第23話 カナノ北地区にて2 撃退
「白き輝きの聖剣よ! パールブレイド!」
声を発したミクミさんは、ありったけの魔力を剣に込めたかのようだった。
刀身に纏った光は、ワニ頭の巨人を切断するにふさわしいほどの存在感を放っていた。
振り下ろす剣の先には、小さな子供がいた。
魔族にとらえられていた人間の少女だ。
ミクミさんは、咄嗟に自分の剣を砕いて、片腕を血だらけにしながら攻撃を止めた。
それでも、絶望を与えようとして、魔王ワニ頭の爪が、子供に迫る。
ミクミさんの手は届かない。
――でも、僕が、なぜか、そこにいた。
ミクミさんを追い越して、少女のすぐそばに走っていた。
そこに走ろうなんて、考えてなかった。身体が勝手に動いたのだ。
集中力が極限まで高まった無音の世界で、僕は思い出していた。
あれは、僕がまだ陽の者だった頃、前髪の長いクソ地味な幼馴染の女子が年上の男たちに絡まれていた時なんか、果敢に飛び出して、「ここは僕に任せて逃げろ!」なんて言ってみたことがあった。
まあその時、別に幼馴染は絡まれてなんか無かったんだけども。単純に、道をたずねられていただけだったんだけども。
結果はどうあれ、あの時の僕は輝いていたよな。
思い出補正というやつで輝きを増していたんだとしても、一点の曇りもない、愛するひとを助けたいという一心から、心も身体も即座に踏み出すことができていた。本当にまばゆいばかりの思い出だ。
いわゆる、ピンチに登場するヒーローってやつに、僕も幼い頃には憧れていたわけだ。
剣を折られてしまったミクミさんは、限りなくピンチだ。
助けられるのは、僕しかいない、なんて考えるまでもない。
僕の脚は自動的に回転し、僕の腕は勝手に剣を抜いた。
運命に操られているかのように。
陰の者らしくない雄たけびをあげながら突っ込んでいった僕は、ダメージを負いながらも、なんと魔王と剣を交え、つばぜり合いの後、飛び退き、強力なザコ敵たちを回転斬りで薙ぎ払い、道をつくってから、ミクミさんに剣を投げ渡した。
「ミクミさん! これを」
金髪の女剣士は、そのどこにでもあるような安価な剣を華麗に掴み取ると、どこかホッとしたような表情をみせた。
「この手触り……この重心……。この剣、まさか……ふふっ、そんなことがあるなんてね。いいわ、久しぶりに、あんたを使ってあげる」
僕は少女を抱えて、素早くその場を離れた。
そこからは、圧巻だった。
さっきまでよりも、さらに美しい斬撃がいくつも飛び交い、敵軍は次々と跡形もなく砕け散り、大量の魂が流星群となって北へと飛んでいく。
僕らを守りながらも、ミクミさんは圧倒的だった。
人質なんてものを出してきたことに対する怒りもあったのだろう。
ミクミさんの本気をみた気がした。絶対にかなわないと思わされた。
ワニ頭の巨体は、背中を向けて逃げようとした。しかし、ミクミさんの剣が尻尾に突き刺さる。
「どこへ行くの? 戦いは始まったばかりでしょう?」
転生者の迫力に気圧されて、魔王を名乗っていたワニは、尻尾をまくどころか、みずから尻尾を切って、あたふたと退散していった。
僕は震える少女の肩を掴んでやり、もう大丈夫だと呟いた。
よかった。
★
大きな門をくぐって街に入った。
検問所のようなところがあったが、ミクミさんは顔パスだった。色んな人から声を掛けられて、なんとなく誇らしげだった。
壁に囲われた活気ある街のなか。
人通りの多いカナノの市街地に連れて来てもまだ、少女は小刻みに震えていた。
よほど恐ろしい体験をしたに違いない。魔王軍に捕えられていたのだから。
少女は、ミクミさんのいくつかの問いに、無表情で首を横に振った。
やはり集落が突然に襲われ、なすすべもなく壊滅したようだ。
ひどいことだ。
――僕らの旅に、少女も同行すればいいのではないか。名前を聞いて、なんなら新しい名前をともに考えて、保護して、仲間になって、ともに生きていけばいいのではないか。
僕がそんな提案をする前に、ミクミさんは、「ここでお別れだよ」と少女に語り掛けていた。
少女は相変わらず、感情の無い表情で俯いていた。
そうか。
そうだよな。
僕らはあくまで転生者。この世界の住人ではない。彼女に一時的に手を差し伸べることはできるかもしれないが、いつまでも寄り添い続けることはできないのだ。
ミクミさんは、雑踏の中、しゃがみこみ、優しくも厳しく、少女に語り掛ける。
「つらいよね。くるしいよね。それでもあなたは、いつかひとりで生きていかなくちゃならない。これから先、どういう道でもいい、どのまちでもいい、どうか生き抜いてほしい」
少女は返事をしなかった。
ミクミさんは構わず続ける。
「そしてね、できればだけど、さっきのあなたみたいに、助けが必要な人を見たら、手を差し伸べてあげてほしいな。このお兄さんみたいにね」
少女は僕と目を合わせた。かと思えば、ようやく頷いた。
金髪の女剣士ミクミさんは彼女の手を引いて、最近できたという孤児を受け入れる施設に連れて行った。
施設の大人に優しく肩を抱かれた少女は、手を振るでもなく、ただ僕らが見えなくなるまで見送ってくれた。
「ミクミさん、これで、よかったんでしょうか」
「これしかないっしょ。もしかしたらフシノは、あの子を連れて行きたかったんだろうけど、そのほうがきっと残酷なんだよ」
「残酷? なんでですか?」
「本当はわかってるでしょ? あたしたちは、いつかこの世界から居なくなる。魔王を倒したその時に、無力な彼女だけが残されたらどうなると思う?」
「じゃあ、彼女にも強くなってもらえば」
「それは、あたしたちが、あの子の人生を勝手に決めてしまうってことよね」
「…………」
僕は言葉を返せなかった。
★
僕らは少女と別れた後、ふたたび壁の外、魔物たちからまちを守るための北の防衛線に向かった。
逃げたふりをしておいて再び襲って来るかもしれないし、そもそもワニ頭の魔王軍が第一波に過ぎなくて、続けざまにいくつものグループが襲い掛かってくるかもしれなかったからだ。
ミクミさんは転がっていた岩に腰を下ろし、それをみて僕も芝生に座り込んだ。
ミクミさんは静かに剣を抜き、その美しいとは到底言えない平凡な刀身をしばらく見つめると、僕に優しく語り掛けてきた。
「それにしても、驚いたな。まさか、あたしがフシノに助けられるなんてね」
「いや本当に、ミクミさんがまさかあんなピンチになるなんて思ってもみませんでした。すごく自信満々だったので」
「しょうがないでしょ。人質を使ってくるなんて思ってもみなかったんだから」
ミクミさんは鎧を身に着けていて、見た目が騎士っぽい。騎士と言えば、陽の者の代表格ともいえるんじゃないだろうか。もしかしたら、騎士道精神にあふれていて、正々堂々とした戦いしか想定してなかったのかもしれない。
ふとミクミさんの手元をみると、彼女は、僕がチュートリアルでもらった剣を愛おしそうに撫でていた。
「ミクミさんは、僕が持っていた剣と何か関係が?」
「ああ、うん。この剣はさ、あたしがこの世界に来て、はじめて手に取った剣で、ずっと、かなり長いこと使ってた剣なんだ。渡されるまで気付かないなんてね、あたしもフシノのこと言えないくらいニブいかも」
「僕はそんなにニブくはないと思うんですけどね」
「たしかにね、あたしを助けてくれた時の動きは、かつて無いほどに鋭い反応だったけど」
「そうですね。僕も驚きました」
「ヒーローみたいで、かっこよかったよ。あの一瞬だけは、完全に陽キャだった。さてはフシノって、幼馴染とヒーローごっことかして遊んでたクチでしょ?」
「なぜそれを」
「勘だけど?」
「さすがに鋭すぎです、と言いたいところですけど、まあ実際、みんなやりますよね? ヒーローごっことか、ヒロインごっことか」
「そうだね、あたしの友達とかもさ、アニメとか特撮とかの影響で、そういう遊びをしてた気がする。そのときの筋書きは、ヒーローがピンチになって、そのヒーローが別のヒーローに助けられて、最後には協力して敵を倒すんだよね」
「そのお友達は、僕と似たようなやつですね。いやほんと、アツいですよね」
「そう? 甘いんじゃない。ピンチを自分で解決できないなんて、ヒーローとは呼べないくらい激よわじゃん」
「それはヒーローが弱いんじゃなくて、敵がずるいくらいに強いんですよ」
「ま、そのヒーローごっこの経験のおかげで、あたしは生き残れたわけだ」
「そう思います。あの時、細い腰をおさえながら立ち上がる、血や泥にまみれたミクミさんを見て、幼い頃にみたピンチのヒーローの姿が重なったんです。きっと僕は、ヒーローを助けるヒーローになれる、輝きを拾い上げられる場所にいる、そんな風に思ったんだと思います。
そこからはもう、愛を取り戻すんだ。陽の世界も僕の居場所だ。って思って、気付いたら身体が勝手に動いていました。
無心で剣を振るいながらも、すごく冷静に周りが見えていて、何をすればいいのか、全部わかってしまって……。今振り返ると、未来が見えてたんじゃないかって思います。
普段の僕なら絶対にやらないですよね。明らかに僕よりレベルの高いであろう魔王のところに突っ込んでいくなんて。
敵のド真ん中ですよ? 何かがかみ合わなかったら一瞬で死ぬかもしれないのにですよ? 本当、どうかしてましたよ」
つい、嬉しくなって長いこと語ってしまったけれど、ミクミさんは優しい表情のまま耳を傾けてくれていた。
こんな僕とでも優しく会話してくれる。陰の者に優しい金髪ギャルは実在したのだ。
「信じてくれたんだね。ありがとう、フシノ」
「ええ、無事でよかったです。今でも、思い出すとドキドキします」
「あらドキドキ? てことは、あたしのこと、好きになっちゃった?」
急ににやにやしながら、彼女は言った。
これは、僕が慌てふためくのを観察するための冗談なのだろうけど。窮地を越えて一種の興奮状態にある僕は、今は狼狽えたりはしない。
「最初から好きですけど?」
「やったぁ、とか喜ぶと思う? どうせ、それあれでしょ? ティエラとか、ウィネ様とか、その辺りに対してと同類の『好き』でしょ。可愛くって優しい女の子みんな大好き、みたいな」
「どうですかね、もう少し特別かもです」
「うそお」
「強いて言うなら、なんか懐かしい感じというか……もう一緒にいるのが当たり前みたいな。陽の者だった頃、現実で地味な幼馴染に向けていた『好き』と同じ感じですね」
「んー、恋じゃなくない?」
「恋じゃないですよ?」
「うーん、でも、ま、うれしいかぁ」
そう言ってミクミさんは天に向かって伸びをして、細い腰を掴んだ。そして、僕の目を見つめながら、言うのだ。
「あたしはね、フシノのこと、めっちゃ気に入ってるんだよ?」
「まあ、そうですよね。わざわざホクキオで僕を助けてくれましたし、ティエラさんと一緒にいると嫉妬しますし、正直、僕はミクミさんがよくわかりません。僕のどこに気に入られる要素があるんですかね」
「うっわ、まじ陰キャの返答でがっかりだし」
「う、すみません……」
ここは陽の者だったら、どう返すんだろうな。言葉なんかに頼らず、急に抱きしめるとか? 無理だろそんなの、あほか。
「ま、フシノを待ってる人はさ、現実にちゃんといるよ。だから――」
「一緒に帰ろう、ですか?」
「ううん。何度も言ってるように、ひとりで生き抜いて、ひとりで帰るんだよ」




