第百七話『異常者』
シヴァとライが去って行った後、エレインは荒れた。
「……あの野郎、絶対にぶちのめす!」
シヴァの無神経な言葉が彼女の怒りを買ったようだ。
「落ち着きなさい、エレイン。彼はブリュートナギレスからの留学生よ。無礼な態度を取れば国際問題にもなりかねないの。怒るなとは言わないけど、表には出さないようになさい」
「はぁ? あんな舐めた態度取られて黙ってろってのか!?」
「そうよ」
ティナはにべもなく言った。
「良い機会だから学んでおきなさい。世の中には理不尽がいっぱいあるの。どんなに舐めた態度を取られても怒ってはいけない相手がいる。その現実を受け止めて、怒りを鎮めなさい」
ティナの言葉にエレインの表情は更に険しくなった。
彼女の気質からして、理不尽に抗うのではなく、ただ耐え忍ぶ事を選ぶなど我慢ならないという事だろう。
「エレイン」
フレデリカはまた彼女を怒らせてしまうのではないかと不安に思いながらも言葉を紡いだ。
「時には勝ち目のない相手にも立ち向かう勇気は必要だよ。でも、自分を守る為には妥協も必要なんだ」
「……妥協しろってのか?」
妥協という言葉をポジティブに受け止められる者などいない。フレデリカ自身も好きな言葉では無かった。それでも無謀な真似はさせられない。
シヴァを悪人だとは思わない。けれど、人の尺度で測れる存在でもない。何が彼の逆鱗に触れるか分からない以上、対応には慎重さが求められる。
「分かったよ」
「え?」
エレインは小さく息を吐いた。
「嫌で嫌で仕方がないって、顔に書いてあるぞ」
「え? え?」
フレデリカが顔をペタペタと触ると、エレインは吹き出した。
「物の例えに決まってんだろ」
そう言って、彼女は肩を竦めた。
「言いたくなくても言わないといけない事ってわけだろ? わたしはアイツと違って、迷惑を掛ける事を友情とは思っていないからな」
さっきのライの言葉に絡めた皮肉を口にする彼女にフレデリカは苦笑した。
「……ありがとう、エレイン」
彼女の心遣いがとても嬉しい。そして、それと同じくらいシヴァの事が腹立たしい。
彼の無神経な振る舞いに振り回されてばかりだ。表向きには彼の要望に応えて友として振る舞わなければならないだろうが、本心から彼を友と思う事は出来そうにない。
フレデリカは溜息を零した。
◆
折角茶会で休んだばかりだと言うのにシヴァの登場でぐったりと疲れてしまったフレデリカとエレインをエシャロットとティナは運動場へ連れて行く事にした。少し体を動かせば気晴らしになるだろうと考えたからだ。
ところが運動場に近づくと回れ右をしたくなるような音が聞こえて来た。
「う、運動場からだよね?」
「そ、そうみたいね……」
エシャロットとティナは顔を見合わせた。
運動場や魔法の訓練場は魔法によって隔離されている。その為、そこで大きな音を立てたり、大規模な魔法を発動させても外部に漏れる事は早々ない。その早々起こり得ない筈の事が起きている。
「なんか、面白そうだな! 行ってみようぜ!」
「うん!」
保護者の二人が警備員を呼びに行くか相談し合っている間にエレインとフレデリカが運動場へ飛び込んでしまった。慌てて二人を追いかけると、エシャロット達は信じ難い光景を目撃する事になった。
「なに、これ……」
地面にはたくさんの騎士達が横たわっていて、広大な空間を二つの何かが縦横無尽に駆け回っている。
「た、戦ってる……?」
時折、金属同士がぶつかり合う音が聞こえて来る。エシャロットは必死に目を凝らしてみるけれど、あまりにも速過ぎて誰と誰が戦っているのかが分からない。
「と、とにかく外に出ましょう!」
ティナが青褪めながら叫んだ。ただの模擬戦だとは思えなかったからだ。
地面に転がっている騎士達はアザレア学園の警備隊だ。もしかすると、先程シヴァと共に現れたライという騎士が口にした侵入者なのかもしれない。だとすれば、こんな場所にフレデリカを居させるわけにはいかない。
「う、うん。フリッカちゃん、ここから――――」
出ようとエシャロットが言い切る前にフレデリカが彼女達の前に立った。
そして、大きな声で叫んだ。
「キャロライン・スティルマグナス!」
すると、いきなり戦闘が止まった。次の瞬間、フレデリカの前に刀を持った少女が現れた。
「あれれ? そこに居るのはお姉さま!」
喜色満面の笑顔を浮かべながら、キャロライン・スティルマグナスは刀を鞘に納めた。
「キャロライン。ここで何をしていたのですか?」
キャロラインとは対照的な険しい表情を浮かべ、フレデリカは彼女を問い詰めた。
「何って、斬り合いだけど?」
その声は背後から聞こえて来た。
「っぶねぇ!」
咄嗟にアルガリアを抜剣しようとしたフレデリカをエレインが押し倒した。その直後、寸前までフレデリカの首があった空間をキャロラインの刀が通り過ぎていった。
「へぇ、良い眼をしてるね」
キャロラインは感心した様子でエレインを見下ろしている。
「テメェ、正気か!? フリッカはこの国の次期王妃だぞ!」
「だから?」
「だ……、だからだと?」
エレインは呆気に取られている。
「エレイン!」
今度はフレデリカがエレインを押し飛ばした。直後、彼女がいた場所にキャロラインは刀を振り下ろしていた。
「うんうん。この程度は避けてくれないとね」
「……キャロライン」
ゆっくりと立ち上がるフレデリカをキャロラインは満足気に見つめている。そして、背後から襲いかかってきた上級生の剣を振り返りもせずに受け止めた。
「アリサ。今はお姉さまと話してる所なんだけど、邪魔しないでくれる?」
「黙りなさい、異常者が!」
どうやら、さっきまでキャロラインと斬り合っていたのは彼女らしい。
「アリサ! この状況は何なの!?」
ティナが問い掛けると、アリサはキャロラインから視線を外す事なく答えた。
「この異常者がよりにもよってヴィヴィアン王女殿下の婚約者に斬り掛かったのよ。それで警備隊が鎮圧に来たんだけど御覧のありさま!」
その言葉にフレデリカは慌てた。
「ヴィヴィアンの婚約者!? まさか、バレット!? キャロライン! バレットに何をしたのですか!?」
バレットは強い。けれど、剣聖の弟子であるキャロラインの実力は尋常ではない。おまけに相手は次期王妃の首を何の躊躇いもなく斬り裂こうとするサイコパスだ。考えないようにしても最悪の予想が脳裏を過る。
周囲で横たわっている騎士達も起き上がってくる気配がない。気を失っているだけなのか、それとも既に事切れてしまっているのか、確認する事が恐ろしくて堪らない。
「別に殺してないよ? アリサ以外は雑魚ばっかりだったしね。うっかりで斬り殺すほど、未熟な剣は振ってないよ」
その言葉にフレデリカは安堵していいのか迷った。いずれにしても、彼女が騎士達やバレットに危害を加えた事は確かなのだ。それに、一言で失神状態と言っても侮れない。
失神状態と眠りの状態は似ているようで全く違う。失神状態は原因が肉体的なものであれ、精神的なものであれ、いずれにしても脳に酸素が十分に供給されなくなる事で発生する意識障害だ。脳に酸素が行き渡らなければ脳機能に障害が現れる可能性もある。だから、死んでいないからと言って安心は出来ない。一刻も早く治療が必要だ。
「キャロライン。即死させない事が殺さないという事ではありません。相手との合意の下での決闘ならばいざ知らず、闇雲に剣を振り、他者を害する者は剣士などではなく、ただの殺人鬼です」
「……わたしが剣士じゃないって言いたいの?」
瞳に剣呑な光を宿し始めたキャロラインにアリサ達が焦りの表情を浮かべたけれど、フレデリカは彼女達を手で制して話を続けた。
「その通りです。アリサが言っていたでしょう? 異常者と。それが貴女に下された周囲からの評価です」
「他人にどうこう言われようが知った事じゃないんだけど?」
「剣士という言葉を作ったのは貴女ではありません。貴女の師匠である剣聖マリア・ミリガンでもない。貴女が知った事じゃないと言い捨てた他人です。そして、剣士という言葉を語り継いで来たのも、そこに様々な想念を紡いで来たのも貴女にとっての知った事じゃないという他人なのです。それなのに、貴女は自身を剣士だと主張出来るのですか? 他者を切り捨てながら、他者の言葉を我がものとして扱う者を一般的には盗人と呼ぶのですが、そう呼ばれても構わないのですか?」
フレデリカの言葉にキャロラインは表情を歪めた。
苛々とした様子で後頭部を掻き毟り、フレデリカを睨みつける。
「三百代言……」
キャロラインは刀をフレデリカに向けた。
「わたしに言う事を聞かせたいなら言葉ではなく、剣で語れ!」
口喧嘩で負けそうになると直ぐに暴力に頼る。あまりにも短絡的な思考回路だけど、フレデリカにとっては好都合だった。
陛下や学園長がどうして彼女をアザレア学園に迎え入れたのか、改めて考えてみてもさっぱり分からない。けれど、そこには必ず理由がある筈だ。分からないのは情報のピースが足りていないからだろうとフレデリカは結論付けた。だから、今後も彼女がこの学園に居座り続ける事になると仮定して、取るべき行動を模索した。
「分かりました。今度は全力でお相手します」
「お、おい、フリッカ?」
「フ、フ、フリッカちゃん!?」
「フレデリカ様!?」
「一体、何を仰っておられるのですか!?」
慌てふためくエレイン達にフレデリカは人差し指を口元に当てて黙らせた。
「ただし、条件があります。まずは昏睡状態の騎士団の保護を。失神状態が続けば、彼らの脳に障害が残る可能性がありますからね。それから、わたくしが貴女に勝利した暁にはわたくしの命令に従って頂きます。いいですね?」
「……いいよ。全力って所が気に入った」
「貴女が勝った場合の条件はどうしますか?」
「いらないよ」
まるで獣のように犬歯を剥き出しにしながらキャロラインは笑った。
「結構。では、まずは騎士達の保護を」
丁度そのタイミングで運動場にアイリーンとミレーユが他の侍従や妖精、警備の騎士達を連れ立って雪崩込んできた。
「お嬢様!」
「良いタイミングです、アイリーン」
運動場でキャロラインが暴れている光景を見た時点でフレデリカはアイリーンとミレーユに念話で指示を送っていたのだ。
「では、保護は彼女達に任せましょう」
「おっ! 早速やる?」
「ここでは皆を巻き込んでしまいます。たしか、この運動場の傍には騎士候補生の為の戦闘訓練場があった筈ですから、そこにしましょう」
「おい、フリッカ! お前、正気か!?」
どんどん話を進めていくフレデリカの手をエレインが掴んだ。
「エレイン。心配してくれてありがとう。でも、大丈夫。わたくしは次期王妃となる身。王国の礎を守る人材を育むこの学園はまさに王国の未来その物であり、その未来をより良き物にする事がわたくしの務めですから」
「いや、アイツのヤバさはさっき見ただろ!?」
「ええ、キャロラインの危険性は良く知っています。だからこそ、これ以上の蛮行を見過ごすわけには参りません」
「お前は次期王妃だろ!?」
「だからこそです。民を虐げる者がいる。次期王妃として、見て見ぬ振りなど出来ません」
「怪我する事になるだろ!? 下手したら殺されるぞ! アイツならやりかねないだろ! マジでなんで入学出来たんだよ、アイツ!?」
エレインに敵意と共に指を差されても、キャロラインはニヤニヤと笑うだけだった。
「彼女の入学は陛下や学園長がお認めになった事です。そこに疑問を抱いても仕方がありません」
「何言ってんだ!? その学園長本人が言ってた事だろ! 疑えってよ! アイツを入学させたのは完全に王様や学園長のミスだろ!」
「あり得ません」
フレデリカは言った。
「エレイン。陛下は正しく神算鬼謀。このアガリア王国の繁栄は賢王たる陛下の手腕によって成り立っているのです。学園長の疑えという発言は自己の思考を怠ってはならぬと言う戒めの意味なのです。陛下が間違えるなど、あり得ません」
「……け、けどな」
エレインはフレデリカの言葉をどこか空恐ろしく感じながらも彼女を引き止める為に言葉を尽くそうとした。彼女から見たフレデリカは剣はおろか、ペンよりも重い物を持った事すら無さそうなまさに深窓の令嬢だ。そんなか弱い存在を危険人物と戦わせる事など出来る筈がない。
「だったら、わたしがやる!」
「エ、エレイン?」
「お前にやらせるくらいなら、わたしがやってやる!」
勝てると思っているわけではない。エレインは故郷の村で荒くれ者を叩きのめしたり、周囲を彷徨く魔獣を討伐したりと交戦の経験がそれなりにある。だからこそ、自分の実力は確りと把握出来ていた。運動場に入った直後に見た光景の中に自分が混ざり込んでも一秒と保たないだろう事が理解出来ている。
怪我をするかもしれない。死ぬかもしれない。それでもやると彼女は言った。
「……エレイン」
出会った時からフレデリカはエレインの事が好きだった。共に過ごしているとますます好きになった。彼女の優しさを知り、強さを知り、勇敢さを知り、大好きになった。
「じゃあ、ついて来て。君にだけは見せてあげる」
フレデリカはエレインの手を取った。
「お、おい?」
「エシャロット。クリスティナ。アリサ。貴女達はここで待っていて下さい。アイリーン、ミレーユ! 騎士達の事は任せましたよ」
アイリーンとミレーユは何事か言いた気だったけれど、フレデリカは視線で黙らせた。
二人と共に駆けつけてきた騎士達や他の侍従は困惑している様子だけど、事情を把握すれば止めようとするだろう。そうなる前にフレデリカはキャロラインへ視線を移した。
「行きますよ、キャロライン」
「はいはーい!」
陽気な返事を返す彼女とエレインを引き連れて、フレデリカは戦闘訓練場へ移動した。
「じゃあ、やろっか!」
キャロラインが刀をフレデリカに向けた。その前にエレインが躍り出ようとするとフレデリカが止めた。
「フリッカ!」
「大丈夫だから、見てて」
フレデリカはエレインに笑いかけた。
「わたしの変身!」
「……はぁ?」
フレデリカはキャロラインに視線を移して呟いた。
「『魔王再臨』!」




