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第22話 カナノ北地区にて1 工房防衛戦

 目的地に着いた。


 これまでと同じ、ただ草原が広がっているだけの場所に思えた。


「フシノ、何もないようだけど、ここは第一防衛線。カナノ工房を守る(かなめ)の地」


「工房?」


「転生者が使うための、特別な武器とか防具とか、そういうのを生み出す場所。時間に余裕があれば連れて行ってもよかったけど」


「へえ、面白そうですね」


「面白くもなんともないよ? 研究ばかりしてる場所だし」


「そりゃまあ確かに。でも、剣を作ってるなら、このあたりで僕も初期装備から、より強力な武器に持ち替えても許されるんじゃあないでしょうか」


「まあね。フシノの使える技から考えれば、剣っていうより刀が合いそうだけど。でもその前に、今回はフシノの出る幕はないかな。あたしが無双する番だし、敵の襲来まで時間もないことだし」


 自信満々に言ってのける金髪の女剣士は、とても陽の者らしいオーラを纏っていた。まぶしい。


「そんな感じでさ、フシノは、後ろで見ていればいいから」


 彼女は髪をしばり直しながら、遠く北側に見える森のほうを見つめた。空を支えるような、大きな樹木がそびえ立っているのが見えた。


 やがて、土ぼこりが遠くの空を覆い始めた。


 とても美しいとは言えない黄みがかったもやもやは、だんだんと広がっていき、やがて僕らの頭上をすべて埋め尽くしたのだった。


 魔王軍、というやつだろうか。


 いかにも禍々しい気配に、僕はすっかり足がすくんでしまっていた。


 転生者なのに情けない。


 たぶん、さっき僕が攻略した敵なんていうのは、魔王軍の雑兵にも劣る雑魚なのだろう。


 遠くでゆらめいていた影が、だんだん具体的な形になってきた。獣の頭をした人型のモンスターたちが、進軍の足音を響かせながら、だんだん大きくなってくる。あれは、爬虫類の目だろうか。


 はじめて本格的な魔の者を視認して、逃げたい気持ちでいっぱいになった。


 だけど、僕は転生者だ。こらえないといけない。せめてこの場を踏みしめて、ミクミさんの戦いを見届けるんだ。


 僕は奥歯をしっかり噛んで、彼女の背中と、その向こうに迫りくる敵軍に視界を固定した。


「それじゃフシノ。流れ弾に気を付けてね」


 彼女は白銀に輝く高級そうな直剣を抜いた。


  ★


 大軍を率いていたのは、最も大きく、最も禍々しいオーラをもつ獣頭の巨人だった。


 鋭いギザギザの歯が剝き出しで、目を見るだけで足がすくんでしまう。ワニの頭をもつモンスター。


 もちろん、ワニよりも縦にも横にも巨大なので、対峙したときの絶望感が半端ではない。


 上半身を噛み砕かれるイメージしか湧いてこなかった。


 ミクミさんは、そんな恐ろしい敵に見下ろされている。


 後ろに従えている者たちも小さいながらワニの頭をもっていて、そいつら一匹一匹も、僕でもわかるくらいに強そうだった。


 ワニ頭の巨人は、ねばつく口を開いた。


吾輩(わがはい)の名は魔王ディジャガゲキ。生誕のあいさつ代わりに血祭りに来たのだが、これは一体どうしたことだ」


 ミクミさんは、毅然と言葉を返す。


「何かご不満でも? トカゲの魔族さん」


「ふむ、これだけの軍が来ているというのに、相手がわずか一人とは。他の者は吾輩という魔王の襲来に尻尾をぐるぐるに巻いて逃げよったのか? それともお前が他の転生者から見捨てられたのか?」


「あんたらまとめて、あたし一人で十分ってことよ」


「小娘が、粋がりおって」


 その声は静かなものだったが、無毛の額に血管を浮き上がらせているところをみると、ものすごく激怒しているようだ。


 大丈夫かと心配になる。


 ミクミさんは不敵に笑いながら僕に振り返り、


「見ておきなさいフシノ。語り継がれるくらいに美しいあたしの戦いを」


  ★


 ミクミさんの言葉は大袈裟ではなかった。


 魔王軍?


 もう、敵の名前がなんだったか忘れてしまうくらいに、魔王の存在は霞んでいて、彼女の前では、まるでただの雑魚敵のようだった。


 次々に身体を刻まれ、抜け出た魂が高速で飛んでいく。青空に色とりどりの線を描いた。


 どうやらこの世界では、命を落とすと魂が北の森林地帯方面へと飛んでいくようだ。


 ミクミさんは多彩な技を繰り出している。


 それはもう、剣技というよりも魔法に近いものがあった。


「聖なる光よ降りそそげ、ダイヤモンドプリズム!」

「天空染め切る黄金の花、ゴールドファイアワークス!」


 広範囲を色とりどりの斬撃が襲っている。


 敵の魔族たちは、斬られ、貫かれ、次々と倒れて砕け散っていく。


 魔王は味方を盾にしながら、後ずさった。それを切っ掛けに、ついに魔王軍は陣形を崩し、退却を始めた。


 本当に強い。桁違いだ。


 時々、薬草のようなものを口に運んでおり、そのたびに強くなっているようにも見えた。


 背中を向けて逃げるワニ顔の魔王と、追いかける金髪剣士ミクミ。


 僕は応援することしかできなかった。「いっけぇ、ミクミさん!」などと心の中で叫んでいた。


 あっという間に追いついた。ミクミさんの、まばゆいばかりの光を放つ美しい剣撃が振り下ろされる。


「白き輝きの聖剣、パールブレイド!」


 しかし、敵を真っ二つにするはずの刃は、魔王を斬り裂くことができなかった。


 魔王に当たることなく、砕けたのだ。


 しかも、ミクミさんは、左腕にひどい裂傷を負って、血だらけになっていた。


 形勢逆転というやつかもしれない。


 何が起きたのか。


 僕の視界には、一匹の魔王と、二人の人間の姿。


 ――二人。

 そう、二人だ。


 ミクミさんと僕の他にもう一人、こんな戦場に、人間がいたのだ。


 それは子供だった。女の子だった。とても幼かった。小学校でいうと三年か四年くらいの年齢だろうか。


 魔王は冷や汗を流しながら、鋭い爪の先を少女の首筋に押し当て、すぐにでも命を奪えるぞとアピールしている。


 要するに、人質。


 ミクミさんは、振り下ろした剣を途中で止めることができず、あやうく魔王の差し出した人間の子供を斬ってしまうところだった。でも、少女は無事だった。


 怯えた子供の表情を見たら、僕だったら何も考えることができなくなっただろう。動くことも止まることもできず、どうすることもできずに敵の思惑通りに子供を斬ってしまったと思う。ミクミさんは腕と経験があるので、そうはならなかった。


 猛スピードで振り下ろされている剣から片手を離し、震える少女に届く前に、自分の直剣を殴り砕いてみせたのだ。


 さすが転生者。すごい。


 そしてさすが魔王。卑怯すぎる。


 人間の子供を(さら)っておくなんて、外道以外の何物でもない。ここに来るまでに、どれほどの集落を襲って来たのだろう。許されないだろ、そんなの。


 焦りの表情を崩さぬまま、負けてるけど勝っているというような微妙な表情を浮かべ、魔王は笑った。


「は、ハハハ、お前は剣士、武器がなければ戦えまい!」


 ワニ頭は、そんなに頭が良くないらしい。武器が一つ砕け散ったくらいで逆転できるとは思えない。ミクミさんが予備の剣を出せばいいだけのことだ。もちろん普段メインで使っている武器よりも劣るとは思うが、圧倒的な力の差が埋まるわけもない。


 反撃の狼煙とみて調子づいている魔族たちには申し訳ないけれど、全然余裕。


 この時の僕は、まだ安心して観戦している段階だった。


 次の言葉をきくまでは。


「ごめんフシノ、やらかしたかも。武器なくなっちゃった」


「え?」


 いやいや、おかしいでしょう。普通、武器が壊れることも想定して、何本か用意しておくものなんじゃないのか。


 あらゆる分野で、予備は必要不可欠だ。


 あまりに自信満々なので、完全な準備をしているものだと思っていたのだが……。


 陽の者のなかには、ノリとテンションでその場を乗り切っていく者も存在すると聞く。


 ミクミさんは、陽の者の中でも慎重派で思慮深い人だと勝手に思っていた。そうであってほしかった。


 棒きれ一つで未知の洞窟探検。地図も海図も持たない船出。


 さすがに舐めすぎでは?


 全く褒められたことではないけれど、ワニ頭の魔王のほうが人質を用意していたぶん用意周到で、この一戦に賭ける姿勢があらわれていた。


 魔王がどれほどの強さと卑怯さを持つのかを見誤ってのこの窮地。


 抜けてるところあるってレベルじゃないぞ。


「せめて剣があれば」


 傷ついた片腕をおさえながら、血に染まったミクミさんは悔しそうに呟いた。


 自業自得だと呆れることもできたかもしれない。


 だけど、その時、僕の心の奥の方で、何かが動いた気がした。


 ワニ頭の魔王は、牙の間からヨダレを垂らしながら、人質の少女の肩をそっと爪で撫でまわす。


「吾輩の勝ちだな。おまえはもう用済みだ」


 そして一瞬のうちに、魔王の爪が少女の首を――。


 ところがそこに、僕がいた。




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