第26話 フォースバレーに至る道3 川の海賊2
「もしかして僕、やらかしちゃいました?」
「ううん、問題ない。こいつ賊だし。話し合いで何とかなる相手じゃないっしょ」
ミクミさんは言うと、僕から剣を奪い取り、神速の剣を見せた。
「神速震雷斬!」
出血。男の腕に傷をつけた。
「ふっ……あれ?」
ミクミさんも、僕と同じように、当たった瞬間は大きな手ごたえを感じたようだった。
だけど浅い。明らかに低いダメージしか与えられていない。
しかも、さらさらと流れていた血は数秒もしないうちに止まってしまった。一瞬で傷が塞がったようだ。
自己修復みたいなスキルでもあるというのか。
「え、ずるくないですか?」
思わず僕が言ったが、赤髪ツンツン頭の賊は答えなかった。かわりに、感心したように声を発する。
「へぇ、カスみてーな武器使ってるわりに、なかなかの腕じゃねえの」
「なんなの硬すぎ」とミクミさん。
赤髪の男は、ニヤリと笑みを浮かべながら言う。
「仕方あるめえよ。おれの流派は、防御に特化してんのさ。そんなおれを相手に、初日で手に入るような低質な武器で傷をつけられるやつが二人もいるとは驚きだがなぁ、いやいやしかし、最高の戦力で戦って来ねえやつらが、おれに勝てる道理はねえよ」
ミクミさんは機転をきかせて、この場を打開する策をさぐる。
「じゃあ、ここは見逃してもらえるかしら。次はちゃんと準備して戦いに来るから」
「はっ、おもしれえこと言うじゃねえか。いい度胸だ。本気の嬢ちゃんと戦えるなら楽しめそうだ……が、今は戦いよりも金だ」
「なにそれ。転生者なのに、恥ずかしくないの?」
「最初は恥だと思ったが、今では賊って立場に誇りさえ持ってるぜ。仲間を食わせるために命を賭けてっからな。ついでに言っとくと、どっちか一人くれえなら仲間に加えてやりてえところなんだが、おれの船にゃ本職の刀剣士はおれ一人って決めてんだ。双剣の魔法剣士とかだったら珍しいから欲しいがな、そういうスタイルでもなさそうだ。残念だったな」
「言われなくったって、賊の仲間なんか願い下げもいいとこだわ」
「まあまあ、そんな怒りなさんなってお嬢ちゃん。とにかくさ、お二人さんよ、わかってんだろ? 出せよ。有り金ぜんぶをさ。少しはあんだろ」
雑魚の僕は、賊のこの言葉を待っていたかもしれない。金銭さえ差し出せば助かる。見逃してもらえる。
「あのあの、ミクミさん、いくらもってます?」
「ちょっと。出す前提で話を進めないでよ。出したくないよ」
「じゃあ、あのヤクモマルとかいう粗野な赤髪のいうことを何でもきくみたいな展開になっちゃいますよ?」
「やだし。てか、あたしにお金を求める前に、フシノが自分で何とかしなさいよ。レアアイテムとか持ってないの? 価値のあるものを渡せば許してくれるかもだよ」
「あるわけないでしょ。僕はこの世界に来たばかりの初心者ですよ?」
「元の世界から持ち込んだものとかあったはずでしょ?」
「全部ウィネさんが持っていきました。それが普通なのでは?」
「金貨とかもなし?」
「金貨は持ち歩いてると危険だからって、エリザティエラさんのアドバイスで、預り所に預けてます」
「あいつらぁ……」
「戦いたくない。お金も渡したくない。となれば、残念ですけど逃げるのが最善だと思います」
「……待ってよフシノ、本当にそれでいいの?」
「どういうことですか? それ以外に道は無いと思いますが」
「フシノがここで逃げたら、次も逃げるでしょ。これから先、ずっとずっと、強い敵を見たら逃げ続けて、転落者人生を滑降し続けるつもりなの?」
「そうは言ってもですね、世の中には、どうあっても敵わない負けイベントも存在します。プロの陸上選手と一緒に走って勝てますか? プロの料理人と競って勝てますか? 素直に現状の実力不足を認めることも、陽の者らしい爽やかさなのではないかと思います」
「違う。誤魔化してる。フシノは今、日陰の道に逃げようとしてる」
「何なんですか、だったら、どうすればいいっていうんですか!」
僕は思わず、語気を強めた。しかしミクミさんは冷静に、
「相手の防御力が高ければ、もっと高い攻撃力で殴り潰せばいい。なんか自動回復とかするなら、その回復力が間に合わないくらいすごいのを叩きこめばいい」
「ミクミさん、脳みそ筋肉で出来てるんですか? そんな単純にいくわけないです」
「あんたこそ、心が豆腐で出来てんじゃないの? レベル差が何? こっちは二人であっちは一人でしょ? 人数差だったらこっちが二倍じゃないの」
「そんなの関係ない相手にしか見えません。今の僕らじゃあ……」
「ふっ、隠してたけどね、あたしには特殊なスキルがある。心が同じ方向を向いている二人で剣を振れば、その力は二倍どころじゃない、何十倍、何百倍にも膨れ上がる」
「そう、なんですか?」
「そうだよ。だから、二人なら、この賊にも勝てる」
言い放つミクミさんの目はとても真剣で、嘘をついているようには見えなかった。
これまでの転生者人生、僕は彼女に助けられてきた。
賭けてもいいかもしれない。僕らの絆に。
ミクミさんの瞳に操られるかのように、まるで陽の者のようなポジティブに心が傾いたようだった。
「わ、わかりましたよ、やればいいんでしょう?」
僕の視線が、ずいぶん久しぶりに賊のほうに向いた。
ヤクモマルという名の賊は待ちくたびれたような空気を出して言う。
「そろそろ御相談は終わったかよ、お二人さん。何を差し出してくれんだ?」
ミクミさんは、毅然として答える。
「差し出すのは、そっちよ」
「お? なんでえ、ご同類だったか。だったら容赦しねえぞ」
「違うわよ。あたしたちは、あんたみたいな賊じゃない。好き勝手に暴れて、自分が最強とか思い込んでるその汚れ切った根性を差し出せって話よ、あたしがきれいにしてあげるから」
「へえ、いいぜ、受けて立とうじゃあねえか。おれは生半可な技じゃあびくともしねえぞ」
ヤクモマルは自分の防御力に大いなる自信があるようだった。
「さ、フシノ、こっちきて。この剣を、二人で握るよ」
「え、二人で握るって、どうやるんですか?」
「あたしを支えるのよ。もっと近づいて。あたしの背後から、こう、抱きとめるみたいに」
「こ、こうですか」
躊躇いながらも言われるがままに後ろから抱きしめたら、彼女は頷いてくれた。
「そう。そしたら、あたしが剣を握っている手の上から、かぶせるように握って」
「こ、これでいいですか?」
ミクミさんの冷たい小さな手を、僕の手が包み込んだ。
心臓の鼓動が強くなった気がした。彼女の背中に伝わってしまっているかもしれない。
いやいや、そんな場合じゃないか。とにかく彼女の手ごと剣を握ることに集中するんだ。
「うん……」
「つ、次は?」
「イメージするの。勝利を。とりあえずこの場をしのぎたいとか、逃げて条件を整えたいとか、そんなのつまらない。フシノが持っているのは最強の剣。フシノが握っているのは最強のあたしの手。オーケー?」
「はい」
「いくよ」
ミクミさんの放つ気力が増した気がした。もちろん目には見えないのだけれど、これまでにない力を強く感じる。
どこからともなく風が立ちのぼり、ミクミさんの後ろに縛った髪を揺らしている。
その髪束がばたばたと僕の顔を何度も叩いてきたけれど、決してミクミさんから離れない。後ろから抱きしめたまま、僕はミクミさんと一緒に技を繰り出す。
ミクミさんの腕の振りに合わせようとか思いもしなかった。ただ自然に身体が動いていて、かといって動かされているわけでもない。
全身全霊でミクミさんと一つになっている。そんな気がした。
まちがいなく僕の意思で、僕がやりたいから、僕がこの賊を叩きのめしたいから、この使い古した剣を振りかぶり、振り下ろすのだ。
まばゆいばかりの閃光がほとばしった。巨大な光の剣は、男に直撃した後、勢い余って地形を変えるほどだった。
大地を直線的にえぐり、川の幅を広げ、水量を減らした。だんだん水位が戻って来た。
しばらくしたら、深い谷の地形に変わったことで、流れが豊かに、緩やかになることだろう。
それほどまでに、僕らの一撃は凄まじかった。
絶対に、川の海賊を成敗できたと思った。
ハイタッチでも交わそうか、とか考えたくらいだ。
でも――。
土煙の中には、膝をついた男の影が見えた。
倒せていない。たしかに直撃したはずなのに。
「へぇ、同調スキルとは、なかなか面白えじゃねえか。だが、おれにゃ届かねえ」
赤髪のヤクモマルは、どうやら大きめのダメージは受けたようで、すこしふらつきながら立ち上がった。
「にしてもだ、膝をつかされたのなんざ、ずいぶん久々だからな、誇っていいぜ。おれが認めてやらあ。お前らは強え」
嬉しそうに、口の端を持ち上げながら、男は耳の上になにやら細長いものをのせた。そして続けて言うのだ。
「今度はこっちの番だぜ。まさかこの技をよ、魔王以外に使うことがあるなんざ、思ってもいなかったぜ」
不意に、赤髪のヤクモマルが視界から消えた。
それを見るなりミクミさんは、僕を突き飛ばした。僕は尻餅をついて、どういうつもりなのか考えようとした。
次の瞬間、ミクミさんは急に目の前にあらわれた男の斬りつけを剣で防いだ。かと思ったら、またしても男は消えた。そしてすぐにミクミさんが吹き飛び、仰向けに倒れることになった。
一瞬だけ見えた賊の姿勢から考えるに、どうやら体当たりを受けたらしい。
これは、瞬間移動したかのようにみえているけれど、単純に高速移動しているから見えないのだ。
ラピッドラビットよりも、はるかに速い。速すぎる。
それでも僕は、ミクミさんへの追撃を防ぐために大地を蹴った。
彼女をかばうように、両手を広げて前に立ちはだかりたかった。彼女のそばに辿り着くことさえできず、あえなく吹っ飛ばされた。
なんだこれ。無理じゃないか。
何の技ももたずに、初めて壁の向こうの難敵に挑んだ時にも絶望を感じたけど、今、あの時とは比較にならないほどの深い絶望に襲われている。
一ミリも勝てる気がしない。
ミクミさんは、なんとか上半身を起こした。
彼女を見下ろしながら、姿を見せた男は言う。
「ふっ、嬢ちゃん、よく見りゃあよ、いい鎧を着てんじゃあねえか。今回は、そいつでいいぜ。脱げよ」
ひどいセクハラをみた。許しがたい。けれど、この異世界では、悪人に罪を償わせるにも、力が必要なんだ。
かすかな悲鳴をあげながら横向きになり、怯えの表情で縮こまるミクミさん。
僕はなんて無力なんだ。
膝をつく。とても苦しい。僕の短い人生で最も悔しい瞬間だ。
「やめろぉ」
僕は絞り出すように声を出したけど、汚いヤクモマルの汚い手が伸びて、ついに鎧に触れ――。
「――はいそこまでです」
突然、女性の声がした。
どこからともなく姿を現したその女性のことを、僕らは知っていた。
地味な町娘みたいな服を身に纏った優しげな女性。僕が異世界に降り立って初めて会話を交わした綺麗な人だ。
「ウィネさん?」




