第九十六話『ボンズ』
アザレア学園はとても広大だ。その為、食事を取れる場所がいくつもある。
オレ達はミレーユにヘミルトン寮から一番近い食堂へ案内してもらった。入り口の所で一度彼女と分かれて中に入るとオレは少し息を呑んだ。
「わーお! ファンタスティック!」
隣でアリーシャが歓声をあげた。その気持ちは分かる。そこはまるで聖堂のように美しい場所だった。
壁には彫刻が所狭しと施され、天井には巨大な竜の絵が飾られている。長テーブルには品の良い形のランプが並んでいて、そこでたくさんの生徒達が食事を取っていた。
この世界に転生してから十三年の年月を過ごして来たけれど、日本では中々見られなかった光景には心を揺さぶられる。実にファンタスティックだ。
「ふぁんたすてぃっく?」
エレインにはよく分からない感覚だったようだ。首を傾げながら空いている席を探している。ヘミルトン寮以外のリボンを身に着けている生徒も多く、意外と混んでいる。
「あっ!」
食堂内を見回していると見覚えのある二人の姿を見つけた。ロゼとザイリンだ。
「ん? どうした?」
「昨日知り合った子達がいたのです。周りの席も空いていますね。あそこに行きませんか?」
「いいんじゃね? おっし、行くぞ!」
「ほいほーい!」
「う、うん……!」
四人で近づいていくとザイリンが此方に気付いてくれた。
「やあ、姫様。おはよう」
「おはようございます、ザイリン。ロゼもおはようございます」
「あっ、フ、フ、フリッカちゃん!? お、おは、おはようごじゃましゅ」
可愛い。ちょっとだけ不安だったけれど、ロゼは一夜明けてもオレの事をフリッカと呼んでくれた。すごく嬉しい。
「いきなり話しかけたから驚かせてしまいましたね。ごめんなさい、ロゼ」
「へあ!? い、いえ! ぜ、全然です! わ、わたしが勝手にあわ、慌てちゃったのでありましてその……」
「とりあえず落ち着けよ、お前」
真っ赤になるロゼにエレインが言った。
「はえ?」
いきなり見知らぬ相手に声を掛けられて、ロゼは目を白黒させている。
ビックリしているのだろうけれど、一旦落ち着いてくれている内に自己紹介を済ませておこう。
「ロゼ、ザイリン。此方はエレイン・ロットです。そして、レネ・ジョーンズと――――」
「わたしはアリーシャ・ヴィンセント! よろしくね!」
アリーシャの笑顔にザイリンは頬を赤らめた。改めて見るとアリーシャは本当に可愛らしい。見る者を惹き付ける魅力がある。まるで王妃様のようだ。
恐らく、彼女は自分の魅せ方を完璧に理解しているのだろう。次期王妃としては見習うべき点だ。
「ロ、ローゼリンデ・ナイトハルトです。よ、よろしく」
「オレはザイリン・サリヴァンだ。よろしく」
「サ、サリヴァン!?」
いきなりレネが素っ頓狂な声をあげた。
「ほあ!?」
「ほえ!?」
「およよ!?」
「どうした!?」
オレ達が飛び上がるのを尻目にレネは瞳を輝かせながらザイリンに近づいていく。
「あ、あの! もしかして、スカイ・サリヴァン様の!?」
「えっと……、うん。一応、スカイはオレの御先祖様だけど……」
ザイリンは助けを求めるように此方を見ている。
「レ、レネ? ど、どうしたのですか?」
恐る恐る声を掛けるとレネはキラキラした目を向けて来た。
「サリヴァンだよ! スカイ・サリヴァン! 『真紅と漆黒』の! 『赤と黒の帳』の! 『黒の決意と王の威光』の!」
「ははーん、なるほど! 君、演劇オタクだね?」
指パッチンの音と共にアリーシャの名推理が冴え渡る。
「あなたも演劇が好きなの!? わたし、七英雄が登場する演劇は全部観に行ってるの! 全部! 特にスカイ・サリヴァンの演目は台本や小説も取り寄せてもらっているの! 華やかな表舞台に背を向けて、王国に忍び寄る悪意を討つ王の影! 彼女がウェスカー・ヘミルトンとクレア・リードをエルトリア・アガリア様の下へ導いた事で七英雄は二代目魔王との決戦への第一歩を踏み出す事になる! 彼女が海賊船クリムゾンリバー号に単身で踏み込み、そこでウェントワース・レッドフィールドと出会う『真紅と漆黒』の序章のシーンがとにかく最高なんだよね! 命を賭けて自らの下へやって来た彼女に対して、ウェントワースは敬意を抱くの! 世界中を飛び回り、魔王出現に対して静観を決め込んでいたリエンの守護者や妖精の隠れ里で育てられた大剣豪を見つけ出したのも彼女なんだよ! 本当にかっこいいの! キャー!」
「お、おう……」
「分かります!」
エレインは引いているけれど、オレは嬉しかった。同志がいた。
「『黒の決意と王の威光』の中盤のシーンなんて、特にかっこいいですものね! 彼女が月夜の晩に高い塔の上で呟くセリフがもう!」
「分かる!! 『わたしは闇に生きる者。闇に在りて、闇を祓う者。魔王よ、貴様の闇もわたしが祓う!』」
凄い。スカイ・サリヴァン役を担う舞台女優の中でも個人的に一番の嵌り役だと思っているイゾリアス・アルタニスの言い方にそっくりだ。
「それ、イゾリアス版ですよね!?」
「せいかーい!」
オレと彼女はハイタッチした。
「……レネ。お前、めちゃくちゃ喋るじゃん……」
「フレデリカ様も結構オタク!?」
正直、このまま延々と彼女と演劇談義に花を咲かせたい所だけど、そろそろ朝食を食べないとオリエンテーションの時間が来てしまう。
「レネ。今度、空いている時間にもっとお話しましょう!」
「うん!」
ポカンとしているエレインとアリーシャも席に座らせて、とりあえず食事を取ることにした。
注文の仕方はミレーユに聞いている。テーブルに置いてある鈴を鳴らすとふとっちょなリスがやって来た。
めちゃくちゃ可愛い。
「な、なんだコイツ?」
エレインは目を丸くしている。
『ワイはボンズや! 注文聞きに来たで!』
喋った。かなり独特な訛りがあるけれど、そこがまたオレに心にどストライクだった。
「か、かわいい。あの、ほっぺを触ってみてもいいですか!?」
『ええで』
「やった!」
オレはボンズの頬に触れた。モチモチだ。
「お、お腹も触っていいですか!?」
『ええで』
サービス精神旺盛なボンズの言葉にオレは歓喜した。転生する前から動物は大好きだった。特に大きいのやポッチャリしているタイプの動物が好きだ。
ボンズのお腹に触れると毛皮がフワフワしていた。だけど、その奥には確かな肉の塊があった。モチモチだ。
「……ほぁぁぁ」
いつまでも触っていたい。というか、持って帰りたい。一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たりしたい。
『……そろそろええか?』
「え?」
ボンズが離れて行く。
『すまんな。けど、そろそろ注文取らんと飯の時間無くなんで?』
「あっ!」
そうだ。彼はオレ達の注文を取りに来てくれたのだ。それなのに邪魔をしてしまった。
「も、申し訳ございません……」
『ええで。ワイの魅惑のボデーにメロメロになるんは仕方のないこっちゃ!』
優しい。紳士的だ。抱き締めたい。
わたし達が注文を伝えると彼は去って行った。名残惜しくてついつい手を伸ばしそうになる。
「……あれ、可愛いか?」
「う、うーん……」
「ま、まあ、可愛いのではないか……?」
エレイン達の反応が微妙だ。
「え? 可愛いじゃないですか! ねぇ、アリーシャ!」
「うーん。見た目は可愛いと思うけど、喋り方がちょっと……」
「え?」
オレはロゼを見た。彼女なら分かってくれる筈だ。
「可愛いですよね!?」
「は、はい! とても可愛いと思います!」
「ですよね!?」
分かってくれた。オレは彼女を抱き締めた。
「あわわ!? フ、フリッカちゃん!?」
「あとで一緒にまた触らせてもらいましょうね!」
「え? あっ、いや、わたしは……」
「え?」
「さ、触りたいです!」
「ねー!」
オレは厨房の前で注文を伝えているボンズを見つめた。大きい尻尾が右に左に揺れている。
彼が振り向いた。オレが見ている事に気付いたようだ。大きいお目々を片方パチンと閉じた。ウインクしてくれた。
「可愛い……」
「……そ、そうか、良かったな」
エレインはどこか引き気味だ。どうやら、彼女にはボンズの魅力が分からないみたいだ。可哀想に……。
「なんで憐れまれてんだよ!?」
「フレデリカ様、思ってたより大分愉快だね!」
「オレとしてはあっちの空を飛んでいるウサギの方が可愛いと思うがな……」
ザイリンが見ているウサギも悪くない。だけど、オレの一番はボンズだ。これは譲れない。
とは言え、他にも可愛い動物がいっぱいいる。彼らは全員が妖精らしい。
「わたしはあっちのデッカイ子がいいなー」
アリーシャは馬のようなサイズのカピパラを見ている。
「デカ過ぎないか!?」
エレインは目を丸くしている。
「わたし、あのサイズにグッと来るんだよ!」
オレもかなりグッと来ている。あの巨大カピパラにも触ってみたい。
「そう言うエレインはどの子がいいの?」
「え? わたしはそうだな……」
エレインはキョロキョロと食堂を見回すと一点を注視した。
「あの猫とかいいんじゃねーの?」
彼女は実に普通のセンスだった。普通に可愛い猫だった。
「おい、なんでガッカリした感じなんだよ!?」
彼女はさっきからちょいちょい此方の感情を読み取ってくる。ウソを暴けたりと相手の感情を察する能力が高いようだ。
ロゼやレネにも聞いてみようと思ったけれど、その前にボンズが食事を運んで来てくれた。彼の周りに料理が魔法で浮かべられている。
それぞれの前に注文した食事を置くと、ボンズはオレの膝の上に乗って来た。
「ボ、ボンズ?」
『抱っこして、ええんやで』
キリッとした表情で彼は言った。かっこいい。可愛い上にかっこいいとか無敵か!? オレは遠慮なく抱き締めた。
「いや、食べ辛いだろ」
エレインがツッコんだ。
『それもそうやな』
「え?」
ボンズはアッサリ膝から降りてしまった。
「ボ、ボンズ……」
『また今度抱っこさせたるからええ子にしとるんやで!』
「は、はい! いい子にしています!」
去り際もとてもクールだ。
「……可愛いかどうかはともかく、大分面白い奴だな」
「わたしも可愛いかどうかは別として、結構好きかも」
「ああ、可愛いかどうかは置いておくとして、なんとも愉快な奴だな」
「可愛いでしょ!?」
まったく、彼らは分かっていない。あの愛くるしい姿が遠ざかっていくのが寂しくて堪らない。
「……本当に愉快な人」




