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【2025/09/30翻訳書籍化】こちら、あやかし移住転職サービスですー福岡天神四〇〇年・お狐社長と私の恋  作者: まえばる蒔乃@受賞感謝
第五章・柳川、そして立花山。淋しい狐と私の顛末。

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8.エンドロールには、まだ早い。

 夕方。

 尽紫が香椎駅前から香椎宮の方へ向けて香椎参道を歩いていると、街路樹からガサリと何かが飛び降りてきた。反射的に避けると、影はくるりと回って行く手を阻む。

 華奢な雄の猫又が、ふうふうと毛を逆立てて尽紫に威嚇していた。


「俺の主人に何をした」

「楓のこと?」


 尽紫は大袈裟に肩をすくめてみせた。


「普通の暮らしをさせてあげるだけよ。危険のない、人間としてのただの暮らし」


 猫の方だって数百年、人間と共に暮らしてきたのだから、あやかしに関わらない今の現代人の『此方』の事情だってわかるだろうに。


「ああ、安心して頂戴。貴方の記憶は封印しないわよ。だって貴方、楓ちゃんがいないと霊力が安定しないほど弱っているものね? 流石にそこで縁を切らせて、貴方が逝ってしまったら気分が悪いもの」


 尽紫は黒猫の脇を通り抜け、振り返らずに先に進む。

 背中に向かって何か、怒りに満ちた鳴き声がにゃあにゃあと聞こえた気がするが、すぐに尽紫の意識の外へと消えていった。

 猫なんかに構っている暇はない。

 今、住処には()()()()がいるのだから。


ーーー


 尽紫は立花山の近くで立ち止まると、木々の生い茂る森に向けて手をかざす。

 真っ白な手のひらから正方形の面がクルクルと広がり、暗闇の結界が開かれる。


 その暗闇の真中には一軒の武家屋敷が、仄かに光を帯びて浮かび上がっていた。

 尽紫は結界に入り、武家屋敷の門をくぐって屋敷に入ると、長い板張りの廊下を奥へと進む。


 無人の屋敷の中心には、真四角に開かれた広間が広がっていた。

 敷き詰められた畳の上には、赤い荒縄に吊るされた雄狐おとうとの姿があった。


「……尽紫か」


 尽紫に気付くと彼は、疲れ果てた昏い眼差しで姉を睨んだ。


「ただいま、紫野ちゃん。いい子にしてた?」

「縛り上げて吊るして放置して、俺は干し柿じゃねえんだぞ」

「……あら、思ったより元気そうだこと」

「お陰様でなあ」


 尽紫は縛り上げた縄を通じて、傷ついた紫野に霊力を与えていた。お陰様、とはそういう事だ。

 紫乃はスーツを脱がされ、身を清められたのちに袴の和装姿に整えられて吊るされていた。尽紫としても早く解放してやりたいが、今はまだ楓と契約を切りたてで霊力が乱れている。


「楓に余計な手は出してないだろうな」


 唸るように低く問いかける紫野に尽紫は正直に頷く。


「ええ。彼女が関係したあやかしの記憶を封印していて、楓の記憶の整合性を取っているだけ。何かとすぐに何かを思い出そうとするものだから、狐雨を降らせてばかりよ」

「……毎度毎度通り雨か。さぞ天神地区の皆さんは迷惑だろうな」

「でしょうね。天気予報が晴れでも、傘を携帯する人が多いみたい」

「他人事みたいにいうなよ」

「そうね。紫野ちゃんが楓ちゃんと出会っちゃった責任ね」

「……」


 紫野は黙り込み、尽紫から目を逸らす。まるで心を閉ざすかのようだ。弟はまだ、楓の未練を捨てきれないでいるらしい。


「紫野ちゃん」


 尽紫は弟の顎を取り、弟の端正な顔を手のひらで包む。

 弟。体こそは立派な雄に育ったけれど、二匹の小さな毛玉として二人ぼっちで生きていた時代から、弟が愛しくて可愛らしいのは何も変わらない。


「大丈夫よ。貴方の『此方』での仕事が全部片付くまではちゃんとこっちにいるし。楓の記憶の封印が安定すれば、貴方も解放してあげる」


 は、と紫野は鼻で笑う。


「早く解放して欲しいものだな。仕事をすっかり羽犬塚さんに預けっぱなしだ」

「羽犬姫、ねえ」


 尽紫は昼間会った女の意味深な笑みを思い出す。

 もやもやとした気持ちを振り払うように、尽紫は紫野に笑んでみせる。


「私も()として、しばらくは『此方』にいる予定だから。……80年くらい、短い間だけど姉弟水入らずね」


 黙り込んだ弟を抱きしめ、尽紫は愛おしさを込めて額に口付ける。

 無表情の弟に小さく「らい」と呼べば、ぎらりと睨まれた。


「旧い名で呼ぶな」

「もう契約を切ったから、紫野ちゃんじゃないのに?」

「……」


 不意に、弟は何かに気づいたかのように目を見開く。


「姉さんはまだ、尽紫なんだな?」

「……そうよ。何が悪いの」


ーーー


 私ーー菊井楓は今日も絶不調。

 あまりに顔色が悪いため、ついに上長より早退を命じられてしまった。


 「申し訳ない……」


 ふらふらになりながら天神地下街を通って帰路に着く。昼過ぎの天神地下街は買い物客や観光客だけで、朝夕より幾分か人出がまばらだ。病院の予約を入れなくちゃ、と思うのだけど、人にぶつからないように歩くので精一杯だ。


「最近、体調が悪すぎるなあ……」


 たびたび雨に降られ、頻繁に頭痛に襲われているせいかすっかりグロッキーだ。

 しっかり早寝早起きを意識して、ご飯をきちんと食べたり運動したり、何かと気をつけてはいるのだけれど。


「……だめだ。少し薬局によって栄養剤買って帰ろう」


 帰宅する気力すら湧かない気分に活を入れるため、私は地下街のドラッグストアを一路目指す。

 ちょうどソラリアステージの真下を通っている時だろうか。

 急に、スマホが着信音を鳴らした。


「会社かな」


 スマホのディスプレイを覗くと、そこにはゴシック体で端的に名前が表示されていた。


「え、『高橋様』……?」


 家族や友人は呼び名、仕事の知り合いはフルネームと関係まで入力しておく癖がある私は、「高橋様」だけで入力することは殆どない。

 非通知でないのだから、知り合いではあるのだろう。


「……もしもし、菊井ですが」


 訝しみながら電話を取った私に、明るく弾んだ男性の声が聞こえてきた。


「おお、楓殿か!」


 ーーかえで、どの?

 私は混乱する。菊井ではなく下の名前で、しかも『殿』付きで呼ばれるなんて初めてだ。


「え、ええと……」


 言葉をなくした私に構わず、通話相手の男性は嬉しそうだった。


「いやあ、電話さえ繋がらなかったらと案じていたぞ。いや、よかった」


 柔らかな紳士の声が弾むのを聴きながら、私は強烈な違和感を覚え、地下街の片隅にしゃがみ込む。

 二日酔いみたいに頭がガンガンする。

 けれど、この痛みから逃げてはならないと『勘』が告げている。

 春ちゃん紹介の主治医から貰った薬で抑えてはダメだ。


「貴方様は、高橋様……」


 目を閉じて額を抑え、私は必死に痛みを乗り越えた先に辿り着こうとする。


「確か、太宰府で……以前太宰府でお会いした、お武家様、ですか?」


 その瞬間、電話の向こうの紳士が笑った気配がした。


「ふむ。やはり私の記憶には手が回っておらぬのだな」


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画像の説明
【連載開始しました!リメイクのご当地あやかし異類婚姻譚です!】
身に覚えのない溺愛ですが、そこまで愛されたら仕方ない。―福岡天神異類婚姻譚

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