりかねないのですから!」
正論ではある。フレデリカ自身も以前まではその考えを重視していた。
王を頂点に据えた階段状の階級社会は今のアガリア王国の繁栄に欠かせない要素の一つだからだ。
賢王の命令が末端まで阻害される事なく届く事こそが至上であり、下手に格差を是正したり王権に口を挟める機関など設立してしまえば王国は間違いなく落ちぶれる。真に優れた王が統治する国において、階級制度による格差社会は正義なのだ。だからこそ、階級制度の瓦解に繋がる行為は控えるべきと言うミリアルの発言は実にもっともな意見というわけだ。
「ミリアル。貴女は一つだけ間違えています」
「ひ、一つだけ……?」
ミリアルの言葉は大方正しい。けれど、前提を間違えている。
「わたくしはアルの……、アルヴィレオ皇太子殿下の妻となる者です」
言った瞬間、フレデリカは頬を紅潮させた。
次期王妃と名乗る事はあったし、皇太子の婚約者である事も何度も口にして来た。けれど、アルの妻になると言葉にしたのはこれが初めての事だった。前世では高校生になるまで男として生きて来た身として、無意識に避けて来た表現だ。
「カトレア王妃様は民に分け隔てなく接しておられます」
間近で見て来たからこそ、そこに嘘偽りなどない事が分かる。カトレア王妃にとって、民は等しく民なのだ。
それは王妃にだけ許された権利ではない。それこそが王妃に委ねられた責務なのだ。
格差社会には悪しき側面もある。富や機会の不平等。そして、格差による階級間の人同士の繋がりや共感の希薄化による社会の一体感の喪失だ。それは社会の不安定化を招き、治安を乱すなどの結果に繋がりかねない。
だからこそ、王と最も近しい距離に在る王妃が格差を飛び越えて交流を結ぶ必要があるのだ。教会で子供達と遊び、街で屋台の人々と言葉を交わす。フレデリカが王妃と共に過ごして来た日々にはそういう意味があったのだ。
「王妃になる者として、わたくしはカトレア王妃様の後継とならねばなりません。平民であれ、子爵であれ、伯爵であれ、公爵であれ、民は等しく民なのです。故にわたくしは誰に対しても手を伸ばします。誰が伸ばして来た手も掴みます」
そう言うと、フレデリカはミリアルに微笑みかけた。
「ミリアル・レーゼルフォン。貴女はわたくしの為、王国の為に勇気を振り絞り、忠告をしてくれました」
「……わ、わたしはその」
青褪めたままの彼女の手をフレデリカは両手で握り締めた。
「貴女が伸ばしてくれた手もわたくしは掴みます。お友達になりましょう」
「……ひゃ、ひゃい」




