第25話 フォースバレーに至る道2 川の海賊1
いくつ目かの谷をこえ、川沿いの細い道を進んでいたとき、草むらの向こうから若い男女の話し声がきこえてきた。
「大丈夫だ。こいつはオレ様が相手する。アオイさんは下がっていてくれ」
ミクミさんと二人、草を分けて、どういう状況か覗き見てみる。
薬草やキノコなどを摘んでいる黒髪女性の後ろ姿と、それを守っている青い長髪の男が見えた。
そして、男の視線の先にはモンスターがいた。黒色の日本刀のようなものを握っていた。剥き出しの刃をぶんぶん振り回し、男にじりじりと接近していく。
「ミクミさん、あの敵は強いんですか? また獣人タイプですけど」
僕がミクミさんにたずねると、頭の上から声が降ってきた。
「獣人……獣人? あれも獣人に入るのかな」
「魚の頭をしてますね。何の魚でしょうか」
「さあ、サケとかマスとか鮎とか? あんまり凶暴じゃなさそうな顔してるし、実際のところ強くはないね」
「あのモンスターの持ってるの、刀ですよね。形は普通ですけど、わりといい刀のようにみえます。戦闘が終わって、あれがドロップしたら、彼らに売ってもらうよう交渉してみていいですか?」
「へえ、意外だね。見る目あるじゃん。あれ、かなり扱いにくい刀だけど、フシノなら使いこなせるかも」
青髪の冒険者がマントをなびかせて放った風魔法が直撃し、魚の獣人は三枚に斬り裂かれ、すぐに砕けて落ちた。いくつかのアイテムを遺して。
青髪は言う。
「みてくれアオイさん。こんな剣は見たことがない。名前も『謎のカタナ』という名称だ。おそらく高く売れるレアにちがいない。これが、オレ様の魔法の力だ!」
みたところ、かなり手厚く女の人をエスコートしているようだった。いわゆるひとつの姫プレイというやつか。
アオイさんと呼ばれた人は、男の言葉をあまり相手にせずに、落ちていた刀に歩み寄ると、やさしくそれに触れた。
艶めく長い黒髪がとても美しい。物腰もとても柔らかい。すべてが上品に見えた。やまとなでしことは、こういう人のことをいうのだろうか。
「…………」
黒髪の女性は、落ちた抜き身の刀を片手で持ち上げると、もう片方の手をかざしてから、転生者が使う透明な操作盤、虚窓を展開させた。
そしてそこに表示されたアイテム説明を黙読した。
頭の上のミクミさんは、「まずい、鑑定スキル持ちだ。価値に気付かれる」と小声でささやき、僕の手を引っ張った。
そして、僕らが今にも草むらの向こうに躍り出ようとした時、別の方向から声が響いた。
「まちな!」
覇気のある男の声だった。
二人で元いた場所に戻り、再び草の間から覗き見ると、冒険者ふたりは、声のした方を見上げていた。
その声は、もちろん僕が発したものではなかった。かといって、青髪の冒険者のものでもない。
僕も同じ方向を見上げると、緑が茂る樹木の枝に、端正な顔立ちの男が立っていた。どこか和風な感じの服を着て、腰には黒い鞘を身に着けている。とても体型のよい短い赤髪の男が、偉そうに腕を組みながら、青髪の冒険者を見下ろしていた。
「オ、オレ様に何の用だ。おまえあれだろ、最近、この近辺を荒らしまわってるっていう賊の……ヤクモマルとか言ったか」
「おっと、無名の冒険者までおれの名を知ってるとはな。おれの名声も高まっちまったようだな」
名声というか、悪名というやつだと思うが。
「クッ、アオイさん、オレ様の敵ではないだろうが、何を仕掛けてくるかわからねえ、ここはオレ様に任せて先に逃げるんだ!」
青髪の男は格好つけて言い放った。キマッた、とばかりに誇らしげだった。
しかし、赤髪は木の根っこがはびこっている不安定な地面に華麗な着地を決めて、
「よう、ニイちゃんよ、カッコつけてるとこ悪いんだが、連れの女はもう逃げたぜ?」
青髪の男が背後を振り返ると、確かに誰もいなくなっていた。
「な、ほんとだ。いない!」
「いい逃げ足の嬢ちゃんだが、おれにかかりゃ一瞬で追いつけるぜ? ただ、お前の足止めのおかげで助かるかもしれねえな。よかったじゃあねえか。女を守ることができてよ」
「……オレ様に何の用だ? あえてアオイさんだけを逃がしたのは、オレ様に用があったからだよな? 何かの取引か?」
「取引ねえ。ま、そうと言えないこともないな」
「なんだ。言ってみろ」
「有り金ぜんぶ置いていきな」
「そんなものは取引とは言わない。あほらしい。通るわけないだろう?」
「おいおい、わかってねえなあ、お前さんは選べる立場じゃねえんだよ。こちとらオマケして命は助けてやるって言ってんだ。だったら、ただ言うとおりに金とアイテムを根こそぎ差し出して逃げ去るしか道はねえのさ」
「ふん、貴様の思い通りになど、なってたまるか」
「だったらよ、ちょっくら痛え目にあってもらうぜ」
「それはこっちのセリフだ。オレ様の本気の魔法を受けて立っていられた者など、一人たりともいないのだからな」
青髪は静かに揺らめく青い炎を手に灯し、風を起こして木の葉を自在に舞い上げてみせた。
一方的だった。
青髪の魔法は全く効かなかった。赤髪を一歩も動かすことができなかった。
「ばかな」
赤髪の腰に帯びた刀さえ抜かれることなく、望み通りに大量の札束と貴重そうなアイテムが差し出される結果になった。多くは薬とかの原料になりそうなもののように見えた。
「おぼえてろよぉ!」
青髪の男は、極めて小物っぽい捨て台詞を放って逃げ去っていく。
「ははっ、雑魚が女連れで粋がりやがって」
札束を拾い上げ、本物かどうか確認すると、それを懐にしまい込んだ。
そのままそれだけで満足して去ってくれることを祈った。心から祈りまくった。けれども、やはり、僕の転生者人生は思い通りにはいかないらしい。
「で? そっちのネズミ二匹はどうするよ」
ミクミさんと僕は、揃って身体を震わせた。
次の瞬間には、背後をとられていた。耳元でささやき声が響く。
「なあおい、答えろや、お前ら何者だ? エリザマリー派の差し金……ってぇわけでもなさそうだが」
勢いよく振り返り、臨戦態勢をとったけれど、またしても、そこに男はいなかった。
速すぎる。
あまりにレベルが違う。
僕どころか、ミクミさんまで圧倒されているようだ。
この男は、青髪にアイテムと金を要求していた。そして、それを支払った青髪は追いかけられることはなかった。だったら、アイテムと金さえあれば、僕らも許してもらえるかもしれない。
けれど、僕というやつは何らめぼしいアイテムを持っておらず、金銭も持ち合わせていない。それがバレたらどうなるか。
命を失う? 強制労働?
尊厳を奪われ尽くしたり、罪を着せられたりする展開もあるかもしれない。
どう転んでも、ろくなもんじゃない。
こうなればもう戦うしかない。戦って勝つしかない。
覚悟を決めて先制攻撃するしかない。
僕らしくないことはわかっている。でも、僕が戦わなかったら、ミクミさんが賊に何をされるかわからないんだ。
僕は剣を抜いた。
「お、やるってのか? 勇気あるねえ」
余裕の表情。余裕の声。構えすらしないで、腕組したまま立っている。
敵は油断している。
追い詰められたネズミの一撃を、どうかこのままモロに喰らって倒れてほしい。
理不尽を押し付けてくるしか能がない賊の最期としては、最も相応しいじゃないか。
「うおお、灼熱っ離炎撃!」
焦りの炎をほとばしらせた僕の灼熱突きは直撃しなかった。
けれども、腕にはヒットした
かなりの手ごたえがあった。そのはずだった。
「えっ」
僕は思わず声を漏らした。
おかしい、腕の一本は焼きちぎるくらいの当たり方はしていたはずだ。
それなのに、男にとっては皮膚の表面に浅い傷がついたくらいの、要するにかすり傷どまりだった。
いててて、とか言いながら、腕をさすっている。
一気に血の気が引いた。
とんでもない化け物を相手に喧嘩をふっかけて、後戻りのできない場面に突入してしまったのではないか。
もはや、死んでから後悔するしかない領域に片足以上を突っ込んでしまったのではないか。
そんなおそろしい可能性ばかりが次々に灯り、僕はミクミさんに判断をあずけることしかできなかった。
「ミクミさん、すみません。もしかして僕、やらかしちゃいました?」




