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第百十話『アリサ・ルーテシア』

 三人が戦闘訓練場から出て来ると、そこには完全武装の騎士達がいた。その先頭にはバレットとアリサがいて、二人も見た事がない装備を身に着けている。まさに臨戦態勢といった様子だ。


「わお! それ、本気装備!?」

「キャロライン? ダメですからね!」


 ワクワクし始めたキャロラインをフレデリカが一喝した。すると、彼女は不満そうな表情を浮かべながらも「はーい」と大人しく指示に従った。

 その光景にアリサは衝撃を受け、脳裏には妖精の魔法で寮妹(キャロライン)と引き合せられた時の記憶が(よぎ)った。


 ◆


 通常、寮姉妹の顔合わせは各寮の空き部屋で行われる。ところがアリサとキャロラインは妖精に運動場へ移動させられた。その時点で妙な胸騒ぎを感じていた。そして、共に移動して来た寮妹に挨拶をしようとした時、アリサはいきなり斬り掛かられた。


「凄い凄い!」


 完全なる不意打ちに対して、アリサは愛剣であるクラウ・アディソンを召喚して受け止めた。

 ブリュート・ナギレスの名工が鍛えたその名剣は学園で行われている剣術大会で優勝した時に記念品として送られたものだ。

 剣を振る事が大好きだった。剣技を競い合う事が大好きだった。その剣を送られた時、誇らしい気持ちでいっぱいだった。


「ちゃんと反応出来たね!」


 その言葉と共にクラウ・アディソンの刀身は地面へ落下した。

 斬られたのだ。斬る為に鍛えられた筈の剣が逆に斬られ、受け止める事さえ出来なかった。迫り来る刀身はアリサの髪に触れた所で止まり、その事を認識した瞬間、アリサは大量の汗を流した。

 自分が何を感じ、何を思っているのか理解出来たのは彼女が剣を鞘に収めた後だった。

 死の恐怖という感情をアリサは人生で初めて知った。恐怖で腰が抜けそうになり、涙が溢れ出した。そして、アリサの周りにはたくさんの妖精が集まって来た。

 

『すまない』

 

 その言葉を発したのは集まって来た妖精の中の一匹だった。

 学園の防衛を担っていると言われているエグザという名の騎士甲冑に似た姿をした妖精だ。

 生徒の前に姿を現す事は滅多になく、アリサもクラウ・アディソンを授与された時にチラリと目撃した事がある程度だった。


「アハッ、妖精だ! めっずらしい!」


 キャロラインは当然のようにエグザへ斬り掛かった。

 その剣をエグザは受け止めなかった。彼女の剣は妖精の剣すら両断すると判断したからだ。

 

『イクサか』

「へぇ、分かるんだ」


 エグザが看破したキャロラインの剣の銘をアリサも知っていた。

 最上大業物『EXA(イクサ)』。

 その名はカルバドル帝国の皇帝によって付けられたという。

 刀はカルバドル帝国の初代皇帝によって世に生み出された。刀はその切れ味や強度などから業物、良業物、大業物、最上大業物と格付けられている。

 イクサは文句なしの最上大業物だった。けれど、皇帝はその位階に不服を唱え、最上大業物の中でも最上であるという意を籠めて名を付けた。EXAは帝国で使われている単位の中でも最大の数値を現す為の単位らしい。

 刀の中でも最上級であり、剣というカテゴリーの中でも勇者の剣に次ぐ程と謳われている。


「速い速い!」


 キャロラインはエグザのスピードに歓声をあげた。エグザはキャロラインの斬撃を尽く躱し切っている。けれど、一向に反撃へ出る気配がない。


「なんで……」

『あの子もわてらにとっては大事な生徒やからなぁ』


 人間サイズのクワガタが言った。アリサはあまり虫が得意ではなく、彼が妖精である事を理解しつつも全身に鳥肌が立った。


『リクドウ! アリサちゃんは虫が苦手なんだから近づいちゃダメでしょ!』


 涙目になっているアリサとリクドウの間に巨大な眼球が可愛らしい声を発しながら現れた。

 虫どころではない不気味な存在にアリサは白目を剥いた。


「あばばばば」

『お前さんもダメじゃろがい!』


 泡を吹きかけているアリサを見て、四本の足が生えたサメが慌ててリクドウと巨大眼球を押し飛ばした。リクドウは『のわぁぁぁぁ!』と叫び、巨大眼球は『イヤァーン!』と悲鳴をあげながら彼方へ飛んで行った。


『アリサしゃん! アリサしゃん! しっかり!』


 自分が可愛い事を完全に理解しているウサギのような妖精が他の心配そうにしている不気味な妖精達を牽制しながらアリサに声を掛けた。


「ぅぅ……、ごめんなさい。妖精だと分かってはいるんだけど……」

『ううん! 謝るのはわたし達の方なの! ごめんなしゃい!』


 ウサギだけではなかった。巨大なおじさんの顔や巨大なタコ、二足歩行の猫、七色の光を発している多角形の石も次々に『ごめんなさい』と謝って来た。

 アリサは多角形の石がどうやって言葉を発したのかすごく気になった。学園生活が四年目に突入した彼女でさえ、妖精は未だに神秘の塊だった。


『あの子に悪気はないの……』

『狂気に突き動かされているわけでもないのだ』

『歪んでいるわけでもないのですぅ』

『彼女はとても純粋なの』

『ただ、ちょっと人を斬る事が好きなだけで……』


 アリサは妖精達に矛盾という言葉を教えてあげたくなった。

 

『でもでも! それは文化の違いというものなの……』

『あの子の価値観はとても特殊なのだ』

『悪い子ではないのですぅ』

『彼女は殺したいわけではないの』

『でも、寮姉になる相手には問答無用で斬り掛かるだろうなーって……』


 ここまでしどろもどろになっている妖精達を見たのは初めてだった。そもそも妖精はあまりお喋りな種族ではないのだ。必要な時に必要な事を語る。生徒が雑談を求めて話し掛ければ喜んで応じてくれるけれど、妖精の方から話しかけてくる事は滅多にない。だから、アリサは新鮮な気分だった。


『だから、ごめんなしゃいなの』

『アリサちゃんなら斬り掛かられても対処が可能だと考えてしまったのだ』

『イクサ以外の剣ならばクラウ・アディソンが斬られる事は無かったですぅ』

『まさか、弟子と言えどもマリアちゃんがイクサを渡すとは考えていなかったの』

『アレは世界を斬る為の剣。万が一に備えて、ガンザルディがハロルドちゃんと共に鍛えた対界剣』

『でも、キャロラインちゃんは凄い子だよ!』

(しか)り! イクサで寸止めが出来る剣士など世界に五人と居まい!』

『扱い切れている証拠!』

『扱い切れてなかったらアリサちゃんが真っ二つ……』

『ごめんなさーい!』


 キャロラインの腕が未熟だったら殺されていたらしい。その事実に頭がクラクラしながらも、アリサは苦笑いを浮かべた。


「謝らないでよ。むしろ、良くぞ選んでくれたわ! 多分、他の子達だと完全にトラウマになってたと思うし……」

『アリサしゃん……』


 口々に謝って来る妖精達をあやしながらエグゼとキャロラインの戦いに目を向ける。相変わらず、エグゼは彼女の剣を巧みに躱していた。

 本来ならばそろそろ切り上げてもらって校舎内を案内しなければならないのだけど、彼女は何をしでかすか分からない。このまま彼女が疲れ果てるまで静観してから妖精達に協力してもらいつつ改めて寮姉としての仕事を(まっと)うしよう。

 その考えが如何に悠長なものだったのかを思い知らされたのはエグザが何かに気を取られたかのように動きを止めた時だった。


「おろ?」


 キャロラインは剣を止めた。けれど、それまですべての斬撃を躱されていた為に加減を怠り、剣圧を殺し切る事が出来なかった。


『……しまった』


 エグザは運動場の出口付近まで吹き飛ばされた。そして、直後に扉が開かれた。


「何事だ!?」


 入って来たのはアリサが最も苦手とする人物だった。

 エドワルド・ルーテシア。アリサの実兄であり、アザレア学園の生徒会長でもある。アリサは頑固で口うるさい彼の事を石頭の偏屈親父(・・・・・・)と陰口を叩く程度には嫌っていた。


「エグザ!? どうしたのだ!?」


 エドワルドはエグザに駆け寄り、学園の最高戦力であるエグザが負傷している事実に驚愕した。


『い、いかん! 彼を早く外へ!』


 エグザが叫ぶと同時にキャロラインがエドワルドの後ろから運動場へ入って来た少年の前に現れた。

 喜悦の笑みを浮かべ、イクサを振り上げている。アリサはクラウ・アディソンを持って、彼の下へ走った。彼女が二百メートル程離れた場所にいる少年とキャロラインの下へ辿り着くまでに一秒と掛からない。けれど、キャロラインの剣速はそのスピードを遥かに凌駕している。


「待っ――――」

「その子は王女殿下の婚約者だぞ!?」


 エドワルドが血相を変えて叫んだ時、既にキャロラインの剣は地面スレスレまで振り下ろされた後だった。寸止めですらない。完全に斬り裂いた。その事実を認識した時、アリサは血の気が引いた。


「……うん。君は結構強そうだね」

「ああ、君か……」


 けれど、それは杞憂だった。少年はキャロラインの斬撃を躱していたのだ。

 そして、その手には剣が握られていた。


「わたし、キャロライン・スティルマグナス! 君の名前は?」

「バレット・ベルブリック。君の事は聞いているよ。我が主の最愛の婚約者に牙を剥いた無法者と!」


 安心している場合では無く、彼の言葉を吟味している場合でも無かった。

 バレットはキャロラインに殺意を向けた。その瞬間の彼女の表情はまさに悪鬼としか言い様のないものだった。生徒に危害を加える事などあり得ないとされていた妖精達が一斉にキャロラインを取り囲み、同時に攻撃系の妖精魔法を発動させた程、事態は切迫していた。

 

『エドワルドよ! 彼を逃がせ!』


 エグザの叫び声にエドワルドは即座に反応した。


「邪魔」


 その言葉と共に包囲していた妖精達が斬り裂かれ、彼らが放った魔法が斬り裂かれた。

 あまりの光景にアリサが悲鳴をあげるとエグザが青い炎を纏う二振りの剣でキャロラインに襲い掛かった。けれど、その剣も斬り裂かれ、エグザも細切れにされてしまった。

 妖精は不死の存在とされている。あの状態からでも時間が経てば再生する筈だ。それが分かっていても、あまりにも凄惨過ぎる光景にアリサの思考は止まってしまった。

 その間に今度はバレットがキャロラインに斬り掛かった。そんな彼の斬撃を紙一重の所で避けて、彼女は禍々しいにも程がある笑顔で言った。


「ちょっと待っててね」


 その直後、運動場に騎士達が雪崩込んで来た。彼女は彼らを誘い込むように運動場の中心へ向かっていく。


「ま、待て!」

「バレット! 我々は外に出るぞ!」


 叫ぶバレットの腕をエドワルドが掴んだ。そのまま運動場の外へ引っ張ろうとしたのだろう。けれど、彼の体を一歩足りとも動かす事が出来なかった。


「バレット!」

「し、しかし!」

「ちょっとちょっと!」


 言い合っている二人の前にキャロラインが戻って来た。


「え?」


 ゾッとした。目を離したのは一瞬だ。けれど、その一瞬で騎士達は全滅していた。

 生きているのか、死んでいるのかも分からない。

 どうしてこんな危険な存在が学園の敷地内にいるのかが理解出来ない。あまつさえ、生徒として入学して来たという事実が何かの間違いだったのではないかとアリサは頭を抱えたくなった。けれど、そんな事をしても事態は何も変わらない。

 このままでは彼女の毒牙がバレットに向けられてしまう。


「キャロライン!」


 アリサはクラウ・アディソンに魔力を集中させた。すると置いて来た剣身の破片が飛んで来て、そのまま剣身にくっつき、再生した。


「これ以上はダメよ」

「んー? うーん」


 キャロラインは値踏みするようにバレットとアリサを見比べた。

 そして、カラカラと笑いながらアリサに向き直った。


「今はアリサの方が面白そう」


 舌舐めずりをしながら視線を向けてくるキャロラインから視線を外す事なくアリサはエドワルドにバレットを連れ出すよう合図を送った。どうして新入生を相手にこんな悲壮な決意を固めなければいけないのかさっぱり分からないけれど、アリサは命を賭けて眼の前の異常者に挑む事を決めた。

 身体強化を含めた戦闘の為の魔法やスキルを重ねがけしていく。

 権能を持たぬ身で、権能を持つ者を差し置いて妖精達にキャロラインの寮姉として指名されたアリサ・ルーテシアの全力全開の姿にキャロラインは喜んだ。そして、彼女達の戦闘は始まった。


 ◇


 自分の寮妹に対して、このような感想を抱く事は間違っていると考えながらもアリサは思った。

 キャロライン・スティルマグナスはイカれている。人間社会に存在してはいけない類の人非人だ。

 三人の少女が戦闘訓練場に向かった時、アリサは止めようとした。如何に次期王妃の命令と言えども従うわけにはいかないと考えたからだ。例え、それで死罪を言い渡される結果になろうとも。

 けれど、キャロラインとの限界を超えた戦闘で彼女は疲弊し切っていた。戦闘が継続していれば気合でなんとかしていたけれど、フレデリカ達の登場で戦闘が打ち切られ、一気に反動が来てしまった。言葉すら発する事が出来ないまま彼女達は戦闘訓練場に消えていき、彼女は絶望感に苛まされた。

 騎士達も現況を把握し始め、エドワルドが連れ出した筈のバレットも装備を変えて戻って来た。

 今度は連れ出せとは誰にも言わなかった。アリサ一人では勝てない。騎士達がいてもまだ足りない。可能な限りの戦力を費やさなければいけない。例え、彼が偉大なるヴィヴィアン王女殿下の婚約者であっても、次期王妃の命は彼よりも遥かに重いのだ。


『アリサよ。わたしも残るすべての力を君に託そう』


 そう言って、細切れにされたエグザの残滓がアリサとクラウ・アディソンを包んだ。妖精の力が制服や愛剣に備わり、力が大きく増した事を実感した。そして、今まさに次期王妃の救出の為に突入しようとした瞬間、扉の向こうから彼女達が戻って来た。

 

 ◆


「……うそ」


 そんな彼女がフレデリカの言葉に対して素直に従っている光景は夢幻(ゆめまぼろし)にしか見えなかった。そして、そんな現実味のない光景からキャロラインが彼女の下へ向かって来る。


「アリサ! わたしに剣技を教えてよ!」


 耳が遠くなったのかと思った。


「……は?」


 アリサだけではない。うんうんと頷いているフレデリカとやれやれと肩を竦めているエレイン以外の誰もが同じ表情を浮かべ、同じように困惑していた。

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