第百二話『誰が為に生きるのか』
ボンズに勇気を貰って立ち上がるとエレインが振り向いた。彼女も此方に気付いたようだ。とても気まずいけれど、ここで尻込みしたら彼女との関係は永遠にこのままだ。
「エレイン!」
「……フレデリカ」
彼女の鳶色の瞳に呑まれそうになると、ボンズが手を握ってくれた。
『エスコートしたるで』
ふわふわな毛とぷにぷにな肉球の感触に緊張が少し解れた。
一歩ずつ近づいていくオレを彼女はジッと待ってくれていた。
「エレイン。今朝の事を」
謝らせて欲しいと言おうとしたらエレインがオレの口に人差し指を当てた。
「待った! 謝るのはわたしの方だ。悪かったよ」
「……え?」
謝ろうとしたのに、逆に謝られてしまった。キョトンとしていると彼女は言った。
「レネにガッツリ叱られたんだ。いや、叱られる前に気付けって話だけどよ……」
エレインはすまなそうに視線を下げた。
「お前の立場ってもんを考えてなかった……」
「……立場など関係ありません。あの時、わたくしはただ感情のままに言うべきではない事を口走っただけなのですから。謝罪をするべきはわたくしの方なのです」
「けど、怒らせちまったのはわたしだろ?」
「違います。わたくしはあの時、それ以外の考え方を認めたくないと意固地になっていたのです。実に不遜な態度でした……」
オレの言葉にエレインは深々と溜息を零した。呆れられたのだろう。
「不遜も何も、お前は次期王妃だろ?」
「それとこれとは関係ありません。いえ、むしろ次期王妃だからこそ多様性を軽んじるような発言をした事は由々しき問題であり、是正するべき事だと……」
「……ほんとに真面目な奴だな、お前」
エレインは肩を竦めた。
「でも、そういう奴が次期王妃ってのはありがたい話だよな」
そう言って、彼女は微笑んだ。
「エレイン……?」
「けど、あんまり背負い込み過ぎんなよ? お前に潰れられたら、きっとこの国はおしまいだ」
「……買い被りですよ」
「そうでもないぜ? わたしの勘は結構当たるんだ」
そう言うと彼女は自らの寮姉に顔を向けた。
「なあ、二人でちょっと歩いて来ていいか?」
「いいけど、あんまり無礼な態度は取らないようにね。言っておくけど、既に赤点スレスレよ?」
「へいへい、理解ある返答ありがとよ」
彼女の寮姉との関係は上々らしい。出会って間もない関係である筈なのに実に気安げだ。
「エシャロット」
「いってらっしゃい、フリッカちゃん!」
「はい!」
エシャロットは笑顔で送り出してくれた。オレ達も悪くない関係を築けていると思う。彼女の隣でボンズも手を振ってくれていた。
「行こうぜ、フレデリカ。お前、花は好きか? わたしは結構好きだぜ」
「……わたくしも大好きです。お気に入りの花はありますか?」
「えーっと、ここにあっかな? 名前は知らねぇけど、オレンジの小さい花が結構イケてると思うんだよ」
「オレンジの小さい花と言うと、セキレアかアレンシアでしょうか?」
思いついた花の名を口にしながら二人で庭園を歩いてみた。色とりどりの花々が鮮やかに咲き誇っている。
エレインのお気に入りはすぐに見つかった。オレの推理は見事に的中し、その花がセキレアという名である事を彼女に教えてあげる事が出来た。
「セキレアは気温や湿度の変化に強い花なのです。だから、夏でも冬でも変わらずに愛らしい姿を見せてくれるのですよ」
「そこだよ、そこ! わたしが気に入ったのは、まさにそこだ! 他の花が枯れてる時期でも咲いてっから、こいつは気合が入った花だって感心したもんだぜ」
「なるほど、あなたらしいですね。他にもセキレアのように強い花がありますよ。そちらも見てみましょうか」
「おう! けど、その前に一ついいか?」
「なんです?」
「それだ、それ」
「それ?」
「お前の言葉は丁寧過ぎる。なんか、こそばゆいんだよ! もっと、フランクに話してくれないか?」
「え? えーっと、オーケー。これでいい?」
「おっ! それそれ! そういう感じ!」
王宮に移り住んでからは令嬢らしい振る舞いを心掛けて来たから、なんだかホッとした。
「じゃあ、別の花を見に行こっか」
「おう! お前のお気に入りも教えてくれよ」
「いいよ!」
キョロキョロと辺りを見回すと庭園の中心部にその花は咲いていた。
「カレンデュラ。わたしのお気に入りなんだ」
「へぇ……って、どれだ?」
エレインは首を傾げている。オレが花園で育てていたカレンデュラはアルの髪色に合わせて黄色のものを厳選していたけれど、ここには黄色以外のカレンデュラもある。
「全部だよ。全部がカレンデュラなのさ。ただ、その中でもこの色のカレンデュラが一番好きなんだ」
「へぇ、おもしれぇな」
エレインは興味深そうにカレンデュラを見つめた。
「わたしはやっぱりオレンジがいいな」
「髪の色と似てるから?」
「おう! 親近感ってやつが湧くぜ」
エレインは自分のオレンジ色の髪を抓みながら言った。
「そう言えば、お前の花があるって聞いたぜ?」
「ああ、月の花だね。あるかなぁ……」
あれは品種改良でつい最近生み出されたばかりの新種の花だ。その内に市場へ種が出回るようになると思うけれど、まだ早いと思う。
「あっ、蝶だ」
エレインが蝶を見つけた。紫色のとても美しい蝶だ。思わず見とれて飛んでいく先を見つめていると蝶は銀の花弁を持つ花に止まった。
「あった」
それは月の花だった。
「もしかして、君も妖精なの?」
オレの言葉に肯定の意を示すかのように蝶は羽ばたき、オレとエレインの周りをゆらゆらと舞うとどこかへ飛び去ってしまった。
「……なんか、もうどれが妖精でどれが本物なのか分からねぇな」
「だね……」
ボンズは分かりやすいタイプだったけれど、今の蝶と本物の蝶が混ざっていたら絶対に見分けられなかったと思う。
「にしても、これがお前の花か! いい感じだな」
「ありがとう。わたしも気に入ってるんだ」
二人でじっと花を見つめているとエレインが突然笑い出した。
「どうしたの!?」
「いや、悪い。いつもは笑われる方なもんでよ」
「笑われる方って?」
「わたしが花を好きって言うと、大体の奴は笑うんだよ。なのに、お前は笑わないだろ。それがなんだかおかしくなっちまってさ」
言わんとしている事は分かる。男勝りな性格のエレインは傍から見ると花より団子なタイプに見える。だけど、それはあくまでもイメージの話だ。本当の彼女は団子よりも花を愛でるタイプだというだけの事だ。
「エレイン。君が君らしく在る事を笑うわけがないよ。ただ、可愛らしいとは思うけどね」
「ほあ!?」
エレインは素っ頓狂な声をあげた。オレはビックリしてひっくり返りそうになった。
「ど、どうしたの!?」
「どうしたのじゃねぇよ! お、お前がへ、変な事言うからだろ……」
エレインは耳まで真っ赤になっていた。どうやら、照れているようだ。
「……変な事など言ってないよ。君はこんなにも可愛らしいじゃないか」
ちょっと悪戯心が湧いて来た。
「だぁぁぁぁ、やめろ! マジでやめろ! それ以上言ったら押し倒すぞ!」
「まあ、大胆!」
なんだか楽しくて、オレは肩を震わせながら笑った。すると、エレインも顔を赤くしたまま笑い始めた。それが余計におかしくて、二人でいっぱい笑いあった。
こんなに笑ったのはいつ以来だろう。思い出す事が出来ない。きっと、生まれ変わってからは初めてだ。
「あっはっはっはっはっは!」
「はーっはっはっはっはっは!」
笑い疲れるまで笑って、オレはエレインと一緒にベンチに座った。
「なあ、フリッカ」
フリッカと呼んでもらえて、頬が緩んだ。
「わたしには王国の為に生きるってのは無理だ。顔も知らない奴の為には頑張れねぇ」
「……そっか」
「けど、お前の為なら生きられる」
「エレイン?」
エレインはピョンとベンチから跳ねるように立ち上がった。
「それで勘弁してくれよ。今の所はさ」
「……うん。ありがとう、エレイン」




