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第45話 冒険者ミクミの最後の戦い

 朝になった。


 ミクミさんにとっては、最後の朝だ。


 いつぞや広げたパラソルつきのテーブルセットで、僕らは食事をした。


 ミクミさんの伝言鳥がラピッドラビットドッグを運んできて、僕の分もあったので、それを食べた。ホクキオから運ばれて来た懐かしい味だ。


 別の鳥が運んできた新聞は、読まずに捨てた。


 敵の気配がする。


 だんだん近づいてくる強大で禍々しい雰囲気のほうを見ながら、僕らは立ち上がった。


 朝陽を受けて、いつもより鮮やかな金色に輝く髪を結びあげる。輝く鎧を身に纏い、彼女は最後の戦いに行く。


 途中までは、僕も一緒だ。


「行こうか」


「はい」


 軽やかに、草原に一歩を踏み出した。


 丘の向こうに、敵。ワニの頭が複数見えた。長い首の先に、ワニの顔が乗っかっている魔人たちがいるようだ。


 丘をこえると、敵軍の全体像が見え……たかと思ったのだが、地平線を埋め尽くすほどの敵の数だ。多すぎて果てがない。


 北から襲い来る黒い波が、濁流のように迫ってくる。


 ミクミさんの運命の魔王であるディジャガゲキには、多くの眷属(けんぞく)がいる。


 そいつらは、以前の戦いではただのワニ頭だったのだが、今回は変化している個体もいた。魔王の変態に伴い、何匹かの兵士の首が伸び、その者たちに先陣を切らせるようだ。


 長いリーチを活かした噛みつき攻撃や、首を回転させての突進攻撃には、大いに注意しなければならない。


 僕らは草原を加速する。


 戦いの前に、立ち止まっての挨拶……なんてものは必要ない。


 草原を勝手に埋め尽くす大軍への挨拶は、鍛え抜かれた斬撃がいい。


 あっという間に距離を詰め、射程に入ってすぐに、僕は思い切り剣を振り抜いた。先頭にいた首の長い個体たちの多くを真っ二つにした。


 横ではミクミさんが、大規模な光属性の一振りによって、海を割るように敵軍を消し去っていた。


 首が少し長くなったくらいで、僕やミクミさんに勝てると思わないでほしい。


「フシノ、好きに暴れていいよ。あたしが合わせるから」


「任せてください」


 僕は頷き、ワニ顔の魔人たちを次々に一撃のもとに斬り伏せる。


 敗北した魔人の身体は砕け散り、魂だけが飛び出し、北に向かって飛んでいく。


 僕の死角から来る攻撃には、ミクミさんが対応し、逆にミクミさんのピンチには僕がカバーをする。


 息の合った攻防。


 ミクミさんになら、安心して背中を預けられる。


 僕とミクミさんの二人なら、どんな敵が来たって勝てる。そう思えた。


 砕けて消えた者もいれば、逃げ去った者もいた。数分後には、濁流となっていた敵軍の姿は跡形もなく、残す影は一つというところまで壊滅させた。


 その残った影こそが、敵の親玉。魔王ディジャガゲキだった。


 僕らは、そいつの顔を見上げた。


 以前よりもさらに大きくなっていて、ワニ顔とキリン首はそのままに、刃物のように鋭い尻尾が生え、長く大きく成長していた。


 魔王はワニ顔の口を開く。


「吾輩は恥じている。何を? その弱さをだ。かつて吾輩は恥ずべき弱さだった。前回、貴様と戦った時には、あろうことか人質を利用し逃げ帰るしかなかった。だが、もう吾輩は以前とは違う。何が? この強さがだ。約束の通りに、正々堂々、一対一の勝負といこうではないか。準備ができたら、掛かってくるがよい」


「何言ってんの。掛かってくるのはそっちでしょ。前回なんか、ほとんどあたしの勝ちだったし」


「む? 言われてみれば、そうかもしれぬ。いずれにせよ、楽しむとしよう。貴様との最後の戦いを」


 この魔王は、身体的にも精神的にも、だんだんと大きくなっている。


 最初に出会った時は、人間の集落を無差別に襲いまくって人質まで用意するという暗黒ぶりだった。


 二度目に会った時には首が長くなっていて、急激な成長に精神がついていかなかったのだろう、自我が崩壊して、言葉を発することさえ難しくなっていた。


 そして今、三度目。二段階の変態を遂げて、鋭い尻尾を手に入れて、さらに巨大になり、魔王の言動は紳士的になっていた。


 とても大きい。足がすくむくらいには。紳士的な態度とは裏腹に、禍々しい迫力に満ちている。


 ミクミさんは一度僕のほうに振り返り、距離をとるようにジェスチャーで示した。


 決意に満ちた凛々しい表情だった。


「ミクミさん。勝ってください」


「うん。先に帰ってるね」


 僕は、遠くの高台まで退いた。


 彼女の姿が小さくみえる。遠くから見ると、魔王との大きさの違いが、よりはっきり見えてしまう。それこそ、五倍、いや十倍ぐらい魔王のほうが大きいようにも見える。


 けれど、力の差など、全く無いように見えた。


 ワニ頭キリン首でエイの尾のような長い尻尾をもつ魔王は、顔面を地面に落として彼女を叩き潰そうとしたり、身体を回転させて尻尾を振り回して攻撃したかと思ったら、なんと口から炎まで吐き出しはじめた。


 炎が触れた広範囲の芝生が焼け焦げ、黒くなった。


 少し見ないうちに、さらなる進化を遂げている。


 ミクミさんは、文字通りのバケモノである魔王を相手に、互角以上の戦いを見せていた。


 閃光をまとった九連斬りや、魔王よりさらに巨大化させた剣での斬りつけなどで、確かなダメージを積み上げていく。


 さばき切れずに攻撃を受けることがあっても、すぐに霊薬草を口に運んで回復する。


 しばらく手に汗握って観戦していると、分厚い雲が空を覆い始めた。


 魔王ディジャガゲキの特殊能力かと疑ったのだが、ふと、以前も同じ現象に出くわしたことを思い出した。


 それは、二柱の魔王がフォースバレーの宮殿に向かってくる時のことだ。急に分厚い雲が頭上を覆ってしまった。


 ウィネさんが言うには、強い魔力が集まるところでは、こうした天候が急変する現象は珍しくないのだという。


 ワニ顔のディジャガゲキの魔力がそれほどまでに高いのだろうか。


 いいや、それだけが原因ではないのだと思う。どちらかというと、僕の隣にあらわれて、並んで立ち見観戦している存在が原因なのではないかと思う。


(われ)の仲間は、ずいぶん苦戦しているようだな」


「そう、みたいですね」


 僕の横にあらわれたのは、獅子頭の大魔王だった。


 禍々しく重苦しい圧力を放ちながら、僕の横にいた。そいつは、渋い声で言う。


「緊張するか? 安心するがいい。ここでフシノ、貴様と戦うことはせぬ。約束しよう」


「ただ観に来ただけ、ということですか?」


「そういうことになるな」


 ミクミさんは、長短、強弱、さまざま織り成して、多彩な攻撃を繰り広げている。


 信じられないほど多くの技を見せてくれている。


 もしかしたら、最後の最後まで、僕の師匠をしてくれているのかもしれないと思い至ったとき、胸にあたたかいものが広がってきた。


 たとえ僕の考えすぎだったとしても、彼女の歩んだ旅路が見えてくるようで、もう感動しかない。


 獅子の魔王も、深く頷く。


「並ならぬ研鑽が、観ているだけの我にも伝わってくるようであるな」


 魔王の一撃と、ミクミさんの剣が交わり、激しい光がほとばしる。


 ずいぶん遅れて音が届き、さらに遅れて強風が来た。


 ミクミさんの持っている武器は、僕が初めて自分のものにした武器でもあるので、躍動する古びた直剣を見て、これまた感慨深いものがある。


 巨大な光の剣が、魔王の尻尾を切断したが、数秒で元通り、すぐに生えてくる。


 何度斬っても再生する。


「もしかして、不死身なんでしょうか」


 僕が呟くと、横にいる大魔王が返してくる。


「ああ、尻尾はそうだな。あの部位をいくら斬られたとて、やつは死なぬ。弱点は……いや、これを我の口から貴様に教えてやるのは、おかしいか」


「炎、ですよね」


「ほう。なぜわかった」


「ミクミさんが、色んな技を試していく中で、炎の技の時だけ、魔王の身体が強張(こわば)っているように見えました。もちろん、そのことにミクミさんは気付いているはずです」


「だろうな。見ればわかる。あの(むすめ)は、我が考えていたよりも、はるかに高い実力を持つようだ。素直さが、あの娘をさらに成長させたのであろうな」


 決まり手は、熱き炎の一撃だった。


 灼熱離炎撃だ。


 戦いの中で異常なほど肥大化していた魔王ディジャガゲキの足下に潜り込み、深く踏み込んで、突き上げる。


 硬い(うろこ)などものともせずに突き刺さった剣は、纏っていた炎を一気に放出した。


 高く高く、僕らのいる高台よりもずっと高く、黄金色の炎の柱が立ち昇る。


 暗い世界を黄色に染め上げ、高熱が厚い雲を散らし、大きな穴をあけた。太陽の光が射しこんできた。


 ワニ顔の魔王は、胴体に大穴をあけられていた。


 悔しさなど、微塵も見せていない。清々しく笑いながら砕け散っていった。


 全ての力を出し切って、魔王はそれでも届かなかったのだ。


「逝ったか。見事な戦いであったな」


「ええ、ミクミさんは最強なんです。魔王になんか負けません」


 彼女も消滅した。優雅に、力強く、剣を鞘に納めた音が、きこえた気がした。


 あっけない。


 ミクミさんは、こちらに手を振る暇もなく、背中を向けたまま、ただ静かに消えてしまった。


 頭上にできていた雲の穴もすぐに塞がって、再び薄暗い世界がやって来た。


 残ったのは、興奮した僕と、冷静な大魔王。


 獅子頭の大魔王は、偉そうな口調を崩さずに言う、


「我らの最終決戦も、あのようでありたいものだ」


 僕は普段よりも冷静さを失って、大魔王と対峙している緊張など忘れて、まるで幼馴染や友達にツッコミを入れるような感覚で、大魔王に言葉を返す。


「というと、負けて本望なんですか?」


「ふん、面白いことをいう。だがつまらぬ。言いたいのは、負けることなど有り得ぬが、誇り高い戦いの末に我が勝つということよ。それ以外の結果など、あり得ぬよ」


「そうやって言っていられるのも今のうちです。転生者の力を舐めないでください」


「ふっ、舐めておるなら、このように肩を並べて観戦などせぬわ」


「それは、光栄ですとでも言えばいいんでしょうか」


「無駄なこと。貴様ら人間ごときにとっての栄誉など、もとより長く続くものでもない」


「いいえ、長く続きますよ。これからも、このマリーノーツという世界は、人間のものですから。人間の価値観で、世界は進んでいきます」


「良い覚悟だ。それでこそ、倒しがいがあるというものよ」


「負けませんよ僕は。ミクミさんが勝ったように、僕も勝利して、あるべき場所に帰ります」


「うむ、それでは日取りを決めようか」


「では、明日なんてどうです?」


「よかろう」


「場所は――」


「そこまで決めずともよい。時が来れば、運命が引き合うものだ。楽しみに待つとしよう」


 そうして大魔王は背をむけ、丘を下ろうと歩き出したのだが、そこで僕は、「待ってください」と呼びとめた。


「む?」


 くだらぬことで呼びとめたなら承知しないぞという雰囲気で振り返った大魔王に、僕はたずねる。


「あなたの名前を教えてください」


「無駄なこと。だが、うむ、いいだろう……。我の名は、ジェントルム」


「僕は、フシノ。伏野松栄です」




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