第12話 辺境のまちホクキオ7 新聞の内容/エリザティエラ3
石畳の広場に設置されていたベンチに座り、僕は新聞と辞書を広げていた。
きっと、末永くこの世界に居座ることになるので、この世界独特のの言語を操れるようになっておきたかった。だから勉強してみようと思ったのだ。
僕は膝の横に広げた新聞を手でなぞり、最も大きな見出しが躍る、いわゆる一面記事というやつを解読してみることにする。
「見出しは、と……『獣人族滅亡か。新たな大魔王の誕生』かな」
引き続き、内容を読み進める。しばらく頭をひねりながら、調べた単語を繋げていく。かなり手こずったものの、なんとか解読できた。
「ええと、『獣人族が呪われ滅亡に向かうことになるだろう。それに関連して、獣人系の大魔王が新たに生まれた。そうなってくると、魔王軍内部での紛争が予想される事態だ。また、各地でそれぞれの派閥の大魔王が大幅に強化され、新たな魔王を量産する流れになった。異例ともいえるモンスターの大量発生が懸念されるため、転生者はしばらくの間、壁の内側で待機し、各地で壁に接近するモンスターの対処に当たるべし』かな。大体こんな感じか」
この獣人系の新大魔王誕生というのが、ウィネさんが何の説明もなしに転生したての僕を戦場に送り込んだ理由なのだろうか。それにしては、あのミミズみたいな龍に関する記述は一切見当たらなかった。
「ふぅ」
頭を使ったからだろうか、何となく何かを食べなくてはならない気分に駆られた僕は、全く空腹ではなかったけれど、アイテム入れを操作し、大量購入したラピッドラビットドッグを出して山積みにした。そのうち一つを取り上げて包み紙をがさがさ開いたとき、僕の目の前に、きれいな女性の脚があらわれた。
「あっ、ティエラさん……」
エリザティエラさんだった。
彼女は滑らかな自分の髪を撫でてから、ラピッドラビットドッグの山をベンチの端っこに寄せ、腰掛けると、少し怒ったような口調で、
「転生者って、いいですよね。いくら食べても太らないし、滅多に病気にならないし、なっても薬ですぐに治るし、運動しても疲れにくい。スキルを使ったりしなければ、お腹がすくこともない。眠らなくてもいいから一日が長いし、いいことずくめで、本当にうらやましいです」
「なんか、すみません。お店の方はいいんですか?」
「ええ、休憩時間にしました。というか、なくなった材料がいくつかあって、それが届くまでお休みです。大量に買ってくださったお客様がいたので」
大量購入者。僕のことである。つまり僕のせいである。
「ところでフシノ。私は、あなたに謝りたいことがあります」
「えっ、何ですか? まったく身に覚えがないんですが!」
「いえね、今朝は、一方的に私が母親のことで悩んでるのを話してしまって、フシノの話を聞いてあげなかったのでね、フシノが抱えている問題があったりするなら、聞いてあげるのが筋なのかなって思いまして」
「問題……ですか」
問題だらけだ。他人とうまく関われなくなってしまった僕は、何をどうすれば解決するのかもわからず、そもそも解決したいのかどうかさえ、自分ではわからなくなっているのだった。
それ以上、脳が危険を察知してフリーズしたようで、具体的な問題点を思い浮かべるのを避けたため、僕は黙っているしかなかった。
すると沈黙を嫌ったのか、エリザティエラさんは、質問を変えてくれた。
「フシノには大切な人がいますか?」
「えっと……」
「たとえば、ご両親やご兄弟とか」
「両親がいます。普通の両親です。共働きの、ほんとうに普通の。兄弟はいません」
「お友達は?」
いません、と言おうとしたとき、どういうわけか、隣のクラスにいる地味な黒髪の幼馴染の陰気な顔が思い浮かんだ。
猫背で前髪が長くて、僕が陰の者になる前から陰のオーラを撒き散らしていた女の子。僕が腕を引っ張ってやらなければ何もできないような、おとなしい幼馴染だった。
どうなんだろうな。僕が友達だと思っても、相手は友達だなんて思ってくれていないんじゃないかな。
事実、廊下ですれ違った時に、目も合わせてくれなかったくらいだ。
彼女にとっても、陰の者に成り下がってしまった僕なんて、友達でも何でもないだろう。
「……いません」
僕は答えたが、ティエラさんは何故だか逃がしてくれなかった。
「間がありましたね。頭に思い浮かんだ人がいるんですね? もしかして、友達じゃなくて恋人ならいるとか、そういうことですかね?」
「いやいや、いませんいません。ありえません」
「本当に~?」
「本当ですよ。両親だけしか携帯の番号登録に残していないほどの孤独です!」
「孤独……」
「ええ、孤独なんですよ」
僕は心に軽い傷を刻みながら自信満々に答えた。
すると、ティエラさんは、憂いを帯びた横顔を見せて、青い空を見た。
「私は、両親さえいないので、私の勝ちですね」
「やめません? 悲しい戦いですよ、ティエラさん」
「まあまあ。半分、冗談ですよ。フシノは冗談が嫌いですか?」
「さあ、昔は好きでしたけどね。今は、人とあまり話さないので、好きか嫌いかどうかさえ、わからないというか」
「フシノは、昔に戻りたいのですね」
「どうなんですかね」
「よければ、私がこれからも話し相手になりましょうか? 私が相手なら、気兼ねなく話せるようですし」
「なんだかんだ言って、ティエラさんが寂しいだけでは?」
「う……そんなことないです」
「いま『う』って漏らしましたよね。図星なのでは?」
「そういうとこですよ。友達いないの」
「そもそも、ティエラさん、言うほど孤独なんですか? お母様が専用の予言まで新聞に載せてくるとか、ものすごーく愛されてませんか?」
「でも、会ったことないんですよ?」
「お父様には?」
「父は死んだことになっています」
「なんか変な言い回しですね」
「ええまあ、死んだことにして療養してて、いつか色々な世界を旅する計画を立てているそうです」
「世界を……? いろいろな? 僕の世界とここ以外にも、いくつも世界があるんですか? 国とか都市とかじゃなく? 世界が?」
なんとなく足元が揺らぐような感覚に陥って、不安なまま僕は聞き返した。
ティエラさんの頬を汗が伝って、彼女の胸のふくらみに落ちた。
「あー、忘れてください、今の。転生者さんには秘密なやつでした。私ったらつい、口が滑って」
どうやら、来たばかりなのに、いきなりこの世界の秘密を知りかけてしまったらしい。とはいえ、別の世界が存在するなんてことを知ったところで、僕が何か他の転生者たちに大きな影響を与えるなんてことは有り得ないと思うので、安心してくれていいのだが。
ティエラさんは頭をかかえて、「私ったら、やっぱり寂しいのかなぁ」などと呟いて、恥ずかしそうにしていた。
たしかに、僕の孤独なんてのは、大したことのないものなのかもしれない。つまらないことで悩んでいるだけなのかもしれない。だけど、他人の悩みと比べるまでもなく、僕の悩みは本物だったんだと思う。
――まあ、この異世界で暮らすことに決めた以上、そんな悩みなどサッパリ忘れて、少しずつ陽の者にクラスチェンジするのも選択肢の一つなのかもな。
そんなことを考えていた時だ。ホクキオのまちに甲高い鐘の音が響いたのは。
激しい金属音が何度も鼓膜を打ったのだった。




