第2話 マリーノーツの女王様
僕は異世界に来た。ここは異世界のマリーノーツという場所なのだという。
そこで出会ったきれいな大人の女性は、飛んできた鳥を指にとまらせた。鳥は、何か手紙のようなものを運んできたようだ。
彼女は鳥の脚から紙を取り外し、広げたかと思ったら、すぐに右のポケットに突っ込んだ。
その動きを何となく眺めていたところ、僕のほうに向き直り、自己紹介をしてくれた。
「申し遅れました。私はウィネと申します。エリザマリー様の近侍をしております」
「エリザマリー?」
「いずれ、この美しい世界を統べ続けることになる、女王エリザマリー様です」
「この世界には、そのような高い身分の方がいるのですね」
「会いたいですか? 形式上、連れていく決まりになっているので、すぐに会えますよ」
「えっ、心の準備が」
「そう言っていられる状況でもないのです。フシノ、急いでください」
「えっ、えっ」
問答無用で腕を掴まれ、宮殿らしき場所へと続く立派な門をくぐり抜け、段差の大きな階段を駆け上がるようにのぼっていく。
現実世界では、こんな階段は少しあがったら疲れてしまうのに、この異世界ではどういうわけか、どれだけ激しく動いても疲れないようだった。
高級そうな赤い絨毯が敷かれた通路を早歩きして、やがて金色に縁どられた大きな扉に辿り着いた。
それにしても、いきなり身分の高い人と面会なんていうシチュエーションは、これまで経験したことがなく、緊張してしまう。
三者面談や校長先生との面談などは事前に通達され心を整えている時間があった。しかし、この強制イベントはノータイム。状況の整理をする間もなく、異世界の女王とやらに会わねばならない。
失礼を働いてしまったらどうしようと心配で仕方なかった。
「エリザマリー様、ウィネです。入りますよ? いいですね?」
ウィネさんの手が鍵のついていない扉を押した。
視界には、広い部屋が広がっていた。体育館よりもずっと広い。
数段高いところに見える人が、エリザマリーという人だろうか。
鮮やかな刺繡を施された紅い服が、神々しいまでに輝いているように見えた。
さぞかし美しい人なのだろうと思い、近づいてよく見上げてみると、長い足を組み、椅子のひじ掛けで頬杖をつき、よだれを垂らして寝ていた。がっかりだ。
「あの、この方が? ほんとに?」
「不服でも?」
「だって、寝てますよ。ぐーすか。僕っていう客が来たのに。ていうかウィネさん、こんな状態の女王に会わせたらまずいんじゃないですか? 威厳とかそういうの、保たなくていいんですか?」
「失礼は承知の上です。急がねばならない事情があるのです」
「それにしたって」
「女王は激務なのです」
「そうでしょうね。女王っていうくらいですからね」
「特に、今年に入ってからは転生者が多くあらわれ、それに比例するように魔物の数も増えました。そうなると、民たちからの相談件数も増えてきます。そうした結果、エリザマリー様にしかできない魔力を使ったお仕事も果てしない激務になっておりまして、この玉座では眠っていることが多いのです」
魔力の使い過ぎで眠くなっている、ということのようだ。魔法のある世界ということだろうか。
「まあ、別にいいと思います。僕も授業中に寝たりしますし。どうしようもなく眠い時って、あると思いますので」
「はぁすごいですね。感心しました。フシノは、なかなかの精神力を持っていますね」
「まあ、理不尽な状況を受け入れるのには慣れてますから」
「それ以前に、ふつうの人間であれば、女王様と自分とを比べるなんて、おこがましいマネはしないんですよ」
「えっ、いやいや、そんな不遜な態度をとってやろうみたいな色気は全くなかったですよ。ただ僕は……さっき、死んだんですよ。汚く濁った鉄砲水に呑まれてね。だから、ここは死後の世界ってやつだと思うんですよね。もう失うものがないので、好きなようにやらせてもらいたいな、なんて思います」
「まだ死んでませんが?」
「え、死んでないんですか?」
「死にかけてはいます。戻れるかどうかは、フシノ次第です」
まだ生きている。まだ戻れる。そう聞いても、僕は全く嬉しくなかった。
「……戻りたくない場合は?」
「好きなだけ居たらいいと思います。生き残れたらの話ですが」
「この世界、そんなに過酷なんですか?」
「フシノほどの度胸なら、なんとかなると私は思います。ただし、責任を果たそうともせずに、のんきに暮らしているような転生者は、あまり良い立場にはなれないと聞いています」
「具体的には?」
「石などの非常に硬いものを四六時中、投げつけられたりするそうです」
「物理的にも精神的にも、すっごい痛そうですね」
「人々からの嫌がらせの数々がひどいって聞きますよ。『転生者のくせにサボるな』ってね。ですので、素直に私の言う事に従い続けたほうがいいです」
「では一応ききますけど、僕は何をすればいいんですか?」
「魔王を討伐してください」
僕は黙った。
魔王? 討伐?
唖然として言葉が出てこなかった。
女王エリザマリーの微かな寝息が、謁見の大広間に響いていた。




