第九十五話『一年目の始まり』
窓から差し込む陽光で目が覚めた。公爵家の自室とも王宮の自室とも違う部屋に少し混乱しかけたけれど、欠伸を噛み殺しながら窓辺に寄ると意識がハッキリして来た。
「アザレア学園に入学したんだったな……」
辺りを見回してみる。普段過ごしている部屋と比べるとこじんまりとしていて、生まれ変わる前の世界での自室を思い出させた。
備え付けの鏡台に向かうと使い慣れている化粧品の数々が並んでいて、書棚には愛読書が並んでいる。寝ている間にアイリーンかミレーユが運び込んでくれたのだろう。
「……さて、あまりのんびりもしていられないぞ」
小机に置かれている鐘を鳴らす。シャランという華麗な音が響き渡り、間を置く事なく部屋の扉が開かれた。
「おはようございます、フレデリカ様」
入って来たのはミレーユだった。
「おはよう、ミレーユ」
彼女に身支度を整えて貰いながら今日の予定を確認しておく。
授業はまだ始まらない。入学してからの最初の一週間は学園に慣れる為の期間なのだ。
その一環として、今日は寮姉妹となる相手と対面する事になっている。
寮姉妹、あるいは寮兄弟とは同性の年長者と疑似的な兄弟姉妹関係を結ぶというアザレア学園の制度の一つだ。年少の者は年長の者の身辺の雑用をこなし、代わりに年長の者は年少の者を保護し、学園生活における様々な知識を授ける。
誰と誰が兄弟姉妹の契りを結ぶ事になるかは当日にならないと分からないのだけど、オレの場合は十中八九ヴィヴィアンだろう。
別に裏で忖度があったわけではない。寮兄や寮姉は基本的に寮弟や寮妹よりも身分が上か、最低でも同等の生徒が選ばれるからだ。そうでなければ身分が下の生徒の世話を身分が上の生徒が行う事になり、それは要らぬ確執を生み出す事に繋がりかねない。
その点を踏まえるとオレと同等以上の身分の生徒はヴィヴィアン以外に存在しないのだ。
一応、例外はある。例えばヴィヴィアンだ。彼女も階級ピラミッドの頂点にいる。サリヴァン家は王家と密かに対等な立場を取っているのだけど、その事を公表してはいない。つまり、格上どころか同等の者すらいなかったのだ。そんな彼女と寮姉妹の関係を結ぶ事になったのは当時のヘミルトン寮の監督生だった。
最初はあまり良い関係とは言えない状態だったらしい。学園側はヴィヴィアンが入学する事を彼女が生まれた時点で既に把握していたし、その事を加味した上で彼女が入学する年の監督生を選定していた。それでも王族に対して平気で雑用を命じられるような人間など早々いるものではない。快活な女性だと聞いていたのに、ヴィヴィアンが寮姉の笑顔を見る事が出来たのは二年後の事だった。そして、本当の彼女と姉妹として過ごせた時間はとても短かったそうだ。今でも付き合いは続いているそうだけど、その事を語った時の彼女の表情はとても寂しそうだった。
「出来ましたよ、フレデリカ様」
「ありがとう」
アザレア学園には学生服がある。デザインは共通しているのだけど、リボンや模様の一部が寮ごとに異なっている。ヘミルトン寮のリボンは白を基調としていて、茨のような模様の刺繍が施されている。
それぞれの生徒がどの寮に振り分けられるのかは儀式の後でなければ分からないわけだから、この制服は昨晩の内に準備されたものという事になる。
大変な手間だけど、どうやら妖精が手を貸してくれているそうだ。
「そう言えば、ミレーユはもう妖精には会ったの?」
「はい。フレデリカ様の制服一式を今朝運んで来てくださいました」
「そうなの!? 会ってみたかったなぁ……」
「いつでも会えますよ。彼らは学園の至るところで働いているようですから」
「ちなみにどんな姿をしてた? 本によると『姿は一定ではなく、けれども非常に美しい』って書いてあったけど」
「まさしくその通りの姿でした。絵本の挿絵に描いてあるような羽を生やした子供をイメージしていたのですが、制服を運んできて下さった妖精は花がいくつも連なっているようなお姿でした」
「花がいくつも……? うーん、イメージしにくいな……」
「えっと、花輪と言いまして、花同士を茎で結んで輪を作る物があるのですがそのような感じでした」
「ああ、それなら分かるよ! なるほど……、なるほど? イメージは掴めたけど……、それでどうやって制服を持って来たの?」
「魔法を使っていた御様子でした。キラキラとした光がフレデリカ様の制服を覆っていて、妖精様の近くをふわふわと浮いていたのです」
「なるほど……」
たしか、ゲームでも妖精が何度か登場していた筈だ。だけど、その時はミレーユが言っていたように絵本の挿絵に描いてあるような羽を生やした子供というビジュアルだった。
エルフランの軌跡のシナリオだけではなく、ザラクの冒険における終盤よりも少し前に辿り着く事になる妖精の森の妖精達も基本的には人型だった。だから、本に書いてある『姿は一定ではなく』という一文が不可解だった。
どうやら、ゲームでのビジュアルはいわゆるデフォルメというものだったらしい。
「妖精とは話せるのかな?」
「はい! とても可愛らしい声で話しかけてくださりました」
ミレーユはその妖精の事をいたく気に入った様子だ。普段よりも表情がころころと変化して、なんだか嬉しくなった。
「会ってみたいな」
「普段は庭園で花の世話をしているそうですから、いずれ会えるかと思いますよ」
「そうなんだ! ここでも花を育てたいと思ってたんだよ。どこか一部だけでも庭園を貸してもらえないか相談してみるつもりだったんだ」
そうしてミレーユと話していると朝食の時間が近づいて来た。
彼女を引き連れて部屋を出ると他の扉からも生徒達が出て来た。みんな、オレを見るなり緊張した様子を見せる。
公爵家や王宮で会う人達とは全く違う反応だ。なんだか、とても気まずい。
「おはようございます」
試しに近くの女の子に声を掛けてみた。
「あっ、えっと、あ、あの、お、おへようございましゅ!!」
噛んでしまって真っ赤になったかと思うと、今度は涙目になって青ざめていく。
なんだか、申し訳ない気分になって来た。
「だ、大丈夫ですか?」
「ひゃ、ひゃい!?」
ロゼも似たような反応だったけれど、これがオレに対する普通の反応というものなのだろうか? だとすると、先行きが凄く不安になって来た。
かと言って、オロオロする相手にオロオロする事しか出来ずにいては次期王妃としての沽券に関わる。
まずは相手を落ち着かせよう。こういう時はまっすぐに目を見る事が重要だ。そして、パニックに陥っていても聞こえるように言葉をゆっくりと柔らかめな声で伝える。
「わたくしはフレデリカ・ヴァレンタインです。あなたのお名前を聞いても?」
「へひゃ!?」
余計に怯えられてしまった。なんだか虐めているような気分になってくる。
話しかけた事は完全な失敗だったのかもしれない。オレは身分の差というものを甘く考え過ぎていた。
「おい、お前!!」
その時だった。元気な声が飛び込んで来た。
明るい髪色の女の子がオレと怯え切ってしまっている少女の間に立ちふさがった。
「レネをイジメんじゃねぇ!!」
まるで肉食獣を思わせる眼光に思わず後ずさった。
「フ、フレデリカ様に何たる事を!?」
咄嗟にミレーユが飛び出してこようとしたけれど、慌てて手で静止した。
いきなり修羅場のような雰囲気になってしまったけれど、オレは初対面ながらも目の前の女の子が既に好きになっていた。
勘違いとはいえ、オレを相手にしてもイジメを見過ごせずに飛び出して来るなど早々出来る事ではない。
「イジメていませんよ」
とりあえず、まずは誤解を解いておこう。
「そうなのか?」
「ええ、挨拶をしていたのです。わたくしはフレデリカ・ヴァレンタイン。あなたは?」
「エレインだ! エレイン・ロット。悪いな、勘違いして」
その反応にキョトンとしてしまった。
「ず、随分とアッサリ納得してくれるのですね……」
「だって、ウソ吐いてないだろ? そういうのが分かるんだよ、わたし」
その言葉には確信と自信が漲っていた。彼女の言葉にもウソはないのだろう。
スキルによるものなのか、人生経験によるものなのかは分からないけれど、真贋を見抜けるというのはそれだけで凄まじい能力だ。
「となると……、なんで泣いてんだよ?」
困惑した様子でエレインはレネに問いかけた。
「あ、あの……、その……、だ、だって、フ、フフ、フレデリカ様に話しかけられるなんて……そ、その恐れ多くて……」
「はぁ?」
エレインは不可解そうに首を傾げた。
「よく分かんねぇけど、話しかけられただけで泣くんじゃねぇよ! 勘違いしたわたしが言うのもアレだけど、フレデリカに悪いだろ!」
「あ、あぅぅ……」
これでは埒が明かない。オレとエレインは顔を見合わせた。
「およよ? もしや、わたし、イジメ現場を目撃しちゃったかなー?」
またかと思って振り返ると見覚えのある赤い髪の女の子がいた。夜会で出会ったヴィンセント伯爵家の令嬢であるアリーシャだ。
「見ろ、レネ。お前が泣いてるとわたし達の立場はどんどん悪化していくぞ」
エレインの言葉にレネはあわわと今にも目を回しそうになっている。
顔見知りである様子の彼女の言葉にさえこの有様では日常生活を送る事にすら難儀しそうだ。
「って、あれれ? フレデリカ様じゃん! おっはー!」
「おっはー、アリーシャ。ちなみにイジメの現場ではありませんよ。朝の挨拶の現場です」
「フレデリカ様、ノリが良い!! ふむふむ、イジメの現場ではなく朝の挨拶の現場と、これは失礼しました! わたしったら、ウッカリさん!」
自分の頭をポコリと叩きつつテヘッと舌を出すアリーシャにエレインは凄く苛ついた表情を浮かべた。
オレとしてはリアルにテヘペロを見たのは初めての事だったのでちょっと感動している。この世界にもテヘペロの文化があったのか。
「ふむふむ、なるほど! 事情は分かったよ! わたしに任せてくれたまえー!」
そう言うと、彼女はエレインからレネを掻っ攫った。
「わたし、アリーシャ! よろしくね!」
見た目に依らず力持ちなようで、彼女は同い年である筈のレネを軽々と抱き上げながら輝くような笑顔を向けた。
その笑顔の破壊力はまさに暴力的だった。あまりにも魅力的過ぎて、思わず見惚れてしまった程だ。
間近で彼女の笑顔を向けられてしまったレネはただひたすら呆然と彼女を見つめている。
「あなたのお名前は?」
「……レネ。レネ・ジョーンズ」
「レネ、初日から泣いてたら折角の学園生活が台無しだよ? 明るく元気に行こう!」
「は、はい」
オレとエレインは呆気に取られていた。
「お前、凄いな」
「へっへーん! なにしろ、わたしはスーパーアイドルですから!」
「スーパーアイドル? よく分かんねーけど、助かったぜ」
「わたくしからもお礼を言わせて下さい。ありがとう、アリーシャ」
「ふふふ、礼には及ばんさ! さあ、ご飯食べに行こうよ!」
レアを抱きかかえたまま走り出すアリーシャをオレとエレインは慌てて追い掛けた。
それにしても、テヘペロの文化だけではなく、スーパーアイドルの概念まであるとは知らなかった。
オレは生まれ変わる前、よく友人に連れられて行ったアイドルのコンサートを思い出した。
結崎蘭子というアイドルの笑顔に彼女の笑顔はよく似ていた。




