332話
「タルトおいしかったねー。甘いもの食べてリラックスできたし、そろそろお風呂にしようよ~」
「仕事に戻るから」
もう十分だから、と裏懺悔を押し退ける。
彼女なりに自分を心配してくれたのか分からない。
だが、気持ちを落ち着かせることができたのは確かだ。
「そっかー。最近忙しそうだもんね~」
裏懺悔は残念そうに口を尖らせる。
そして、ふと思い出したように尋ねる。
「でもさ~、なんでクロガネは議員なんて目指してるの?」
知っていることが当然かのような顔をしている。
カラミティの方針として掲げているが、外部に情報を漏らすようなヘマはしていない。
裏懺悔の情報網がそれだけ優れているのだろうか。
「やっぱり一等市民になって贅沢したいとか~?」
「別に、そういうことには興味ない」
そんな下らない欲求で動いているわけではない。
手駒の中にはそういう考えの人物もいるだろうが、クロガネからすればどうでもいいものだ。
「あまり詮索しないで」
「クロガネはずっと秘密主義だよね~。もっと裏懺悔ちゃんを頼ってくれてもいいのにー」
裏社会に流れる以前の経歴は一切不明。
この世界に召喚される前の事など誰も知る由もないが、フォンド博士のデータベースには研究データくらいは残っているだろう。
異世界から実験用の素体として連れて来られた――そんな話を信じる者はいないだろうし、弱みを曝け出すつもりもない。
だが、常軌を逸した魔力を持つ裏懺悔なら、世界の法則を捻じ曲げて送還の魔法を使えたとしてもおかしくはない。
嘘か本当かは不明だが、原初の魔女も似たような話をクロガネにしていた。
多くの供物を捧げ、彼女が現世に蘇る時、元の世界への扉を開けてくれるのだと。
底知れない存在という意味では裏懺悔と同列。
違うのは生死のみだが、ハクアという使徒が存在する今は復活の兆しもある。
「まあでも、自分の力で道を切り開く? っていうのもカッコいいと思うけどさ~」
裏懺悔がにへらと笑う。
こちらに好意的なポーズを取っているが、いつまでも敵対せずにいられる保証はない。
彼女もまた、ラプラスシステムに興味を持つ者の一人だ。
常軌を逸した煌学装置。
或いは、絶対的な存在と成り得る軍事兵器。
どのように運用するかは使用者次第だが、手中に収めればこの世界で望めない事などない。
「……」
だが、果たして。
全知全能の管理機関であるラプラスシステムは、この裏懺悔という馬鹿げた存在を上回るのだろうか。
灯台下暗しと言うが、彼女に縋れば元の世界に帰れるのではないだろうか。
裏懺悔の力を使えば、世界と世界を繋ぐような芸当も不可能ではないかもしれない。
もし今、遠回りして無駄に時間を浪費しているだけだとすれば――。
「……やる事があるから。帰って」
「ちぇー、もっと構ってほしいのに~」
裏懺悔は残念そうに肩を竦める。
そして次の瞬間には、魔法が何かを使ったのかその場からいなくなっていた。
「……はぁ」
気配も何も無いことを確認して、クロガネは大きく溜め息を吐く。
下らない意地を張っているのかもしれない。
だが、どれだけ遠回りになったとしても、この世界の人間に縋るなどあり得なかった。
あくまで"利用する"だけ。
目的を果たすために使える駒を動かすまで。
誰かを頼るような依存した人間関係を、こんな世界で作りたくはない。
無法魔女の殺し屋であり、犯罪組織の首領"禍つ黒鉄"――それ以外の在り方を望む必要はない。
きっとこれが最善であり最悪な選択。
世界そのものを嫌悪する自分にはピッタリな道だ。
クロガネは端末を取り出して、記憶した番号を入力していく。
エスレペスの地下施設を調査している時にユーガスマから受け取った連絡先だ。
何らかの機密を握っているであろうチェリモッドに繋がる唯一の手段だ。
「……」
しばらくコール音が鳴り続ける。
見知らぬ番号を警戒しているわけではないはずだ。
限られた人物にのみ教えた連絡先なのだから、繋がらないはずが――。
『――やあ、遅かったね』
長い待ち時間の後に聞こえてきた声。
何者か分からないが、友好的な存在には思えない。
「……チェリモッドは?」
『保護させてもらったよ。彼は重要な情報を持っているみたいだから』
どうやら先を越されたようだ。
エーテル濃度の高い空間にいるのか、通信にはノイズが断続的に走っている。
『そして、彼が隠れて開発していた研究成果もね』
こちらから尋ねるまでもなく。
挑発的な声色で、何が起きているのかを話している。
「喧嘩を売ってるの?」
『どうだろうね。結果的にはそう見えるかもしれないけれど』
意図が見えない。
彼女が何を望んでいるのか。
そんな疑問を予想していたかのように、不敵な笑みが漏れ聞こえる。
『こういうのは理屈じゃないんだよ』
利益のために動いているわけではない。
漠然と流されているわけでもない。
行動原理の狂った人間は、誰にも理解されることもなく。
『衝動的なものなんだ。これをぶちまけたい、それだけだよ』
そういう風に生まれてきたのだから仕方がない。
開き直って本能的に生きればいい。
そんな彼女が選んだ道は、法の拘束から逃れ、倫理も道徳も捨て去った悪党としての人生。
己を偽り、取り繕って苦しむ必要はない。
世界はこんなにも自由なのだから。
そして、宣言する。
『我々トリリアム教会は間もなくゾーリア商業区に攻め込む。悪党同士……お互い、思い切り楽しもう』




