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第十二頁


六月五日

一気に梅雨に入って気分が下がっちゃうね。暑かったり寒かったり体が付いていかないね。ただ、雨の音も嫌いじゃないの。嫌なことを全部洗い流してくれそうな気がしない?

身近な光って暗い時ほどその存在を感じることができるよね。

おっきな嫌なことがあったときほど、そこに射す光をしっかりと認識できるんだよ。

辛抱強い晴ちゃんはプレゼント気に入ってくれたみたいで良かった。

連続ドラマみたいじゃない? どうかな、光は感じられた?久遠 花蓮


六月一三日

思い出したの。社会科の阿部先生が「世界は思ったよりも狭い」って言ってたこと。去年だったかな。

ロシアの勉強が終わって、南アメリカ大陸の勉強をしたとき。「地球の裏側だって行こうと思えば行けるし、外国は異世界なんかじゃないんだよ」って。

感動しちゃったんだよね、私。中学生にとっては学校が世界の全てみたいになってたから。

もしかしたら、私も世界の裏側に飛べるかなって。

乗り物じゃなくても名前的に言ったら、燕ちゃんなら飛べそうだよね。久遠 花蓮


六月十九日

酷かったね。でも、燕ちゃんがケガしなくて本当によかった。

とはいえ、日ごろの行いが良いといざという時にケガをしないで済むのかもしれないね。

リストラみたいに次は誰かなって怖くなっちゃうよね。

墓石に足を片方突っ込んでるような気分。

安全なんてどこにもないんだ。

他人事じゃなくて、心当たりのある人は夜道に気を付けてね。久遠 花蓮


六月二十八日

疲れたー。お互い期末テストお疲れさま。これで後は夏休みを待つばかりだね。

ギリギリまで練習をするでも吹奏楽部はまだまだ大変かぁ。今年も何事も無く全国大会に行けるといいね。

ハープとか楽器ってさ、大きくて重たいものもたくさんあるじゃない?

落として怪我したりしないようにだけ十分気を付けて。

前にも思ったんだけどさ、私は今回の課題曲なら三番のマーチが好き。あのスネアドラムとピッコロの音に乗ってスキップしたいな。

栄光に向かって頑張ってね。久遠 花蓮



歩が珍しく学校で久しぶりにオレを呼び出した。昼休みに落ち合うことを約束したのは汰区間裏だった。なんとも古典的な密会場所である。

「急にごめんね、夏目くん」

歩は体育館の出口にある石段の上に座ってオレを待っていた。

「いや、いいんだけど、どうしたのさ」

「うん、なんだか急に不安になってきちゃってね。ほら、夏休みが近いだろう。このまま、吹田さんが来ないまま夏休みになって2学期が始まったら、今よりもっと学校に来にくくなると思うんだ。だから―――」

歩は端的に言うと焦っていた。好きな女子が心配で仕方ないのは自然の摂理なのかもしれない。

「ごめん。オレもおじさんも少しずつしか調査が進んでなくて。正直なところを言うと、話を聞けているみんなが本当のことを話してるのかも裏取りが取れないからさ」

「そうか……そうだよね。いや、急がせるようなことを言ってごめん。ほら、もう学校全体が夏休み気分になってきているでしょ。だから、余計に気が気じゃなくなってきて。夏目くんは悪くないんだ」

そこまで歩が言ったところでオレたちは無言になってしまった。校庭のブナの木にとまった蝉たちが声高に鳴き、初夏の軽い風が足元を撫でていったその時だった。パキッと小枝が折れるような音がしてオレと歩が振り向いた。

「夏目、こんなところに! やっと見つけた」

そこには松岡由希が立っていた。

「あぁ、松岡さん」

歩が観念したように声を上げた。密会が第三者にばれてしまったと思ったのだろう。

「どうしてここに?」

「いや、この間、鉢田と話したんでしょ?あたしも、新しく分かったことがあったからさ」

今日の松岡はあずき色のジャージを着ていた。

「あれ、夏目君は松岡さんと知り合いなの?」

歩がオレに声を落として聞く。

「うん。松岡さんは調査に協力してくれてるんだ」

「え、じゃあ僕がお願いしてることも―――」

「いや、そこはまだ言ってない」

松岡は「なに、男同士でごにょごにょ話してんのよ」とズンズンとオレたちの方に向かってきた。

「なんでもないよ。それよりも、この間は鉢田さんの調整ありがとう。おかげさまで貴重な話が訊けたよ」

「そう、ならいいんだけど。でも、大丈夫なの? 吹奏楽部の事故だってあったわけだし」

先日差し込まれた日記が例のごとく予告状のようになって吹奏楽部の楽器運搬時に事故が起きたのだった。事故現場は階段で運搬中のティンパニ(金属でできた大きな太鼓のような楽器)が落下したのだ。大きさも重さも下敷きになれば死んでもおかしくない程のものであった。しかも、それを運んでいた当事者の一人が珠依晴だったという。幸いけが人はいなかったが。

「うん。部員が手を滑らせちゃっただけっては聞いてるけど」

「さすがにわざととは思えないかな。下手したら死人が出てもおかしくないし。あるとすれば珠依自身が日記を意識しすぎて手が滑っちゃったんじゃないかな」

その可能性もあるかもしれないが、現状で断定はできない。

「それで、新しくわかったことってなんなの?」

「そうだった。あ、でも―――」と松岡がオレの隣に座って静かにしている歩に目線をやる。彼女なりに気を遣ってくれたのかもしれない。

「あ、歩は大丈夫だから」

ここまで話聞いていた歩は松岡の方を見上げた。

「松岡さん、この件を依頼したのは僕なんだ」

「え」意外といわんばかりに目を大きくしてオレは歩を見た(いいんだ、と歩)。まさか歩が自分から言うとは思わなかった。それほどに解決を焦っているということなのだろうか。確かに、日記書き込みは日に日に過激になってきていた。

「そういうことなんだ」松岡は特に驚いた様子もなく話をつづけた。

「じゃあ、ここで話しても問題ないってわけね。実は今日、亜子たちが日記のこと話してるの聞いたのよ。『このままじゃ、うちらが犯人にされる』って」

オレと歩は目を合わせた。お互い感じたところは同じだったようだ。

「もう少し詳しく教えてもらえるかな」

「あたしも追放された身だから詳しくは分からないんだけど、どうも亜子は日記事件の実行犯として疑われていると思っているみたい。まぁ、そうよね、鉢田たちと明らかに対立してたのは亜子だからね。それに輪をかけるようにそこの探偵くんが亜子に接触してきたとなれば疑われてると思っても無理はないでしょうね」

事実、疑っているわけだからどうしようもないことではあるのだが、とはいえ「犯人にされる」とはどういうことだろうか。高坂は自分が犯人にされることを恐れている? それとも、自分が真犯人であることを隠すためにあえてそんなことを言っているのか。残念ながら現時点では確かなことは何もない。

「正直なところ、あたしはあれが亜子のパフォーマンスなんだか、本心なんだかはわかんない。でも、あの子、あんまり誰かに貶められることに対して怯えたりするような子じゃないとは思ってるんだ。だから―――」

「わかってるよ。闇雲に高坂さんを犯人にしようなんて思ってないから」

「ならいいの、ありがとう」

松岡はなんだかんだ高坂が心配なのだ。そして、彼女のグループで一緒に過ごした時間は本当に楽しかったんだろうし、今はその喪失感があるのだろう。でなければ、追放された身でここまで心配をする義理もないはずだ。むしろ、本当に嫌いであれば彼女が不利になるような話をしてきたとしてもおかしくない。

「ところ夏目、吹田のことなんだけど」

松岡はいつの間にかオレを苗字で呼び捨てにする。その上で、不意にその名前を出したことで隣に腰かけていた歩がビクッと動いたのが分かった。

「吹田さんがどうかしたの」歩が小さく声を出した。

「あの子、しばらく学校に来てないじゃん。それで、時々ウチの委員長がプリントとか届けに行ってるんだけどいっつも家にいないんだって」

「それって、居留守とかじゃないの?」

「いや、お母さんが言うには美術館に行ってるって。現に美術館の近くで吹田を見たって声も聞いたことあるし」

「美術館ってあの市立美術館?」

「たぶんそうだと思う」

松岡が言うにはどうにもその話を聞いたクラスの数名の女子が美術館に行ったものの、吹田葵に会うことはなかったという。これでは本当に篤夫おじさんの言っていた日中にかなりの確率で遭遇する不思議な少女が吹田葵である可能性が高くなってきた。

ここで繋がってくるとはおじさんの目も侮れないな。探偵(助手)としての目が肥えてきたということだろう。ここまで吹田葵が関わってくるとなると、彼女が学校に来られなくなった原因だと鉢田が言ったもう一つの「事件」にさらに調べが必要だろう。

「吹田さんに聞き込みができたら一番だよなぁ」

「それは難しいと思うよ―――」

歩が頼りない声を上げる。「だって、仲の良かった女子たちですら話ができないっていうんだもん」

「そうね。ま、私もまた何か分かったら報告する。頑張ってね、探偵くん」

そう言って颯爽と身をひるがえすと松岡由希は夏の日が差す眩しい校庭へと去っていった。その姿をオレと歩は並んで眺めていた。

「夏目君、いつの間にあんな協力者をゲットしたのさ」

「人聞き悪いなぁ。勝手にやってくれるっていうからお願いしてるだけだよ」

「夏目君は人たらしなんだぁ、きっと」

歩はオレの顔を見てしみじみという。

「褒めてんの、それ?」

「一応、僕なりにね」「なら、ありがとう」「うん」

そこで会話が途絶えて、しばらく頭上の木漏れ日がなんとなく揺れるのを眺めていた。チラチラと葉の間隙をぬって差し込む光は謎が解ける時のイメージのそれに近い。

「美術館の件だけどさ」口を先に開いたのはオレだった。

「吹田さんね」

「おじさんが糸口をつかんでくれるかもしれないんだよ。美術館の常連でさ」

「そっか。でも、あまり刺激しないであげないでほしいんだ。学校に来られていない人に学校のことを聞くなんてナンセンスでしょ?」

「そうだね。それは重々伝えておくよ」

「おねがい」

歩はまだ木漏れ日に視線をやったままだった。本当に、吹田さんのことを大切に思ってるんだと、その少し赤らんだ横顔は語っていた。

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