第44話 冒険者ミクミの決戦前夜
翌日、僕とミクミさんは、これまで来た道を戻ることにした。
その終点近くに、サガヤという名の地がある。
もうすぐ、この場所にも壁に囲われたまちが造られるのだという話だ。南側にギルドが置かれる予定で、近くのホクキオに転送された新米の転生者が最初に所属するギルドにしていくつもりなのだという。
北側は商業エリアとなり、交易を中心に、まちの経済を担っていくのだという。
現在はまだ、南側に壁があり、その内側にいろんな種類の建物がひしめいている場所があるくらいで、区域内の多くの場所、特に北側は壁すらなく、ただ草原が広がっているばかりである。
そのサガヤ北の草原は、僕とミクミさんにとって思い出深い場所だ。
ホクキオでエリザティエラさんのもとから旅立った後すぐ、この場所でパラソルつきのテーブルを広げて、二人きりの喫茶タイムを楽しんだこともあった。
なぜそんな場所に来たのかといえば、マリーノーツ新聞の暗号にて、魔王軍がこの草原に陣取ると予言されたからである。
そして、それを率いるのが、ミクミさんにとっての魔王、ワニ顔キリン首をした魔王なのだという。
「そういえばミクミさん、新聞に、『魔王ディジャガゲキ』って書いてありましたけど、そんな名前だったんですね」
「そういえばそうだったね。どうでもいいけど」
「ていうかミクミさん、そいつらがここに来る時間って、だいぶ先ですよね。明日とかだったと思うんですが……。早く着きすぎじゃないですか?」
「そうだねぇ」
それからしばらく、静かな時間が続き、やがてミクミさんが沈黙を破った。
「ねえフシノ、おぼえてる? この場所で――」
「お茶したことですか?」
「ううん。戦ったこと」
「ええまあ……」
ぼっこぼこにされた記憶が、いま蘇る。
思い出さないようにしていたのに。
あの時の戦いは、僕がエリザティエラさんからもらった餞別のホットドッグを頑として渡そうとしなかったことに起因するものだった。
「もっかいやろっか」
「あー、じゃあ、丸テーブルと、椅子が必要ですね。おいしい茶葉とかもってます?」
「だからぁ、そっちじゃなくて、戦いのほう」
「いや、あの、ミクミさん、これから魔王軍に攻め込むんでしょう? 体力を使わないほうがいいのでは?」
「いやいや、魔王軍とやり合うからこそだよ。肩慣らしでもしとこうかなって」
彼女は鍛え抜かれた普通の剣を取り出すと、それをヒュンヒュンと振り回し、軽やかに舞い踊ってみせた。
格好いい。
可憐という言葉がよく似合う。この洗練された動きをみると、頭ではバーサーカー思考を展開させているなどとは、とても思えない。
「構えなよフシノ。そして本気で来なよ。どれだけ強くなったか、みてあげる」
「ちょっと待ってください。ルールを決めましょう」
「なんでよ」
なんでって、少し考えればわかるだろう。これから魔王に挑むというのに、その前に僕との戦いで消耗されては困るからだ。
僕と戦って連戦になったせいで魔王に負けたなんてことになったら、僕はどうすればいいんだ。
「じゃあ、しょうがない。武器のレベルを落として、先に一太刀入れられたほうが勝ちってことにしよっか」
「妥当なところだと思います。ただ、僕はサブの武器を持ってません」
「ええっ、それはまずいっしょ? 予想外の事態になった時に必要だよ?」
「さすが。誘拐人質作戦をされて、自らメイン武器を叩き折ることになったミクミさんが言うと重みが違います。非常に説得力がありますね」
「そ。あたしも前回で学んだからね。フシノに一本貸したげる」
「ありがとうございます」
「それじゃ、いくよ」
そして僕は彼女から弱い刀を受け取った。彼女も攻撃力の低い剣を握った。
互いに距離をとったところで、ミクミさんが遠くの岩を指差した。
「あの大きな岩の下にあるラピッドラビットの巣穴に、次のラビットが入ったら、戦闘開始ね」
「わかりました。お手柔らかにお願いします」
「は? やだし。手加減しないかんね」
常人には目にも留まらぬ速さで動いているように見えるラピッドラビット。転生者である僕とミクミさんは、その動きを目で追うことができる。
今、巣穴に入る。
可愛いウサギのお尻が岩の下に消えた時、もう目の前にミクミさんの剣が迫っていた。
「クッ」
振り下ろされた剣に、刀をぶつける。二人の刀剣が十字を描いた。
少しの間、押し合っていたが、やがてミクミさんのほうから離れ、剣に氷を纏わせはじめた。
初めて見る技だ。
そうして長さの伸びた剣で、僕に向かって突きを繰り出してきた。
払って軌道を変えようとしたが、びくともしない。
なんとか回避したが、今度は僕の胴体を斬り裂こうと、横に薙ぎ払ってきた。
咄嗟に姿勢を低くすると、僕の頭上すれすれを鋭い氷の刃が過ぎ去っていった。
そこでようやく隙が出来たので、背後に飛んで、距離を取る。
ここまで防戦一方。このままではいられない。
僕は、ミクミさんが再び氷の長剣で突き攻撃をしてくるのに合わせて、剣を構えた。
弓を引くように、刀を持つ手に力を溜め、一気に解放する。
氷の冷たさに対抗するなら、やっぱり炎だろう。
「灼熱離炎撃!」
ミクミさんに教わった技だ。
炎を纏った切っ先が、氷の剣先に触れた。
一瞬のうちに溶かし切って、氷は水になった。
ミクミさんは剣を振るい、水の刃を飛ばしてきたが、僕は洗練された足運びをみせて、またしても回避した。
以前、この場所で戦った時の僕とは違うのだ。
ミクミさんは、それでも僕に一撃を入れようと、次々に攻撃を繰り出してくる。
彼女は振り下ろしから、地面に剣を突き立て、それを軸に回転しながら蹴りを見せた。それは、土の壁を四方から襲わせる技をカモフラージュするための派手な動きだった。
どちらに逃げても壁に捕まるので、僕は地面を強く蹴って上空に逃れた。
いい加減、僕から攻めまくりたいのだけど、ミクミさんの多彩な技は、僕らしい戦いを許してくれない。
何故だ。
それは、僕が遅いからだ。
陰の者のような動きをしていては勝てない。自分から主導権を握りに行ってこそ陽の者だ。
僕は強く地面を蹴った。
そして、自分が稲妻になるようなイメージで素早く足を運ぶ。
それは目にも留まらぬ雷属性の斬撃。
これこそが、ミクミさんが僕に教えてくれた、最初の技。
「神速震雷斬!」
ミクミさんも、同じ技の名前を同時に叫んだ。
また二つの刃がぶつかり、せめぎ合う。
ばちばちと電流のはじける音が色んな方向からきこえてくる。
一度離れて、再び打ち合う。
何度もそれが繰り返される。
もっと速く。もっと速く。もっと速く。
だんだん、僕が攻撃する時間が長くなっていく。
賊のヤクモマルと戦った時と同じだ。戦いながら、どんどん強くなっていくのを感じた。どこまでも強くなれる気がした。
「うおおおお!」
まるで陽の者のように、声をあげながら僕は突進する。
そしてついに、僕の刃が彼女に届いた。
衝撃が、彼女の全身を駆け巡る。
鎧の胸当てが真っ二つに割れて地面に落ちた。彼女の剣は折れて二つに分かれ、切っ先のあるほうが地面に突き刺さっていて、持ち手のある方はずいぶん遠くに落ちていた。後ろで結ばれていた金髪もほどけてしまった。
僕が勝った。
負けたというのに、嬉しそうに笑うミクミさんがいた。
「強いね、フシノは」
僕も、肩で息をしながら、きっと笑っていたと思う。
「これで、思い残すことなく帰れるよ」
★
夜になって、真夜中になった。
僕とミクミさんは、芝生に仰向けに寝転がりながら、きれいな星空を眺めていた。
いくつもの流れ星が、北に向かって流れていく。
とても静かだ。
――もしかしたらこれが、この異世界でミクミさんと過ごす、最後の時間になるのかもしれない。
そう思ったら、なんだか寂しくなってきた。
でも、ミクミさんはこの世界を去ると決意しているんだ。僕が寂しがるからとかいう理由で決意を鈍らすことはまず無いとは思うけれど、彼女の心に雑音を残すような未練がましい態度は見せないようにしたい。
と、僕が心細さを訴えたくなる気持ちを我慢していると、ミクミさんのほうから話しかけてきた。
「フシノはさ、現実に戻ったら何やりたい?」
「そうですねぇ、まずは、ミクミさんに会いに行きたいですね」
ミクミさん、というよりも、幼馴染の根萌浦衣渡に会うということになるのだろうか。
「心配しなくたって、すぐに会えるよ。さっきも言ったけどさ、二人ともちゃんと生き残るからね」
「ミクミさんは、現実に戻ったら何がしたいですか?」
「たくさんあるけど、とりあえず、お父さんとお母さんの顔が見たいかな。時間の流れがどうなってるか分からないけど、もしかしたらすごく時間が経ってて、心配してるかもだし」
「そうですね。たしかに。両親には僕も会いたいです」
僕は、この世界に来たばかりで、そんなに長くいるわけじゃあない。でも、ミクミさんは、きっと長くこの世界を冒険して、自分の地位を築いてきたんだ。きっと僕が思っているよりもずっと長く、ずっと大きな苦労をして、ずっと深い関わり方をしている。
そして夜が明ければ、それら全てを清算して、いるべき現実に帰るための戦いがはじまる。
「で?」
「え? 何です?」
「他には? 何かないの? せっかく現実じゃあなかなか拝めないようなきれいな星空だし、流れ星にでも願ったらいいよ。フシノのやりたいこと」
「えーと」
「なりたいものとかは? たとえば、芸術家とか、総理大臣とか、スポーツ選手とか、音楽家とか、パティシエとか、宇宙飛行士とか、研究者とか、動画配信者とか、おかねもちとか……誰かを幸せにする、とかでもいいし……」
「そういうのは、まだ今はあまり考えてないですね」
「あ、そう。ちょっとは考えたほうがいいよ」
「でも、その前に、ミクミさん」
「なに?」
「僕は、僕の問題を解決したいと思っています。知っての通り、僕はクラスでは浮いちゃってますから、クラスのみんなと、また打ち解けられるように、一歩を踏み出すつもりです」
「そっか。できるよ、フシノなら」
「ありがとうございます」
「あたしは、それについては何もしてあげられないね」
「ええ、僕が一人で乗り越えなければならないことです。何かされたら困ります」
「わかってるって。でも、応援してる人がいるってことは、忘れないでね」
「応援? 誰がですか?」
「は? えーっと……知らないけど」
と、その寂しげな声をきいた後で、すぐに気付いた。これ、ミクミさんが僕を応援してるって意味だ。
「あの、僕も、ミクミさんのこと応援します」
「はい? なになに、何の応援よ」
「ひとことで言うと、イメチェンですね。前髪をあげて、髪を染めて、それだけで人気者になれると思います。とても可愛いので」
「かっ……。無理してチャラいこと言うなし」
「陽の者っぽかったですか?」
「陽キャだったら、そんな風に自分が陽キャしてるか確かめたりしないし」
「ごもっともです」




