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第41話 草を求めて3 印刷所

「その先に進むのは許可しませんよ」


 声をかけてきた女性は、やはりウィネさんだった。


 廊下を走るなとか、その先に進むのはだめだとか言ってきた。


 けれども、僕らの命を狙っている人の命令なんぞに、どうして従わねばならないのか。


 顔を見るだけで湧いてくる怒りをなんとか抑えながら、僕とミクミさんは、無視をした。二人で同時に扉を押し開けた。


 そこには――。


 数段上に、玉座があった。でも王はいなかった。


 空席というわけでもない。


 絢爛豪華な椅子の上に居座っていたのは、小さな黒い蛇だった。


 僕は混乱したけれど、蛇型のモンスターなんか見慣れているのだろう、ミクミさんは驚いたりはしなかった。


「エリザマリー様はいませんよ」


「この蛇は?」


 僕がたずねたら、ウィネさんは、説明していいか迷った末、ひとこと、


「いずれ黒雲(こくうん)の巫女となるお方です」


 色々とツッコミどころが多い。そんな黒雲の巫女なんていう単語初めてきいたし、だいたい蛇に巫女が務まるのだろうか。そもそも、その蛇ちゃんは何者なんだろう。


「えっと、この椅子は、エリザマリー様の席だったはずです。あ、え、まさか、エリザマリー様がこんなお姿になってしまわれたのですか」


 この推理には少しだけ自信があったのだが、


「ですからね、フシノ。ここにはいませんと言っているでしょう」


 眉間にしわを寄せたウィネさんは、今にも再び暗殺者を差し向けてきそうだった。


 いやはや、会いたくない人に会ってしまった。


 ここに来た目的は、女王であるエリザマリーに直談判して、ウィネさんが霊薬草の独占するのをやめさせ、安価で草を手に入れられるようにすることだった。


 これでは目論見は完全に失敗だ。女王がいないのでは直談判ができないし、そもそもウィネさんを避けたくて考えた作戦だったのに。


 ウィネさんは言う。


「あなたがたの動向は注視しております。素直に私のところに来れば良いものを……。霊薬草の購入許可証なんて、すぐに作れたんですが」


「いえ、なんというか、その……そうですね。でもエリザマリー様から直接に許可をもらいたいって思ってですね。ね、ミクミさん」


「…………」


 ミクミさんは黙っている。深く黒い沈黙である。おそらく、暗殺者を差し向けてきた人間とは言葉さえ交わしたくないのだろう。


 僕としても、ウィネさんとなんか、今は仲良くできないと思う。だけど目的のために必要ならば、やむをえないことだ。


「エリザマリー様は多忙なのです。あなたごときに構っている暇なんか、一切ありません。許可証は出しますので、一緒に印刷所まで行きましょう」


 ウィネさんは、暗殺未遂の一件に触れることはなかった。


 そこでミクミさんが、久しぶりに口を開く。


「じゃあ、あたし、先に行って待ってるから」


「あっ、はい、わかりました」


 僕だけが許可証をもらうことになった。


 ミクミさんは、どうあってもウィネさんと少しも関わりたくないらしく、さっさとひとりで宮殿を出て行ったのだ。


 無理もないことだ。僕だってだいぶ無理をしている。


 毒殺が得意な人を相手に二人きりなので、ミクミさんが僕のそばにいてくれたほうが安心するのだけれど、これもひとつの試練なのかもしれない。


 自分を攻撃してくるかもしれない相手と二人で過ごし、その恐怖と戦い、そして打ち勝てということだ。


 まあ確かにね、そんなこともできないで、魔王になんか勝てるわけはないのだけれど。


  ★


 印刷所は、先ほど門前払いをくらったオークション会場のテントの近くにあった。


 文字通り来た道を戻って、僕とウィネさんはレンガ造りの建物の中に足を踏み入れた。


 変なにおいがした。


 質の悪い紙とインクのにおいだ。


 このにおいを、僕は知っていた。


「新聞ですか」


「さすがですねフシノ。その通りです」


 通路の先に大きな部屋があって、そこには大量の木製机が並べられていた。


 椅子は一脚も置いておらず、誰の姿もない。でも、そこでは間違いなく仕事が行われていた。


 宙に浮いたペンによって、机に置かれた紙の上に文字が書き込まれていく。


 トトトトトという小刻みに響く音とともに、細かい文字がびっしりと規則正しく並べられているようだ。繊細なタッチの挿絵もあっという間に描き出されていた。


「これ、マリーノーツ新聞ですね。まるで機械で印刷してるみたいです」


「ええ。これが、エリザマリー様の最も得意とするスキルです。自動筆記といいます。ここまでの大規模平行筆記となると、魔力消費量が膨大になるのでね、これを見れば、彼女の偉大さが一目瞭然でしょう」


 見たところで、それほど実感は湧いていない。


 ウィネさんの言葉だからもう心に響かなくなっているだけかもしれないけど。


「それで、許可証というのは……?」


「せっかちですねフシノは。紙幣の出来上がる様子とか、金貨に刻まれる文字を自動で並べる様子とか、宮殿に飾る壁画の制作とか、エリザマリー様の華麗なスキルはまだまだあるのですよ。色々観光してもらいたかったのですけども。……まあいいでしょう。焦る気持ちも痛いほどよくわかりますから」


「ウィネさんも、なぜか焦ってますもんね。フォースバレーの宮殿でも、魔王をひどい手段で倒そうとしてましたし」


「そうですね。否定はしません」


「僕とミクミさんに、何か言うことはないですか?」


「いえ、何のことやらわかりませんが」


 しらばっくれてきた。絶対にこの人が裏で糸を引いていたはずなのに。それ以外に僕らが狙われる理由なんて皆無なのだから、まず間違いないのに。


 しかし証拠がないのもまた事実。


 ここで畳みかけたところで、大きなホコリは出ないだろう。


「僕の方針も変わっていませんからね。魔王を一人で倒します。ミクミさんと同じです」


「ミクミ……ね。本名をご存知ですか?」


「ええ」


「カナノ守護役のネモーラ。残念ながら、彼女はもうその役職ではありません。紙をのぞきこんでみてください。今まさに、そのことが新聞に書き込まれています」


 躍る筆も、紙も、僕は見ようともしなかった。


「よめませんけど。もう長居する気はないので」


「言うようになりましたねフシノ。一応、理由を話しておきますと、彼女が運命の魔王と戦うということは、結果しだいではカナノ守護役のポストが空席となることを意味します。この荒れ果てた時代に町の守護が手薄になれば、高く堅固(けんご)な壁が完成したとしても人々は不安になるものでしょう? そこで、急遽代役を立てる必要があったのですよ」


「別に、きいてないです」


「新たな守護役は、ホクキオにて多くの弟子を抱え、急速に力をつけていた転生者、二丁猟銃のセイクリッドが務めます」


「二丁猟銃の……セイクリッド……」


 これはもう、自白したのも同然なのではなかろうか。


 だってそれは、僕らに銃口を向けてきた女が名乗った名前だ。


「そのひとは、あれですよね。質量をもった分身を繰り出してくる感じの女で」


「おや? 会ったことがあるんですか? おかしいですね」


「何がですか」


「え?」


「おかしいって、何がですか? その人に会ったはずなのに、僕がまだ生きていることがですか?」


「……どうしたんですか、フシノ。そんな怖い顔をして。何の話だかわかりませんね。今の話だと、まるで私がセイクリッドさんという人を差し向けて、二人を消そうとしたみたいじゃないですか。ひどい話です。この私が、そんな人間にみえますか?」


「理由があればやるでしょう? たとえば、僕らに内緒で大規模な魔王暗殺計画でも立てていたとしたら、邪魔される前に消しに来るのかなと思います」


「そういう発想を、なんというのでしたっけ。陰キャ思考? 陰謀論? 被害妄想? よくわかりませんが、どうやら私は信用されていないようですね」


「ええ、エリザマリー様も、あなたと同じような、陰謀を巡らせる陰の者なんでしょうね」


 僕がそう口にした時、ウィネさんから始めて強い殺気が発せられている気がした。


 しかしウィネさんは、一瞬でそれを抑え込み、朗らかな笑顔を浮かべた。


 僕には、それがとても不気味に見えた。


「エリザマリー様は、本当にこの世界の皆さんのことを考えているんです。転生者としてこの世界に降り立ったその頃から、今も、そしてこれからもです。たとえ彼女がこの世界を去ることがあっても、その意志は残り続けるでしょう。だから、あなたに彼女のことを悪く言われようと、全然気になりません」


 嘘である。気になっていなかったら、さっきの殺気は一体何だというのか。


「私はエリザマリー様に助けられました。魔王を倒せなくて、この世界で、みずから命を断とうとしました。ミヤチズに掛かる高い橋の上から身を投げる寸前に、肩に彼女の手がかかりました。私は強く引っぱたかれました。不思議と痛くなくて、私はただ、『ごめんなさい』と繰り返すだけだったと記憶しています」


 急に、激重な話が始まってしまった。

 僕は平静を装う。彼女は話を続けていく。


「その日から、彼女が女王になれるよう、命をかけると心に決めました。エリザマリー様は、『やめてください。側近なんていりません』と私から逃げ続けましたが、しつこく付きまとったら、ようやく条件付きで許してくれたのです」


「条件、とは?」


「エリザマリー様は、私に向かって言いました。『魔王に勝つことができたら、あなたの好きなようにしていいですよ』と。やさしく微笑みながら言ってくれたのです」


「それは、遠回しに遠ざけられただけでは?」


「それがどうしたと言うのですか。そんなことで、私がエリザマリー様のそばにいるのを諦めるとでも?」


「でも、魔王に勝ったら消滅しますよね。消えてないってことは、勝ってないということです。どうやってそばに……あっ、まさか、ウィネさんのスキルとか毒とかで、彼女を無理矢理に眠らせ続けているとか」


「ちがいますよ。ありえないです。本当に信用ないんですね、私」


「無理もないと思いますが。魔王毒殺未遂の一件だけでも、僕らからの信用も信頼も、一瞬で地に堕ちましたから」


「何とでも勝手に思うがいいです。フシノなら、そのうち私の言っていることがわかる日が来ます。陰属性のフシノのことですから、口では何と言っていようとも、本当はこの世界に居座りたいと心の底では思っているのでしょうから」


「思っていません。僕は、僕の手で運命の魔王を倒すんです」


「誰のために? 何のために?」


 そう問われて、僕は、らしくないことに即答した。


「僕の世界を変えるためです。限りなく陰の者だったイトちゃんがミクミさんに変わったように、僕も変わりたい。それだけです。」


「…………」


 ウィネさんは何も返さなかった。ただ静かに背をむけると、奧の部屋へと続く扉に向かって歩き出した。




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