第48話 さよならの挨拶3 ウィネとエリザマリー
はるばるマリーノーツ宮殿に来たのは、ウィネさんからの便りがあったからだ。
伝言鳥に括りつけられた手紙には、この異世界の言葉ではなく、もといた現実世界の言葉で、宮殿で待っているという内容の文章が記されていた。
花畑。
宮殿が正面に見える場所にある、赤と黄色とオレンジが咲き乱れる花畑の真ん中で、ウィネさんは僕を待っていた。
「この花は?」
挨拶も省略した僕の問いに、ウィネさんは、落ち着いた声で答える。
「マリーゴールドです」
「マリー。というと、エリザマリーさんと何か関係が?」
「たぶん、まったく関係無いですよ。ま、知りませんけど」
そこで、いきなり会話が途切れた。
さて、無駄話はそれくらいにして、ここに呼び出した目的について聞き出したいと思った。
けれど、僕が声を出す前に、ウィネさんが口を開いた。
「それにしてもフシノは勇者ですね。大勇者と言ってもいいかもしれません。昨今は、パーティを組んで魔王を倒す選択をする軟弱者が多い中で、芯の強い素敵な選択だと思います。フシノも、ミクミと同じように一人で戦うのでしょうけど、勝てたらいいですね」
「なんか、皮肉にきこえるんですが」
「あなたの頭が正常な証ですよ。私の仕事は、転生者の皆さんを煽りに煽って、この世界を守りに守って、エリザマリー様を最高の女王にすることだったのですから」
「だった、と言いましたか? いま。過去形でしたよね」
ウィネさんは静かに頷いた。
「あきらめたというわけではないですよ。ただ私自身は、彼女が女王となる風景を、どうやら見ることができないようなのでね」
「何でですか」
「何ででしょうね。とにかく、ですね。色々ありましたが、ひとことだけ言わせてください」
「ええと……ひとこと、ですか」
その一言のために、僕は、このマリーノーツ宮殿に呼び出されたというわけだ。
何を言われるのだろうかと身構えていたところ、ウィネさんは、なんと頭を下げてきた。
「ごめんなさい。これまでのこと」
何に対する謝罪なのか。思い当たることは一つしかない。
「それって、二丁猟銃のセイクリッドさんを差し向けてきたことですね」
「ええ。お察しの通り、私が、あなたとミクミ、いえ、本名のほうの、ネモーラと呼ぶべきでしょうか」
「どっちでもいいと思います」
「ではミクミと呼びます。私は、フシノ、ミクミ、両名の暗殺を目指していました。毒を盛る方法で魔王を倒そうとしたら、きっと怒って阻止してくると思っていましたから。魔王に勝てなくなる前に手を打つのが私の最優先の仕事ですので、毒殺を阻害する要因は排除するつもりでした」
「それがどうして心変わりを?」
「ミクミが、あれほどの強大な魔王に、たった一人で勝利したからです。それで私も、もういちど信じてみようと思ったのですよ。転生者の力というものをね」
「だからもう、僕らを暗殺する理由もなくなったと?」
「いえ、理由は作ろうと思えばいくらでもありますよ。相変らず、転生者陣営が劣勢であることには変わりありませんし、このままにしていたら、このマリーノーツという世界はいずれ滅びてしまうでしょうから」
だけどもう、今さら僕の命を狙うことはない。ウィネさんは、そう考えているようだった。
静かな時間が続き、ウィネさんは落ち着いた声で、すこし昔話をさせてくださいと言うと、静かに語り出した。
「私は以前から、毒を武器として使ってたんですよ」
「あー、今もあまり変わってないですね。わりと常に毒を吐いてるイメージあります」
「はぁ、まったく。フシノは、まだ私の性格をわかってないようですね。そういうくだらない冗談はほどほどにしないと、本当に毒まみれにしてやりますよ? 茶々入れないで人の話は最後まで聞いてください」
「すみません」
「……私は、スキルを使って、魔王を一柱、封印してるんですよ」
「どこにですか?」
僕がたずねたら、ウィネさんは、自分の胸に手を当てた。
「ここです。私の身体の中にです」
「えっ、なんでそんなことを」
「私は転生者ですけど、性格的にも能力的にも、戦闘にあまり向いていなくて……というか、簡単に言うとひどい雑魚だったんですね」
「そうなんですか? 以前くらった巨大な手で叩く攻撃は、かなり痛かったですけど。転生者である僕が気を失うほどの衝撃でした」
「あの頃のフシノは、レベルがゴミのように低かったですし、そもそもあれは対象の頭を撫でて眠らせる技です」
「ええと、要するに、あれですか。ウィネさんは、魔王との戦闘を避け続けて、それでついに毒に手を出してしまったと」
「やってはいけない薬物に手を出したみたいな言い方はしないでほしいですけど、まあ、フシノの言う通りですね。こんな私が、ひとりで魔王を倒すには、毒殺しか思いつかなかったんですよ」
「でも、こわくありません? 魔王を体内に封印するなんて。もし、敵が封印を解いて出てきてしまったら……」
「そうなったら私は死にますねぇ。その後のことは知りませんが、たぶん大変なことになるんじゃないですか?」
「楽しみだわ、みたいな口調で言わないでくださいよ」
「ふふ、すみません」
互いに黙り込み、次に口を開いたのは、またしてもウィネさんだった。
「予言で、毒が魔王の命を奪い、私がこの世界から消えるまでの時間を、言い当ててくれた人がいるんですよ」
「予言者っていうと、あのエリザマリーさんですか?」
「…………そうですねぇ」
「なんです? 今の間は」
「実はエリザマリー様は予言とかできないんですよね」
「大丈夫です? それ。秘密のやつでは?」
「あなたはもうこの世界からいなくなるんでしょう? 言いふらすことなどないでしょうから、大丈夫でしょう。それはともかく、遅効性の毒が私の魔王を倒す時までに、私は、この世界を守りに守ってくれる後継者を探す必要があったのですよ。そろそろこの世界を去らねばいけませんので」
「そんな」
「もしフシノが、ずっとこの世界にいるのであれば、私の後継者候補の一人だったのですが、どうも魔王を倒して帰るつもりのようなのでね。ああ、いえ、大丈夫、もう止めやしませんよ。素晴らしいことだと思います。本当にすごい。転生者としての責任を果たして、魔王と堂々とやり合って勝とうというのですから。
ま、とにかく安心してください。後継者は、すでに私を手伝ってくれています。私はフシノより圧倒的に頭いいですけど、私の後継者は、私よりも遥かに優秀なのでね。きっとこの世界を、より良くしてくれると思います」
「僕より頭いいとか、言う必要あります?」
「間違ったこと言いました?」
「合ってるかどうか、確かめたこともないでしょうに」
「たしかにそうですね」
そうしてウィネさんは、フフッと笑いをこぼした。
けれども、すぐに引き締まった表情になって、これまでで最も優しく語り掛けてくる。
「私が現実世界に戻れるかどうかは、五分五分だと思います。けれど、フシノが無事に魔王を倒して、もとの世界に戻った時、どこかで会えたらいいですね」
「そうですね、何か合図でも決めときましょうか? こう、エリザマリー様の寝てる時のすがたを真似してみせるとか。こんなふうに」
口を半分あけて目を閉じ、頬杖をついてみせると、目を閉じた暗闇にウィネさんの声が響いた。
「不敬ですよ?」
まぶたを開くと、まるだしの不快感で僕をにらみつける地味な女性がいた。
「ご、ごめんなさい」
「まったく、フシノは気を許した人が相手だと、すぐ調子に乗る所がありますね。陰属性のくせに。ですが、まあ、本来なら命を奪われてもおかしくない発言ですが、私の条件をのめば、ゆるしてあげてもいいです」
「何ですか」
「これに関しては、絶対に、ここだけの話にしてほしいのですが……。私は最後の大花火として、大規模な魔王毒殺を計画しています。それが、他の転生者にとっての運命の魔王を有無を言わさず亡き者にしてしまう選択だとわかっていても、世界を守るために、私がやらねばならないことなんです。その時に、どうか、止めないでくれませんか?」
そう言った彼女はとても真剣で、懇願しているようですらあった。
僕は、しっかりと彼女の目を見据えて答える。
「正々堂々と毒殺するならいいと思います」
大規模な毒殺ということ自体、正々堂々からかけ離れているから、おそらく無理だ。要するに、これは。ウィネさんの計画を絶対に許さないという強い意志表示である。
ウィネさんの立場はわかる。世界のために、ドロドロの汚れ役を買って出ようとしていることも理解できる。でも毒殺なんて卑劣は、幾度となく強力な暗殺者を送られることになったとしても阻止したいものだ。
だけど僕は信じている。彼女が卑怯な毒で魔王を倒してしまわないことを。
「フシノ、無茶を言わないでください」
そう悲しげな顔で言った彼女は、どこか嬉しそうにも見えた。
★
場所を移して、宮殿内に入った。天井にびっしりと絵画が描かれた広い食堂の部屋だ。小さな丸い机に椅子を二つ並べ、二人で向かい合って座った。
そこでウィネさんは、特に危険度の高い魔王について話をしてくれた。
「世界を滅ぼすと予言される五柱の魔王がいます。このうち、どれが健在でも、人間の世界は終わると予言された五柱の魔王です。出現には時間差がありますが、そのうち四柱は、すでに、この世界にあらわれています。
一柱は、さきほど、ネモーラが倒したワニ頭の魔王ディジャガゲキです。おそろしい頻度で眷属を増やし、屈強な軍隊をつくることで人間を呑み込む恐れがありました。
別の一柱を挙げると、不死身の吸血蟲型の魔王がいます。それが大魔王となってしまい、その瘴気に人間があてられれば、人間は、その形さえ失うことになります。これについては、この世界最強の魔法使いに対応を依頼しました。苦労しているようですが、圧倒的優勢とのことですし、近いうちに決着がつくでしょう。
さらに別の一柱は、殺しの化身のような魔王で、有り余る殺人欲で全世界を恐怖に陥れるおそれがありました。これは、すでに地底にある清浄な池に封印済みなので問題ありません。
いずれ出現する一柱は、あらゆるものを砂にする力を持っており、気に入らないことがあったら世界をリセットするほどの力をもつに至る恐れがあります。
そして、最後に挙げるのは、あなたの魔王。獅子の獣人型の魔王です。はっきり言って、現在のこの世界で、間違いなく最強の魔王です。攻略法は……」
攻略法。
僕は、それを聞かないことにした。
「――大丈夫です。勝ちますよ」
「いいですね。信じて待っています」
ウィネさんとも握手を交わして、僕は部屋を出た。
★
気が向いたので、宮殿内の赤絨毯の上を歩いて、謁見の広間に行ってみることにした。
大きな柱がいくつも並んでいて、その豪華さに圧倒される。
前回たずねた時には、大きくて立派な椅子には黒い蛇がいるのみだったけれど、今回はこの世界に来た日と同じように、エリザマリーさんが座っていた。
ちゃんと座っているかと言われると、それは、ちゃんとしてるとは言い難いものだった。
呼吸は深く、頬杖をつき、船をこぐように前後にゆらゆらと揺れている。
絶賛居眠り中なのであった。
僕は、エリザマリーさんの寝姿を見つめながら、強い声で言ってやる。
「僕はちゃんと元の世界に帰るために、戦いに行ってきます。こんなことを僕が言う立場にはないのかもしれませんが……もしよかったら、エリザティエラさんに、会ってあげてください。彼女は、ずっとあなたを待ってますよ」
そして背をむけた。
答えなんか、求めているわけでもなかった。でも、驚くべきことに、彼女の声が広間に響いた。
「余計なお世話ですよ。この世界から消え去る人間が、無責任に指図するものではないです」
「えっ」
振り返っても、静かに寝息を立てている彼女の姿があるだけだった。
幻聴かと思ったけれど、さっきよりも少し柔らかな寝顔に変わっていたので、きっと僕に言葉を返すためだけに、ほんの一瞬だけ起きてくれたのだろう。
「お忙しいところ、ありがとうございました」
僕は頭を下げて、宮殿を出る。
分厚い扉の向こうでは、最後の戦いが待っている。




