べレスフォード邸に住まうモノ
べレスフォード邸は古い邸だ。
いるとは思っていたが、取りあえず害はなさそうだったので、目を合わせないようにしていたが――やはり、気になるものは気になるのだ。
ジュリアに案内された部屋は、壁紙から寝具まで全体的に赤系に統一された色合いで、暖かみのある雰囲気の部屋だった。部屋自体は思っていたほど広くない。こぢんまりとした室内には部屋の割に大きな寝台と、小さなテーブルに向かい合わせの二脚の椅子、鏡台が置かれるとそれだけで場を占めてしまうほどだ。
部屋にはすでにユーフェミアの荷物が運んであり、鞄が入り口脇に置いてあった。
寝台脇の側机には小さなベルがあり、それを鳴らせば人を呼ぶことができるので困ったことがあれば遠慮なくどうぞ、と言われたが曖昧に笑って誤魔化した。
遠慮なく、と言われても、そのような習慣はユーフェミアにはない。
多分使うことはないだろうと思いつつ、窓の外に目を向ける。
案内された部屋は二階になり、窓からはギボン川が見えた。川沿いには木が茂り、ゆったりとした川の流れが見て取れる。
「ジュリアの部屋は隣なのよね?」
「ええ。わたくしの部屋は青色ですわ」
ジュリアはべレスフォード邸で過ごす間、できるだけ自分のことは自分でこなすようにしているらしい。王女にとって自分だけの時間が欲しいというのは我儘でしかなく、常に待機しておかなければならない侍女たちの時間を割くことになる。ならば、彼女たちにもその間休暇を与え、自分のことは自分でするというのがジュリアの出した結論だった。
全く思い切りのいい王女だと思う。最初の見た目の雰囲気ではもっと女性らしい人だと思ったのだが、内面はどうやら違うらしい。
自分の足で立とうとする、そういう女性は嫌いではない。
感心をよそに、ジュリアはついでとばかりに他の人の部屋の場所を教えてくれた。
それを聞いて思わず、なぜ、と呟く。
「一応、アシュレイ兄さまを警戒してなの。まさか部屋にまでやってきて、おかしなことはなさらないと思いますけど、もしもの時はわたくしたちが気づけると思って……。あ、もしかしてカーティスが向かいの部屋では嫌でした?」
「……いえ、お心遣い痛み入ります」
咄嗟に、右手の指を軽く握る。
微かに痛みの残るそこが、恐怖を甦らす。無言の圧力でその上被害さえ及ぼすアシュレイと、軽薄で鬱陶しくはあるが害のないディーンを天秤にかけた時、どちらかマシか。言わずとも知れているだろう。
だが、ユーフェミアの思いを余所にジュリアがポツリも漏らす。
「ですけど、よく考えてみたらカーティスも危険ですわね……」
妙に真剣な顔をして考え込むジュリアに、逆になぜと問う。
どう考えても、ディーンはアシュレイのように力にものを言わすことは今までなかったのだ。それにディーンが暴力をふるう事自体考えられない。想像できない。
そう告げると、ジュリアは小さく笑った。
「ユーファ姉さまったら不用心ですわ。夜中に誰が訪ねてこようとも扉は絶対に開けないで下さいね」
空色の瞳に悪戯っぽい笑みを浮かべる。
さすがにユーフェミアも彼女の言わんとしていることを察した。
「あ、開けないわよ」
アシュレイが来ようと、ディーンが来ようと、絶対に開けるもんですか、とその時は思った。
一応、隣室を気にしながら、ユーフェミアは向かいの部屋の扉を叩いた。
時は深夜。
眠れない……。
その理由は一つしかない。
底冷えのするような寒さにガウンを引っ掛け、その上にショールを身体に巻き付けた格好で、否応なく――本当に否応なくディーンの部屋の扉を叩いたのだ。
扉の下から微かに漏れる明かりから、彼がまだ起きていることが分かったのだが、ディーンが扉を開けるまでのわずかな間、はっきり言ってかなり居心地が悪かった。ちらりと隣室を窺うと、漏れる明かりはなく、ジュリアはすでに就寝しているようだった。そのことに少しだけ安堵する。
どう考えてもおかしな行動をしている自覚はあった。
やはりまずいよね、と思いつつ部屋に戻ろうと身体の向きを変えたのと、扉が開いたのは同時だった。
「――ユーフェミア?」
わずかに驚いた声音に、小さく溜息を落とすと諦めてディーンに向き直る。驚くのは当たり前だ。非常識なのはユーフェミアだって分かっているのだ。だが、今必要なのはディーンしかいないのだ。
「ごめんなさい。こんな時間に」
声を落として、ついでに視線も落とす。
「いや、どうしたんだい? もしかして夜這いとか? それならいつでも歓迎だけど?」
「……そうじゃなくて」
一応、ディーンのこの台詞は予想していたので、軽く受け流す。そして言うより見せた方が早いと背を向けると、自らの部屋へと戻り、扉を大きく開いた。ディーンを振り返り、手招きする。
「いるのよ。あれが気になって眠れないの」
「……そんなことだろうと思ったけど」
彼も予想していたのか肩を竦めながらそう言って、入口に立つと部屋の片隅に立つ女性を見る。どうやら召使いの女性らしく、ただぼんやりと窓の外を眺めている。
「まあ、無害じゃないかな?」
「他人事だと思って」
恨みがましく見つめると、ディーンは軽く頭を横に振った。その表情は芳しくない。
「……何だったら、私の部屋と代わってもいいけど、あちらもね」
「何?」
口ごもるディーンは苦笑すると、自らの部屋に引き返す。
そして彼も扉を大きく開き、中が良く見えるようにする。
ユーフェミアは、部屋に入ることなく正面を見つめて、肩を落とした。
あまり見たいものではない。
「……うん、おやすみなさい。ディーン」
「……おやすみ」
そう言って、二人はお互いの部屋の扉を閉めた。




