第50話 転生者フシノの最後の戦い2
届いた。
僕の刃は、ついに大魔王ジェントルムを弾き飛ばした。敵に初めて膝をつかせた。
獅子の魔王は、乱れた太陽のような鬣を整えながら、ひとつ息を吐いた。
「転生者もやるものだ。いや、お前が特別なのだろうな」
魔王は立ち上がり、これまで全く使おうとしなかった左手を持ち上げ、両手に黒い雷をほとばしらせてみせた。
「我ら魔王が足元をすくわれる状況は、主に二つ。転生者どもから集団で襲い掛かられた場合と、転生者が強化アイテムを浴びるように服用して挑んでくる場合。そのどちらでもないフシノの戦い方は、我が語り継いでやるに足るぞ」
ジェントルムが語り継ぐ。その言葉が意味するのは、この獅子頭の大魔王が、自分が勝つ未来を信じて全く疑っていないということでもある。
事実、僕はまだ、この大魔王を完全に上回ることができていない。
だけど、左手を使わせることができたのは前進だ。
これでこそ魔王。これでこそラスボス。
「絶対に乗り越えてやる!」
強く、速く、鋭く、大きく。
僕は限界を超え続ける。
敵が両手を使うようになってから、僕の方が劣勢になった。ジェントルムのほうの手数が上回っている。
そこで僕は、ふと二刀流にするアイデアを思い付いた。相手が二本の腕で来るのであれば、僕も二本の刀で対抗するのだ。
雷龍刀を右手に、予備の刀を左手に持ち、魂込めて振りに行く。
「いくぞ。二刀流、神速震雷斬!」
しかし、雷を剣に込めた時点で、予備の刀のほうが耐えられずに砕け散った。
予想外が起きたことで、僕はバランスを崩し、魔王の連続攻撃をくらってしまった。
ぎりぎり致命傷を避けて、後ろにジャンプしたものの、追撃の爪が襲ってきて、僕は鉄パイプやら、崩れたコンクリートやら、剥き出しの鉄筋やらでできた瓦礫の上を転がり落ちた。
「うぐ……」
転生者じゃなければ、きっと即死だった。
「あがっ」
立ち上がろうとしたところに、追撃の黒い雷が落ちたが、それでも僕は膝をついた姿勢で、なんとか踏みとどまった。
「ほう、ここまで耐えられるものか。やるものだ。それでこそ我の運命の転生者というものよ」
魔王は、僕を見下ろし、勝ち誇った表情をみせた。
そして語り出す。
あぶなかった。長いお喋りをしてくれるのは有難い。僕はじっと片膝をついたまま、こっそり小さな神速震雷斬を発動し、自分で自分に雷を浴びせて回復する。大魔王の太陽のような鬣を見上げながら。
「……ふむ、いったいどうすれば、という顔をしているなぁ。冥土の土産に教えてやろう。今の我を倒すには、我よりも明るい雷の術を極めつくして上回るしかない。恐るべきことに、フシノにはその才覚があるようだ。だが、我の黒き雷も、撃つたびに強くなっていくぞ? 両手で戦っていることで、二倍の経験値だ。おそろしいほどの差がすでに生まれているなあ」
そうだ。また差がついた。でも、それを埋めるために、色々な作戦や策略が考えられてきた。
僕は回復し切ったところで、獅子の喉首を狙って剣を振るった。
触れはした。だが、刃が深く沈み込む前に黒い爪が防いだ。おそるべき反射神経だ。
「不意打ちとはな。だが責めはせぬよ。それも策のうち」
悔しいことに魔王は余裕だった。
ならばと僕はアイテム欄から霊薬草を取り出した。
口に運ぶ前に草は握りこまれ、奪われ、投げ捨てられた。
オークションでミクミさんのほぼ全財産と引きかえに手に入れた唯一の草が。
「許されんぞ。アイテムなぞ、誇り高い我らの激闘に水を差す行為だ」
しかも策として認めてもらえなかった。魔王は静かに激怒している。
「がっかりだ。見損なったぞフシノ。ぶち殺す理由が生まれてしまった」
最初から策という策など無かったけれど、これでいよいよ何もない。頼れるのは僕自身と刀の力だけ。
振り返ってみれば、僕の旅路というのはあまりに軽くて短くて、重たい積み重ねなんてものが無かった。
いつも誰かに手を引かれ、運命的な偶然に助けられ、たまたま生き残ってきただけだ。
投げ捨てられて瓦礫に転がる僕の草だって、ミクミさんがいなかったら買えすらしなかった。
一人で手に入れたものなんか、ほとんど無い。
自分で決めたことの少なさに、今になって、とても心細く思う。
そもそも僕は本当に帰りたがっているんだろうか。幼馴染でもあったミクミさんに言われたから帰ることを決めたのであって、僕自身はまだまだ全然、本当はこの世界に居座りたいと思ってるんじゃないのか。
ここで背中を向けて逃げても、たぶんこの大魔王は呆れるだけで追ってはこないだろう。
そして、もやもやした心のままに、世界が蹂躙されていくのを見ることになるのだろう。
しょせん、この世界は僕の世界ではない。もしかしたら夢の中みたいなものなのかもしれない。この世界が暴力まみれで混沌の地獄と化すのだとしても、もとの僕がどうにかなるわけでもないんじゃないのか。
そうだ。逃げるという選択肢だって、全く無いってわけじゃない。
今は勝てない相手でも、条件を整えて挑めばいいんじゃないか。
いやいや、そんなことをしていたら、この大魔王ジェントルムによって無実の人々が甚大な被害を受けることにもなるんじゃないか。
この魔王は、僕が運命の転生者だから礼節を尽くしてくれているのであって、魔王であるからには人間にとって極悪の存在なのだ。
戦うか、逃げるか。進むか、引き返すか。
ミクミさんだったらどうするだろう。
ウィネさんだったらどうするだろう。
賊のヤクモマルだったら。
エリザティエラさんだったら。
刺客の猟銃つかいセイクリッドさんだったら。
名も知らぬ青いロン毛の冒険者だったら。
魔王だったら。
大魔王だったら。
僕の父親や母親だったらどうするだろう。
……どうするだろう。
関係ないだろ。
僕が決めることだ。
本当に自分で決めたことならば、どうなったって後悔なんか、きっとしない。
――そうだ。僕は今、決着をつけたい。
覚悟を決めろ伏野松栄。
冷静に考えろ伏野松栄。
この異世界は、絶対に勝てない相手を運命の魔王に定めたりはしない。
敵の手数を上回るためにどうすればいいのか、その解決策さえ見出すことができれば、勝てるはずなんだ。
赤髪の賊ヤクモマルを上回った時の技、真・神速震雷斬をぶつけるというのは、無意味だ。だって、実はさっきから発動して打ち負けているのがソレだからだ。
猟銃つかいの人みたいに増殖するのはどうだろう。いいや、そんなスキルは持ってはいない。
腕を増やしてみるのはどうだろう。僕の神速の雷に耐えられる武器は持ってはいないし、そもそもやっぱりそんなスキルを持ってはいない。
今から魔法やほかの技を身に着けるのも、まず間に合いそうにない。
強化アイテムを使うのは、使う前に阻止されてしまう。というより、もう持ってない。
だったら、もうさ、脳みそまで本格的に筋肉でいくしかないじゃないか。
もっと速く、もっと強く。それだけだ。
相手が両手で斬り裂いてくるのなら、僕が二倍以上の速さで斬ったり突いたりすればいいんだ!
これまでの人生で足踏みしてきた分を、この一戦で取り返すんだ。
全部!
僕は青い刀を構える。
そして、いつもの神速の斬りを繰り出す。大魔王ジェントルムの頭を目掛けて振り下ろす。いつもなら、このまま振り抜くところだ。でも、それだけでは勝てない。技が終わる前に、もう一回、技を発動させるんだ。
水の上を走る生き物がいる。彼ら彼女らは、足が水に沈み込む前に次の足で水面を蹴って、それを繰り返して進むのだ。それと同じようなイメージだ。
雷の上を走りながら、光が通り過ぎる前に次の斬撃を間に合わせる。
難しい。でも無理じゃない。
これができたら、「神」の字を一文字足して、神神速震雷斬と名付けよう。
何度も何度も挑んでいく。
時に斬られ、時に冷たい地面に転がされ、時に曇り空に打ち上げられた。
僕らの魔力に誘発された落雷が、あちこちで起きている。転がる瓦礫に、投げ捨てられた草に、遠くの樹木に、何度も何度も雷が落ちる。
何度も世界が眩しく光る。
あの雷光よりも、速く、強く、何度も、光り輝くんだ。
僕はなる。陽の者に。
気が付けば、僕は神速震雷斬を連続で出すことに成功していた。
これで相手の成長に置いていかれることはない。
僕は斬りかかる。神速の二連撃。でも足りない。まだ足りないんだ。
置いていかれないというだけじゃ、ずっと追いつけない。
追い抜くための技が必要だ。
「そう。つまり、神神神速震雷斬。それができないと、離されないけど追いつけない!」
魔王が反撃してくる。
「何のうわごとだ。そして、なんだその成長力は!」
攻撃をもろに喰らったところで、もう倒れたりはしない。僕は限界を超え続ける。
このままいけば勝てる。そう確信していた。
ところが、その時、大魔王ジェントルムは急に予想していなかった動きを始めた。分厚い黒い雲に向かって、駆け上がっていったのだ。腿を高く上げ、躍動感の溢れるフォームで空へと踏み出した。
まるで、そこに階段があるかのように、ずんずんと高度を増してゆく。
そして、暗い空に浮きとどまって言うのだ。
「時は満ちた……。我もまた、変態の時」
これまで溜めたエネルギーを一気に放出するかのように光り輝いた。これまでの黒い雷エネルギーではない。それはまるで、自然の雷や、僕が神速の斬撃の時に纏う雷と同系統のように見えた。
嫌な予感しかない。
まぶしいほどの光が落ち着いた時、魔王の着ていた貴族のような服は、すべて弾け飛んでいた。黒い鋼のような筋肉に包まれた魔王の肉体は美しい光彩を帯び、もともと雄々しかった鬣も二倍、いや三倍以上の大きさになっているように見える。
牙も大きく長く成長し、より野性的になった。これまでよりも、より獅子らしい顔になったと言える。
そして何と言っても目を引くのは、獅子魔王の背中に生えた、巨大な黒い鳥の翼である。
新たな姿になった大魔王ジェントルムは、僕の目の前に風を起こしながら降り立った。あまりのでかさに、もう脚しか見えない。
さらに、大魔王が姿を変えて新たな生き物になった時、急に暗雲が霧散した。空が晴れ渡り、夜が明けた。
「さあ、はじめようか運命の転生者、伏野松栄。貴様の人生の最終章だ」
頭上から、力強い声が響いた。




