第13話 辺境のまちホクキオ8 壁の外のモンスター
何か緊急の出来事があったらしい。
ベンチの隣に座っているティエラさんは不安そうに、「すごい鐘の音ですね。今までで、一番おっきいです」と呟いた。
遠くから、男の「モンスターだ!」という声が風に乗ってきこえてきた。
ほかにも、「だれか、転生者はいねえのか」だとか、「いないよ。どうしたらいいのよ」だとか、「あれが最近新しく生まれたっていう獣人型モンスターか。ヒョウみてーな頭が半分に割れて腐りかけてらぁ」だとか、「うっ、こんな離れてんのに、臭ぇ息が風に乗って届いてきやがる」だとか、そういった声まできこえた。
モンスターが接近中と思われる北の門までは、現在地からかなり近いようだ。
ティエラさんは、「いかないの?」と視線で問いかけてくる。
僕は転生者だ。自分で選んだわけではないが、転生者としてこの世界に召喚された。転生者は、この世界に暮らすただの住人よりも強靭なのだという。まだその強靭さを実感できたことは一度もないけれど、もしかしたら、いま、僕の価値を証明する時が来たんじゃないだろうか。
言い換えると、陽の者に戻る切っ掛けを掴めるチャンスなんじゃないか、ということだ。
ここ一年以上、暇さえあれば一人用ゲームを攻略してきた僕だ。そんな僕が考えるに、これはおそらく、僕のために用意された不可避のイベントだと推測される!
だとしたら、最初の敵は、ひどく弱めに設定されているはずだ。
果たしてこの世界が本当にゲームみたいなものなのかどうかは不明だが、おそらく操作指導の一部として、戦闘のイロハを詳しく教えてくれるとともに、転生者としての活躍をさせることで、やる気スイッチを入れてくれるようなイベントに違いない。
もし僕がゲームの作り手だったら、プレイヤーが無双できるようなそういう事件を最初に用意することだろう。
だってさ、あまりにも都合がよすぎるタイミングじゃないか。
敵が迫っている場所の近くに僕だけがいて、他に転生者がいないのは変だ。
さっき読んだマリーノーツ新聞では、「転生者たちは壁の内側にいて敵に備えるようにしろ」みたいな指示が書かれてた。
にもかかわらず、誰も名乗り出ないってことは、この出入りの多そうな市街地近くの門に、僕以外に誰一人として転生者がいないってことだ。そんな偶然、あり得るのだろうか。
つまり、どう頑張っても、これは負けようがないイベントってことだろう!
だったら、行くしかない。
僕は、この世界で心機一転、頑張っていきたいんだ。そのために、自信を取り戻さなければならない。僕の折れた心に、もう一度、丈夫な柱を打ち立てるチャンスが、目の前に転がっているんだ。
僕はラピッドラビットドッグを一気に飲み込み、ベンチから勢いよく立ち上がる。
「ティエラさん。僕、行ってきます」
彼女は深く頷いてくれた。
「フシノなら、やれますよ」
「負けたら、また膝枕おねがいしますね」
冗談を言ったつもりではなかったのだが、ティエラさんはフフフと笑った。
「そこは勝ったらでしょう? フシノは、おかしな人ですね」
たしかにそうだ。陰の者らしいネガティブが顔を出してしまっていた。別の言葉を探そう。
「転生者らしいところ、見せてきますよ」
太陽の光を背に受けて、石畳を踏みしめて、力強く歩き出した。
★
転生者を呼び寄せる鐘の音は、僕が到着すると、すぐに止んだ。
僕の到着とともに大きな壁が開き、壁の上には通路があり、そこに立ち見の観客がずらりと並んだ。
「がんばれー」
子供の声だった。頭上の観客から、僕の背中に応援が届いた。
壁の上に集まっていた人々からの注目を浴びながら、僕は敵と向き合った。
傷だらけの人間の身体に、頭だけネコ科肉食獣のものがついており、それは半分に割れていて、その傷口のなかで紫色の液状の物体が蠢いているのが見える。
風に乗って、かすかな腐臭が届いた。おそらく、肉体は死んでいて、何かに寄生されているといったところだろうか。
行動パターンは非常にシンプルで、二本の脚で直立しながら、射程内の動くものに対して無差別に引っかき攻撃を繰り出すばかりのモンスターに見えた。つまり、反射で暴れるばかりで、知性が乏しく、自我といったものはないようだ。
「いくぞっ!」
力強く声を出した。
けれども、すぐには仕掛けない。やはり初めての戦いだ。いくら楽勝が約束されているはずだといっても、なるべくスマートに勝って、人々からもっと応援されたい気持ちがあるのだ。
それにさ、圧倒的な力で完璧に勝ったほうが、住人たちを安心させられるだろ?
僕は剣を抜いて、じりじりと敵に近付いていく。
射程に入ったら、一気に仕掛けて、一気に仕留める。
陽の者に、僕はなる――!
敵もゆっくりと歩いて近づいてくる。
不意に、目の前を、何かが横切った。
寒気が走った。全身に鳥肌が立った。
気付いたら尻餅をついていた。
敵の手が急に数倍の長さに伸びたのだ。目の前を横切ったのは鋭い爪だった。
え、えっと、はやすぎて、対応できないんだが?
攻撃は見えても、美しく回避するのが無理なスピードだった。
「何やってんだー!」
「しゃんとしろ!」
「転生者だろ、戦えよ!」
見てるだけの人々からの風当たりが厳しい。
慌てて立ち上がった僕は、今度は反撃を試みる。
新しく手に入れた中古の剣を抜き、伸びてきた手を斬りつけた。
ヒョウの頭をした敵はそれなりに隙が大きく、こちらの攻撃はちゃんと当たった。剣での切りつけが当たった。
どういうわけだろう。敵は無言で立ったままで、ひるみすらしない。
何かの間違いだと思い、また攻撃に合わせて斬撃を繰り出してみる。
うまいこと当たった。会心の手ごたえだった。全然効いていないようだ。
「…………」
やばくない?
あれ、これは、絶対に勝てないのでは?
僕は再び勇気を出して土を蹴り、接近して敵の胴体に向かって思い切り剣を振り下ろした。
やっぱり効かない。
あっ、無理だ。
こんなはずじゃなかった。楽勝の操作指導? そんな可愛いものじゃない。
あまりにも実戦。いきなりの実戦。
いや実戦なのは別にいい。問題は、絶対に序盤で当たるモンスターの強さじゃないことだ。全く勝ち目が見えてこないのは、本当にどうかと思う。
死んでも何度も蘇ることができるようなゲームだったら許されるのかもしれないが、この世界では、きっとそうはいかない。
実際この世界で死んだことは無いからわからないけれど、戦場で命を落とした人が魂だけになって飛んでいくのを目撃しているし、ウィネさんから聞いた話じゃ、常に残機に後は無く、死んだら終わりの世界観らしいじゃないか。
無理だ。無茶だ。無駄だ。
運命は僕に味方していなかったようだ。
僕は敵から距離を取って、剣をしまった。
だって、勝てない。ダメージを一切与えられないのでは、どうすることもできない。
逃げ道を確認するために、首だけ後ろの向けて振り返った。
思わず二度見した。
「う、うそだろ」
開いていない。閉まっている。
まちに戻るための門を閉められてるんだが?
倒さないと、まちに帰してもらえないってことですか?
戦闘指南も受けちゃいないのに、無理があるでしょう?
相手の攻撃に当たったら、一撃で瀕死か、下手したら即死するかもしれない。
肌で感じるレベル差。
絶対に勝てない相手でしょこれ。
転生者だから一般人より強いとか、完璧に勝つぜとか考えていた数分前の自分を全力で説得しに行きたい。門には行くなとお願いしたい。
不幸中の幸いというべきか、敵は僕に向かってくることはない。ただ門から一定の距離を保ちながらウロウロと徘徊するだけである。一応は刃を交えたというのに、相手にとって僕は敵でも何でもない、道端の石ころみたいなもののようだ。
つまり、逃げても追って来ないってことだ。
僕は敵に背をむけた。
悲鳴まじりのざわつき、というより、ドン引きが起きていた。
転生者なのに責任も果たさず逃げるのは許されない、ということだろう。
でも、どうか言わせてほしい。
「無理なものは無理! 開けてください!」
しかし、開かない。かわりに、罵声が降ってくる。
「戦え!」
「何のために転生者がいるんだよ!」
「裏切者! まじめにやれ!」
罵声だけではない、生卵や、石ころや土の塊なども一緒に降ってきた。
ホクキオの民が優しいと思ったこともあった。今となっては、それは遠い昔の出来事のように思える。
ひどく申し訳なく思う。
「ごめんなさい……ごめんなさーい!」
僕は声をあげながら、いろんなものが降る門へと走る。どうか開いてくれと祈りながら。
――きっと、こんな僕でも、エリザティエラさんなら優しくしてくれるんじゃないか。
そんな甘く淡い期待を抱きながら。
門の下についた時、舌打ちのような音がきこえたり、相変わらず石などの落下物があり、今度は唾のようなものも吐かれた気がする。
しばらく開けてくれと絶望の叫びをみせながら門を叩いていると、ややあって、門の重たそうな扉が開いた。
必死に門の中へと急いだ。
転生者は疲れにくいはずなのに、はあはあと息が荒くなっていて、立っていられずに膝をついた。
精神的なダメージからだろう。
別に、罵声や石ころや生卵なんか、もはや苦しくない。倒すべき敵を前に、本当に何もできなかった時点で、僕の心は折れてしまっていた。
転生者としての自信を完全に打ち砕かれたのだ。
もう嫌だ。戦いなんて最悪だ。平和に暮らしたい。たとえ転生者としての使命を果たせず、石ころや生卵をぶつけられ続けたとしても、無理矢理にでも最初のまちに居座ってやる。
転生者に厳しい目を向けてくるまちでも、優しくしてくれる人はきっといる。
そうだ、エリザティエラさんと一緒にホットドッグ屋台でもやりながら幸せに暮らそう。
僕には、冒険前の最初のモブ敵を倒すだけの才能もないんだ。
しょうがないじゃないか。
そんな極めて後ろ向きな思考をめぐらせながら、冷たい石畳に両手をつこうとしたの僕だったのだが……しかし、そのとき右腕が引っ張られた。
「立ちなよ、新入りさん」
僕は、またしても腕を掴まれていた。
声の主は、知らない人だった。
明るく派手な金髪の、笑顔の似合いそうな、美しくて若い、鎧を身に着けた……ギャル、いや、謎の女剣士だった。
転生者を求める鐘が、再び鳴り響きはじめた。さっきよりも強く、早く。




