第18話 深夜の旅立ち
僕は走った。人々の静止を振り切って、勝利の報告をするためだ。
暗い広場に着いたが、誰もいなかった。無理もない。陽が落ちて、だいぶ時間が経つ。
陰の者である僕は陰気にベンチに座り、しばらく俯いていた。
すると、なんだか激しい疲労感と眠気と空腹が同時に襲ってきたではないか。
転生者は、スキルを使いさえしなければ、疲れ知らずで眠る必要もなく、腹が減ることもない。だが、今夜の僕は、ものすごくスキルを使い過ぎたらしい。
そして、今にも眠りかけた時、
「見てましたよ。すごかったです」
そう優しく声をかけてくれたのは、ティエラさんだった。隣に用意しておいた一人分の空席に足を揃えて座っていた。
続いて頭上からの声。
「よく頑張ったね、フシノ。ま、勝って当然の相手だけど」
ミクミさんは、ひとこと余計なんだよなぁ。素直におめでとうとか言えばいいのに。
顔を上げると、満点の星空を背負って、ミクミさんは手を差し伸べてきていた。
ふたりで勝利を掴み取ったことに対して、互いを称え合う握手でもしようというのだろうか。でも、なんとなく、そういう意味合いの握手にはならないような気がする。
この手を掴んだら、どうなるのだろう。
……二度とこのベンチには戻れない気がした。
横をみると、ティエラさんが柔らかな微笑みを浮かべている。なんとなく、膝枕のために膝を差し出してくれているようにさえ見える。
温かい彼女の膝を目掛けて横たわり、そのまま眠りに落ちるのもいいな。と、そんな思考が、十数秒にわたって、じっくり脳裏をよぎっていった。
転生者の力で、この壁に囲われたホクキオを守り、皆に感謝され、案内所みたいな、池のある立派な屋敷に住んで、穏やかに過ごす。そんなイメージが浮かんできた。
どちらか選べって言うなら、この状況だったら、どう考えても膝枕。あまりにも膝枕なのではなかろうか。
けれど――。
僕が選んだのは、エリザティエラさんのぬくもりではなかった。
ミクミさんの冷たい手だった。
「今の僕は、陽の者とは程遠いけれど、遠くない未来に、ミクミさんのような強い転生者になりたいです。これからも、よろしくお願いします」
「うん、じゃあ、まずは休息だね。――とか、言うと思った?」
「え」
「今から移動するから、ついて来て」
「は? どこに?」
「疲れてるところ悪いけど、戦場に行くよ」
「せ、戦場? いきなりすぎない? 陽の者すぎるでしょ。ウィネさんでも、このタイミングで招集とかは……いや、あのひとは同じように容赦してくれないか……」
「いやなの?」
「嫌です。今すぐは」
陰の者は断れないものだ。ここで難色を示せたということは、僕も陽の者に少しずつ近づいているのかもしれない。
しかし、言葉で拒否しても、僕の手はすでにミクミさんにしっかりと掴まれているのだった。
さすが転生者の先輩である。レベルにものを言わせた強大な力で引っ張ってくれているので、抗えない。
「すみませんティエラさん。僕、行ってきます!」
僕の脚は、ついに、次の場所にむけて回り出してしまった。
だんだん小さくなっていくティエラさんは、戸惑いながらもベンチから立ち上がり、下手投げで何かを放り投げた。
「せめてこれを!」
紙に包まれた細長いものが一つ、高く舞い上がった。
流れはじめた荒れたまちの風景の中、僕は落ちてきたそれを見事にキャッチしてみせた。
「ありがとうございます!」
「応援してます! 頑張ってください!」
その声を最後に、下り坂に差し掛かり、ティエラさんの姿は見えなくなった。
せめて別れの挨拶くらい、ちゃんとやらせてほしかった。陽の者ならば、挨拶はちゃんとするものだろうに。
僕は手を掴まれながら走っていく。
迫ってくる高い壁を軽々と飛び越えて、二人でまちの外に着地した。
軽やかに、跳ねるように、石畳の道を駆け抜けていく。
林や岩場、草原や川沿いの道、上り坂に下り坂、見たことないくらいの猛スピードで景色が流れていく。
やがて、石畳は途切れ、とても開けた草原に出た。
「このへんで休憩していこっか」
ミクミさんが芝生に両足を着いた頃には、僕はもうとっくに限界を超えていた。
これが、スキルの、使い過ぎ、の副反応、というやつか……。
★
心地よい風に目を覚ます。草原で目覚めると、僕は大きな石の板の上に寝かされていた。
ミクミさんは、一人で剣を振っていた。
金色の蝶が舞うように、美しい剣舞をみせていた。
僕が彼女に見とれていると、視線に気づいたのか、剣を振るのをやめてしまった。
「やあ、フシノ、起きたね」
「ええ、まあ」
僕は、平然と声を掛けてきた彼女に対し、大いに不満を抱いていた。
だってそうだろう?
いきなり腕を引かれて戦場に行くなどと言われ、しかも優しくしてくれたティエラさんに対して、まともな挨拶の一つもできなかったのだから。
しかし、これは、よく考えてみれば彼女に対して怒っているわけではないかもしれない。たぶん、筋を通せなかった自分に腹が立っていたのだ。そして、同い年くらいの女の子を相手に、その八つ当たりをかましているわけだ。
いかにも陰の者らしい恥ずべきムーブである。
「どうしたの、フシノ? 朝に弱いタイプなの? それとも、おなかすくと不機嫌になるタイプ?」
「急いでるんじゃなかったんですか?」
「戦場に行くのは本当だけどね、一刻の猶予もない感じにしたのは、ただの口実かな」
「なんでですか」
「一刻も早く、甘えさせたがりの女から、フシノを引き離す必要があった」
甘えさせたがりの女性というのは、もちろんティエラさんのことである。
「彼女と僕とを引き離すことで、ミクミさんに何の得が?」
「あたしは別に、損も得もしないよ。フシノにとっては、とっても得する別れだったけど」
「……それは、ミクミさんが決めることじゃないでしょう」
「そうだね。でもフシノが決めたんだよ。あたしの手を掴んだってことは、そういうことじゃん?」
そんなつもりではない、と言い放つ事はできたけれど、正直に言えば、僕はあの瞬間、二人の女性から居座りか旅立ちかという二択を突き付けられていることに気付いていて、そして迷いながらも確かにミクミさんと旅立つ茨っぽい道を選んだのだった。
だから、彼女は何も間違ったことを言っていない。それでも僕は彼女の問いかけに答えなかった。せめてもの不満の表明である。
「だってさあ、今のフシノはどうせ、優柔不断で後悔ばかりのド陰キャじゃん? 気が変わらないうちに、この旅立ちルートを確定させとかないと、すぐ傷つかないほうに流れていっちゃうと思って」
「……ずいぶん僕のことをわかってるみたいですね。でも、それにしたって、挨拶さえさせてもらえないのは、すごくもやもやするというか」
「そのくらい危険なんだよ。あのエリザティエラって女は」
「危険? やさしくて、かわいくて、料理も上手で、いつも僕を応援してくれるのに?」
「そのうちフシノは、今よりもっと彼女に依存するようになって、いつの間にか彼女なしじゃいられなくなる。沼にとらわれるみたいにね。ここが現実だったら、そういう人生もあるのかなって思うし、止めやしないかもだけど……。でも、ここは境目の世界。もとの世界に生還する気があるんなら、あの女からは離れなきゃ」
「…………」
「だから、ほら、出発の時に、あの女からもらったものあるでしょ? あれ、出して」
「え、いやです」
「だめ。出して。はやく」
ティエラさんから受け取ったホットドッグ。そんなもの、他人からみれば大した価値は無いかもしれない。だけど、いつもゲームで余らす最高級の回復薬よりも価値が高く、貴重なアーティファクトよりも、今の僕にとっては大切なものなんだ。
仮にこのまま冒険の旅に出るんだとしても、旅の終わりまで肌身離さず持ち歩きたいと思えるくらいにはね。そして冒険の終盤になって、きっと僕を助けてくれるホットドッグに違いないんだ。ありえないとしても、そう思いたいんだ。
でも、ミクミさんは、僕のそんな気持ちを見透かして、「出せ」と何度も言ってくる。「そんなものはさっさと腹に入れて処分しましょうよ、手伝ってあげるから」という意味が強く込められた「出せ」には、大いに反抗せざるをえない。
「じゃあ、力づくで言うこと聞かせるしかないか」
ミクミさんは、おもむろに剣を抜いた。
判断がはやい。
陽の者らしい迅速な決断である。
だが僕も剣術のみで言えば、すでにミクミさんと互角くらいの腕前らしいし、僕がラピッドラビットドッグを永遠にふところに忍ばせる未来だって、頑張れば掴み取れるのではないのか。
下剋上、ジャイアントキリング、大金星。そういうのを実現するチャンスかもしれない。
いかにも胸が躍るだろう? そういう展開は。
ティエラさんが僕のために投げ渡してくれたものを、何としても守るんだ。
「いいですよ、ミクミさん。どっからでもかかってきてください」




