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第百九話『帝国』

 一頻り笑った後、フレデリカはむくれているキャロラインに言った。


「立ち会って分かった事ですが、あなたの剣は一の太刀に重きを置き過ぎです」

「……でも、剣聖様は!」

「分かりますよ。剣聖の剣技として見れば、理に適っています。なにしろ、『森羅万象斬れぬものなし』と謳われる剣聖の剣ならばわたくしは一刀のもとで刀ごと斬り裂かれていた事でしょうからね」


 剣聖の剣は時空すら斬る。加えて、その剣速はキャロラインの神速を遥かに凌駕する事だろう。

 防御不可能に加えて、回避不可能。なればこそ、初太刀にのみ集中すれば良い。


「剣聖の剣技に問題があるわけではないのです。あなたには森羅万象を斬るだけの力がない。だから、初太刀で終わらせる事が出来なかったのです」

「……ぐぬぬ」


 キャロラインは悔しげに表情を歪めた。


「斬れないものが存在する以上、剣聖の剣技には隙が多過ぎます。そこを突ける者が殺意を持って襲いかかって来た場合、あなたは死んでしまいます」

「おいおい、フリッカ……」


 容赦のない言葉を次々に突き立てていくフレデリカにエレインは呆れた。

 隙と言っても、あの一瞬を突く事が出来る者など早々いない。その証拠に学園の警備を担当している騎士達は彼女に手も足も出なかった。王国の皇太子や異国からの留学生が多く集まる学園の警備を任せられている選りすぐりの精鋭達が多勢で攻めておきながら突けない隙などあってないようなものだ。


「あんな一瞬を狙える奴なんて、お前くらいのもんだろ」

「……わたくし如きに狙えてしまった事が問題なのです」


 エレインとフレデリカの間には認識の齟齬が生じていた。エレインからしてみれば、精鋭の騎士に出来なかった事が出来たフレデリカはまさしく天性の才を持った達人に見えた。けれど、実際には違う。フレデリカは剣術についてズブの素人だった。少なくとも、フレデリカ・ヴァレンタインとして生きて来た十三年の間、全くと言っていい程に剣とは無縁の人生を送って来た。

 魔王の力ありきとは言え、そんなフレデリカに対応出来てしまった以上、他にも対応出来る者が現れないとも限らない。その時、今のままのキャロラインでは殺されてしまうかもしれない。

 フレデリカにとって、キャロラインは困った子だ。けれど、同時に死んで欲しくない子でもあった。


「わたくしの剣をあなたは斬れなかった。この世には他にもあなたが斬れないものがある。その全てを斬れるようになるまでは剣聖の剣技を封印しておきなさい。そして、確かな技術を持つ剣士に教えを受けるのです」

「……あなたが教えてくれるの?」

「わたくしには教えられません。そもそも、教えを受けた事がありませんから……」

「え?」

「マジで?」


 キャロラインとエレインは揃って目を丸くした。


「マジです。偉そうに言いましたが、わたくしの剣技は……」


 フレデリカの言葉が途切れた。

 キャロラインと戦った時の彼女のそれは紛れもなく剣技だった。

 脳裏を過った不思議な声にはやはり覚えがなく、けれど、同時にやはりと懐かしい気分に陥る。

 考えられるとすれば、それは転生前の事だ。フレデリカは羽川(はねかわ) 祐希(ゆうき)として生きていた頃の記憶を一部失っている。高校生だった事は覚えているけれど、その時のクラスメイトの顔すら(おぼろ)げで、どこから完全に途切れてしまっているのかさえ分かっていない。だからこそ、脳裏を過った声はその時期に知り合った人物のものと考えられる。もしかすると、その人物に剣技を学んでいた可能性もある。

 

「……スキルによるものです」


 嘘は吐いていない。あの剣技は魔王再臨の状態だからこそのもの。

 変身していない状態ではそもそも戦いにすらなっていなかった筈だ。


「そんな反則頼りのわたくしでさえ気付けてしまったのです。不快に思うでしょうが、あなたには剣聖以外の師が必要です」

「スキルねぇ……」


 キャロラインの胡乱げな眼差しを無視してフレデリカは言った。


「世界は広いのです。わたくしの剣のように、あなたが斬れない剣を持つ者もいるでしょう。その中にはあなたに殺意を向ける者もいるかもしれない。そして、あなたはそんな相手にも躊躇なく斬り掛かってしまう……」

「それが性分だもん」


 悪びれもせずに彼女は言った。

 

「だからこそです」


 フレデリカはビシッとキャロラインを指差した。


「性分を変える事など早々出来ません。ならば、誰よりも強くなるしかありません。誰に斬り掛かっても返り討ちにされないように!」

「……それはそれで別の問題が発生しないか?」


 エレインの冷静な意見にフレデリカは視線を泳がせた。


「誰にも負けない辻斬りとか最悪じゃないか?」

「ちょっとちょっと! 辻斬りは心外だよ! わたし、決闘を挑む相手はちゃんと選んでるもん!」

「どんな基準で?」

「剣士である事!」


 大分基準が緩そうだ。


「キャロライン。もう少し、基準を狭められませんか? 例えば、一定以上の強さを持つ者とか」

「雑魚狩りで粋がりたいって言うなら別だけどな」


 エレインが敢えて挑発するように言うと、キャロラインは頬を膨らませた。


「わたし、剣士って言ったでしょ! 言っておくけど、剣を持てば誰でも剣士ってわけじゃないのよ!?」

「そうなのか?」

「そうだよ! 人を見境無しの猟奇殺人鬼みたいに言わないでよね!」

「違うのか!?」

「違うのですか!?」


 心底驚いた様子のエレインとフレデリカにキャロラインは剥れた。


「心外千万! そもそも、わたしが斬り殺した人数なんて千人超えない程度なんだよ!?」

「……え?」

「マジ……?」


 本当に猟奇殺人鬼だった。フレデリカとエレインは顔を見合わせるとキャロラインから距離を取った。


「な、なに!? え? 百人や二百人くらい、誰でも()ってるでしょ!?」

「やってないよ!?」

「どんな世界で生きてたんだよ!?」


 困惑した様子のキャロラインにフレデリカとエレインは困惑している。


「だって、悪党を見つけたら殺すでしょ? 新技の練習台に」

「……ああ、なるほど。よく考えるとあなたは剣聖の弟子ですものね」

「け、剣聖もヤバい奴って事か?」

「い、いえ、そうではなく、カルバドル帝国の治安は剣聖によって保たれていると聞きますから、彼女も治安維持の為に罪人を罰しているという事なのでしょう」

「……新技の練習台って言ってたぞ?」

「名目はあくまでも治安維持なのでしょう……、名目は」


 フレデリカはキャロラインを見た。彼女の表情には罪悪感など欠片も感じられない。そもそも、彼女は殺人に忌避感など抱いていないのだろう。それが生業なのだから。


「……剣聖って、英雄なんだよな? その弟子がこれってどうなんだ?」


 エレインは顔を引き攣らせている。その隣でフレデリカはチャールズ・チャップリンの『殺人狂時代』という映画のワンシーンを思い出していた。

 

 ―――― 1つの殺人が犯罪者を生むが、百万の殺人は英雄を生む。数字が殺人を神聖化する。


 すべての英雄がそういう存在なわけではない。暴力を伴わずに英雄と称されるに至った人物も歴史上には数多く存在している。けれど、剣聖はそういうタイプの英雄なのだろう。

 フレデリカは寒気を感じながらもキャロラインを見つめた。

 

「キャロライン、この国でそのような蛮行を働く事は許しません」

「蛮行!? あのねぇ! 剣士が相手の時は別に殺したりしないよ!? わたしが斬り殺すのはあくまで悪党が相手の時だけ! 剣聖様や皇帝陛下が言ってたよ! 人権は法律を守る者の為の物。法律を破り、犯罪を犯した者は自らの意思で人権を捨てた者。だから、何をしてもいいんだって!」

「……マジかよ」


 エレインはドン引きしている。


「あの……、裁判とか無いのですか? カルバドル帝国には……」

「さいばん?」

「マジかよ……」


 フレデリカはお嬢様言葉を維持出来なかった。


「冤罪の場合とか、誰かに強要されて仕方なく罪を犯してしまった人とかもいるのでは?」

「冤罪なんてあり得ないよ! 帝国では国民一人一人の行動を細かく監視しているんだもん! 子供から老人まで、調べようと思えば欠伸の数だって調べ上げる事が可能なんだよ? それに、強要されたって、最終的に罪を犯したのは本人なわけだから問題無いでしょ。ちゃんと、強要した人間も斬るし」


 聞けば聞く程危ない国だ。


「とにかく! アガリア王国には裁判制度があるのです! 如何なる罪を犯そうとも、罰は裁判で決まります! 勝手な判断での殺人は許可致しません!」

「えぇ……、変な国だなぁ」


 フレデリカとエレインはそのセリフをそっくりそのまま返したいと思った。そして、改めて実感した。

 キャロライン・スティルマグナス。彼女は危険だ。放っておいたら何をしでかすか分からない。

 二人は顔を見合わせてやれやれと肩を竦めた。

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