第37話 ミヤチズ5 本当の名前
「すごいっ、凄い戦いだった」
土煙が落ち着いてきたころ、ミクミさんは憧れを見た時のような弾む声を出した。
抱いて守っていたプラムちゃんを置いて、僕に駆け寄ってきたようだ。
「すごいものを見たよ。ほんとすごい。二人とも、このたった数分間の戦いで、めっちゃ強くなってたし」
無傷の僕と傷だらけの賊。回復能力を大幅に上回った一撃によって、ヤクモマルは倒れている。
賊の仲間と思われる美女たちが、珍しいものを見るようにヤクモマルに群がっている。
そのうちの、和服をいやらしく身に纏った美女が、しゃがみこんで、指先で賊の肉体をツンツンと突いていた。それで意識が戻ったようだ。
「なに負けてんだい。完敗じゃないのさ。みっともないね」
「痛ってててて……しょうがねえのよ、相手が悪すぎんだ」
その後で、大人から子供まで、たくさんの若い女性たちが、やいのやいのと取り囲み、ヤクモマルは見えなくなった。ハーレム状態とはああいうのをいうのだろうか。
しかも、その周囲には、色々な派手な格好をした強そうな男たちが囲んで、戦いをみた感想などを、にぎやかに語り合っていた。
一方、僕のそばにはミクミさんだけしかいない。
あれ、なんだろう。なんか、ぜんぜん勝った気がしないんだが。
僕がうらやましげな光景を眺めていると、ミクミさんに腕を引っ張られた。
「いこう、フシノ」
「え、でも、こう、試合後のあいさつ的な?」
「危ないでしょ。そんなの。あいつら賊なんだから、仲間がやられたとあっては、たぶん黙ってはいられないでしょ? 囲まれる前に逃げるのが正解。違う?」
「いや、なんというか、それでも僕は、彼が賊から足を洗うのを見届けないといけない気がしてるんです」
「んー、ご同類のお仲間がいる限りは難しいんじゃないかな。ああいう世界は、抜けるのも大変って相場が決まってるっしょ」
「たしかにそうかもしれませんが……」
やはりこのまま去るというのは後味が悪いものがある。
賊であっても、好敵手への挨拶ってのは大事だろう。
などと思っていたのだが、いったいどういう理屈なのだろう。彼の仲間たちは突然に争いはじめた。
秩序ある戦いではない。バトルロイヤルだ。勝ち残る一人を決める戦いのように見えるし、女性も数人、参戦しているようだった。
思考回路が全くわからない。
戸惑う僕に、ミクミさんが説明してくれた。
「これは、あれね、あたしたちに挑む人を決める儀式みたいなものだと思うわ。さっき、あたしと戦う人を決める戦いが途中で有耶無耶になってたようだから、代表者を選ぶ戦いの続きが再開されたんだね」
「なんか血の気が多すぎませんか?」
「だから賊なんでしょ?」
まさしくその通りである。
「ヤクモマルなら大丈夫っしょ。今すぐには全然変わらないかもだけど、今回フシノに負けたことで、だんだん変わっていくと思うよ。そのうち、あいつも魔王と向き合う覚悟を決めるはず」
「ミクミさんお得意の勘ですね?」
「うん。だから、放っとこう。あたしたちは、あたしたちの魔王と戦うための準備を進めようよ」
「わかりました」
「そうと決まれば、いくよ」
僕の腕は、ミクミさんに引っ張られる。
「次の目的地は決まってるんですか?」
「うん。ネザルタのまちに行こうと思う」
「そこに何が?」
「強くなれる草がある」
「やばいやつじゃないですよね?」
「問題無いやつだよ。たとえやばいやつだったとしても、魔王を倒すために必要だから、買いに行かなきゃ」
ミクミさんは、時々戦いながら草をかじっていることがある。
きっと強化アイテムの類なのだろう。
ズルい気もするけれど、魔王を倒すということが簡単なわけがないのだ。
使えるものは全て使わないと一対一で上回れない相手なのであれば、ミクミさんの選択も当然だ。
実際、ヤクモマルの回復スキルも非常にずるいし、僕の新しい武器だってずるさの限界突破をしている部類だと思う。
「じゃあ、行きましょう」
僕はミクミさんの手を優しく振りほどき、そして並んで歩いて行く。
しばらく無言で進む時間があって、やがてミクミさんは言うのだ。
「そのまえにさ、ちょっと寄りたいところ、あるんだけど」
★
非常に景色のいい場所だった。高い場所にかかった幅の広い石橋は、いくつもの馬車や、多くの人々が往来していた。
「ここ、いいでしょ。朝から晩まで、いつも人が行き交う場所。なんか元気もらえるし、夜景もきれいだから、夜までいてもいいかな」
たしかに、とても活気がある。
僕が以前いた世界の、まちなかのような雰囲気があった。
橋の上で、ずいぶん下を走る川沿いの街道を並んで眺めながら、僕らは優しい風に吹かれていた。
こんな雰囲気の良い場所に寄りたいなんて、いったい何の用があるのだろう。
ミクミさんは今、剣も身に着けていなければ鎧も装備していない。普段は後ろや横で縛っている髪も、今は下ろしている。
嘘みたいに可愛い。
控えめに言って、これ、まるで、ただのデートじゃないか。
もちろん、鎧を装備していない金髪ギャルと一緒にまちを歩くのは、全く悪い気はしない。というか、とてもドキドキさえする。
心地よくすらある沈黙がしばらく続き、ミクミさんが口を開いた。
「さっきのフシノ、かっこよかった」
「あ、ありがごうございます」
「最後の一撃なんか、もう圧巻だった。威力も速さも美しさも、あたしなんかを遥かに超えてた」
「本当ですか?」
「転生者といえども、この世界で生きているモノである限り、保持できる魔力には限度がある。魔力が身と心から全部抜けてしまったら死が待ってるし、逆に身体に溜まり過ぎても、空気を入れすぎた風船が割れるみたいに、一瞬で破滅することになる。
フシノは、その保持できる容量が元々ものすごく大きいし、このぎりぎりの戦いを経て、さらに大きくなったように見える。きっとこれからもっと大きくなる。今の時点でも、もうすでに、魔王と比べても全く遜色ないレベル。転生者の中でも、あたしの知ってる中では最強かな」
「さ、最強、ですか」
ミクミさんは頷き、そして大きく一つ、息を吐いた。
その後で、石でできた欄干に腕をのせながら、僕の方に身体を向けた。
「だからね、認めるよ、あたしの負け」
僕は、さっきの戦いで完全にミクミさんを超えたのだ。
しみじみとした喜びが胸に広がっていく。
師匠をこえた。これで免許皆伝。ミクミ流の剣術を僕はきわめた……とも言えるかもしれない。いずれにしても、弟子の立場は捨てがたいけれど、これからは対等に、刀剣を振るっていくことになるのだろう。
「ありがとうございました。ミクミさん」
「うん、それじゃあフシノ、いよいよ約束を果たす時がきたね」
「はい」
軽く返事をしてみたものの、約束……。
約束?
約束ってなんだろう。
言われてみれば、何かを決意したことがあったような。
でも思い出せない。
「何でしたっけ」
「…………」
目を逸らして虚空をながめるミクミさんから、並々ならぬ負のオーラが発せられた。
しばらく考えて、すぐに思い当たる。
「あっ、名前だ!」
出会った頃は、あれほど気になっていたというのに、僕としたことが完全に忘れてしまっていた。そんなに時間が経っていないというのに。
ミクミさんに勝てたら、本当の名前を教えてもらえる約束だったんだ。
直接に勝ったわけではないけど、ミクミさんが負けを認めたので、名前を教える理由ができたというわけだ
「あたしの本当の名前はね――」
そして今、彼女の真の名前が明かされる。
「いと」
「お、僕の幼馴染と一緒ですね」
「だろうね」
ん、だろうね?
「え? あれ? えっ、えっと…………いやまさか」
「根萌浦衣渡だね、フルネームだと」
「どど、同姓同名? そんなことあります? いや、え、僕の幼馴染がこんな金髪美女なわけなくないですか?」
「漢字で書くとこう」
差し出された新聞に使うような質の悪い紙。そこに書かれた綺麗な文字列は、やっぱり僕の知ってるものだった。
こんな他に存在するかさえ怪しい珍苗字で、しかも下の名前も一緒だなんて、
「え、でも、見た目が全然……」
「髪型と髪色変えただけだし」
「それに口調も全然……」
「たしかに変わったかもね」
「こんなにも、カワ……」
「えっ、なになに? なんて? カワ、なに?」
「……変わった印象になるなんて」
彼女はイライラした様子でまた目を逸らした。
「これから、なんて呼べばいいでしょうか」
そんな僕の問いに、景色を眺めたまま答える。
「そりゃ正体ばれたんだから『イトちゃん』でしょ。昔みたいに」
「こまります」
「なんでよ」
僕に向き直って、およそ幼い頃には耳にしたことがないような、怒り声を出してきた。
「恥ずかしいです。なんとなく」
「てか、敬語やめない? 幼馴染っしょ」
「いや、でも、あれぇ……ミクミさんがイトちゃんで、いやっ、ええっ……」
混乱さめやらぬ中、彼女は答えあわせをはじめる。
「だからね、ショウちゃん」
などと、僕の昔のあだ名を呼びながら。
「って、あれか、ショウちゃん呼びは嫌なんだっけ。ゴホン、えっとねフシノ、どうしてミクミっていう名前にしたかっていうとぉ……」
そう言ったきり、今度は考え込んでしまった。ちゃんと考えてから明かしてこいと言いたい。
やがて彼女が言ったのは、
「あたしの所属って、なんだと思う」
「ミクミさんの所属……ですか。たしか、カナノ地区の守護役とか言ってたような」
「ちがくて。現実のほう。根萌浦衣渡として、あたしは、どこに所属してた?」
「学校?」
「の?」
「はい?」
「何年?」
「二年」
「何組?」
「えーと、一組だったかな」
「ちがう」
「じゃあ三組だ」
「言い換えると?」
「えぇ?」
三組を言い換えっていうと……さんくみ、三くみ……ミくみ……。
ああ、そういう……。
「くっだらねえ……」
僕は思わず吐き捨てた。
「すぐ気付くと思ったんだけどなあ」
「由来はわかりました。でも、僕の幼馴染は、なんでこんなにも変わってしまったんですか。さすがに変わり過ぎじゃないでしょうか」
「うん……。あたしね、ものすごく後悔してたんだ。こないださ、現実でフシノと廊下ですれ違ったこと、あったでしょ?」
「え? ああ、あったような……気が、しないでも……」
「あったの。でも、あたし、声かけらんなかった。フシノがクラスで浮いてて、元気がないの知ってたのに」
「まあでも別に……」
「それだけじゃないの。あたし、中州に取り残されるかもしれないフシノの姿をずっと見てたのに、友達から川が危険だって連絡がきても、だんだん水かさが増してきても、声を掛けられなかった。ほんと、まじで陰キャだった」
今にも泣きそうな震えた声だった。
「この世界に来て、あたしも変わりたいって思えた。剣の腕を磨き上げて、髪の色も染め上げて、強くなった時、本当に変われた気がした。皆から頼られて、ちゃんと陽キャになれた気がした。ショウちゃ――じゃなくて、えっと、いつかフシノが来たら、あたしが手を引いて、導いてあげるって決めた。小さい頃、フシノがあたしにしてくれたみたいに。それができたとき、あたしは本当に輝く陽キャになれるんだって思った」
幼い日々を思い出す。
たしかに、幼馴染のイトちゃんは、陰の者の中の陰の者だった。今の僕なんか比べ物にならないくらい、暗い女の子だった。いつも長い前髪で顔を隠していて、うつむいて、今のミクミさんとは全然違って、自分の考えていることを表に出すことなんて、絶対にしないような、おとなしすぎる女の子だった。
「もう、すっかり陽の者だと思います」
「そうでもないよ」
「いえ、間違いなく陽の者ですよ」
「どうなのかな。現実に戻ってみないと、ちゃんと本当の陽キャになれたかわかんない。あんま自信ないかも」
「現実でも髪を染めるんですか?」
「どーしよっかな。金髪のあたしのほうが、もう本当の自分って感じがするんだよね。フシノも良い意味でギャルだって言ってくれたし、それもアリか」
「前髪を切って、髪を後ろとか横とかで縛る、くらいでも良さそうですけどね」
「そうかな」
「ええ。こんなに……」
と、言いかけて、次の言葉は飲み込んだ。
「ん、なに? なによ。こんなに、の続きは?」
こんなに可愛くなってとか、こんなに美女になってとか、あやうく言いそうになったけれど、幼馴染だと分かった今、すごく恥ずかしくなりそうで絶対に言いたくない。
「……明るくなったんだから」
「ああ、うん……。でも、やっぱりあたし、どこまでいっても陰キャなのかなって思うことがあるんだよね」
「そりゃまたどうして」
「フシノが他の女の子と仲良くしてると、あたまにくるし。昔からそうだし」
単に嫉妬深いだけでは?
ていうか、ニブい僕でもわかるくらいに、これって僕への愛の告白では?
「あのさ、あたしもうギャルになったからハッキリ聞くけどさ、フシノって、あたしのことどう思ってる?」
本当にこれ、僕いま告白されているのでは?
ミクミさんへの好意はある。でも、幼馴染のイトちゃんへの好意があるかと言われると、どこまでいっても幼馴染に向ける感情以上のものは今のところ湧きおこりようがないんだ。
要するに、心の準備ができていない。
保留!
僕は言葉を返さなかった。
こんなだから僕は陰の者なんだろうな!




