第九十七話『喧嘩』
食には妥協しない。これはカルバドル帝国の始皇帝ハロルド・カルバドルが掲げた帝国の国是であり、友好関係にあった時代にアガリア王国にも取り入れられた考えだ。
美味しい物を食べれば誰もが幸せになれる。食文化の活性化は国民の幸福度を引き上げる最も効果的な方法だ。
そのおかげでアザレア学園でも素晴らしい食事にありつけるというわけだ。
「そういや、今日は何すんだ?」
朝からガッツリとステーキを平らげていたエレインがおもむろに言った。
「午前は寮姉妹の選定と交流会ですね。午後からは各々の寮姉に学園内を案内して頂く事になっています」
「ああ、案内にあったアレか……」
エレインは面倒くさそうな表情を浮かべた。
「そういう表情を浮かべるべきではないな」
そんな彼女にザイリンがナプキンで口元を拭いながら言った。
「あん?」
「寮兄弟として共に過ごした相手とは生涯を通じた関係になる事が往々にあるという。それが絆を結んだ義兄弟としてか、溝深き怨敵としてかは各々によるがな」
「怨敵……? はぁ? 怨敵!?」
不穏な言葉にエレインは目を丸くした。
「待て待て待て! これ、学校行事だろ!? なんで、そんな事になるんだ!?」
「人間誰しも気に入らない相手というものはいるからな。そういう相手に奉仕したり、奉仕されたりしたらな」
「いや、怨敵ってなるまで拗らせるなよ!! 教師は何をやってたんだ!?」
実に真っ当なツッコミだと思う。ただ、それには事情があるのだ。
「寮姉妹の制度は契約魔法の一種なんですよ」
「契約魔法?」
エレインはキョトンとした表情を浮かべ、レネを見た。
「え、えっとね! 魔法の一種で、約束を破れないようにする魔法だよ」
「約束を破れないように……? あーっと、つまり……、寮姉妹の関係はその契約魔法で解消出来ないっつー事か?」
「そう言う事です」
「……なんで?」
彼女は不可解そうに首を傾げた。恐らく、怨敵を作り出すような制度に関係の解消を出来ないよう契約魔法を施す事が不可解なのだろう。
気持ちはよく分かる。オレも最初に聞いた時は意味が分からなかった。ただ、アザレア学園の前身であるシュテルヴィスクの創設理念を知った今となると納得出来る部分もある。
シュテルヴィスクは偉大なる王を生み出す為の施設だ。万人の為にあるわけではなく、卓越した一人の為にある。途上で脱落した者に与える慈悲はなく、だからこそ容赦がない。
「アザレア学園の伝統だからです」
「はぁ?」
「エレイン。アガリア王国にはアザレア学園の他にも多くの学び舎があります。その中からこの学園を選んだからには覚悟を決めなければいけません」
「……覚悟?」
「そうです。この学園を無事に卒業した暁には平民であっても王国の要職に就く道が開かれます。だからこそ、多くの人々がこの学園の門戸を叩くわけですが、それはアザレア学園の卒業者という肩書に相応の価値があるからこそなのです」
アザレア学園は誰に対しても平等にチャンスを与える。けれど、そのチャンスを掴み取れるかどうかは本人次第だ。
「この学園に入学し、卒業する意思を持つならば、同時に覚悟を決めなさい。研鑽を積み、アガリア王国の礎となり得るだけの存在となる為に艱難辛苦を乗り越える覚悟を」
「……国の礎だ? わたしは別に国の為なんかで入学したわけじゃねーぞ」
「ならば出て行きなさい」
「あ?」
エレインの事は嫌いじゃない。むしろ、個人的には好感を抱いている。
けれど、この学園に入学した以上は考えを改めてもらう必要がある。
「国を繁栄させ、民が飢える事なく幸福に生きられる世を作っていく。わたくしを含めて、王国の貴族はその為に存在するのです。そして、この学園を卒業する者は平民であってもその責務を負うことになります。国の為ではない? ならば、今からは国の為に生きなさい」
「……お、お前」
「民として生きるならば自分を第一に考え、幸福になるべきでしょう。けれど、この学園を卒業すると言うのならばもはや民ではありません。民を守り、導く者。寮姉妹の制度で怨敵を作った者にはその自覚と覚悟が足りなかったのでしょう。例え、相手が不倶戴天の敵であろうと国の為に必要とあらばリスペクトし、深い絆を結びなさい。その程度の事すら出来ない者など必要ありません」
この学園の卒業者はアルが築いていく未来のアガリア王国の礎となる者達だ。そこに生半可な者など要らない。そして、この学園は生半可な者を卒業させるほど甘くはない。
途中で脱落するくらいならば早い内に別の道を模索した方が良いだろう。
「……フレデリカ様、顔怖いよ?」
アリーシャが言った。
「笑顔で言う事ではありませんからね」
「……ッケ! んな建前本気で言ってる奴ばっかりになったら逆にヤベーだろ」
「それは……」
エレインは乱暴に立ち上がると鼻を鳴らしてオレ達に背中を向けた。
「ま、待って、エレイン!」
去って行くエレインをレネも慌てて追い掛けて行く。二人の背中を見送りながら、オレは唇を噛み締めた。
ついカッとなってしまって、言わなくても良いような事まで言ってしまった。
「無礼者!」
いきなりアリーシャが叫んだ。ビックリして彼女を見ると、彼女は舌をペロッと出した。
「って、怒らないんだね」
「……当たり前です。先に無礼を働いたのはわたくしの方なのですから……」
人にはそれぞれ事情がある。それなのにオレは一方的な観点を押し付けようとした。反発されて当然だ。
あまりにも愚か過ぎる。次期王妃として在るまじき振る舞いだ。
「ほらほら! 暗い表情浮かべてないでそろそろわたし達も移動しようよ! そろそろ時間だよ!」
「……そうですね」
立ち上がるとアリーシャがオレの手を掴んだ。
「アリーシャ?」
「さあさあ、レッツゴー! 行くよ、フリッカ!」
「え? は、はい!」
いきなり愛称で呼ばれてビックリした。だけど、なんだか気分が軽くなった気がする。
「フ、フリッカちゃん!」
すると、今度は反対の手をロゼが掴んで来た。
「ロ、ロゼ!?」
「い、行きましょう!」
「え? ちょっ!?」
両手を引っ張られてバランスを崩した。そのまま転んでしまうかと思ったのに、なにやらモフモフな触感に包まれた。
「……ボンズ?」
『慌てると危ないで?』
どうやらボンズが大きな尻尾で受け止めてくれたようだ。モフモフだ。そして、ポカポカだ。
「ごめんね、フリッカ……」
「ご、ごめんなさい!」
アリーシャとロゼに謝られたけれど、ボンズが受け止めてくれたから問題無しだ。むしろ、転ばせてくれてありがとうと言いたい。
「いえいえ、平気ですよ。むしろ、ボンズがモフモフです」
『せやろ?』
ボンズの尻尾が弾むように揺れて立ち上がらせてくれた。
『ほな、慌てるんやないで』
「はい! ありがとうございます、ボンズ」
お礼を言うとボンズは尻尾を振りながら去って行った。
「……男として完敗だな」
ザイリンがボソッと呟いた。
「ザイリン?」
「オレも見習わなければいけないな」
彼は熱い眼差しをボンズの背中に向けている。
オレもトキメイてばかりいないでボンズの紳士的な行動を見習うべきだろう。
「……エレインに謝らないと」
「謝るべきは彼女の方では? 姫様の言葉に間違いなど無かった。この学園に通う事を決めたのならば国の為を第一に考えるべきだ」
「間違っていましたよ。現にわたしは彼女の言葉に対して答えに窮してしまいましたし……」
「そうかな? 彼女のアレは単なる捨て台詞だ。多様性がアウフヘーベンの為に不可欠である事は認めるけど、それは国家の為という前提があってこそのもの。その前提すら否定するなら、彼女にアザレア学園の生徒たる資格はないさ」
「そう言うの良くないと思うなー」
アリーシャが言った。
「なんだい? 君はあの狼藉者を庇う気かい?」
「ちょ、ちょっと、二人共……?」
今度はアリーシャとザイリンが睨み合い始めてしまった。
「国の為って言うのは大事だと思うよ? でも、君が言ってる事が本当に国の為になると思ってる?」
「なに……?」
「そりゃ、みんなが国の為を考えて一生懸命になれるならいいけどさー。そうじゃないでしょ?」
「……そういう者達を篩い落とすのもアザレア学園の役割だ」
ザイリンの言葉にアリーシャは深々と息を吐いた。
「器がちっちゃい!」
「なっ!?」
「あのさ? 人はそれぞれオンリーワンなんだよ!? 同じ人間なんていないの! それなのに自分と違う思想を持ってる人間を排除していったら、最後は誰も残らないよ!?」
その言葉にザイリンは目を見開いた。
「あと、君はフリッカと同じ立場で話しているつもりかもしれないけど全然違うからね? フリッカはさっき怒ってたの! 感情のまま怒りをぶつけちゃっただけなの!」
今度はオレが目を見開く番だった。
「……フリッカ、今まで同い年の友達がいなかったんでしょ?」
それは違うと反論したかった。生まれ変わる前の世界にはいたのだ。
だけど、この世界にはいない。アルは婚約者だし、バレットやジョーカーも友達とは違う気がする。エルフランとも、生まれ変わる前のように接する事が出来ていない。
彼女が言う通り、オレには友達と呼べる存在がいない。その事に今更になって気が付いた。
「わ、わたくしは……」
「フリッカ」
「……え?」
アリーシャに抱き締められた。
「昨日、ロゼに愛称で呼んでもらおうと必死になってる姿を見てたよ。それにさっきのやりとりとかで分かったの。公爵令嬢だし、皇太子殿下の婚約者だし、次期王妃様だし、大変だよね? 自分の事を押し殺して、国の礎になる為に覚悟を決めなきゃいけないって、自分に言い聞かせていたんだよね?」
オレは息が出来なくなった。まるで、自分の心を見透かされているようで怖かった。
「フリッカ。あなたは一人になっちゃダメな人だよ。エレインとも仲直りしよう。わたしも協力するから」
「……アリーシャ」
オレは彼女に縋り付くように背中へ手を回した。
「うん……」




